03:契約成立らしい

 顔のすぐ横を、氷の槍が飛んでいく。


 命中するかも、と思った。しかし俺に命中することなく、グレーターウルフの顔面を貫いた。


 頭を失ってぼとりと崩れ落ちる胴体。即死だったのか、すぐに粒子化が始まって、ダンジョンの中に消えていった。



……命が助かった、と思いたいところだ。だけど、そうも言えないのがこの状況だ。



 あの氷の槍は、俺を狙っているわけではなかった。その点は確信が持てる。


 狙うんだったらもっと接地面が大きい胴体を狙うはず。あれだけの威力があれば即死だろうし。


 だけど、一つ決定的な違和感がある。それは”グレーターウルフを一撃で倒せる魔法使いが、下層に居る”ということだ。


 先ほど確認したが、下層にアタックしているトラベラーは、現状居ない。つまり、下層にトラベラーがいること自体おかしいのだ。


 それに、これほどの実力があれば……おそらく相手は俺なんか比じゃないくらいのトラベラー。


 そんなトラベラーが少しの情報もなく動けるはずがない。実力者イコールこの世界では人気者なので。


 つまり、先ほどの氷の槍を撃った存在は……登録されていない冒険者か、魔物のどちらか。



「……魔法陣に居なかったから、びっくりした」



 振り返ったら殺されるかもしれなくて、俺は振り返ることができない。ただ、後ろから聞こえてきた声は、鈴のように清らかで滑らかだった。


 もう声で分かる。絶対美少女だ。確信を持って言える。俺はそういうところに目ざといんだ。


 姿を確認したい。それはもちろん美少女かどうかを確認したいのもあるし、同じ人であれば意思疎通が取れる可能性があるからだ。


 でも、振り返ったら殺される気がして。殺すとか一言も言ってないけど、なんか怖いから振り向けない。


 さっきまでの勇気はどこかへ消えていた。HDD見てもいいから殺さないでください。



「……生きてる?」


「だ、誰だ……?」


「よかった、生きてる」



 とてとてとこちらへ駆け寄る声が聞こえて――手を握られた。


 ふわりと、マシュマロみたいな柔らかな感触だった。視線だけ手に落とせば、俺の手を真っ白くて華奢な手が握っている。


 ……敵意はないのかな。あったら殺されてるだろうし、ないよね?


 ゆっくりと、慎重に。彼女を怒らせないように、刺激しないように振り向く。



「……」



 振り向いた先に居た少女の美しさに、俺は思わず息をすることも忘れるほどの衝撃を受けた。


 銀色の長い髪を腰あたりまで伸ばした少女だ。金色の瞳を、まるではちみつを溶かしたみたいにとろんとさせて、こちらを見つめている。


 服装は……少しかっちりとしている。軍服というか、礼装というか……そんな感じだ。ただ、全体的にゆるゆるとした雰囲気を持つ彼女が着られているような感じ。


 警戒心が薄いのか、それともこちらを歯牙にもかけていないのか、武器を手に持っているというのにこちらへの害意を持っていないようだった。

 

 めっちゃ一言でいうと――銀髪金眼の超絶美少女だ。まるでアニメか漫画から飛び出てきたかのような。



「……君は?」


「私は……私は?」


「もしかして、記憶喪失……?」



 記憶喪失、という言葉に少女は首を傾げるが、ニュアンスについては理解したのだろう。こくりと首を縦に振って頷いた。



「……えっと、何故ここに?」


「気づいたら居た」


「ええ……」



 何でもないことのように言うけど、許可がない下層への立ち入りは犯罪行為だ。


 まさか外国の人とか? だったら日本の決まりが伝わっていない可能性もある。


 それに、許可がない立ち入りで、かつソロでの下層侵入であれば、目撃情報がなかった理由にも説明が付く。


 ……もっとも、こんな美少女が歩いてたら話題くらいにはなりそうなものだけど。



「そうだ。キミ」


「……俺はあまね。好きなように呼んでほしい」



 ちなみに苗字はない。両親、俺が物心つく前に死んじゃったからね。



「ん。じゃあアマネ。貴方に言いたいことがある」


「言いたいこと?」



 俺がオウム返しに聞くと、少女は頷いた。


 小さく「言わなきゃいけないことでもある」なんて言った。……何を言おうというのだろうか。


 もしかして、助けた代わりに金よこせとかそういう……?!


 お金持ってませんが……。



「問おう――」



 ……厳かさが、横たわる。声の一つ一つに氷が宿っているかのような、冷ややかな雰囲気があたりに充溢する。


 俺は一切体を動かすことができない。それどころか、思考の自由さえ許されていないかのような、圧迫感を覚えた。


 少女は銀色の長髪を、どこからともなく吹き込んでくる風に遊ばせて、とろんとふやけた金色の瞳をにわかに細め。


 そして、手に取った僕の手を持ち上げて、ぎゅ、と握る。



「貴方は私の使い魔か」



 その言葉が聞こえた瞬間、俺は胸の内に熱い何かがこみあげてくることに気づいた。


 それは腹を通って、胸を通って――肩口を過ぎたかと思えば、手のひらに宿る。


 火の塊のような温度が、手のひらに宿って。まるで火傷してしまったかのように暑い。でも痛くはないし、むしろ心地よい。


 まるで、最初から俺がそうであったかのような充実感。収まるべき鞘を見つけたときのような、安堵感。


 心の底が、俺は彼女の使い魔だと、そんな風に叫んでいた。



「――ああ」



 気が付けば、俺は承諾してしまっていた。


 はちみつ色の瞳が閉じられ。少女は微笑む。


 ……なんて綺麗で、かわいらしい笑みだ、と思った。花も恥じらうような笑みだ。


 少女はそのまま、俺の手を引いた。弱い力で引かれたんだろう。でもとても強く引かれたときみたいに、なすすべなく俺の体は彼女へと近づいていく。


 少女は、俺の頬を手で挟み込んで――目を開く。とろりと微睡むような瞳が、こちらをのぞき込む。



「アマネ、私に名前をちょうだい?」


「……名前」



 ふと、視界の端に映った銀色の髪。さらさらとしていて、絹糸みたいだった。


 そういえば、聞いたことがある。



「――アルジェント」


「……アルジェント、良い名前。じゃあ、そう名乗るようにする」



 少女は――アルジェントは小さく笑う。何をも曝す、破邪顕正の銀、それがアルジェントの意味。


 心に何故か浮かんだ文字だった。だからかな、とてもしっくりくる……。



「……アルジェントの名前において、貴方と契約を結ぶ。貴方は私の鉾となり、盾となって」


「――俺は、貴方の鉾となり、盾となる」



 意識していないのに、口が勝手にそう述べあげた。


 ただ、悪い気はしなかった。



「私は貴方を従え、貴方は私を敬い、仰いで」


「俺は貴方に従い、俺は貴方を敬い、仰ぐ」


「ん……。契約、成立だ」



 アルジェントが小さくつぶやいたと思えば、小ぶりな唇が俺のそれに宛がわれていた。


 ……キス?! 頭が沸騰するような、何を考えてもふわふわしていく感じがする。


 気分が高揚して、どうにも思考がまとまらない。


 思考がぐるぐる回って……回って……。



「――どうしてこうなった」



 俺の意識は、再度の眠りについた。

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