第37話

 母親が菜々美のマンションにやって来た。賢は学校、養父は仕事でいない時間帯にか来ることは出来ない。

 賢が帰宅する前に家に戻らなきゃいけない。もしいなかったら、養父に知られてしまう。そうなったら母親は養父に何をされるか分からない。

 この夫婦は表向きは仲のいい夫婦。だが、母親は夫である養父に怯えてるところがあるのだ。

(さっさと別れればいいのに)

 菜々美はずっとそう思ってる。だけど、賢がいるから一緒にいるようなものだった。


「久しぶり」

 同窓会のハガキを取りに行ったのはいつだったか。それ以来だった。

「すごいマンションに住んでるのね」

 母親はこのマンションの中に入ったことはない。母親だけではなく、養父も賢も一度も来たことはない。

 住んでる場所は知っているが、ここに来ることはないのだ。


「はい」

 ダイニングテーブルに珈琲を入れたカップを置く。

「ありがとう、菜々美」

 リビングを見渡した母親は、あることに気付く。

「もしかして……、彼と一緒に暮らしてるの?」

 リビングから見えるベランダに、洗濯物が干してある。その中には男物の洋服が干してあるのを母親は見逃さなかった。

「お試し」

「え?」

「私、他人と暮らしていける自信ないもの」

 それを言うと母親は納得した。

「それは我が家のせい……ね」

 悲しそうに言う母親は、カップを握りしめていた。そしてゆっくりと話し始めた。




     ◇◇◇◇◇




 それは母親と父親と養父の昔話だった──……。




 私と幼馴染みだった優太ゆうたは同じ高校に通っていたわ。

 家も近所だったから、登校するのも自然と一緒。優太はサッカー部で、私はその帰りをグラウンドの隅で待っていて、終わると一緒に帰っていたわ。


美知みち!」

 練習が終わると満面の笑みで私に駆け寄ってくるの。

 その瞬間が大好きだった。

「お疲れ様」

 優太と並んで駅まで歩いて行く時間は、私にとってかけがえのない大切な時間だった。

 優太は校内では結構な人気者だったわ。成績も運動も申し分ない。性格もいいし、何よりとても格好良かったわ。

 そんな人だもの。人気ないわけないじゃない。

 だから私は、女の子たちに妬まれることが多かった。仲のいい友達はいたけど、それよりも妬む子の方が多かったわ。


「好きだ」

 高校2年の夏休み前。優太にそう言われたわ。

 そのことがどんなに嬉しかったか。

 私もずっと好きだったの。小学生の頃からずっと。

 だから付き合うことは自然なことだったの。ずっと昔から決まっていたかのように。

 

 夏休みの間も、優太に着いてサッカー部の練習を見に行っていたわ。優太目当ての女子たちがたくさんいるのは想定内だったけどね。

 優太に告白した女子も多かった。夏休み中も何度も告白されてたわ。

 でもその度に断っていたわね。


「また告白されたの?」

 何度目かの告白をされたことを知って、私は酷く嫉妬したわ。優太は私のだって言いたかった。

 でもそんなに独占力があるなんて、知られたくはなかった。

「おれは、美知しか興味ないよ」

 そう言って私を抱きしめるから、何も言えなくなるだけど。


 夏休みが終わる頃、賢治くんが私たちの輪に入ってくるようになったの。優太と同じサッカー部で、私とは同じクラスだった。

 新学期が始まっても何故か一緒なのよ。

 その理由が分からなくて、私は混乱していたわ。


 高校2年生の終わりに、賢治くんから優太と別れて自分と付き合って欲しいと言われたわ。

 でも私には優太しか見えてなかったし、賢治くんのことはそんな対象として見てなかったから驚いたの。

 言葉に詰まった私は、すぐに答えられなくてそれを賢治くんは自分の良いように解釈してしまったのよ。


「美知!」

 その日から賢治くんは私を名前で呼ぶようになった。優太はそれをやめてくれと言ってくれたけど、賢治くんは優太に「美知はおれと付き合うから」と宣言してしまったのよ。

 私にはそんなつもりはないんだけど。

 そのことは優太もちゃんと理解してくれていたわ。賢治くんが勝手に言ってることを。

 それでも回りの目は違ったの。

 私がふたりを弄んでるかのように噂されたわ。だからそれまで仲良くしてくれてた子たちも離れていったの。

 そんな状態のまま高校を卒業して、大学に進学して、私と優太は学部は違うけど同じ大学だったの。

 賢治くんは違う大学へ行ったわ。

 これで回りが騒がしくはならないと思った。

 だけど就職活動を始めた頃に、再会したの。同じ会社の説明会に来てたわ。

 とても驚いたわ。そこからまた賢治くんに付きまとわれることになったの。

 だけどその度に優太が守ってくれていたわ。


「本当にやめて」

 何度目かの断りの言葉を賢治くんは悲しそうな顔をして受け入れてくれたわ。

「私、優太と結婚するの」

 就職して1年か2年くらいしたら、結婚しようと言われていたから。そのことを話したわ。

 賢治くんは「分かった」と言って、会うこともなくなった。


 その後、優太と私は順調だったわ。

 就職が決まって、大学卒業して、同棲して、就職2年目に結婚したわ。

 結婚して1年経った頃にあなたが産まれた。

 だけど幸せな時間は続かなかった。

 優太が白血病になってしまった。それを聞き付けた賢治くんが、何度も優太に会いに来てくれた。私たちを支えてくれた。


「優太……」

 無菌室越しにしか会えないが、それでも優太は笑ってくれていた。


「賢治……」

 病状が進んでもうダメだと思ったのか、優太は賢治くんに話していたの。

「美知と……菜々美むすめを……頼む……」

 

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