第3話

 自分の部屋にいるときも、おれはこうしてよく母を封印した。封印されたのはおれか、母か、定かではない。とにかく、封印のあちらとこちらは交わらないようになっている。

 少し難しい話をすると、そうなった場合、自室を支配する王はおれで、国民もおれだ。今日は掃除をしないと王が言えば、埃を吸ってくしゃみをするのは国民なのだ。

 そして、責任が王に圧し掛かっても、国民は王の意向を完全に汲んでいるために、余計な追及をしたりしない。自己判断、自己責任というやつだ。

 おれが南の島へ行くと言ったのだから、自室に適用されている秩序のように、南の島でもおれの王国の気軽さがあれば嬉しいと思った。

 そこで何が起きても、おれは自身の王たる自分に文句は言わないだろう。


 自分の部屋に入るのと同じ気持ちで目的地を目指していたからか、緊張感もなく新幹線の中でうたた寝した。それなのに飛行機の中でも、おれはずいぶん気持ち良く眠ってしまった。

 空港から乗り込んだ飛行機はもう夜の便で、加えて窓からも遠い席だったし、照明は薄暗いし、やさしく揺れているうちに瞼が閉じた。


 ところが、その島、唯一の飛行場に降り立とうとする機が、着陸の衝撃でガタガタいいはじめ、おれはぎょっとして起きた。目前のシートポケットの網が、パンフレットの頭が、ワナワナと激しく踊り狂っている。周りの乗客を見たが、誰も騒がない。

 昔に見たロボットのアニメを思い出しながら、おれは膝頭をきゅっと閉じていた。


 飛行機は滑走路に走り降り、やがてとぼとぼ歩くようになり、止まった。ポン、と頭上のサインが消えた音がした。全員を従わせる存在感で点灯していたシートベルトサインだ。それが姿を消したのだから、今はよっぽど安全な地の上に着いたようだ。

急いで降りようとする幾人かを除けば、誰もが眠そうな飛行機から降りた。

 長いタラップを歩きながら、指がベトついてきた。湿気だ。セーターにカーディガンを着ていたおれは、きちんと気温を調べておけばよかったかも、と思い始めた。

周りには、上着を脱いだらしく、いつのまにか半袖になっている道連れの乗客たちが、前を歩いている。スーツケースを転がしながら、もう片方の手で電話をかけている人もいる。

「もしもし、今、空港着いた」

 おれの母はもう寝ているだろうし、連絡は特にいらないだろうと思った。


 ギャルがカバンに着けるキーホルダーみたいな、縦に鈴なりになった花が、紫、黄色、白、鉢ごとに違う味を咲かせていた。造花だろうかと、親指と人差し指で、そうっとはさんでみた。柔らかに湿気ていて、水分の通った、生きた花だった。

 花弁越しに親指と人差し指を強くねじり合わせてみたなら、どんな色が出るだろうか。衝動はあるが、おれは花から目を離し、指を離して、身体と花の距離をつくった。

 花を潰して出た液を使って紙に線を引くと、それだけでも十分美しいが、日に日に劣化して色が変わっていく過程を見るのも面白いものだ。いつも同じようにはならない。温度や湿度や、色んな関係が影響しているのだろうが、おれは学問肌ではないし、調べたことはない。


 そのうち、体には熱がこもって、じめじめした汗をかきだして、花のことなど忘れてしまった。着替えたかったが、手持ちに気の利いたものは全くない。

 今、脱げるものは、分厚い黒のカーディガンだけだった。カバンもないおれの手荷物は、この上着とスマホと、財布だけだ。


 空港には、四泊五日の宿泊予約をとった民宿が、迎えをよこしているはずだった。

フライト前に、おれのスマホには車の写真が送られてきていて、空港に停めて待っているから来てくれ、といわれていた。

 格安で泊めてくれるのだから有難い。おれは、空港の外に白い車を探すつもりでいた。


 自動ドアを通り抜けて数歩進むと、誰かを迎えにきたのだろう、車が目の前に停まっていた。その前後にも、見覚えのない車体が並んでいる。さらにその脇にも、そしてその向こうにも、車の列は車道に沿って横一直線に、およそおれが石を投げて届く範囲以上に、左右に一条、みっちりと続いていた。

 おれは列の真ん中から出てきたから、右に行くか、左に行くかして、一台ずつ車を確かめねばならない。民宿とやりとりをしたとき、どこに車を停めたか聞くのをおっくうがったツケが、見事に返ってきていた。

 このツケをどうやって払ったらいいのか、おれは悲しいような気持ちになってきた。


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