幕間 折り鶴の恩返し

 僕が初めて彼女を見かけたのは、隣町にある大きなお屋敷の、焼け跡の前だった。


 星蓮せいれんは現国のテスト結果が悪かったらしく、雛遊ひなあそび先生に捕まって補習を受けることになったので(「作者にんげんの気持ちなんて分かるかよ!」と叫ぶ声が聞こえた)、その日の僕は珍しく一人だった。

 折角だから、補習帰りの星蓮せいれんに何か美味しいものでも買っておいてあげよう。そう思って隣町にある老舗のあんみつ屋を目指した僕は、地図を頼りに彷徨さまよっていた。


「この辺りのはずなんだけどな……」

 

 地図が古いのか、曲がるべき道が見当たらず、同じところをぐるぐると回る。

 二度すれ違った人の横をもう一度すれ違うことになり、さすがにそろそろ不審者扱いされないだろうか、と横目で様子を伺った。

 そこで初めて僕は、彼女が一点を見つめたまま、さっきからずっと動いていないことに気付く。

 

 焼け落ちた屋敷を前にして、その人は呆然と立ち尽くしていた。

 薄紫色の質素なワンピースに、高級そうな黒い羽織。風に揺らめく、白銀色の長い髪。どこか浮世離れした雰囲気に、最初は怪異なのか人間なのかわからなかった。

 外見だけなら人間的特徴からなんら外れていないのだが、彼女の首には、いかにも頑丈そうな金属製の枷が嵌められている。

 そこから繋がる鎖はピンと張り詰めて、真後ろに伸び切っていた。

 鎖の先は数メートル先で溶けるようにえなくなっていたから、彼女がどこに繋がれているのかは知る由もない。

 僕にわかるのは、彼女はこれ以上、一歩も前に進めないだろうということだけだ。


「あの、なにかお困りですか?」


 声を掛けると、切り揃えられた前髪の合間から、淡い藤色の瞳がこちらを覗いて、ぱちりと瞬いた。

 少女と女性のあわいのような彼女は、全体的に色素が薄いせいか、柔らかな表情や仕草とは裏腹に、触るとひんやりしそうな印象を受ける。

 彼女は僕と焼け跡を見比べて、少し悩む素振りを見せたが、やがて「忘れ物を取りに来たのですが……」と切り出した。


 どうやら彼女の忘れ物はこの焼け跡の中にあるらしく、彼女はそれを探したいけれど、鎖の長さが足りなくて、これ以上前に進めないらしい。

 なんで鎖に繋がれているんですか、なんていう野暮な質問は喉の奥に飲み込んだ。

 

「ちなみに、何を探しているんですか?」

「お恥ずかしながら、ただの本なんです。子供が読むような絵本で……。タイトルも内容も、思い出せないのですけれど……」


 彼女は頰に手を当てて、照れたように微笑む。良家の令嬢らしい、しなやかな所作だった。

 ただの絵本探しなら手伝ってあげてもいいのだが、いかんせん目の前の状況は困難を極めていた。

 

「絵本ですか……」


 改めて、焼け跡を見る。

 元はさぞや立派な屋敷がそびえていたのだろうが、完全に焼け落ちてしまって、ごく一部の基礎と大黒柱が残る以外は、大変風通しのいい状態だ。

 そして僕は、この焼け跡が雨ざらしになってから、既に十年近く経過していることを知っている。

 そんな家の中にあった、絵本。

 ——正直、絶望的だろう。一匙分の灰すら見つかりそうにない。


「どの辺りにしまってた、とか……、覚えていますか?」

「それが、まったく……。何一つ覚えていないのです」

「困りましたね……」


 とりあえず、勝手口だったであろう場所から足を踏み入れるが、どこを見渡しても瓦礫がれきの山だ。

 それに、もし焼け残りの家具などがあったとしても、とうに盗まれてしまっているのではないか。


「そういえば、ここってずっとこのままなんですね」


 ふと疑問に思ったことをそのまま口に出す。

 かなりいい立地と広さを誇るこの焼け跡が、どうして未だに当時の状態のまま放置されているのだろう。


「そうですね。とても多くの方が、何度も片付けようとしてくださったようなのですが……。みなさん、ひどい怪我をなさったり、原因不明の病で起き上がれなくなったりということが立て続いてしまって、とうとう撤去を断念したのだとか」


 思い切りいわく付きだった。

 自分が今物色しているのがたいそうな事故物件だと知って、彼女に向けていた笑顔が固まる。

 僕も明日から原因不明の病にかかったらどうしよう……と一抹の不安が頭をもたげたが、よくよく考えれば僕は不老不死なので、少なくとも病死する心配はない。

 便利だなあ不老不死、とちょっと前向きな気持ちになった。

 

「ああ、今はもう心配いりませんよ。不憫に思った方が、当家で息を引き取った者をいわい込むために、若宮神社を建ててくださって。それからはすっかり収まったそうです」

「そうだったんですね」

 

 あの神社はそういう由来で建てられたものだったのか。

 だとすると、その「不憫に思った方」は若宮さんということになる。なんというか、他人を不憫に思って神社まで建てるようなタイプには見えなかったので、少々意外だ。

 そういえば確かに、あの神社が建てられたのも十年ほど前だった。ここの火事が由来だったのであれば納得だ。

 

「でも、たたりがおさまったのに、結局ここは撤去されなかったんですね」

「はい。焼け跡をこのまま残すことが、この家の主……、『檻紙おりがみ』の意思なのだろうということで、今もそのまま残していただいているようです」


 檻紙おりがみの家。

 焼け落ちてしまった家を目の当たりにすれば、何かしらの感情が湧き上がるかと思っていたが、胸中は驚くほどいでいた。

 彼女がいるからだろうか。

 入り口で佇立ちょりつしたままの彼女は、そこにいるだけで、どこか人を落ち着かせる雰囲気があった。


「それにしても、若宮さんって優しいんですね。祟りを抑えるためとはいえ、祠や石碑じゃなくて、あんな立派な神社を建てるなんて」

「彼をご存知なのですか?」

「はい。実は若宮神社の近所に住んでいるんです」

「まあ、そうだったのですね」


 もっとも、会ったのは先日が初めてなのだが。

 二十歳そこそこに見えた若宮さんだが、十年前ともなれば確実に僕より年下だろう。そんな彼が神社を建てたなんてにわかには信じがたい。もしかして、ものすごいお金持ちだったりするのだろうか。


「ふふ、彼のことを『優しい』と称してくださる方はとても少ないので、なんだか嬉しいですね」

「確かに、ちょっと意外でした。失礼ですが、いくら大火災だったとはいえ、他人の一軒家が焼け落ちたことをそんなに気にするような方には思えなかったので……」

「そうですね。彼が火を放ったのでなければ、そのように責任を負おうとすることもなかったかもしれません」


 あまりにも当たり前のように語られて、思わず反応が遅れた。

 ……若宮さんが、火を放った? この檻紙おりがみの家に?

 キーンと甲高い音が頭の中で鳴り響いて、少し目眩がした。


「大丈夫ですか? お顔色が優れませんね」

「えっと、……はい、大丈夫です。……あの、それで、若宮さんはどうして、」


 言いかけた言葉を自分で遮るように足元がふらついて、踏み出した足がガツンと何かを蹴った。

 見下ろしたそれはすっかりすすけてしまっていたが、かなり分厚い耐火性の金庫だった。軽く手で汚れを払うと、少しも燃え溶けていないことがわかる。

 これなら中身も無事かもしれない。

 ものは試しに、ダイヤルをいじらずそのまま開けてみると、驚いたことに金庫は簡単に開いた。

 中には一冊の本が焼けることなくそのまま入っていて、紺色のハードカバーに「鶴の恩返し」と表題が箔押しされている。

 

 ——いくら耐火性といっても、大屋敷が全焼するほどの火事に耐えられるはずはないのだが。

 無傷で鎮座する金庫に、うっすら背筋が寒くなりつつも、「あ、これじゃないですか?」と努めて明るい声で彼女を振り返る。

 こちらに歩み寄ることができない彼女のため、金庫から本を取り出して彼女に手渡すと、ぱあっと顔を輝かせて「ああ、きっとこれです。ありがとうございます!」と頬を綻ばせた。

 彼女が喜んでくれたなら、細かいことはまあいいか、と頭をよぎった数々の疑問を無理やり放りやって、「見つかって良かったですね」と僕も微笑む。

 元々放っておけない性格ではあったけれど、彼女の役に立てるのは、ことさらに嬉しかった。 


「本当にありがとうございます。つまらないものしかありませんが、何かお礼を……」

「いえ、僕は金庫を見つけただけですし、気にしないでください」

「そういうわけにはまいりません。……藤の花には、魔除けの効果があるのです。よかったら、貰っていただけませんか?」


 そう言って彼女が差し出してきたのは、折り紙の藤の花だった。

 金品が差し出されたら固辞する気でいたが、折り紙なら貰っても大丈夫だろう。頷くと、さして身長の変わらない彼女が少しだけ屈んで、僕の胸に藤の花を飾ってくれた。

 表面が黒、裏地が金の折り紙で折られた花は制服にも合っている。

 なにより、このからだも、名前も、年齢ですら自分のものでない僕が、初めて「僕」のために贈ってもらった唯一のものだ。

 その事実がとても誇らしくて、胸の花がよりいっそう愛おしく思えた。


「藤の花なのに黒なんですね」

「ええ。濡羽ぬればの黒は檻紙おりがみの証。きっとあなたを守ってくれるでしょう」


 取り付け終わった彼女が顔を上げて、至近距離で僕を見る。

 僕より少し背の高い彼女は、人形のようなかんばせを幸せそうに彩っていて、僕は「隣町まで来てよかった」と心の底から思った。

 

「足止めしてしまってすみませんでした。何処かへ行かれる途中だったのでしょう?」

「あ、そうなんです。この辺りにあんみつ屋さんがあるはずなんですが」

「それならきっと三ツ橋ですね。ここをまっすぐいけばぐですよ。私のお勧めは、白玉くりいむあんみつです」

 

 道のついでに、思いがけずオススメ品まで聞けてしまった。あとはもう、迷うことなく目的を果たせそうだ。

 礼を言って頭を下げると、彼女も「こちらこそ」とうやうやしく一礼した。

 

「それでは。ご縁があれば、またお会いしましょう」


 ——しゃらん、とどこかで鈴の鳴る音がした。

 


 

 ✤




「なあ、という人間は存在するのか?」


 唐突な質問は、補習内容となんら関係のない話だったが、雛遊ひなあそびはじめはチョークを置いて振り返る。机の上の小論文は既に埋められていた。

 聡明な彼がなぜ小テストであのような点を取ったのか理解に苦しんでいたが、ひとえにこの一問のためか。

 彼を補習に呼び出したのはこちらだ。ごく自然に小手鞠こでまりカルタと別行動を取ることに成功させた手腕には舌を巻いた。もっとも、この忙しい時期にこんな形で巻き込まれるのは非常に癪ではあったが。


「存在するのか、というのはどういった意味合いでしょう?」

「出生届、住民票、戸籍謄本。その他あらゆる書類上、そして周囲の人間の認識上、あいつは存在しているのかと聞いている」


 投げ掛けられたのは、実に具体的で的確な質問だった。

 曖昧模糊あいまいもこな質問ならばいくらでも煙に巻けただろうが、彼の質問にはYESかNOで回答できてしまう。逃げ道を許さない詰問だった。

 ——雛遊ひなあそびはじめは答えない。


「人として顕現した俺は、それらを創造するために、六千年分の記憶という代償を支払った。人間の世界というのは面倒だ。自分という存在を確立するために、その他大勢の認識と記憶の改変が必要になる。人を一人増やすためには、世界を改造しなくてはならない」


 ——雛遊ひなあそびはじめは答えない。


「もしも小手鞠こでまりカルタが、誰かの手によって『増やされた』人間だったなら、その一個体を造ることは出来ても、周囲の認識と記憶を全て改変するほどの代償を支払うことは出来なかっただろう。俺が知る限り、四月一日の時点で出席番号十三番は空欄だった」


 ——雛遊ひなあそびはじめは答えない。


「カルタが何者であろうと害するつもりはない。だけど守ってやるためには知る必要がある。あいつが何者なのか。あいつにとって何が脅威で、何が安全なのか。何をしてやれば、あいつは幸福になれるのか。——今のあいつは、人間でも怪異でもない。どちらにもれず、どちらにも属せない。ひどく不安定で、不確かな存在だ。なあ、祓い屋。俺はあいつに何をしてやれる?」


 滔々とうとうと語る怪異の少年に、害意はなかった。ただじっと、返答を求めてこちらを見上げている。

 友人を想って矜持きょうじを捨て、助力を求める哀れな怪異に、雛遊ひなあそびはようやく口を開いた。


「私は君が思っている以上に、彼について何も知りません。……ですが君のいう通り、小手鞠こでまりカルタという人間は、あらゆる書類のどこにも存在しませんでした。彼の存在は、本校内の出席名簿に限られる。彼の生まれや育ちを知る人も、彼の幼少期を知る人もいない。今のところ、彼の存在を示す一番古い証言は、十年前に彼と遭遇したという君のものだけ。そしてそれ以降の十年間、四月一日に彼が本校に入学するまでの存在もまた、誰にも認識されていません」

「でもおまえ、あいつのことを何か知っているだろう。あいつに対するおまえの反応は、他の人間とは違う」


 自分の態度に言及されて、どうしたものかと逡巡する。だが今更隠し立てするのも難しいだろう。

 「……姉に似ていたもので」と仕方なく口を割った。

 

「十年前に、祓い屋の子供から二人の死者が出ました。小手鞠こでまり言葉ことはと、雛遊ひなあそびカルタ。どちらも遺体は見つかっていません」

「その二人の写真は?」

小手鞠こでまりについては不明です。雛遊ひなあそびカルタの顔は……、私を見ていただければわかるでしょう」


 彼とよく似た顔で寂しげに笑う雛遊ひなあそびに「なるほどな」と頷いて、星蓮せいれんはそれ以上の追求を控えた。

 雛遊ひなあそびの女児が生前どんな扱いを受けていたのかは、想像にかたくない。

 亡くなった姉にどれだけ執着しているのか、伸ばされた髪を見るだけでも察するに余りあった。


 しかし、どうしても明らかにしなくてはならないことがある。


 ナマズの怪異から受けた傷を癒すため、怪異の少年は小手鞠カルタに人魚の肉を与えた。

 彼のためを思ってやったことが、彼の命を救うためにやったことが。

 ——もしかすると、とんでもない裏目に出てしまっているのではないだろうか。


「現状考え得る最悪のケースを想定して、一つきたい」

「なんでしょうか」


 尋ね返しながら、窓から差し込む強い日差しに気付いて、雛遊ひなあそびはふと視線をやる。

 

 窓の外では色濃い新緑がすっかり木肌を覆い隠し、さまざまな虫の鳴き声が、自分たちの持つ生命力を競うように歌っていた。

 じわじわと上がっていく気温が、初夏の終わりを感じさせる。

 不意に夏の匂いのする風が吹き込んで、教室の白いカーテンをばたばたとはためかせた。

 

 やがて、耳鳴りのような突風が落ち着いた頃。

 白鯨の少年は、掻き消すことのできない焦燥と不安を、一つの疑問にして吐き出した。

 

 

「死体が、人魚の肉を食ったらどうなるんだ?」



 

 

 ——雛遊ひなあそびはじめは、答えられなかった。

 

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