第41話
カタカタカタ……。
昼下がりの土曜日。仕事部屋でパソコンのキーボードを打つ音が響く。それを遮るようにスマホが鳴り出す。
画面を見ると【山之内】と表示されている。
「はい」
『先生!』
いつものあの大きい声が聞こえてきた。
『どうですか?』
定期的に電話をくれるこの山之内は、実は菜々美にとってはいなくてはいけない存在だった。
それはプライベートのことではなく、仕事の面だけだけど、人と関わりの持たない菜々美にとってはやはりいてくれなきゃダメな存在だった。
だが──……。
『先生。今からそちらに向かいます。お話しなきゃいけないことがありまして……』
山之内の言葉に不安を覚える。前回出した本があまりよくない結果だったのかとか、今小説雑誌で連載しているものがあまりよくないのかとか、そんなことを考えてしまう。
「菜々美」
仕事部屋に顔を出した翔は、菜々美のひきつった顔をを見て何かを察する。
「どうした?」
「あ……。山之内が今から来る」
「担当さん?」
「ん……」
山之内がなにを言いに来るのか不安で仕方なかった。
「おれ、いない方がいい?」
「ううん。いて」
菜々美は翔の顔を見ずに言った。
(なんとなく、ひとりで山之内と会うことが
それは翔に対して申し訳ないという思いがあるからだろう。
例え山之内が菜々美のデビュー当時からの担当であっても、山之内は男だ。その男とこのマンションでふたりで会うことに、引け目を感じたのだ。
暫くして菜々美のマンションのインターフォンが鳴った。菜々美はモニターを確認すると、玄関のドアを開けに行った。
「どうぞ」
山之内を中に入れる。翔はリビングでテレビを観ていたが、山之内が気になって仕方なかった。
一度、後ろ姿は見たことがあった。ただそれだけだったから、どんな男かは知らない。菜々美も必要以上に話すことはしなかったし。
ソファーから立ち上がり、廊下に出る。山之内が翔に気付くと菜々美を見ていた。
「あ……、えっとこちら中山翔さんで……」
「彼氏さんですね」
菜々美の言葉を遮って答えた山之内は、爽やかな青年だった。
(この人が……)
マジマジと山之内を見てしまった翔は慌てて自己紹介をする。
「中山です。菜々美とは高校の同級生なんです」
「余計なことはいいから!なんでこっち出てきたの!」
「挨拶ぐらいしようかなと」
リビングに追いやって翔に文句を言う。山之内と話して欲しいわけではなかった。
ただ同じマンションにいて欲しかっただけなのだ。
「いいからここにいて!」
と、ソファーに座らせる。
「ここにいてくれるだけでいいから……」
そう呟くように言った菜々美は、そのままリビングを出ていく。
ひとり取り残された翔は、仕事部屋の方に視線をやる。仕事部屋ではふたりが何やら話してる。内容までは分からないが、ふたりの声が微かに聞こえる。
その声の合間に菜々美の困惑したような声が聞こえてきた。
(ん?なにかあったかな)
困惑した声の後、菜々美の啜り泣くような声も聞こえてきた。
翔は心配になってソファーから立ち上がる。リビングの入り口まで行き、仕事部屋から聞こえる声を拾おうとする。
「──……んで?」
菜々美のそんな声が聞こえてきた。
「上の決定なんです」
それに対する山之内の声も聞こえて来た。
「どうして──……っ」
涙を堪えてるような声が、山之内にも伝染したかのように啜り泣く声がふたり分になった。
「菜々美先生……っ」
「うっ……、ううっ……」
完全に菜々美は泣いているみたいだった。
思わず仕事部屋に入ると、打ち合わせ用に置いてあるひとり掛けソファーに向い合わせで座ってるふたりを見た。
菜々美が泣いてることで、山之内もつられて泣いていた。
「なにがあった?」
ふたりに声をかけると、山之内が翔に振り返る。
「す、すみません……」
頭を下げる山之内を見下ろして、更に菜々美を見る。
「……山之内が、担当じゃ……なくなる」
いつもの菜々美らしくない声で話す。菜々美にとっては山之内はなくてはならない存在。デビュー作の頃からずっと担当してくれていた編集者。
菜々美より6歳も年上なのだが、そう見えないこの編集者は、いつも菜々美の仕事のサポートをしてきた。菜々美にとって兄のような存在でもあったのだ。
菜々美がこのマンションを借りる時、一緒に内観に回ってくれた。引っ越しの手伝いもしてくれた人なのだ。
だから寂しくもなる。
「菜々美先生。今度、次の担当も連れてきます」
帰り際、山之内はそう言った。
「本当に変わっちゃうの……?」
「会社の辞令なので……」
寂しさを堪えるように山之内を見る。
「大丈夫です。次の担当、結構アホなので気楽に物事を言えちゃいます。寧ろ言ってください」
笑う山之内を寂しそうな目で見送る。山之内が帰った後も動けなくなるくらいだった。
「菜々美」
ポンと肩を手を置く翔は、菜々美を部屋の中に連れていく。
リビングに行き、ソファーに菜々美を座らせる。菜々美を見るとまだショックが抜けきらない姿でいる。
それ程今回の担当換えは、菜々美にとってはショッキングなことだった。
「ずっと一緒にやってたの……」
ポツリと話し出す。山之内とふたりで本を作り出したと思ってるくらいだった。
「兄のようだったし……」
その菜々美の思いを翔は黙って受け取っていた。
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