第59話 ポケットの中の物(その3)

「確かに10000円は大金よね。我が家なら何日分の食費になるかしら」

「お母さん、勝手に他所様のお金を家計に組み込まないでよっ」


 頼子は音羽が手に持っている紙幣を見て、食費の計算を始めていた。それを音羽は驚いた表情で見ていた。


「じょ、冗談よ。嫌だわぁ」

「お母さん、目が本気だったけど」


 長年一緒に生活している間柄であるため、音羽は頼子の表情を見て冗談と思わなかった。


「私は持っていても良いと思うのだけど、音羽が悪い気がすると思うのなら、返却すれば良いだけよ」

「それは、そうなんだけど」


 頼子が言うことはもっともであったが、音羽は昼休みに拒絶する言葉を仁に伝えてしまったため、簡単に返せない事情があった。


「その表情は、兼田君と何かあったわね?」

「うっ」

「やっぱりそうね。でも、言いたくないことなら、お母さんは無理に聞かないわ」


(音羽、頼むから教えて。そうしないと日曜日に会ったとき私が困るのよっ)


 頼子は母親として音羽に対して優しく言ったが、内心では詳細をとても聞きたいと思っていた。


「お母さん、口ではそう言っているけど、本当はすごく聞きたそうな顔をしているよ」

「そっ、そんなことは、ないわよ?」

「どうして最後が疑問形なの?」

「音羽にはバレてしまうのね。ええ、母親としてすごく聞きたいわ」


 音羽は頼子の僅かな表情を見逃さず詰め寄った。すると頼子は観念して教えて欲しいと音羽に対して言った。


「お母さんに隠しても仕方ないから、正直に話すわ。実は……」


 音羽は昼休み、仁に対して昼食を今後一緒に食べないことを伝え、完全に拒絶する意思を示したことを頼子に話した。


「お母さん、思うのだけど、兼田君なら友達になっても良いと思うわよ。音羽が気にするようなこともおそらくないと思うわ。正直に話してお金を返した方がスッキリするわよ」

「そうかな。お金だけ奪い取って関係を切ったって思われていないかな?」

「きっと大丈夫よ」


(音羽が困っているみたいだから、次に会ったときにそれとなく聞いて見たほうが良さそうね)


 頼子は部屋にかけられている前回購入してもらったワンピースなどを見ながら、月見里家では大金に相当する10000円であるが、仁にとってその紙幣はそこまで重要視していないのでは? と思っていた。


「さてさて、どうするか決まったのなら夕食にしましょう。お母さん、お腹ペコペコよ」

「あっ、ごめん。今支度するね」


 頼子は仕事を終えて帰ってきたため、お腹が減っていた。音羽に夕食のことを話すと慌てて支度を始めた。



「「いただきます」」


 頼子が着替えを済ませた後、音羽の手伝いに入り、協力して夕食をちゃぶ台の上に準備した。2人は向かい合うように座ってから、いつもより少し遅くなってしまったが夕食の時間になった。

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