第36話

 翔との生活が始まった。それに対して菜々美は不思議な感覚を覚えた。

 朝起きると隣には翔がいる。その翔が菜々美の代わりに朝ごはんを用意してくれる。朝食をとって身支度を終えると、翔は会社へと向かう。その翔を見送る菜々美は、こんな時間があるとは思わなかった。

「じゃ行ってくる」

 鞄を持って玄関に向かう翔に手を振る。

「行ってらっしゃい」

 そう誰かに言う時が来るとは思わなかった。



 翔が出かけてから、菜々美は食器を片付け、洗濯機を回し軽く掃除をする。ただ掃除機をかけるだけなのだが、それすら菜々美には結構大変なことだ。

 だけど、今までみたいにはいかないと掃除機をかける。いくら翔がやってくれると言ってるとはいえ、甘えっぱなしでは申し訳ない。

 掃除が終わると洗い終わった洗濯物を干す。

 当たり前のことが、菜々美にとっては当たり前ではなく、とても新鮮な出来事だった。



「なんだか……、不思議だわ」

 洗濯物を干し終わった菜々美は、今の自分を振り返り呟いた。

 いつもひとりのこのマンションに、翔の荷物がある。そしてここに翔は帰ってくる。

 それが不思議でならなかった。


「仕事しよ……」

 一通りのことを終えた菜々美は、仕事部屋へと向かった。




     ◇◇◇◇◇




 仕事をしていると、スマホが鳴り出した。山之内かなと思って画面を見ると、【母】と出ていた。

「はぁ……」

 ため息を吐くとその電話に出る。

「なに?」

 素っ気なく電話に出た菜々美に、母親は『付き合ってる人いるんだって?』と言った。

 だいぶ前に賢から聞いてるのかと思った。それに養父も知ってる。話を聞いてないわけがない。

「聞いてたんじゃないの?」

『聞いてたわよ。でもあなた……』

「お母さんも反対なわけ?私、もう24なんだけど!」

 母親も反対なのかと声を荒げた。この母親は、養父に子連れで結婚してもらったからなのか、負い目を感じている。だから養父には逆らえないのだ。

『お父さんが反対してるなら……』

「誰が相手だろうと反対するでしょ、あの人は!」

『菜々美……』

「仕事だって反対してる。私の持ち物も私の着るものも、全て反対してきた!車を運転することも反対してるでしょ。あの車は当て付けのようなものよ!」

 菜々美の真っ赤な車。あの車を見ると嫌な顔をされる。

「何をしたってあの人は私が嫌いなのよ」

『そんなこと……』

「あるでしょ。私がパパの子だから」

 なんでそこまで嫌うのか、菜々美には分からない。だけど、ことごとく菜々美を見る度に言われてきた。



──やっぱりあの男の子だ──



 その言葉が引っ掛かっている。養父は菜々美の実父を知ってる。そう感じていた。

「あの人はパパのことを知ってるの?」

 ずっと抑えていたことを聞いていた。電話の向こうで母親は黙り込んだ。

 暫く黙り込んだ母親は、ポツリといった。

『会って話すわ』

 電話を切った菜々美は、自分から聞いておいて怖いと感じていた。

 何かあるのではと。それでも理由が知りたかった。養父がなぜそこまで菜々美に対して厳しいのか。菜々美のすることに反対するのか。


(聞くのが怖い……)

 それでも聞かなきゃいけない気がした。

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