第六夜┊二「朝食代」

「とある狐を探していましてね」から始まった若宮さんの話に、僕は一瞬、愛色いとしきさんの管狐くだぎつねがよぎって肩を強張らせた。


「おや、思い当たることでも?」

「勘違いだ。話を続けてくれ」


 星蓮せいれんがおかわりのホットサンドと、夏季限定のサーモンとレモンクリームのパスタを注文しながら僕への追求を一刀両断する。数分前に提供されたばかりのパンプキンドリアは一体どこへ消えたのだろうか。

 若宮さんの奢りと聞いてか、既にテーブルには空の皿が積み上がり、伝票は三枚目になっていた。


「その体でよく食べますね」

「成長期だからな」


 それで? とフォークを握ったままの星蓮せいれんに促されて、若宮さんが続きを語る。

 どうやら、若宮さんが探しているという狐はとても賢く、そして非常に力の強い狐らしい。その二語だけで、あの管狐くだぎつねのことではないだろうなと察した。


「ご存知かもしれませんが、狐の怪異というものは往々にして狡猾こうかつで、すばしこい。他の怪異にも言えることですが、頭の良さと足の速さが両方備わるとなかなかに厄介でね。その上、その狐は妖術も使う。力の強さまで持ち合わせた狐に、他のみなさんはすっかりお手上げらしく、私に鉢が回ってきたというわけなのです」


 同業からは嫌われていましてね、いつも最後の手段にされるのですよ。と若宮さんが朗らかに笑う。僕は一緒に笑っていいものかわからず、「はは」と乾いた声でこたえて、手元のアボカドサラダを口に運んだ。


「それで、どうしてその話を僕に? お話を聞く限り、協力できることはなさそうですけど」 

はじめさんから聞きましたよ。君は怪異に対して、アレルギーがあるそうですね」


 バキ、と星蓮せいれんの手の中でフォークが真っ二つに割れる。僕は大慌てで星蓮せいれんをなだめ、追加のメニューを勧めると、アボカドサラダに乗っていたエビを一つ、彼のパスタの上に乗せてやった。これ以上弁償するものを増やしたら、僕らは借金で首が回らなくなってしまう。

 そんな僕の苦労など見えていないかのように、若宮さんはにこやかに続けた。

 

「君の体質を利用すれば、狐探しも片付きそうだ。ご近所のよしみで、私に協力してはくれませんか?」

「ご近所のよしみでは協力しかねますが、キッチンの弁償費用と朝食代については興味があります」


 素直にそう答えると、「そこは勿論、安心してください」と若宮さんが鷹揚に頷く。僕はキッチンさえ直して貰えればなんでも良いので、その言葉に安心して再びサラダに向き直った。


「そもそもどうして見失ったんだ、へっぽこ宮司ぐうじ」 

「返す言葉もありませんが、目標を見失ったのは私ではありませんよ。見失ったから私に連絡が来たのです。言ったでしょう、私は最後の手段なんですよ」


 はあ、とわざとらしく溜め息をこぼす若宮さんは、珍しく本当につまらなそうな瞳をしていた。

 

「初手なら打てる手もあったというのに、散々突付つつき回して状況を悪化させてから、後始末を頼まれる。普段ならそれでも支障はなかったのですが、今回は相手が悪かった。警戒した狐は全力で隠れてしまってね、見つけることができないのですよ」

「つまり、おまえは場所さえわかれば祓えるが、その場所がわからないからこいつのアレルギーを当てにしたいってことか」

「ご明察の通り」

 

 星蓮せいれんが渋い顔を浮かべているが、僕らに辞退の択はない。心配性のルームメイトが勢いで断る前にとぶんぶん首を横に振って、「大丈夫」と伝えた。


「確かに、俺たちからすれば好条件だが、おまえはどうなんだ。支払う金額に対して釣り合っているようには聞こえなかったが」

「その狐は昔から有名なお尋ね者でしてね。無力化に成功すれば金一封が手に入る。寮室のキッチンくらいは軽く直せる金額です。それをそのまま君たちにお渡ししましょう。私はこの面倒事が片付いてくれれば良し、君たちにとっても割の良いバイトのはず。持ちつ持たれつですよ」


 大仰な手振りと、分度器で測ったように左右きっちりと吊り上げられた口角のせいで、なんだかテレビショッピングでも見ているような気分になる。若宮さんの口から話を聞いていると、気付いたら高価な壺や絵画を買わされていそうだ。そんな僕の隣から、騙されないぞとばかりに星蓮せいれんが若宮さんを睨んだ。

 

「狐一匹にその金額、そいつ相当やらかしてるだろ。どこで何をしたやつか、知ってることは全部教えろ」

「さすが、君は賢いですね。君のような怪異は敵に回すと本当に厄介ですから、そのままでいてくれると助かります」


 若宮さんは頷くと、一枚の写真を取り出した。石碑というには無骨で横に大きなその石には、しめ縄がぐるりと一周巻きつけられている。

 石の前に立てられた看板には、「殺生石」と刻まれていた。

 

「その狐は一般的に『九尾の狐』と呼ばれています。伝承くらいは耳にしたことがあるでしょう。絶世の美女に化けて一国を傾けたとか、陰陽師と派手に戦って石にされたとか。——それが随分前に逃げ出しました。捕獲は難航し、ついには見失ってしまったものの、特に被害もなかったので静観していたのですが、ごく最近、小さな村を丸々焼失させたようで」


 耳だけで話を聞く星蓮せいれんのフォークが、運ばれてきたハンバーグに突き刺さる。火の通った挽き肉からは汁が溢れて、熱された鉄板の上でジュワリと弾けた。

 ナイフで切り分けられたハンバーグの断面は、生々しい赤身を覗かせている。その一片が、友人の口の中へと呑み込まれていくのを、僕は頬杖をついて眺めていた。

 

「この件とは何ら関係がないのですが、以前この近辺で、名家の一つが火災に見舞われましてね。我々の界隈では火事にナーバスな者が多い。そういうわけで直近、九尾の狐に掛けられた懸賞金が跳ね上がったのです」

「……なるほどな」


 ようやくフォークを置いた星蓮せいれんの横で、僕はぼんやりと綺麗になった鉄板を見つめる。火災と言えば、隣町で見たあの焼け跡と、首輪の女性の言葉が記憶に新しい。

 今なお残る凄惨な火事の跡地。使用人と女主人を巻き込み、名家『檻紙おりがみ』を一夜にして灰にした大火災。

 その家に、火を放ったのは……。


「あの、……火事の火元はあなただと小耳に挟んだのですが、本当ですか」


 気付けば僕は、思ったことをそのまま口に出していた。

 星蓮せいれんは黙って僕を見ている。想定外だったのか、若宮さんは数秒口を閉ざしていたが、やがて誤魔化すことも尋ね返すこともせず、静かに頷いた。

 

「ええ、その通りです。……情報通ですね、一体誰から聞いたのでしょう。はじめさんですか?」


 雛遊ひなあそび先生も知っているのか。思わぬ名前が挙げられて、僕のほうが言葉に詰まる。「迷子の果てに知り合った、謎の首輪の女性が口を滑らせたので」とは言えず、言い訳のように「初めて会った人から、偶然話の流れで聞いて……」と事実だけを羅列する。

 若宮さんは「まあ、有名な話ではありますから。人の口に戸は立てられないとはよく言ったものですね」と返してカフェオレの入ったカップに口をつけた。


「君たちとはいい関係を築いておきたいのですが、その件に関しては弁解の余地もありません。私が周囲に嫌われているのは、その件が最たる要因です。誰だって、同業の家に火を放つ狂人を仲間に入れたくはないでしょう」


 爛々らんらんと輝いていた瞳が微かに陰った気がしたが、「まあ、それがなくとも好かれてはいなかったのですが」と顔を上げた若宮さんは、いつもと変わらない笑顔を浮かべていた。

 しかし、何事もなかったように話を戻そうとする若宮さんを、星蓮せいれんが「ちょっと待て」と遮る。


「放火犯と一緒にいたくないのは、俺たちだって変わらない。今の話を受けて、おまえへのなけなしの信頼が揺らいだ。三つ尋ねるから正直に答えろ」

「なんなりと」


 星蓮せいれんなじられても顔色一つ変えず、若宮さんはにこにこと質問を待つ。

 僕が、燃やされてしまった「檻紙おりがみの家」と何らかの関わりがあったことを察しているからだろうか。若宮さんを見つめる星空の瞳には、疑念と憤りが混ざっているようだった。二人の間に流れる空気がわずかに張り詰め、奇妙な緊張感が僕の喉を渇かせる。

 

「一つ。おまえは人間を殺そうとして、火を放ったのか」


 安請け合いした割に、若宮さんは一問目から少し考える素振りを見せた。数秒経ってから、「いいえ」と答える。

 弁解の余地はないとあらかじめ前置きしたからだろうか。返答以外のコメントはなかった。

 

「二つ。おまえは火事のことを悔いているか」

「はい」


 今度は即答だった。

 間髪入れない回答に、ひそめられていた星蓮せいれんの眉間の皺が、少しだけ和らぐ。

 

「三つ。……おまえのそれ、薄めてはあるが人間の血だな。今朝、どこで何をしてきた」

 

 星蓮せいれんが、若宮さんの派手な隈取くまどりを指して問う。やけに甘い匂いのする、美味しそうな朱色。

 それが墨やインクの類でなかったことに僕は驚きを隠せなかったが、人間の血だと言われてもなお、恐ろしく思うどころか、もっとそばに寄りたくなるほどに、その血の匂いはかぐわしかった。


「私の血は怪異に忌避されてしまうのでね。普段は便利なのですが、今回は怪異探しですから、九尾の狐に避けられてしまっては困る。誘引ゆういんの血を持つ友人のいきな計らいでお借りしたのです。着物が汚れたのもその一環ですよ」


 つまり、インク代わりにした血が滴って、着物が汚れてしまったということだろうか。猟奇的な絵面が浮かんで箸が止まった僕に、「《彼女》はあまり、ものを書くのが得意ではなくて」と若宮さんが目尻を下げる。今朝のやり取りを思い出したように微笑む若宮さんは、いつもの貼り付けた面のような笑顔ではなく、どこか優しい表情を浮かべていた。

 

 それにしても、これが誘引の血の効果というものなのだろうか。蜂を誘い込むような、甘い花の香りからなんとか顔を背ける。

 僕ですら、若宮さんのそばにいるとやけにお腹が空くのだから、星蓮せいれんは尚更だろう。若宮さんをうっかり食べてしまわないように、いつも以上に腹を満たしているのかもしれない。

 四枚目に突入した伝票を眺めながらそんな事を考えていると、若宮さんは「回答には納得いただけたようですね」とカップを置いて細長い指を組んだ。

  

「九尾の狐に話を戻しましょう。伝承のある怪異というのは、まつられている神格と同じ。どちらも信仰や認知度に比例して力を持つと言われています。童話の怪異である君には釈迦しゃかに説法でしょうが……」

「童話の怪異?」


 若宮さんの言葉を遮って、今度は僕が尋ねる。

 星蓮せいれんは大きな魚の怪異だ。童話の怪異なんかじゃない。


「何度も言うけどクジラだからな」


 そこは譲れないところらしく、星蓮せいれんに訂正を入れられる。交互に話の腰を折られても、若宮さんは苛立ちひとつ見せずに僕らの会話が終わるのを辛抱強く待っていた。

 

「元はくじらの怪異だった彼は、伝承の一節を辿って新たに童話の怪異となった。人も怪異も、名は体を表します。ただの動物や無機物だったものが怪異となり、やがて噂話や伝承で人からの畏怖を集め、名を付けられ、強大なものへと変化する。九尾の狐も同じですよ」


 そうですよね、君。

 かさねの名を持つ男は、そう言って向かい合わせの少年に微笑みかける。星蓮せいれんは憮然とした表情で、その視線を受け流した。

 

「童話の怪異、それも『人魚』となれば、その力はにも匹敵するほどの強大なものとなるでしょう。九尾の狐ではかなうべくもない」

「ふん、人間が俺に太刀打ちできると思っているのか」


 高々と飾り付けられた食後のデラックスパフェに、嬉々としてスプーンを差し込む少年の姿には、畏怖も威厳も見当たらない。しかしこう見えて、彼がそこらの怪異とは比べ物にならないほど強くて大きいことは僕も知っている。

 若宮さんは「匹敵する」といったが、彼が星蓮せいれんを相手に善戦できるイメージはどうにも湧かない。だが言われてみれば、彼は階段の隙間から手を伸ばした怪異が、僕の足に触れる前に切り落とすことの出来る人なのだった。

 というかそれ以前に、家に火をつけたり石碑を壊したりする人だ。相手と同じ土俵で戦わず、何をしでかすか判らない人間というのは、下手な怪異よりも恐ろしい。


「これでも専門家なのでね。大きな魚だろうが鯨だろうが、寿司職人の前ではただの食材ですよ」

「一体どっちが食材だったのか、俺の胃の中で思い知るだろうさ」


 相変わらず一触即発な雰囲気の二人だったが、若宮さんは咳払いを一つ落とすと、「私が言いたいのは、強さとは絶対的なものではないということです」と続ける。


「どんな者にも得手不得手えてふえてはあります。人魚の伝承に知名度はあっても、殺傷能力はない。対して、九尾の狐の伝承には長い争いの歴史も含まれている。君がいくら強くとも、油断していると伝承の力に喰われますよ」


 人の噂は、時に神をも凌駕する力をもたらしますから。

 若宮さんの言葉に、星蓮せいれんが初めてパフェから視線を外して、若宮さんを見た。


「人間の口伝くでんで、怪異が神より強くなれるのか?」

「伝承次第では、そうですね」

「土地神よりも?」


 尋ねる声音はいつもと変わりなかったが、その言葉は欲と好奇心に満ち満ちていた。

 星空を映し取った瑠璃色の瞳が、返事を期待するようにじっと柘榴石を見つめる。


「……土地神こそ、人間の口伝で強大な力を手にした最たる例でしょう。元は名も無き怪異だったでしょうに」

「そうなのか。なら俺が土地神より有名になれば、土地神をも超える力を手にできるんだな?」

「君がどうしてこの地の土地神なんてものに執着しているのかは尋ねないでおきますが、その夢はあまり現実的ではありませんね。あれの強さは多くの人間の死が証明しています。手っ取り早く伝承の的になりたいのなら、それを超える犠牲を出す必要がありますよ」


 もっともそんなことをすれば、私は「仕事」で君と向き合うことになりますが。

 笑顔の中で、微塵も笑っていない真っ赤な瞳が星蓮せいれんを見つめ返す。

 星蓮せいれんは考え込むように視線を落として、「……それは確かに、現実的じゃないな」と顔を背けた。


「逆にどれほど強力な怪異でも、心が弱っていれば付け入られます。努々ゆめゆめ、お忘れなきように」


 若宮さんは話を締めくくると、「さて!」と今度は僕に向き直った。


「改めて、私に協力していただけますか?」


 今回は「仕事」だからだろうか。協力する前提で話は進んでいたはずだが、若宮さんはなあなあにせず、しっかり最後の確認を挟んだ。こういう最後通牒にはNOと答えるのが古今東西のセオリーだと知ってはいたけれど、どうせここで断ったところで、この積み上がった皿の代金を払えるアテはない。僕は大人しく頷いた。

 

「では契約成立ですね。先に出ていてください。お約束通り、朝食代は私が持ちましょう」


 若宮さんは伝票を持って立ち上がると、スマートに僕らを外へと促した。こういうところは大人だな、と思いながら、その言葉に甘える。遠慮したところで僕らの所持金では何の足しにもならないからだ。

 



 退店間際、ちらりと振り返ったレジには、「朝食代」としては到底見ることのないような金額が表示されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る