第45話

 翔と暮らし始めて1ヶ月経とうとしていた日曜日。菜々美のマンションへ予想もしていなかった人物がやってた。


「な……んで?」

 インターフォン越しに固まっている菜々美に、翔は近付く。

「どうした?」

 インターフォンのモニターを覗くと、ひとりの男性が立っている。

「菜々美?」

 菜々美に声をかける。だが、菜々美は震えていた。

『早く開けないか!』

 モニター越しに聞こえる声は威圧感たっぷりだった。菜々美はその声に従うしかなかった。



「なんで早く開けない!」

 入るなり怒鳴り散らすその人は、菜々美の養父だった。ズカズカとリビングまで入ってくる養父は、リビングにいた翔に気付くと「お前は誰だ」と威圧した。

「中山翔と言います。菜々美さんとお付き合いさせていただいてます」

 いつものあの笑顔で笑う翔に、養父は苛立っていた。

「菜々美っ!私は許さないと言った筈だ!」

 菜々美に振り返りバチン!と菜々美の頬を叩いた。菜々美の頬が赤く腫れ上がる。

 その状況に翔は驚いた。だがすぐに菜々美を自分の方に引き寄せた。

「なにをすんですか」

 静かに養父を睨む。養父も翔を睨む。

「私たち親子の問題だ」

「だからといって余りにも酷いんじゃないですか。菜々美がなにをしたって言うんです?」

「菜々美は私の言うことを聞いていればいい!小説しごとだって辞めるべきだ!」

 その言葉に菜々美は金切り声を上げる。

「あなたに私を支配する権利はない!私はもうあなたの操り人形にはならない!」

「なんて口の聞き方!」

「私は……っ!もう自分のしたいことをやっていきたいの!あなたの指示は受けない!」

「菜々美っ!」

 涙を浮かべた菜々美は必死に養父を玄関まで引っ張っていく。

「帰ってっ!もう来ないでっ!」

 無理矢理、外へ押し出して玄関の鍵をかける。



──あなたが幸せになる道を行きなさい。もう大人なのだから、私たちの顔色を伺う必要はないの──



 母親の言葉が、菜々美の頭の中をグルグルと回っている。

 外ではドンドンドン……っ!とドアを叩く音と「菜々美っ!」と怒鳴る声がする。

 耳を塞いでしゃがみ込む菜々美を抱きしめる翔は、菜々美の背中を擦っていた。




     ◇◇◇◇◇




「引っ越そうか?」

 昼食の準備をしている翔が、膝を抱えてソファーに座る菜々美に声をかける。

「え?」

 その言葉に顔を上げ翔の方を真っ直ぐに見つめる。

「あの人は、要は毒親だよ。傍にいない方がいい。居場所を知られない方がいい。もっと都心に近い所か、田舎の方に行くか」

「でも……、翔が通勤するのに……」

「どうとでもなるよ。今の会社辞めたって構わないし。他に行くところはいくらでもある」

「翔……」

「とにかく、このマンションからは離れた方がいい」

 コトンと、ローテーブルに翔特製の和風パスタを置いた。

「はい」

 フォークを渡した翔は、飲み物を取りにキッチンへと戻った。

「ま、考えておいて」

「ん……」

 目の前にあるパスタを視線を落とした菜々美。その表情は何を考えているのか読めない。そのくらいに養父とのことが心に引っ掛かってるのだ。

 翔は何も言わずにパスタを食べて、そっと菜々美から離れた。



 リビングから出ていく翔に気付いているのか、いないのか。菜々美はそのままリビングのソファーに座ったままだった。

 どのくらいそうしていたのか分からないが、気付くとかよがいた。

「聞いたよ。中山くんから」

 そう言うと菜々美に珈琲を入れる。

「お養父さん、来たって」

「ん……」

「面と向かって反発したの、初めて?」

「……かな」

「もう解放されていいと思うよ。菜々美には中山くんがいるんだし」

 ローテーブルに置かれたままのパスタを見たかよは、菜々美に笑った。

「中山くん、菜々美の為に色々してくれてるじゃない」

 菜々美の目の前に置かれているパスタはもう冷めていて、麺同士がくっついていた。

「ちゃんと食べてあげなよ」

 かよに言われフォークでパスタを拾い上げる。

(美味しい……)

 冷めていても美味しく感じるのは、翔の気持ちが分かるから。

 菜々美に対してどんな気持ちでいるのか、分かってるからそう感じる。

 かよを呼んだのだって、菜々美を思ってのこと。引っ越そうと言ったのも菜々美の為。


「引っ越し……した方がいいのかな」

 ポツリと呟いた菜々美に、かよは笑う。

「菜々美が笑ってられるのならどこでだっていいと思うよ。私はどこだって菜々美の所に駆けつけるから」

 かよの気持ちもありがたい。高校の時からどんな時でも傍にいて支えてくれた親友。

 そんな親友と大切な初恋の人の気持ちに、菜々美は胸がいっぱいで涙を流していた。

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