第13話
その夜。菜々美は翔に抱かれたまま眠った。何度も何度も「ごめん」と言う翔の声。その声が子守唄のようだった。
「菜々美……?」
声をかけられてゆっくりと目を開ける。
「……中山くん」
「おはよう」
「………おはよ」
抱きしめられたままなのか、目が覚めて抱き寄せられたのかは分からないが、菜々美は翔の腕の中だった。
「昨夜……ごめん」
何度目かのごめんを聞いた菜々美は、ただ首を横に振る。
「急ぎ過ぎた」
「……キス……、されるのが……嫌だったわけじゃ……ないの」
ポツリポツリと、話す菜々美。恥ずかしさで顔を両手で隠す。
「じゃなんで?」
「私……、今まで……ないの」
「ん?」
「24にもなって……、誰かと付き合ったこと、ないの」
顔を真っ赤になるのが分かるくらい恥ずかしい。菜々美はますます顔をあげれない。
翔は菜々美の手を掴みそっと退かす。
手の下にあった菜々美の顔は本当に泣きそうなくらい真っ赤になっていた。
「初めて……だった?」
コクンと頷く菜々美に驚いた。
「あ──……」
(マズイなぁ……。初めてなのにあれは……)
翔は菜々美に酷いことをしたんだと痛感する。
女性にとって、初めてのことは大切にしたいもの。それがあんな強引にされては嫌な思いしかないだろう。
「ごめん。初めてだったらもっとちゃんとすべきだった」
こんな部屋で酔った勢いではなく、ちゃんと考えてするべきだったと、翔は後悔した。
今にも泣き出してしまいそうな菜々美を自分の胸にぎゅっと抱き寄せた。
◇◇◇◇◇
少し落ち着いた頃。ふたりは起き上がり、顔を見合わせた。
恥ずかしい思いでいっぱいになってる菜々美と、その菜々美に対して申し訳ないという思いの翔。
「ふっ」と笑みを溢す菜々美につられて、翔も柔らかい笑みを見せる。
「好きだよ。菜々美」
「私の……どこが?」
素直な疑問をぶつける菜々美に「ん?」と返す。
「だって……、卒業してから一度も会ってなかったんだよ。高校生の頃なんか、私に興味なかったでしょ?」
菜々美のストレートな疑問にどう答えればいいのか分からない。だけど、時間は関係ないと思った。
「ずっと会ってなくても、会った瞬間にこの人だって思うこともあるだろ」
「でも……」
「菜々美は、恋愛小説家なのにそういうの、否定派?」
「分からない……。そういう経験、ないもん」
ちょっとぷくっと膨れた感じで話す菜々美が、ギャップがあって可愛かった。
「自分が……、恋愛小説なんかなんで書いてるんだろうって思う時、あるよ」
ベッドを背もたれにして座るふたり。翔は菜々美の話を黙って聞いていた。
「今書いてる
「そうなの?」
「うん。経験なさすぎて進まない」
「じゃ、おれといろんなこと、経験していこ。な?」
そっと肩を抱いて菜々美の頬に触れる。
それだけで菜々美の心臓がバクバク音をたてる。
「あ──……、キス、したいんだけど……」
翔が遠慮がちに聞く。俯いた菜々美が黙って頷いた。
その姿を見た翔は菜々美の顔を自分の方に向け、優しいキスをした。
◇◇◇◇◇
──おれといろんなこと、経験していこ──
翔にそう言われた言葉が、ずっと頭の中で繰り返されている。
マンションでひとり、仕事をしている時も珈琲を飲んでる時も、ふとした時に頭の中にその言葉がリピートされるのだ。
(恥ずかしい……)
ひとりで妄想してジタバタしていることを知られたくない。
変なやつだと思われたくない。
それは高校時代にも思っていたことだった。
菜々美はずっと小説を書いていた。それを知ってるのは母親と養父くらいだった。母親はそれを応援していたが、養父はやめろと言っていた。
その養父の態度と言動が、書くことに対して他人に知られるのは恥ずかしいと思うようになっていた。【書く】ということは【妄想】することだと思っているから。そんな妄想するやつだと思われたくない。
だけどやっぱり書くことは止めることは出来ないかったのだ。
それが項をなしてか、高校卒業目の前にして作家デビューを果たした。
「菜々美?」
かよは菜々美の様子がおかしいことにすぐに気付いた。
「なんかあった?」
かよにはまだ話していなかった。翔と付き合うことになったこと。キスをされたこと。
どう話していいか、話したら何言われるかとか、考えてしまっていたから。
「な、なんでもない」
誤魔化したが、かよに誤魔化しは効かないのも分かってる。
「菜々美っ。白状しろっ」
菜々美の腕を掴み、逃げられないようにするかよ。そんなかよを見てため息を吐く。
「かよには敵わない」
観念したように菜々美はこれまでのことを話していた。
話を聞いてる間、かよはキラキラとした目をしていた。自分のことのように喜ぶかよに戸惑う。
「良かったねぇ……」
うふふと菜々美を見て笑うかよは、本当に心配していたのだ。
ごく自然と一階にいることが多かったかよ。高校一年生の時に出会ってから、ずっと一緒だった。傍にいるのが当たり前のようにいつも一緒に行動していた。
菜々美の気持ちを一番理解してくれてるのも菜々美だった。
かよだけは養父のことを何も言わないし、菜々美の本好きのことに関しても何も言わない。
そういうところが気に入ってるところだ。
「そっかぁ……。想いが本当に報われたのね」
しみじみと言われると照れてしまう。
「大切にしてもらいなよ」
なんてことも言ってくる。
「これで、
「あのね!その為に付き合うことにしたわけじゃ……っ」
「分かってるよ。菜々美はそんな器用なこと出来るわけないし」
帰り支度をしてるかよは菜々美に振り返る。
「ただ、好きなんでしょう?」
笑った顔に適当なことは言えなく、ただ頷いた。
(好き……なんだよ、私はずっと……)
忘れられなかったのはそれでなんだよと、心の奥が締め付けられる。
「じゃ私は帰るから。菜々美のことだから、中山くんにちゃんと好きって言ってないんでしょ」
「え……」
「言いなよ、ちゃんと」
そう言ってかよは帰っていった。
(中山くん……に、ちゃんと言う?言わなきゃ、ダメ?)
恥ずかしさで顔を赤くした。
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