第五首

    さあ行こう 花咲く京都 伏見稲荷 可愛いお狐 待っている。



 短歌擬き☺️-令和5(2023)年2~月分

 お題42「上洛」(ジョウラク) より。



              『古都巡り』


 古都を横切る川の流れは穏やかで、風情を感じさせる木組みの橋を行き交う人々の表情も、心なしか寛いだ物になっていた。


 矢継ぎ早に過ぎて行く世の中に在って、ここだけは少しだけ時間の流れがゆっくりと過ぎて行く様に思えて来る。


 川沿いに並ぶ桜の木が一斉に花開き、そんな長閑な時の流れをそこだけ早めようと、はらはらと忙しなく。


 薄く翳みがかった空は雲一つなく、いつ頃過ぎ去ったのか、大きく横切る様に伸びる一筋の飛行機雲が。


「ひさかたの……、」


 欄干に凭れるように身を預け、先程からただ川の流れを何をするでもなく眺めていた一人の人物が、ふと思い出したかの様に呟いた。


「ひさかたの、……ひさかたの、ひかり、ひかり……、のどけき? 春の日に、しず心なく、花の散るらん。」


「で、合ってたかな?」


 問い掛ける言葉に応える者はなく、橋を行き交う人々の歩む流れは、下を流れる川の流れと同様に、穏やかではあるけど決して止まる事は無く、橋を渡り、やがては各々の行き先へと分かたれてゆく。


 その行き着く先を知る者は他になく、もしかしたら当の本人にとってもそれは定かではない、正しくその様は舵を失った舟の如く、


 ”由良の戸を わたる船人 かぢをたえ 行方も知らぬ 恋の道かな”


 実る恋、実らぬ恋、恋でなくとも、歩み続ける先にあると信じる幾許かの救いを願い、人々は己が道を歩み続ける。その先に待つ物が例え不確かであったとしても。


 せむ術なく、祈るその手に持つ物も無く、捧げる物は偏に己の心ただ一つ。ただ乞い願う、その心持ちだけを胸に、何に対して祈っているのかも分からぬまま、それでも僅かでもその結果が良い方に傾く事を信じ、


 ”このたびは 幣も取りあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに”


 見る物も、その行く先も、それぞれ違う人々の、この時だけは寄りて集まるこの橋の上の、本来であれば決して交わらぬ縁の糸。


 ほんの少しの間だけ、集い、交わり、しかし直ぐに解けて、遠ざかり、散って、最後は消えて行く。


「これやこの 行くも帰るも 別れては……、」

 

 そこまで言って、はた、と動きが止まる。その先に続く句が出て来ない。失われた記憶を手繰り寄せようと空を見上げてみた所で、答える声がある訳でも無く。


 ふと途切れた意識の隙間に、手持無沙汰も相俟って、ぼんやりと只見上げるばかりの霞がかった春の空。


 振り返ってみればこんな風にただ何をするでもなく時を過ごす事など絶えてなかった、そんな気がする。


 日々仕事に追われ、生活などとは名ばかりの、家に帰れば疲れ果てて寝るだけの、目を覚ませば重い身体を引き摺りながら、社会と云う、巨大な碾き臼に擂り潰されて行くだけの。


 ”ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき”


 そう思う事で、辛うじて永らえて来たそんな日々があっさりと終わり、思いがけず得た自由な時間。どう使った物か、と思案していた所に、ふと頭に浮かんだのが、某鉄道会社の謳い文句。


 ”そうだ、京都に行こう”


 どの道他に思い付く事も、したい事もある訳でも無し、行ってみるかと、未だフワフワと覚束ない心持で降り立った古都の、各名所を思い付くがままに訪ね歩き、やはり実際に見るのと、写真や映像で見るのとでは感じる雰囲気が違うもの、などと月並みな感想を零しながらも、時を忘れてただ歩き廻るだけでも、ましてや馴染みの薄い土地の事、自分を知る者も無し、こちらも見知った顔に会う訳でも無し、気楽と言えば気楽、物寂しい、と言えば確かにそう、まこと浮草の様な心地に捉われて。


「これやこの 行くも帰るも 別れては……、」


 はんにゃ、ほんにゃ、なんじゃもんじゃ……、適当に音をなぞらえてみても、何一つ引っ掛かる所なく、流石に諦めかけていた所で、不意に鳴る、ちりん、と吹き抜ける微風の如く涼しげな鈴の音が。


「知るも知らぬも 逢坂の関、じゃろう?」


 そう、それ。言い掛けて振り向いたその姿勢のまま固まった。

 

 朱色の欄干に腰掛けて、所在無さ気に足をプラプラと。首筋で切り揃えた黒髪の上に伸びる薄いこげ茶の狐耳がピンと立ち、小振りの巫女服を纏った後ろには、長い和毛に覆われた豊かな尾がフワフワと。


 それを見ている内に、脳裏に浮かんだのは、古い映画に出て来る貴婦人の纏う、これでもかとばかりに豪華さを見せ付ける首巻きの。


「お前、何か失礼な事考えてないか? 我、神の使いぞ? 不敬ぞ? 不敬ぞ?」

「滅相も無い。」


 眉間に寄せた皴も深く、丸いクリっとした茶色の目がスッと細められ、僅かに覗く犬歯が大層恐ろし気な雰囲気を出そうとするも、苛立たし気にブンブンと振られる足に白く小さな足袋が眩く、大きく波打つ尾の右に左に上に下。その仕草は恐ろしさよりも、それ以上に、この上なく可愛らしく……。


「不敬であるぞっ。」


 ぷうと膨れた河豚の頬、フイと逸らされる顔の愛くるしさは、成程、これは確かに神の使いに似付かわしい、と、スッと腑に落ちるは釣瓶の如く。

 


 京都を訪れて、伏見稲荷に詣でないとは何たる不敬ぞ、と半ば引き摺られる様に訪れた、無数とも思えて来る程の鳥居の続く中を、並んで歩いていく。


 その様は、まるで同じ情景を飽く事無く何度も何度も想い起すかの様に。思い浮かべる事は人によって違えども、それは過去に残りし傷跡か、在りし日に置き忘れた憧憬か、繰り返し現れる淡い夢の様。


 遥か昔に残した自分がいま一度目の前に現れ、やがてそれは今の自分と重なりそのありのままの姿と対面する事となる、音に聞く伏見稲荷の千本鳥居。


 見守るは、鳥居の一つ一つに宿りし神々の眼差し。時には咎めるように、時にはそっと寄り添う様にと。


「どうじゃ? 中々に壮観であろ?」


 確かに。しかし、今も尚前後に幾重にも続く鳥居の一本道の迷路に佇み、且つ思考の迷図に迷い込んだ身とあっては、それよりも戸惑いと困惑、何より鳥居を幾度も幾度も数限りなく潜り抜けた末に、拡大鏡の如く拡大された己が夢に、言い知れぬ恐れを抱き、感じる眩暈が果たして、鳥居故か、それとも夢が為か。


 さながら夢の奥底へと深く深く入り込んで行く様な心地に、足元は頼りなく、はやどちらに向けて歩いているのか、それすら覚束なくなって来る有様に、


 

「どうした? 不安か? 仕方のない奴、ほれ、手を繋いでやろうか?」


 差し出された小さな手を取ると、今にも己を飲み込まんとするまでに肥大した己が夢が、一本の糸の様にぴんと張り、収束して行くのを冷たい汗が伝うのと共に感じていた。


 大きくホウ、と息を一つ吐き、お手数掛けます、と言葉が自然と出た。ウムウム、と小さな神の使い様は満足げに頷く。尤も、手だけに、などと余計な言葉を付け足したばかりにジト目で睨め付けられたのは、ご愛敬。気が緩んだが故の粗相である。


「ホンにお前は、昔から一言余計じゃのう。それさえなければ言う事ないと云うに。」


 昔から? まるでこちらの事を以前から見知っているかの様な言い様に、ハテ、と首を傾げる。乏しい記憶を探ってみても、かの様な御仁との邂逅など、何処を探しても見当たらない。仮に出会っていたとしたら、こんなにも目を引く見た目の事、それがたった一度であっても忘れる筈も無い。


「矢張り気付いておらなんだか。つくづく己の不明さが嫌になるわ。」


 そうやってしょんぼりと項垂れる様ですら、何とも言えず可愛らしいのは、どうあっても反則なのではないか、と思いつつも、問い掛けずにはいられない、一体自分の何を知っていると云うのか、と。


「我は、お前の事なら、何でも知っておるよ。」


 それを聞いた途端、全身がばっと冷たくなり、足元も凍り付いた様に。


 思い起こしたくも無い、しかし、それは身に染みすぎて最早自身の一部と化してしまった忌わしき日々の記憶。

 誰からも見捨てられ、誰からも侮蔑に満ちた目を向けられて、終いには居ない者扱いされる。

 何が理由なのかも分からないまま、そんな状況に放り込まれて、そのまま放置される。まるで、いきなり見知らぬ異国に放り出された異邦人の様に。

 それでも、日々は続いて行く、回る日々の車輪は止まる事無く、否応なく自分を巻き込み回り続けて行く。


 弱音を吐こうにも、吐いた所で迷惑そうな視線を向けられるだけ。だから声を押し殺して、顔には出さずひっそりと、心の奥だけで密かに泣いて。


 ”わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし”


 思い過ごしだ、考え過ぎだ、そんな妄想に取り付かれているだけだ。そう思おうとしても、現に今感じているこの苦しみはどうにも追い払う事は出来ずに、グルグルと廻り続ける時の碾き臼。粉々になる迄にこの身を擂り潰し、二度と立ち上がれなくなるまでに。明るい街の喧騒が響き渡る中、一人氷の中に閉じ込められた、寝付けない一人寝の、


 ”きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む”


「知っとうよ。」


 聞こえるか聞こえないかの声で呟かれた声。


「ずっと見とったもの、知らん訳が無い。でも、何も出来んかった。声を掛けようにも届かなくて、触れようにも触れなくて、なんも出来ずにただ見ているだけしか出来んかった。偏に我の力が足りぬ故。」


 そうしている内に、ポロポロとこぼれ始める涙が止めどなく。


「堪忍なあ、堪忍なあ。もっと我がしっかりしておればなあ。お前にこんな思いをさせずに済んだのになあ。」


 何時しか日も暮れて、空に呆けた様に浮かぶ月の面。知れず見上げて込み上げる涙を止める事も出来なくて、


 ”嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな”


 

 取り縋って泣きじゃくる二人を包む月の光は円やかで、並み居る鳥居もこの時ばかりは皆一様に穏やかな気を纏う。


 何時しか、月の浮かんだ星辰の、軋む事無く滑らかに、回る時の歯車。


 流す涙と共に何処かへと消え去った記憶の重み。空は清み、無限に続くかと思われた鳥居の連続も尽き、目の前に広がるは上も下も左右も無く何処までも広がる天野原。


 尚も泣きじゃくる傍らの狐の子。さあ、もう大丈夫だから、泣き止んで。そんなに泣いていたら、せっかくの綺麗な目が溶けてなくなってしまうよ。


「そんな訳あるか!」


 がばっと身を起こし、叫ぶ子の様子に呵々と笑い、改めて先に広がる夜空に目を向ける。

 

 今となっては、自分が果たして男だったか女だったか、老いか若きか判然としない。否、もしかしたら、それら全ての思い残しの欠片の、一つ所に集まった意識のまとまりとしての自分だったのかも知れない。


「もう行くのか?」


 うん、もう思い残す事は無いからね、有難う、君のお陰だよ。


「不敬だぞ、最後だから許してやるが。」


 その言葉に、軽く頷き空へと続く、渡る鳥の空に掛けたる懸け橋に足を掛け、今一度振り返ると、今も手を振る小さな相も変わらず可愛らしい、狐の耳と尾の神の使いの手を振る姿。


 きっとこの我が身が見えなくなったその後も、しばらく振り続けるだろう姿を思い浮かべ、軽く笑いを零しながらも空に空いた月の門。その向こう側へと歩みを続け、その目前でふと思い付き、これを最後に振り返り、自然とこぼれた最後の言葉。



”かささぎの 渡せる橋に置く霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける”




                              終

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