名探偵日色秀太郎ら宣伝班は蘭印の首都バタビヤにて第一回宣伝会議を行うの巻

   9、宣伝会議


 巨大な建物もあれば、おとぎの国のような洋館街、さらに中華街まで――どこか横浜に似た街並みだ。アスファルトで舗装された広い通りをパンタグラフを突き立てた路面電車や、乗用車、トラック、三輪車ペチヤ、一頭立ての馬車、魚のように群れする自転車が行き交っている。運河では薄い上布パジュ腰布サロンを着た女性たちが洗濯し、素っ裸の子どもたちが水浴マンデイではしゃいでいる。


 蘭印の首都バタビヤ。スンダ王朝の時代にはこの街は〝カラパ(Calapa)〟と呼ばれていた。カラパとは椰子という意味である。その後、回教徒がこの街を征服して〝ジアヤカルタ(Jayakarta)〟と改称した。ポルトガル人はそれを訛って〝ジャカトラ(Jacatra)〟とし、それが日本に伝わって〝じゃがたら〟となった。一五九六年、オランダの南洋航路探検隊がこの街に入港した時には、街に昔日の繁栄の面影はなく、チリウン川左岸に椰子の葉で葺いた竹造の家屋約一〇〇戸が領主の居館を囲んでいるくらいだった。一六〇二年、オランダ総合東印度会社が創立され、バンタンに商館を設けたが、一六二一年十一月、この街のチリウン川右岸に移転した。アムステルダムの東印度会社本社は、オランダに昔住んでいた古代ゲルマン人バタヴィ(Batavi)族にちなんで、街の名をバタビヤ(Batavia)に改称した。


 バタビヤの中央部、メンテンのナッソウ通りにあるコロニアル様式の建物の玄関で大きな旗がはためいていた。その旗に描かれているのは、真っ赤な丸とその中に黒い〝宣〟という文字。〝丸宣〟といって、この建物が宣伝班に接収されたものであることを示している。ここは元・英国総領事の邸宅で、ここ以外にもバタビヤ市内のあちこちに――新聞通信社、放送局、印刷所、撮影所、など――丸宣マークはつけられていた。


 その二階。だだっ広い応接室の天井で電気扇シーリングファンがくるくる回っている。日色たち宣伝班員が壁沿いに並べられた木の椅子に座って待っていたところに、町田中佐、大宅壮一、そして宣伝班の中では二十八歳とひときわ若い宣伝係の清水斉しみずひとしの三人が入ってきて、中央のテーブルに着席した。この清水青年、北支で宣撫せんぶ総班長を勤めていた八木沼丈夫の門下で、宣撫工作のプロという触れ込みだ。清水斉がノートを開いて、書記の準備を終えたところで、

「じゃあさっそく始めましょうか」

 と大宅が話を切り出した。宣伝班員が名だたる文化人ばかりなので、町田中佐は放任主義の構えらしい。

「具体的に各部門の活動目標を決めていきましょう。まず、作家諸君から」

 冨澤有爲男が代表して答えた。「マレー語の新聞を発行したいと考えます。内地新聞と同じサイズで、四ページくらいのもの。できれば日刊で」

「それはいい!」と膝を打ったのは、もうひとりの清水――清水宣雄である。「その新聞により、インドネシア人たちに八紘一宇はっこういちうの大精神を知らしめ、浸透させましょう!」

「印刷所ですが、どこかいいところがありますか?」

 と大宅に訊かれて、冨澤は答えた。「ユニ印刷会社を考えています。上等な印刷機があるうえ、職工が三百五十人もいます」

「予算はどのくらいかかりますか?」

 冨澤は困った顔をして、「さあ、どのくらいでしょう……」

「幾らかかってもいいじゃないですか」と書記役の清水斉が溌剌とした声で言った。「足りないようでした私が広告をとってきます。それでも苦しいようなら、町の印刷物なんかも受注しましょう」

「その新聞には記事だけでなく、水戸黄門や赤穂浪士といった講談を翻訳して連載してはどうでしょう?」と言ったのは浅野晃。「子供にもわかりやすい話なので、日本精神が伝わりやすいと思います」

「それはいい考えですね」

「マレー語だけじゃなく日本語の新聞も作りませんか?」

 という大木惇夫の提案に北原武夫が難色を示した。

「それはちょっと難しいですねえ……」

「どうしてです?」

「佐倉丸に積んでいた邦字の活字が一つ残らず海の藻屑となってしまったんですよ。もし日本語の新聞を作るなら、新たに活字を作らないといけない……」

「だったら作りましょう」と言ったのは画家の河野鷹思で、「イロハ四十八字でよければ手伝いますよ」と協力を申し出た。

「それは助かります。お願いします」

 映画については、石本統吉が発言した。

「当初、ジャワで撮影したものを内地に送って完成させるつもりでいましたが、こちらに来てみて考えが変わりました。ムルティ・フィルムに想像していたよりも現像・録音の良い設備があったんです。そこで、いっそこちらで製作してみてはどうかと思うんですが」

 それまで黙っていた町田中佐が口を開いた。「映画は記録映画ですか?」

「記録映画とニュース映画ですね」

「劇映画は作りませんか?」

「どうでしょう。劇映画の撮影所はバタビヤに六つばかりあるんですが、どれも規模が小さくて……。それに、経営・監督・脚本・撮影すべて華僑で、インドネシア人の技術者が一人もおりません。ですから、やるとしたらまず養成・育成をいたしませんと」

「しかし、日本人は劇映画を望んでいる。その間、内地から映画を取り寄せて上映しましょうか。『西住にしずみ戦車長伝』なんかどうでしょう?」

「いやいや、夏川静江のやつにしましょう」と横山隆一が茶目っ気たっぷりに言ったのに、飯田信夫が慌てた。

「おいおい、重要な作戦会議で冗談はやめてくれよ」

「すまんすまん」

 いっせいに笑いが起きた。人気女優の夏川静江は飯田の細君だったのだ。(さらに日色の妻・民江の文化学院の同級生だったが、日色は黙っていた)。

「ところで飯田さん」と大宅が言った。「音楽はどうでしょう?」

 飯田は真顔に戻って、「バタビヤに管弦楽団を作りたいと思います。そして、その演奏を内地の人に聞いてもらう」

「内地に、ですか。夢がありますね」と大宅は肯いてから、「横山さん、絵の方はどうです?」

「紙芝居なんかどうでしょう。ちょっと描いてみたんで見てください」

 と言って、横山は自作の紙芝居を披露した。


 ジャバのフクチャン     横山隆一

   インドネシア人男性がフクチャンに言いました。

  「ナニカイキノイイオカズヲカッテキテオクレ」

   フクチャン、お店で、

  「ハイ、三十セン」

   フクチャン、帰ってきて、

  「タダイマ」

   フクチャンの頭の上のニワトリが「コッコッコケッコ」

   インドネシア人、びっくり。


「いいですね。面白いと思います」

「良かった」横山はにっこりと笑った。

 清水宣雄は日本語学校の設立を提案した。

「小学校のモデル学級として〝チハヤ学塾〟というものを作ります。日本語の普及が根幹で、日本の歌をうたい、日本の踊りをおどる。お祭りは、七夕祭りに五月の節句、二宮金次郎祭……」

 日色はずっと居心地の悪さを感じていた。作家や画家、音楽家のようにする人なら宣伝プロパガンダで役立つことはあるだろう。しかし、日色は私立探偵だ。私立探偵に宣伝の何ができるのか、想像もつかない。そう考えていたら、

「阿部さん、北原さん、日色さん」

 と大宅に名を呼ばれて、三人は緊張した。

「皆さんは外国語が達者だ。本の調査をお願いします」

「どんな調査です?」

「本屋、貸本屋、図書館を調べて、反日的な本や良くない本があったら差し押さえてください」

「わかりました」

「あと、捕虜の尋問の通訳を頼むかもしれません」

 窓の外のバタビヤの空に奇妙なものが見えた。最初に気付いたのは、飯田で、「何だ、ありゃ?」

 全員が窓に近づき、外を見た。「ASIA RAJA」と書かれたアドバルーンだった。

「何て書かれてあるのかな?」と横山が誰ともなしにつぶやいたのに、清水宣雄がドイツ的なファナティックな顔で答えた。

「アジヤ・ラヤ――大アジア、と書かれてあります。三百年間、インドネシアはオランダ、いえ、近代ヨーロッパ資本主義に搾取されてきた。それが我が皇軍によって解放されて、よほど嬉しいのでしょう。アジアはひとつ! 大東亜精神をもっともっと宣伝いたしましょう!」

 全員が強く頷いた。


                           (つづく)

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