第9話 蝿ごとき……この拳で
石造りの地下、湿った壁から奇妙な液体が滲み出ていた。
その廊下を歩く一人の男。
加齢で少し垂れた頬、シワが少し目立ち始めた60代後半の男。柔らかな表情で汚れ一つ無い衣を纏い優雅に立ち振る舞っていた。
男は目の前の騎士を見つけると穏やかな口調で話し始めた。
「神の捧げ物はここで合っていますね?」
普通にどこにでもいそうなお爺さんの声だった。しかし声を尋ねられた騎士は彼の声に一瞬ビクッと肩を震わせる。
「厳重に管理しております、メクラーム様」
「様子を確認したいのですが鍵はどちらに?」
「あの……我々は管理をしていないので……。てっきりメクラーム様が持っているのかと……」
メクラームと呼ばれた男は自身の体をさすり何かを探しているようだった。
「おっ……ありましたね。申し訳ないです。はは、歳のせいか物忘れがひどくて……」
ガチャガチャと扉の鍵を開けようとするメクラーム。
「お気をつけて」
その様子を見ていた騎士は中にいる捧げ物に攻撃されないかを心配していた。
「ああ、まだ私は現役でいたいので物忘れには屈しませんよ……」
言葉がうまく伝わらなかったのか彼はそう答えた。
騎士はその場を離れここにはメクラーム1人だけとなった。
メクラームは扉の鍵を開け中に入る。
そこには両手両足を拘束された1人の少女がいた。イモムシのように地に這っているようでメクラームを見つけると彼女は睨んだ。
「おお怖いですね」
金色のロングヘアー。怒りを表していること以外は美しい少女だった。
身につけていた物を全てを剥ぎ取られたのか彼女はぼろきれ一枚を纏っている。
「あまりこういうことは言いたくないのですがもっと女性らしくしてみては?」
大胆に開かれた股からは、艶のある太ももの筋肉の裏筋が見えた。それが彼女が暴れるたびに動く。
「誰があんたの言う事聞くわけ?」
ギリッと奥歯から音が鳴る。相当怒っているようだ。
「そんなに恨まれるようなことはしていませんけどね……」
「勝手に着替えさせられ不愉快なのよ。乙女の体はただじゃないのよ?」
「残念なことにこの世界に生まれてきた時点であなたの所有者は私たちなのです」
「異端者ね、頭でもぶつけたの? それにしては結構いい服を着ているみたいじゃない。あの胡散臭い聖教会の関係者だったりして」
いつしか歪んでいた口は両端が均等に吊り上がっており、目の前の男を嘲笑っているようだ。
「それをお答えする必要はないですね。元よりそれよりも強大な集団なのですから」
「さらに胡散臭くなったわ。それでなに? 攫った理由でも聞かせてもらおうじゃない。身代金だなんてふざけた理由だったら殺すわよ」
少女は今にでも噛みつきそうな鋭い視線を送る。
「理由をお教えすることは出来ませんね。ただ貴族であるあなたが欲しかっただけですよ、エリン・ヴェネット」
「奴隷にでもして売り飛ばすつもり? 聖教会もお金がないのね。日々減っていく信者に焦りを感じて犯罪に手を出し──」
メクラームの腕が地面を貫いた。そこは丁度エリンの頭があった場所。
しかし彼女は寸前に体を捻り拳を躱した。
「図星だったの? 結構ご立腹じゃない」
「ここは湿気があって虫が湧きやすいんですよ」
「あらありがとう、腕が使えないから代わりに蠅を殺してくれたのね?」
メクラームは拳の砂を払って笑顔に戻る。
「大事な贄を蝿如きに汚されてしまっては堪りませんから」
「贄……? なんだか面白そうなことしようとしてるじゃない。悪魔でも召喚するのかしら?」
ゴロンと転がり仰向けとなる
「悪魔など呼び起こしてもなんの意味もありません。我々が捧げる相手は高貴なるお方なのです。よって……悪魔などと罵ったあなたには少し痛い目を見てもらわないとですね」
「弱そうなあなたに何ができるの? 寝込みしか襲えない卑怯者」
温まった拳を広げて熱を外に逃がす。
「……やはり今はやめておきましょう、治らない傷をつけてしまえば私の名誉にも傷がついてしまいますからね」
「──そう言えばさっきからずっと隣の部屋から啜り泣く子どもの声が聞こえるのだけれど……耳障りだからどうにかしてくれない?」
エリンはガンガンと石の壁を蹴り不満を露わにする。
「傲慢なお姫様のようですね。隣の部屋にはあなたと同じく贄に選ばれた子がいるんですよ。不安で泣いているのですから蹴らないで差し上げてください」
「傲慢な姫が我慢できるとでも思っているの? 嫌な話だけれど私我慢するの苦手なのよ。だから早くこんな汚い場所から抜け出してあんた達を殺したくてたまらないわ」
「残念ですがここを抜け出すことは叶いません。非力なあなたには……」
ジャリっと鎖の悲鳴が聞こえる。
同時に壁を蹴る音が聞こえるとエリンはメクラームの顔に飛びかかる。
虚を突かれたメクラームは彼女の頭突きを喰らい扉の外へ投げ出された。
「活きの良い贄ですね……君のお友達もいずれここへ来ることに──」
メクラームがニヤリと笑った瞬間だった。彼の頬をエリンの拳が砕いたのだ。
「なっ……!?」
彼は反射的にエリンを蹴り飛ばし頬を押さえる。
「エリン……ヴェネット……。やってくれましたね」
力技で鎖をねじ切ったのか彼女の両腕両足は自由になっていた。
「友達には手を出させない! 彼女が死ぬぐらいだったら私はあなたを道連れにする! 腐敗しきった聖教が拉致なんて汚い真似してるんじゃないわよ! 今まで何人殺して──」
「──スリープ」
錯乱しているエリンをメクラームは妙な術を使って黙らせた。
「全く野蛮な小娘です。神聖なる我が衣に汚れがついたらどうするつもりだったのですか……」
ホコリを払い立ち上がる。
エリンを再び頑丈な鎖で拘束すると扉の鍵を閉めた。そこへ慌ただしく走る騎士。
「大変ですメクラーム様!」
「はい、どうかしましたか?」
「侵入者です、それも少数! 次々と護衛騎士がなぎ倒されあっという間に防御が手薄に! 間もなくここも突破されてしまいます!」
メクラームは慌てる騎士を落ち着かせるため余裕のある表情で話し出す。
「敵の数は?」
「11人です。おそらくは日中の者たちかと……」
「確かが廃村に引きつけたという話でしたが? なぜバレたんでしょう?」
「それはわかりません」
メクラームは口角を上げて手を叩く。すると目の前の騎士が不自然に宙吊りになった。
「め、メクラーム様なにをっ!」
「我々は神の使いです。いつでも冷静であって、ミスなど許されない。しかし今回あなた方はミスをし敵にこの場所を教えてしまった……違いますか?」
優しい顔は騎士にとってなんの意味もなさなかった。
貼り付けたままの笑顔で騎士はどんどんと震え上がる。
「そ、それは私の責任には当たらないです!」
この騎士はずっと地下通路の護衛をしていた。場所を教えてしまった騎士ではないのだ。
「責任逃れはよくありませんねえ。たとえ別の騎士がミスを犯していたとしてもあなた方は神に選ばれた聖騎士の一人。一心同体であり誰かのミスは連帯責任になるのですよ」
「なっ……!? し、しかし私はまだ……!」
その瞬間、騎士の背中からバキッと脊椎の折れる音がした。
「あ……あが、が……」
「これで罪は晴れました。首から下の機能をすべてなくすことで、己の不甲斐なさを噛みしめる罰です。それでは引き続きここの護衛を任せますね」
ドシャっと全身を動かせなくなった騎士は泡を吹いて白目を剥く。
「それでは私はネズミどもの始末をしに行くとしましょうか」
メクラームは騎士の鎧を踏み潰しながらその場を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます