第93話 月見里家の場所

「月見里さん」

「なっ、なに?」


 2人きりになったところで仁の雰囲気が変わったことに音羽は感づいた。本能的なものであるが、音羽は思わず警戒して仁から距離を取った。


「手を繋いで良いかな?」

「えっ、えっ?」


(もしかしてお金を使い込んでしまったのに気付かれた? それで対価を求めているのかもしれない。ま、まあ、手を繋ぐくらいなら)


「しっ、仕方ないわね。はい、どうぞ」

「何か刺々しい感じがするけど、まあいいか」


 音羽はお金を使い込んだ後ろめたい気持ちから、そっと仁に対して手を差し出した。


「あれ?」

「どっ、どうしたの?」


 仁が音羽の手を握ると、違和感を覚えた。


「何か、手が柔らかいなって」

「うーん、別に何も付けていないけど?」


 仁は少し荒れてゴツゴツした手の感触を想像していたが、音羽の手は予想に反して柔らかかった。そこで何か美容品を使用しているのではと思って尋ねた。月見里家は、そのような商品を買う余力がないため、音羽は素直に何も使用していないことを告げた。


(もっと気の利いた台詞でも言ってくるかと思ったのに、握った瞬間にあのような発言をするのは男として減点だわ)


 仁の何気ない台詞が、音羽の仁に対する評価を少し下げてしまった。


「あっ、このアパートが私の家だけど、少し上がっていく?」

「凄く魅力的な誘いだけど、夕食の支度をしないといけないんでしょ?」

「あっ、そうだった。そろそろお母さんが帰ってきてしまうよ。それじゃ、また明日学校でね」


 音羽は思わず仁を家に誘ってしまったが、仁は音羽が夕食の支度を担当しているのを知っているため、仁はそれを優先するように伝えた。実は月見里家では、平日の夕食を音羽が担当し、休日は頼子が担当している。そのような事情を知らない仁は、すべて音羽が担当しているものだと思い込んでいた。



(いやぁあああ、私ったら思わず手を振ってしまったわ。手も握ったし、まるで付き合っているみたい)


 月見里家は2階建ての木造アパートの2階にある。音羽は外に設置されている鉄製の階段を上り、部屋に入る前に仁に手を振ってしまった。ドアを閉めてから思わず行ってしまった行動が恥ずかしくなり、顔が赤面していた。


「なるほど、月見里さんの家はあそこなんだ」


 仁は、頼子が隠していた月見里家の場所を、思わぬ切っ掛けで知ることになってしまった。


「月見里さんの手って、もっとゴツゴツしていたイメージだったけど思い違いだったかな?」


 仁は、少し前まで握っていた柔らかかった音羽の手の感触を思い出し、記憶にある感触と比較しながら、自身の手のひらを見ながら考えていた。


「さて、僕も帰ろう。ちょっと遅くなってしまったし、今晩もコンビニ弁当かな」


 仁は、気持ちを切り替え、夕食のことを考えながら自宅の方向に歩き出していた。




「ただいま。今帰ったわよ」

「お母さん、おかえりなさい。ゴメン、今、夕食の支度を急いでしているところだよ。少し待ってね」

「それは構わないけど、帰るのが遅かったの?」

「え、ええ、まあ」


 それからしばらくして月見里家では仕事を終えた頼子が帰宅した。音羽はカラオケ交流会に参加していたため、帰宅時間が遅くなり、いつもなら終わっているはずの夕食の支度が終わっていなかった。ふだんなら部屋着に着替えている音羽が、制服のままで夕食の支度をしていたため、何らかの理由で帰るのが遅くなったのだろうと頼子は察した。

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