第9話

 犬のように砂を掘った。両足を広げて、両手でホイホイホイと砂を掻く。砂場のある幼稚園に通っていた頃も、こんなに無心で掘った記憶はない。手足の限界まで掘り詰めて、やっと、ここには砂しかないと悟った。

 数歩の移動で、猜疑心が悟りを刺す。砂しかないと分かったはずなのに、おれは不意に、この足元には砂の下に岩があるのではと思い付き、確かめずにいられない。そして、また犬の運動をはじめる。今度の犬は、柔らかい楕円の白地に、薄い茶色の輪を被った貝を発見した。

 後ろを振り返れば、おれが掘り返したせいで秩序が乱れた浜を、波が一生懸命に、平らに均している。

 まだまだ安心して汚せそうだが、汗が不快になってきた。そうだ、海に流してしまえばいい。

 透明な海水に膝下まで入っていき、ついには、心地良い冷たさに肢体を浮かべてもみた。仰向けになりながら、瞼は開けられなかった。日射しは、眼球に被さる皮越しにも分かるほど、まぶしい。顎の下が日に当たって、舌まで熱いような感覚がした。


 そろそろ砂浜に戻ろうと体を起こすと、急に、肌が痛い。体がだるい。頭皮までも焼かれて、顔の皮もほてって、一度それに気が付くと、もう振り払えなくなった。体は、海水に浮かぶことで楽をしていたらしい。

 遊び続けたツケがあるとは知らなかった。ストーブに当てすぎた肌が熱を帯びるように、耳の先まで火照っている。つらい。

 とうとうおれは、浜に放り出していた靴を拾って、両手にぶらさげたまま歩き、日射しを避けようと、すぐ近くの木陰を目指した。腿を上げるのは重い。おれの身体の全部は重い。のろのろして、砂が足に縋り付いてくる。でも、それでも砂は美しい。


 二、三メートルほど生い茂る木群の足元、木の根か幹か、判然としないものの間に、尻をねじこんだ。トカゲの尾のように細長い葉は、繊維が先の方までぎっしりと詰まっているらしく、ゴワゴワしている。それは体に触れるとチクチクする、固い葉だ。日焼けで敏感になった肌には、血が出るかと思うほどだ。

 その主張の強い葉が、おれの頭上に重なり連なって、なんと見事に、日射しを引き受けてくれていた。吹き付ける風が涼しかった。先ほどの灼熱地獄が嘘のようだ。痛んで熱のある肌を、木陰と風が冷やしてくれた。

 一呼吸が深くなっていくのを感じた。座っているのはおれの自然な姿勢ではなくなって、背に当たるゴツゴツした感触にも負けず、横になった。


 いつのまにか向きを変えた風が、木の葉や、砂を、執拗におれの顔や首に当てていた。あまりのしつこさに目を覚ました時には、太陽は水平線にかかろうとしていた。

 目の喜びと、重だるい体を座らせる不快とを天秤にかけた。見始めると、結局、夕暮れの光景だけではなくて、太陽が落ち切って、空一面が光のぼかしで彩られる様さえ、夢中になって見続けた。瞬きしている間に、この完全な配色が変わってしまうような気がした。それはあまりにもったいない。目の乾きを潤すためのほんの一瞬、瞼の裏側には、こんなに豊かな色はない。


 太陽を直に見ると、目が潰れるからダメだと言う。見ようと思っても、おれの目は、太陽を直視するには過敏すぎる。だから、じっと光源に焦点を当てたりしない。

遠い夕日は、水平線へ沈むほんの少しの頭の部分でさえも、網膜に強すぎる。当たり前に、空や海面、おれの手の色の明るさまでも変えていく。

 全てを脳裏に刻むには、とても目玉が足りないくらいだ。光の成す絵の中、パシャン、と音を立てて、魚が何度か跳ねる。なんてサービスがいいんだ。


 この白浜は、民宿の近辺にあった。民宿が白浜の近くに建っていると言う方が正しいかもしれない。海は動かせないから、民宿は白浜のあとに出来たに決まっている。山をずっと登った先にあるとか、林を二時間も歩かないと辿り着けないとか、ここはそんな類の秘境ではない。飛行機に乗らないと来られなかったという意味では、その通り、人目を憚る自然の奇蹟の一端かもしれないが、ここへ来るのにそんなに苦労したような実感はなかった。


 おれはこの浜へ通うことにした。

 これから全部の時間を、海と民宿と、スーパーの道のりの上で過ごす。道のりといっても五感への麗しい刺激は耐えずあって、例えばどの木のどんな葉も、緑色に茂っていることが目新しい。葉数多く、光から養分を作ろうと、葉緑体は口をいっぱいにあけて集合しているようだった。こんもりと茂った葉から降りている、濃い茶色のツタについてもそうだ。木らしいが、どこまでを定義の中に収めるのかとかしこまった話をすると、これは木には入らないかもしれない。

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