30:いたたまれないらしい
初老の男性に連れられて、俺は店の応接間に入る。
調度品も豪華で、心なしかいい匂いもする。
俺みたいな金無がこんなところに入ってしまっていいのかな、と思う。気後れエグいです。
「周様、どうぞごゆるりとお過ごしください」
「え、えーと……」
「……失敬。お飲み物のご希望を伺います」
「え? ……水で」
「かしこまりました」
部屋を後にしたじいやさん。背中が見えなくなって、俺は大きくため息を吐く。
え? 何この展開は。困惑に困惑を重ねてこんこんわくわくなんですけど~?!
……はい、意味が解りませんね。こんなときは解らないことをググって時間つぶしましょう。
「東一条グループ、服飾系の大手なのか……」
ダンジョンに噛んでるなら知ってるけど、東一条グループはダンジョンとは完全に無縁の企業だ。
扱っている衣服も基本的に普通の衣服らしいが……。
でもこれからダンジョンに行くんだよな、普通の衣服で戦闘に耐えられるだろうか。
「問題はないかと」
「……いつからそこに?」
「先ほどからおりました。こちらお水でございます」
「ありがとう、ございます」
おかれたグラスに口を付ける。すると、まるで体にいきわたるように水分が広がっていく。
……これ絶対高い水だろ。水に高いも低いもないと思ってたけど、確信できる。
こわ……。
「それで、問題ないとは?」
「ええ。実はお嬢様はおっしゃられていなかったのですが……白薔薇様には、ダンジョン製の衣服もお召しになっていただきたく考えておりまして」
「ダッ……?! それ、最高級品……?!」
「もちろんお題はいただきませんし、お嬢様が提示された条件で問題はございません」
「本当にそれだけでいいんですか……?」
「ええ。……ああ、追加でささやかなお願いをさせていただくとしたら、たまにお嬢様に会いに来ていただければ、と」
それだけでいいのか、と本当に心配になるが……この人たちが嘘をついている気配はない。
俺たちを好意的に思っているわけではないけど、東一条さんのことが好きなんだろうな、と思う。
つまり慕われているのだ。あの年ですごいカリスマ。
「それでは、私は室外で待機しておりますので。何かご用向きがありましたらベルでお知らせください」
それだけ述べて、じいやさんは部屋から出て行った。
バカほど柔らかいソファと、俺と、後どちゃくそに高そうな水。
やっぱり俺、場違いだよな、これ。
……アルの着替えが終了したという連絡が来るまで、俺は石のように動くことはなかった――。
■
「どう?」
「最高の一言に尽きますわッ! お写真撮ってもよろしくて……?!」
「ん」
「失礼いたしますわ~!」
じいやさんに連れられて、俺は店の中に設けられたVIPルームに向かう。
……部屋の内側から、東一条さんの声が駄々洩れで少し恥ずかしくなった。
なんかこう、そう言う気持ちになることありませんか。
「お嬢様、周さまをお連れしてまいりました」
「入って、どうぞ」
インユメ・ゴ・ロック?!
「失礼します」
「失礼します……」
カスの思考は切り捨てて、中へと入る。
そこには満足げな……というかツヤツヤとした表情の東一条さんが立っていた。
「……アマネ。この子我が強い……」
「だろうなあ」
「ええ! 我が強くなければ推しにコンタクトなんていたしませんわ!」
「褒めてないよ」
自己表現できることはいいことだ。うん。
それはさておき、アルの声は……試着室から聞こえてくる。
「アル様、お披露目いたしましょう!」
「ん」
それではぜひご覧ください――と東一条さんが試着室のカーテンを引く。
その奥から……ゆっくりと、アルが歩いてきた。
「――」
綺麗だった。
春先だからか、装い自体は少し厚ぼったい感じだ。布の面積が広い。
ただ、実際にはかなり軽快に動けるように配慮されているようだ。その証拠にアルが服を切ることへの嫌悪を示していない。
服装について詳しくないけど、腰あたりまでのシャツにチノパン……あと長めのコートみたいな感じの装いだ。
「どうですか、周さん」
「滅茶苦茶綺麗だと思いました――」
「ふふ、でしょうとも。ぜひ今後とも我が東一条グループをごひいきに」
金が足りればね。
「それと。この後ダンジョンに向かわれるとのことでしたので、ダンジョン用の軽装も用意しております。ぜひご一緒にお持ちください」
「高級品だと思うんですけど、大丈夫ですか……?」
「ええ! もしお父様に何か言われたら黙らせますし……それに」
「それに?」
「文句があるなら、結果を見てからにしろと言って差し上げますわ」
にこりと微笑んだ東一条さん。その瞳には、何かのたくらみがあるようで。
巻き込んでくれるなよ、と祈りながらも、見事に美少女っぷりを引き上げてくれた東一条さんには感謝をしておこう。
「……さて、そろそろダンジョンに行くか」
「ん!」
東一条さんのお店を後にした俺たちは、そのままダンジョンの内部へと侵入しようと手続きを進めるのだった。
■
「東一条代表!!」
「……またか」
超高層ビルが立ち並ぶ都会の一等地、その中でも最も高い位置に存在する会長室には、今喧騒が降り注いでいた。
矢のごとく舞い込む報告は、そのどれもが耳を疑うような内容だった。
なんでもswipperのトレンド世界1位だとか、株価が急騰しまくって大変なことになっているとか。
店頭から特定在庫が一気に消え去ったとか。追加増産の問い合わせが後を絶たないだとか。
いったい何がどうなってそうなったのか理解に苦しむほど、業績が一瞬で鰻登り。
「代表、原因が分かりました!」
「なんなのだ、一体……」
「昨日の配信で一躍時の人となった”白薔薇”様が、当社の服でコーディネイトしているようです!」
「何……? ……いや、このコーディネート、清香の仕業か」
おもしろいことをしおって、とくつくつと笑い、会長は全従業員へと指示を飛ばす。
「広報担当はこのムーブメントに乗り遅れないように、swipperでの商品展開アピール、製造部は可能な限り同タイプの衣服を生産するようにラインを確保しろ!」
社員たちの意気軒昂たる返事に会長は満足し、椅子に腰を落ち着ける。
「楽しませてくれる、白薔薇とやら……!」
重要そうなことを述べながら、たばこの煙をくゆらせる。
だが、今後彼らがやることといえば、アルとタイアップして季節の服を売り出すくらいである。
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