第六夜┊一「打診と協力」
「おはようございます。いい朝ですね」
カフェの外看板で、モーニングの値段と財布の中身を交互に睨みながら物色していると、朝のカフェにはおよそ似つかわしくない風体の人物が僕らに気付いて片手を挙げた。
さらりとした生地のドルマンシャツジャケットに、白いシャツと黒いスラックス。
服装はラフなのに、紙紐で結ばれた長い髪と、薄く入れられた朱色の
平服がこんなに似合わないこともあるんだな、と思いながら「おはようございます、若宮さん」と挨拶を返した。
「若宮さんも、いつも着物ってわけじゃないんですね」
「TPOに合わせた格好はしますよ。とはいえ今日は、着ていたものを汚され……汚してしまって、仕方なく着替えただけなのですが」
若宮さんが肩を落としてみせるが、朝から着替えを余儀なくされたにしては、随分と機嫌が良いように見えた。
若宮さんの動きに合わせて、ふわりと甘い香りがする。ひどく食欲をそそる、甘くて美味しそうな香り。
「君たちの学生寮にはキッチンも付いていたはずですが、今日は気分転換ですか?」
「やけに詳しいですね」
「私もそこの卒業生なもので」
こんなところで、まさかのOBに対面するとは。
普段なら「胡散臭い」と取り合わなかっただろうが、今は一本の藁でも掴みたい心境だ。
僕は勢いよく若宮さんに向き直り、「じゃあ、キッチンを壊したらいくら取られるかわかりますか?」とその肌触りの良いシャツジャケットに縋り付いた。
「キッチン? 備え付けの、ですか?」
「はい。壊れてしまって」
「……ええと、炊飯器が、とか、電子レンジが、とかではなく?」
「はい。キッチンが、壊れてしまったんです」
それはもう、粉々の滅茶苦茶に。
僕の補足に、若宮さんが笑顔の奥でかすかに
「失礼ですが、どうしてそんなことに……? 何か危険な怪異が
「いえ、怪異じゃなくて、僕が壊してしまって。その、目玉焼きを作ろうとしたんです」
「目玉焼き」
若宮さんが復唱する。「電子レンジで茹で卵を作ろうとして爆破させる話は聞いたことがありますが」と続けられるが、その注意事項は先んじて星蓮から教えられていた。僕は至って普通に、フライパンで目玉焼きを作ろうとしただけだ。
「なぜそんな……、いえ。確かに私の友人にも、米を炊こうとして屋敷を半壊させた者がいましたね。世の中には、そういう星の下に生まれてしまった方というのが存在するのでしょう」
「理解が早くて助かります。それで、弁償費用なんですが」
「そうですねえ。あそこはなかなか立派なシステムキッチンを採用していましたから、安く見積もってもこれくらいでしょうか……」
若宮さんが僕のスマホを受け取って、表示された電卓に数字を打ち込んでいく。どんどん増えていくゼロの数に、くらりと意識が遠のいた。
「
「いえ、まだです。騒音と、火災報知器が作動したことについては叱られて、『少し焦がした』とだけ言ってあります。立ち入り検査まではされなかったので」
「少し焦がした、ねえ……」
部屋が半壊していることを知った
若宮さんは、隣で口を閉ざしている
「……アレは戦場だった。凄まじすぎて、こいつを連れて逃げ出すので精一杯だった」
青ざめた表情でぼそぼそと答える星蓮に「戦場だなんて、いくらなんでも……」と若宮さんも訝しがっていたが、「いえ、たしかに私も《彼女》の料理現場を目撃した時、同じ感想を持ちましたね」と疑念を引っ込めて、星蓮に同情的な視線を向けた。
長く生きていると、いろんな物事に出会うようだ。大人というのは大変だなあ、と僕は他人事のように感心した。
「しかし、キッチンを弁償するというのは、君たちにとって現実的な案ではないでしょう。かといって、寮を追い出されても困るはずだ。——そこで、どうでしょう」
若宮さんが名案を思いついたとばかりに両手を合わせる。乾いた音が、朝の通りに白々しく響いた。
「私の頼みを一つ聞いていただければ、弁償費用と、キッチンが直るまでの朝食代をお支払いします」
ぜひ喜んで! と答えようとした僕の口を星蓮が押さえて、「頼みってなんだ?」と
「危険なことなら承服しかねる」
「キッチン一式を弁償するより、ずっと簡単で、現実的なお願いですよ」
柘榴石のような瞳が嬉しそうに歪んで、僕らに朗らかな笑顔を向けた。
僕が早朝からキッチンを爆破したりしていなければ、あるいはもう少し僕らが冷静ならば、こんな朝早くの商店街で「偶然」この人と
残念ながら、朝からショッキングな出来事に遭遇し、少しばかり冷静さを欠いていた僕らには、正しい判断などできるはずもなかった。
「怪異探しを手伝ってほしいんです」
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