第12話
「ありがとう。これで宿題できる」
何もしていないおれに礼を言い、器用にも、筆箱の中の全ての鉛筆から芯を出すことに成功した阿波根は、次にプリントを出し、ランドセルを机代わりにして解き始めた。風のせいでめくれるプリントを、肘から先を使って、器用に押さえている。
「ここでやるの?」
「やりたいときにやるタイプだから」
阿波根は、目をあげることもなく、よどみなく答える。まだ鉛筆が欲しいおれは、阿波根が数字を書くのをじっと見ていた。変な人になるのは嫌だから、もう、くれとは言わなかった。
「これ合ってる? ねえ合ってる?」
解答を書き込む毎に答え合わせをせがんで、正しいと言ってもらわなければ安心できないようだった。
「うん、うん、合ってる」
プリントの次はノートに漢字を書きながら、阿波根は自分の家族構成や食べ物の好き嫌い、猫を追いかけて逃げられた話など、個人情報を一通り喋り切って、「風のように」という表現がぴったりなくらい、あっさり帰っていった。
「またねえ」
去りがてら、同年代の子どもに言うような調子に、おれもつい、右手を挙げて合図していた。
雲の多い夕暮れだった。太陽は厚い雲の向こうで、いつ沈みきったかも分からなかった。情景は、「きれい」の意味の一つに数えられるものだった。
それなのにおれは、鉛筆のことを考えていた。
世の中をあたためる、有難い光の元を見送りながら、景色に没入しきれなかった。
一つの層に見える雲でも、ところどころは薄い部分があるらしい。太陽はその隙間を時折埋めながら、いつ完全に水平の向こう側に消えたのか知らない。空が最後にオレンジ色に光って、その光さえもしょんぼりとなくなっていく。
日が暮れるまで、じっと海岸で空を見ていられたのが不思議なくらい、鉛筆を心に描いていた。
もう少し経てば、おれは鉛筆のことなんか忘れているかもしれないと思ったのに、スーパーへ走りだすほどだった。
自動ドアのセンサーがおれを感知して、了承したように開くに必要な数秒も、じりじりして待ちきれないようだった。鉛筆、消しゴム、カッターナイフ、白紙のルーズリーフ、用箋挟を買った。目に飛び込んだものを選んだ。用箋挟は、コーナーに立てかけられているところを見て、あると便利だと、いつもはしない、思い付きの買い物になった。これは挑戦だ。
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