天使殺しの正体

目が覚めた。ヌイさんの家の寝室だ。ため息を漏らした。

 居間に向かうと坊主で小柄のブノルハさんが、ソファで寝転がっていた。

「あ、おはよう、起きた?」

「はい、起きました」

 ここはスマホやテレビが無く退屈だ。

「ヌイさんたちはどこにいるんですか?」

 僕が訊く。

「ツルの部屋で難しいこと話してるんだよ、まぁ今日はヌイはいないけどな」

「そうですか、ヌイさんの家なのに珍しいですね」

「隣の家の血を拭いてんだとよ」

 ブノルハさんが投げやりに言った。

「ブノルハさんはツルの部屋に行かないの?だって?ついていけねーから抜け出してきたんだよ」

 僕の気持ちを察知したのだろう。

「そうですか……」僕が呟いた。

「俺はねぇ、別に友人の天使が殺されたとか、そういうのじゃないんだ、単純に楽しそうだから入ったんだ、笑えるよな?あいつらとは志がちげえんだ」

 ブノルハさんは自分を憐れむように言った。

「でも今さら抜けますなんて言えねーし」

 志の違い。僕は空手をやっていて、本気で日本一になれると思っていた。だが、それも夢半ばで破れた。ダイエット目的で始めた俊敏なデブにボコボコにされた。

 志がどうであれ、必要なのはスキルだ。隣の家で天使が殺されていた時、誰よりも早く僕を後ろに隠してくれた。

「ブノルハさんは誰よりも有能だと思います」

 僕は思い切って言ってみた。

「いや、哀れみだろ、やめてくれや」

 ブノルハさんは口先ではそう言っていたが、照れているようにも見えた。

 沈黙が続いた。

 ちょっとこっちこい、とブノルハが小声で言い、手で仰ぐ。

 僕がブノルハさんの耳元に近づきかがんだ。

「あのな、俺、天使殺し、見たんだよ」

 え?と、もう一回聞き直した。

「いや、だから天使殺しを見たって言ってんの」

「え、どうな感じだったんですか?」

 小声で訊いた。

「なんか顔までは見てねーけど、全身真っ黒い、ちょっと小柄で、そう、お前くらいの感じだ。んで、なんか仮面をかぶってたような」

「それなんでヌイさんたちに言わないんですか?」

「いや、だって今さら言われたら怒るだろ?」

 ブノルハさんは小声だが、声のトーンが上がった。

「いやぁ、言った方がいいと思いますけどね」

「いや、そうなんだよ、だからお前天使殺し見たんだろ?だったら今思い出しましたっていう感じで言ってくんねーか?」

「なるほど」

 自分で言えよ、と思ったが言ってあげてもいいと思った。

 ツルさんの部屋は僕がいつも寝ている部屋の向かいにある。

 コンコン、とドアのノックした。返事が無かった。

 ドアを開けると、夜の風が僕の髪を揺らした。割れた窓ガラス、部屋中に付着した血しぶきの後、血だらけで倒れるツルさんとギルさん。

 

 とんでもない恐怖だった。僕は居間のソファに座り、両足を強く抱きしめた。ブノルハさんは部屋の前で膝から落ちた状態だった。

 もう少し僕が早ければ、僕も殺されていた。頭が真っ白で残っているのは恐怖だけだ。

 ツルさんの部屋の前で発狂するブノルハさんの声が聞こえた。口内は気持ち悪い酸味の味が鮮明に残っていた。

 この世界に来て、僕は何回嘔吐しただろうか。どれだけ恐怖を感じなければならないのだろう。誰にも打ち明けられず、一人で抱えて。何で僕だけ。

 目頭が熱い。嗚咽が激しい。何もかも全て嫌になる。命の危機がこれほどまでに恐ろしいのだ。

 ヌイが家に入ってきた。

 僕を見るなり「どうしたんですか!」と近くに来た。僕は嗚咽だけで何も返事出ない。

ツルさんの部屋の前で床を叩くブノルハさんの音が聞こえた。ヌイさんは走ってツルさんの部屋に向かった。ヌイさんの高い叫び声が家中に響き渡った。

 

 どれくらい、時間が経っただろう。僕は眠れるわけもなく、両足を強く抱きしめていた手をほどいた。

 ツルさんの部屋を向かうと、ヌイさんとブノルハさんで死体の処理をしていた。死体は部屋の端に置いてある巾着袋の中だろう。二人は部屋の血をふき取っていた。

虚ろな表情だった。魂を抜かれたような。

僕の嘔吐物も拭いたのだろうか。僕がいてもどうせ邪魔なのだ。居間に戻り、ソファに腰を掛けた。吐き気が込み上げてきた、僕は外に出て、隣の家の壁に嘔吐した。酸味の味が残った。

この味にも慣れてしまった。口元に付いた嘔吐物をパジャマの袖で拭った。

 顔を上げると朝焼けだった。思わず綺麗で見惚れてしまった。

しまった、早く眠らないと。見惚れている場合ではない。

 僕はヌイさんの家に戻り、後処理をしている二人を横目に、急いで寝室に戻り、ベッドで目を瞑る。

 だが、眠れない。焦りを深呼吸で抑えきれない。深呼吸をすればするほど焦りが生じる。

 今頃、しびれを切らした父はね眠ている僕の目の前で怒鳴っているだろう。

汗を掻いてきた。呼吸も荒くなっていく。ベストな寝相を探して、何度も寝がえりを打つ。枕の下に手を入れて冷やしてみる。だが、体温が上がっていき、どんどん枕の下が熱くなっていく。

諦めるべきだろうか。何を言っても起きない僕を病院に連れて行くだろう。そして病院は安全だ。ここにいてもいいのかもしれない。

僕は眠ることを諦めて、体を起き上がらせた。ベッドを降り、ツルさんの部屋へ向かった。二人は相変わらず、虚ろな目をしていた。

「なんか手伝えることは」

 恐る恐る訊いた。

「居間で待ってていいですよ」

 ヌイさんが返事をくれた。声のト―ンが明らかに低かった。沈黙の中、濡れた雑巾が壁をこする音だけがこだましていた。

 居間のソファに座る。さっきまでいたので温もりが残っていた。

 しばらくして二人が戻ってきた。ヌイさんは壁に寄りかかり、ブノルハさんは僕の隣に座った。

 重苦しい沈黙が続いた。

「何で気づかなかったんですか?」

 沈黙を破ったのはヌイさんだ。

「何でって……」

 ブノルハさんは反応に困っていた。

「ていうかそもそも、何でブノルハさんは生き残ったんですか?普通に考えて、あなたもツルさんの部屋にいるはずです」

 ヌイあんの口調にはトゲがあった。

「いや……」

「いや、なんですか?」

「俺は……愚か者です」

 ブノルハさんはそう言って虚ろな目をして床のシミを眺めていた。

 ヌイさんはため息を漏らした後に「窓ガラスが割れる音は聞こえなかったんですか?」と訊く。

「……聞こえなかった」

「そうですか」

「すまん」

 ブノルハさんが頭を下げて言った。

「頭をあげてください、私たちにも問題があります、詮索したって天使殺しの尻尾はつかめず、ただただ後処理をするだけ、ブノルハさんに怒りをぶつけたって、自分に跳ね返って来るだけです。天使殺しの詮索を三年続けてきました。しかし、一ミリたりとも進展はありません」

 物憂げな表情で窓の外を見ていた。ブノルハさんがゆっくり顔を上げた。

「天使殺しを殺せる最大のチャンスだったのに」

 ブノルハさんが激しい貧乏ゆすりをしながら言った。

「いいえ、無理でしょう、ツルさんとギルさんは誰よりも天使殺しに殺意を持っていました、そんな二人があっけなく死んでしまうんです」

 ヌイさんの声はまるで遠くから聞こえてくるように小さかった。乾いた雑巾を絞るようなかすかな声だ。

 僕はどんな困難があろうとも『諦めてはいけない』と思っていた。僕が尊敬している空手選手が言っていたからだ。

だが、こんなヌイさんに対して、『諦めてはいけない』なんて言えるだろうか。三年も費やして、進展は一個もなく、仲間も守れず、その怒りを奇跡的に残った仲間に八つ当たりして、それに悔いているヌイさんに言えるだろうか。『諦めてはいけない』この言葉は時にこの世界の最も無責任な言葉になりえるのかもしれない。

「で、ヌイは、どうなの?」

 ブノルハさんの鋭い目つきでヌイさんを見て訊く。

「どうって?」

 ヌイさんは受け流すように訊き返した。

「続けるの、やめるの、どっち」

 沈黙が続いた。

「やめます」

 ヌイさんはブノルハさんの目を見ずに言う。

「なんでだよ、諦めんなよ!」

 ブノルハさんは勢い良く立ち、声を荒げる。

 ダメだ。それは言ってはいけない。ヌイさんはもう限界なのだ。ヌイさんの空虚な表情は生気を失っているようだ。怒鳴っても変わらないヌイさん表情を見て「お前、なんで」とブノルハさんは口ごもった。

ブノルハさんも感情の置き所が分からずソファに座り、激しい貧乏ゆすりを始めた。

「もういいんです、私も天使殺しに殺されるのもきっと時間の問題でしょうし、きっとこの町の天使も近いうちに殺されるでしょう。どうせ殺されるなら潔く殺されたいですね、でも正体だけは気になりますね」

「は?何言ってんだよ」

 ブノルハさんはそう言って、再び立ち上がった。

「天使たちが皆殺される?」

 ブノルハさんの声は小さかったが、怒りがこれほどになく込められていた。

「ええ、時間の問題です、現実的に見て、てか、町の天使は皆薄々気が付いてるでしょう、そしてこの町と一緒に死のうと思ってるでしょう、私はその決心ついていないだけだったんですよ、きっと。友人が殺されたからということを言い訳にしていつまでもこんな不毛なことをして。死を受け入れるのが怖いだけの腰抜けのくせに。あなたもそうですよ。怖いんですよね?死ぬのが」

 ブノルハさんは大きなガナリ声を上げヌイさんの顔を殴りかかるが、寸止めしていた。ヌイさんは目を開いたままブノルハさんを見ていた。

「私たち天使は他者に暴力を振るう勇気がないんです、こんな状況ですら私を殴れないのに、いざとなって天使殺しを殺せますか?」

 ブノルハさんはきっと悔しいのだろう。ブノルハさんの背中で伝わった。

 ブノルハさんは一歩下がった。

「死を受け入れる覚悟なんて持ってるわけないだろ」

 ブノルハさんは怒りを押し殺して言った。

「町の天使は皆持ってますよ」

「そんなことない、町の皆は怖がってるんだよ、何かが来るって、その何かが家に来るかもって」

「町の天使は死を受け入れる覚悟も無いんですか?」

 ヌイさんはきっと何かを通り越したのだ。

「うん」

 ブノルハさんが言う。

「じゃあ潔く殺されず、もがき、あがき、苦しみながら死ぬんですか?」

「いや違う」

「じゃあどうするんですか?死を受け入れられない天使は?」

 ヌイさんが訊く。

「死を受け入れられないから、死ぬのが怖いから、立ち向かうんだよ」

 ブノルハさんはそう言い放ち、家を出て行った。僕は何をすべきかも分からず、ブノルハさんについて行った。

 

 ブノルハさんは僕がついてきたことに気が付かなかったようで、家に入るとビックリしていた。

 ブノルハさんの家はヌイさんの家と違い、少し狭かった。

 ブノルハさんがソファに座った後、座れよ、そう言ってソファの向かいにあるもう一個のソファを指をさした。僕はそのソファに座った。

「ユウキ君、この町出たいでしょ?」

「はい……出たいです、ここは怖いです」

「怖いよな、ここ、確かにヌイの言う通りなのかもしれないな、死ぬのは仕方がない、みたいな」

 ヌイさんの言っていたことがブノルハさんにも思い当たるふちがどこかにあり、それに悔しさを覚えているのだろう。

「天使殺しって何者なんですかね」

 僕がそう呟いた。

「いやぁ、マジでわからねー、なんなんだよあいつ」

 ブノルハさんが嘆く。

「あの、そういえば天使殺しをこの目で見たのは僕らだけじゃないですか?」

 僕が訊く。

「確かに」

 ブノルハさんが言う。

 だが、だから何だって話で、それで天使殺しが見つかれば苦労しない。

 沈黙で続いた。

「ユウキ君はさ、眠るとこの町に来ちゃうんだろ?」

「はい」

「うん……大変だよな」

 何か提案してくれるのかと思った。

「ぶっちゃけ、俺一人じゃどうにもなんないんだ、というより一人でどうにかする自信が無い」

 ブノルハさんが言う。

「大変ですよね……」

 協力してほしいと願われる雰囲気だが、したくない。

「でも、ヌイがあんなこと言ってさ、俺、もっと燃えたんだ、あいつが出来なかったことをしてやろうってな」

 ブノルハさんには闘志の火が灯っている。

「ああ、なるほど」

 僕が言った。

「そこで協力してほしいんだ」

 始まってしまった。

「俺に協力してほしい」

 僕は行きたくない人との遊びの誘いは、おばあちゃんの見舞いやツタヤに映画を借りに行く、と言って断るようにしている。だが、今回はそれが通用しない。僕は『やりたくない』とハッキリ言える人間ではない。

「でもタダでとは言わない、そりゃユウキ君のから言わしたら、ただ眠っただけなのに、こんな意味わかんない場所に来て、なんで命を危険にさらさないといけないんだって話だよな?」

「うん、まぁ、そうですね」

「そこでだ、天使殺しの詮索の協力をする代わりに、俺もユウキ君が普通に眠れるように協力してやるよ」

「具体的にどんな風にですか?」

「多分だけどさ、天使殺しとユウキ君の眠ることで世界を行き来するシステムて何か関係があると思うんだよな」

 ブノルハさんが顎をさすりながら言う。

「何でですか?」

 僕が訊く。

「だってさ、ユウキ君が初めて天使の町に来た時、あの大惨事が起きたんだ、その後、周りの奴らが死んでいってさ、きっと何かあるんだよ」

 確かにそれはあると思った。

「天使殺しを見つけたら僕は普通に眠れるってことですか?」

「確証はないけど、たぶん」

 だが、あまりにもリスクが高すぎる。この世界の僕の体と、現実の世界の僕の体は連動しているのだ。僕がもし天使殺しに殺されると、現実の世界でも死んでしまう。そんなリスクを犯したくない。

 だが、天使殺しが関係していないこともないとも思う。

「分かりました、今日は考えさせてください、疲れました、ちょっと休みたいです」

 僕は目を擦りながら言う。

「あー分かった、ゆっくり休みなよ、寝室なら階段上がってすぐにあるから」

「分かりました」

 階段を上り向かいには部屋のドアがあった。開けると寝室があった。

 ベッドに入り、目を閉じた。

 その瞬間激しい地響きが起こった。ただ事ではない、そう察知し起き上がる。

 部屋を開けると煙の匂いが漂った。

 嫌な予感がした。階段を降りるにつれ煙が濃くなっていく。

居間を見ると部屋の一角に赤い炎が包まれ、黒い煙が渦を巻いていた。

 ソファの手前で、ブノルハさんが血を吐いて倒れていた。

 何が何だか分からなかった。

「後ろだ、逃げろ」

 ブノルハさんがかすれた声で叫んだ。

 後ろにいるのか、僕を散々恐怖で貶めた天使殺しが。

僕をこれでもかと、言うほど見せつけられた恐怖より、天使殺しが誰なのかという興味が勝った。

恐る恐る振り返る。

そこには僕と同じくらい身長で、裸であったが体を漆黒が包み込んでいた。顔は口しかなかった。口以外は真っ白だった。

 言葉が出なかった。

「受け入れろよ」

 天使殺しは細い声で僕に言った。言葉の意味が理解できなかった。

「え?」

「とぼけんな」

「え、あ、あの」

 とてつもない恐怖が胸を蝕んだ。殺されるかもしれない。

「てめぇは俺で、俺はてめぇだ」

「え?」

 本当に何を言っているのだろうか、言葉の意味が理解できないうえにいつ殺されるか分からない。

「俺がお前は引きずり込んだんだよ、この世界に」

「え?」

「てめぇの心の中だよ、ここは」

「あ、え、ここが?」

「ああ、てめぇが受け入れねーから俺が引きずり込んだ、てめぇは都合良いよな?てめぇにとって都合悪い記憶は消すんだもんな?」

「え?どういう」

「とぼけんなよ、唯人を殺したのはてめぇだろ?」

 そう言って、天使殺しは自分の顔を握る。顔を勢い良く剥がすと、そこには僕の顔があった。

 

 意識が遠のいていく。

 

        

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る