第7話
「なんでもあるな」
おれは呟きながら、なんでもあるわけではないのだろう、と心の内で打ち消した。でも、おれがメモ帳に書いたものは全部揃った。
「何かが足りない、足りない」と不安がる胸に、穏やかに、これでいいんだよ、これでリストのものは全部だ、と言ってやる。
それからも、数分足らずの帰り道、絶えず確認したがっては「これは買った?」と心配し続ける思考に、買不買の有無を、同じく思考で回答し続ける。
買い物の大変なところは、いつでもそこだった。効率化のための準備と、脳内で自動的になされる反省、諸々を含めると、買い物には取り組むべき過程が多い。
見知らぬ地にしては手早く買い物を済ませたにも関わらず、部屋に帰ってきたとき、おれは想像した以上に疲れていた。体の充電が、もうすぐ切れようとしていた。セーターの胸元から、むわりとした熱い湿気が、喉元に当たっている。
布団も床も関係なく横倒しになろうとする身体、そいつに腹筋でうんと逆らって、不快なセーターを座ったまま脱ぎ捨て、勢いのまま、買ったばかりのティーシャツとズボンを着た。ハサミがなくてタグが外れなかったが、今夜はもうどうでもよかった。
着替えが出来ると、意外にも最後の踏ん張りが利いた。
部屋の布団をわっと広げて、民宿のおじさんの親切だろうか、なぜか三枚もある毛布の中から、一番薄いものだけをなんとなく被った。
好きな時間に起きて、好きな時間に寝ようと思っていたから、夜が明ける前に眠くなったことに、内心、少し驚いた。
どれだけ好きなようにしようと思っていても、昨日までの生活が、おれの身体には染みているということなのか。思い立って、全く別の土地に行きたがったおれのこころの変化に、身体は完全には連動していないようだった。
ならば、今日の大汗に、身体の方はさぞ驚いたろう。十月の故郷では、汗腺の出番はあっても、こんなに激しく働く機会は、もうほぼなかったのだから。
顔に光が当たるような気がして目を開けると、オレンジがかった豆電灯がまだついていた。よいしょ、と伸びあがって、スイッチを消す。月の光が部屋に射し込む。そうして横になっていると、どこかの、小さな子どものぐずる声が聞こえてきた。
ふと、この南国の湿気に慣れた自分に気が付いて、明日は辺りを散策してみるつもりになった。
明日、もし、元気があれば。そうでなければ、一日ずっと寝ていよう。
今日、買い物に行ったこと、きちんと着替えをしたこと、薄い寝具に心地良さと新鮮さとを感じながら、頑張ったから良いことがあった、と三回、胸の内で唱えた。
おれは寒さから逃れようと、とにかくチケットをとって、ここに来たのだった。帰りの便は決めていない。民宿を予約したのは、四泊五日の間だけ。
「寝れたか?」
おじさんがそう聞いてくるせいで、目が覚めた。朝になっていて、おじさんは出入り口に膝をついて、こちらに身を乗り出してニコニコしていた。目の横の皺は左右非対称に入っているのに、顔全体で見るとそれが愛嬌になっていて、不自然さのない笑顔が出来ていた。
でもおれは、無防備に寝ているところを奇襲されたような形だ。飛び起きた。
「寒くなかった? これ、おにぎり。いつもはあげれないけど、今日だけな」
ビニール袋に米を入れ、ふりかけと混ぜたらしい乱暴なおにぎりだったが、温かかった。そういえば、おれは昨日、今日の分の朝ごはんを買わなかった。食べたいときしか食べないつもりでいたが、今は食べたい気分だ。
「おれ、金ないですよ」
「知ってるよ。金持ちがこんなとこ来ないよ。余ったから持ってきただけ」
民宿のおじさんは、おれがおにぎりを受け取って食べ始めたのを見て、なんだか陽気な気分が増したのか、機嫌よさそうに階段を下りていった。良い人なんだろう。
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