第30話

【AnJu】というカフェがある。そこに菜々美がいた。

 山之内を待ってる間、持参していたノートパソコンを開いてカタカタカタ……とキーボードを叩いていた。

 店員が珈琲を持ってテーブルに置く。ここの店員は菜々美のことをよく知ってる。山之内と外での打ち合わせをする時、よくここを使うから顔見知りになった。なので菜々美の好みも熟知していた。

「ありがとう」

「打ち合わせですか?」

「そうなんです」

「作家さんも大変ですね」

「ふふっ、好きでやってることだけどね」

 少し会話を交わし、またパソコンの画面を見た。

 暫くそうやっていると、カラン……とカフェのドアが開く音がした。顔を上げると山之内がそこに立っていた。

「お待たせしました!本当にすみません」

 カウンターの中にいる店員に「珈琲ひとつ」とオーダーすると、菜々美の前の椅子に座った。それを見て菜々美はパソコンを一旦閉じた。


「いつもよりかかったわね」

 山之内を見ては言う菜々美に、申し訳なさそうにする。だけど菜々美は分かっている。ここに来る前の作家は気難しく長々と打ち合わせを引き伸ばす。そうして担当編集者を困らせる人。作家の間でも有名な話だった。

「ほんと僕はあの人の担当は嫌ですよ……」

 ぐったりとした山之内は相当やられてきたらしく、疲れている。

 何度も担当が変わってるその作家の書く本は本当に凄いものなのだが、担当泣かせなのだ。


「はいはい。愚痴は後で聞いてあげるから、まずは打ち合わせしよ」

 と、山之内に声をかける。

「そうですね」

 気を取り直した山之内は菜々美に対して次の作品のテーマをいくつか持って来た。

 それに対して菜々美はああだこうだと意見を言っていく。それが菜々美と山之内の打ち合わせの時間だった。




     ◇◇◇◇◇




「では、お疲れ様でした」

 カフェを出て山之内と別れると駅の方へと歩いて行く。

(そういや、翔の会社はこのあたりだって言ってたなぁ)

 ぼんやりと街並みを眺めながら歩いていると、通りの向こうに翔の姿が見えた。

 こんなに行き交う人でいっぱいなのに、よく見つけられたなぁと自分で感心する。

 翔にメッセージを送ろうとして菜々美は躊躇した。

 通りの向こうにいる翔の隣には、仲良さそうに歩くキレイな女性がいた。

「……っ!」

 息を飲んでそのふたりの姿を見ていた菜々美は、そこから動けなくなっていた。


 ふたりは仲良く談笑しながら、一際大きなビルに入っていく。きっとそこが翔の勤める会社があるのだろう。

 その姿を見て、菜々美は苦しくなった。


(翔の回りにはあんなにキレイな人が……)

 翔に想いを寄せてる人は多いのかもしれない。そう思うと胸が苦しくて苦しくて仕方なかった。

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