第7話 当日②

 背後からの気配、存在を感じることは絶対に避けたくて少し無理やりだったけどエレベーターの奥端へと潜り込みました。

 目の前には何人もの寡黙に沈黙し続け、上部に表示している数字の羅列を整列した人々がじっ、と空虚に眺め、自身との所縁がある階層へと待ち望んでいる。見られているパネルとしては、きっと最悪な気分だろう。


 天へと上がるその箱は途中の層へと次々と止まり、魂が抜けたように待っていた人たちがどんどんと降りて行く。一人、二人と消えて行き、とうとう最後には上司と私、二人きりになりました。


 ガタガタと震えている私を、上司は気を紛らわせようと下らない話をしてくれていましたが、全く耳に入らず覚えていません。


 スーーー・・・・・・


 とエレベーターはスムーズに音も無く止まり、同じように扉も開く。かなり性能のいいエレベーターのようで、重力と気圧の変化も感じずに目的地へと到着しました。


 良かった・・・・・・


 上司もナニカに変わることも無く、ナニカが現れることも無く、無事に箱から出られたのです。やはり、異性でなければ大丈夫なのかと緊張の糸がプッツリと切れ、急に過度のストレスからの安堵により、お腹が猛烈に痛くなってきました。


「すいません・・・ちょっとトイレに・・・・・・」


「ああ、行っといで。事務所はこの奥を左にいった突き当りだから。私は先にもう行かなきゃならないが、お前、本当に大丈夫か??」


「はい、大丈夫です、すいません・・・・・・」


 そそくさと私は、お腹を抱えてトイレへと向かいました。




 抵抗はありましたが、背に腹は代えられません。神に祈りながら、自宅と同じく個室のトイレの扉を開け放ちながら用を足していると、トイレの出入口の方から物音がしました。

 最悪です。私は息を殺し、誰も居ない空気感を出すために気配を消しました。


 カタン・・・コト、コン・・・・・・


 どうやら、清掃員の午前の作業と鉢合わせてしまったようです。いくらなんでも早すぎだろうとも思いましたが、こんなにも高いビルです。仕方が無いにしても、なんて不運なんだと、つい神を呪いました。

 私はこの際、急いで目を合わさず手も洗わず、挨拶もせずに冷静に落ち着きながら静かに廊下へと逃げるように出ました。


 手を洗わずに行くなんて気持ち悪い、と、思われても構わなかった。速足で事務所内へ入ろうとしましたが、当然の様に事務所にはセキュリティが掛かり入れません。訪問者用の内線通話が可能な受話器があるが、事務の方にご足労を煩わせるのも憚らい、上司へ電話をしようと考えました。上司が先に行ったのも、朝の出勤データを更新するためだけだろうとも思いスマホを手にしたその時、廊下の奥に人影を目端に捉えました。


 恐るおそるその通路奥を見てみると、そこには黒い女がしながら、こっちを見つめていたのです。


「ひぃぃ!」


 叫ぶと同時に女がその通路を一直線に、全速力で向かってきます。まるでアスリートの様に綺麗なフォームで、凄まじい勢いを感じられることが更に恐怖を感じました。数年ぶりに子供が親に、数年ぶりに飼い犬が主人に出会ったというような雰囲気は感動的ではありますが、私のこの状況はただただ絶望的としか言えません。

 直ぐ様に私は当然の様に、反対側へと同じく全速力で逃げました。


 ビル内の入り組んだ迷路の廊下を右へ、左へ。


 泣きそうになる心中で必死に、もつれる足を何とか前へと送りだし、最終左へと曲がるとそこの突き当りは非常用に行き来できるように作られた連絡通路で、恐らくオフィス側と商業側とを隔たるガラス張りの扉なため重く閉ざされ「立入禁止」の刻印かシールが張られていた。


 私は咄嗟に引き返そうと振り返るが、その引き返す逃走経路の通路先にはもう既に、あの女が立ちはだかっていた。


「ひぃぃっ」


 またもや情けない悲鳴を上げながら、進行を妨げる用の丈夫な帯を筒内に収納ができる「ベルトパーテーションのポール」を持ち上げて、その隔たるガラス扉を割って入ろうとした。


 ドン!・・・ドン!・・・バリン!ガッシャーン!!


 後ろを振り返る余裕も無く、あのスピードだと私の頭の中にあるイメージではもうすぐ真後ろに来ていてもおかしくない。粉々に砕かれたガラス片が飛び散るが、否応なしに潜り逃げる。

 手や腕に痛みを伴ったが、そんなちょっとした痛みなどもどうでも良かった。社会的体裁なんかも全てどうでもいい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る