中編

 マルクス家系は歴史ある暗殺一家、長男である俺の仕事はこれからもこれまでも暗殺だ。

 命じられればどんな任務も完璧にこなし、狙った標的は確実に仕留める。

 俺はいつしか最強の殺し屋「死神」と界隈では呼ばれるようになった。

 俺にとって暗殺は生きる意味だが、殺しが好きなわけではない。俺にはそれしかない、ただ任務をこなして、こなし続ける。

 気が付くと俺は無機質な空間にいた。

 まさかこの命尽きるまでにこれほどまでの心の高まりを感じることになるとは思いもしなかった。

 人智を超えた存在の暗殺、そのために俺も人智を超えた力を手にして、万全の準備を今日までしてきた。

 俺の能力は雷、この力は暗殺者にとっては喉から手が出るほど欲しい力だ。

 最早何者にも臆することはない。

 しかし話に聞くところによると、この施設は救世主を育成するための施設だとか、もし誰一人として俺の脅威にならないのだとしたらそれはそれで複雑だ。

 俺はこの仕事が終われば再び、日常へと戻ることになる。

「怖いな」

 ここでの味を覚えてしまうことが怖い。日常が更に退屈なものへとなってしまう、この発言はプロ失格だな。

 目の前の扉がゆっくりと開く。

 開かれた先、視界は夜になっていて薄暗い。

 しかし、初めて目にする建物や機械ばかりだ。

 おっといけない。

 景色を楽しみたいところではあるが、俺たちが任されているのは、最重要暗殺任務殺人カリキュラム。

 一体何を目的としているものかは俺たちも分からないが、授かった役目は育成対象の皆殺し。

「初めはB塔か」

 施設の者から受け取った資料には、暗殺対象がランク分けされていた。振り分けはD〜Sランク、Sランクは一人しか表記がなかったこと、一人だけ暗殺対象外だったことから最も警戒すべき存在であると見ている。

 そして手始めに俺が狙うはBランク、その中での警戒すべき存在は、最近施設に入ったという影宮 天月。

 奴の伸び代は尋常ではないと俺の勘が訴えかけてくる。

 人格ガチャとはどういう能力かは察しもつかないが、どの道暗殺ならば俺に分がある。

「始めるか」

 

 

 真っ黒なコートに身を包んだベリー・マルクスはB塔侵入から約一分で五人の育成対象を暗殺した。

 六人目の部屋の扉を開ける。

「誰?」

「隠密を心がけていたが、俺の気配を察したのか?いや、警戒して眠れなかったというとこか。しかしその警戒は余計なものだ」

「カッ———」

 マルクスは音も立てず相手の首を切り落とし、切り口を雷で焼いたことで一滴たりとも出血していない。

「様子を見るつもりだったが、必要なさそうだ」

 その後もマルクスによりBランクの育成対象者が次々と暗殺されていく。

「次はここだな」

 マルクスが扉を開けると、足元に手榴弾が投げられる。

「これは———」

 直後すぐに爆発を見せるが、規模はかなり抑えられていた。だいたい一部屋分が吹き飛ぶ程度の威力。

「殺人カリキュラム、なるほどな。オレたちは暗殺対象というわけか」

「手厚い歓迎だな、お前が影宮 天月か。なるほど骨がありそうな男だ。大人しくしていろ、痛みはない」

「Come on baby」

 天月の雰囲気が変わる。

「ほぉ、人格を変えられる、それがお前の能力「人格ガチャ」といわけか。では、実力のほどを試すとしよう」

 マルクスはそう言って手に持っていたナイフを懐へとしまい、天月と同じように両腕を上に上げ、格闘家の姿勢を作る。

「こい」

 誘いに乗った天月の電光石火のような一撃を、マルクスは容易くいなすと天月の顎目掛けて平手打ちのヒットを決める。

「ガッ!」

「脳を揺らした。死にたくなければ死に物狂いで防いで見せろ」

 天月の全身へとくまなくマルクスの素早く重たい一撃が打ち込まれていく。

「Don't lick it!グハッ」

 マルクスが意図的に見せた隙へと天月は拳を伸ばしたが、みぞおちへとカウンターをくらう。

「今はまだ所詮その程度の実力か、お前の未来に興味はあるが、俺もプロなんでな死んでもらおう」

「何死んでんだこらぁ!」

「威勢のいいのが現れたな」

「チッ、今の避けんのかよ」

 現れたのは1488、天月に対して猛烈なライバル心を燃やす男。

「仲間思想か、資料を見た限りお前たち育成対象にはそんなものあるようには思えなかったんだがな」

「んなんじゃねーよ、こいつに死なれちゃ今は困るってだけだ」

「育成番号1488、お前もどの道暗殺対象だ」

「ご存知とはおありがてぇこったぁ、その資料とやらに俺たちの情報が全部載ってるってことか」

「その通りだ。お前たちの能力、性格、ランク、居場所。その全てが俺たちには筒抜けだ」

「なるほどな、オレが昇格しなかったのは情報の相違により少しでも暗殺の精度を下げたくなかったからか」

 天月の言う通り、天月がAランクへと上がれなかった理由はそこにある。

 殺人カリキュラムが行われる間際でランク変動が起きてしまえば、暗殺者側に配られた資料と実際の相違が起きてしまう。

 例えどんなに些細な種だとしても、効率に支障をきたしかねないものは、全て消し去る必要があった。

 情報とは戦略上欠かせない重要なピース、それを考慮している管理者側の計画。

「無駄話は以上だ。暗殺を遂行する」

「来るぞ」

「見れば分からぁ!」

 1500と1488二人の共同戦線が始まった。

 

 

 外部から支給された殺人役三人の内、ベリー・マルクスはB塔へ、残り二人はそれぞれCとDランクを担当していた。

「きったねぇ〜な、まぁ、これでようやく半分ってとこか」

 外部殺人役である竜童 サバラはCランクを担当していた。

「た、助け———」

 サバラは容赦なく顔面を踏みつける。

「うるさいうるさい。それにしても思ってたよりもやばいな、これ」

 一時的に相手の筋肉を硬直させられるMSLは脅威そのもの、一度効果にかかってしまえば死んだも同然。

「あれ?全員殺したと思ったけど、下から声がするなー」

 サバラは透明化を使い、逃げ惑う声の人物へと近づくとMSLを向ける。

「あっ・・・・・」

「好きなだけ殺した上にお金ももらえるって、うん、最高の仕事だね」

「やめっ、やめてくれ、たすけて」

「悪いけど命乞いは逆効果だよ。すればするほど殺したくなる。キチガイに通用する手段じゃないことくらい分かるでしょ、いや、パニックってると分からないもんなのかな」

 サバラは手の指を奇怪に動かしMSLでペン回しをしながら、愉快そうにそう語る。

 

 D塔。

「来たはいいけど、私が用があるのはここじゃない。とにかく急いでB塔の方に行かなくちゃ」

 現在の殺人役の配置は、マルクスがB塔、サバラがC塔、三峰 アリスがD塔となっている。

 しかしアリスの目的は暗殺ではなく影宮 天月を見つけること、そして管理者側はそのことを許容している。

 この殺人カリキュラムは救世主育成促進のためには必要な措置であるとともに管理者側のちょっとしたお遊びでもある。

 三峰 アリスを招いたのは骨董屋の店主であり、彼はその遊びの中に芽生える一つの可能性を期待している。

 

 A塔。

「さて、こちらもそろそろ始めますかねぇ」

「何のつもりだ1438・・・」

「何のつもりとは、一体何のことでしょうか?」

 1438は手に持ったMSLを同じくAランクであり、殺人役に選ばれたもう一人へと向ける。

「なぜ———こ——こん—なことを———-」

「理由は単純明白ですよ、殺したいから殺す。ただそれだけのことです」

「俺—たちは———-同じ殺人役の————筈、だ」

「おやすみなさい。後のことは私一人で結構です」

 1438はそう言って、同じく殺人役の仲間の血を全身に浴びる。

「これで更に強くなれますね。早く1436を殺してみたいものです。彼の血を浴びれば一体どれほど私は強くなれるのでしょうね」

 1438の能力は「ヴァンプ」、他人の血を浴びれば浴びるほど己の強さとする力。

 1438は育成対象者だが、このような存在が救世主になってしまえば本末転倒となる。

 1438がこの殺人カリキュラムにおいて殺人役として選ばれた理由はそこにある。

 やはり彼が最も輝ける場は殺人だろう。

「さて、食事の時間ですよ」

 1438は狂気の笑みを浮かべながら、Aランクの強者たちをまるで赤子のように切り裂いていった。

「おっと」

 1438は突然の上からの攻撃をギリギリで交わす。

「おやおや、貴方は確か、瞬間移動の力を持っているんでしたよね?」

「だったら何だってんだ、どういうつもりか知らねーが覚悟しろ」

 天哉は1438へと瞬間移動の力をフルに使った蹴りを放つが、防がれる。

 今の一撃は動き出しを見てから反応できるものではないため、読まれていたということ。

「気性が荒い人だ、何も私は暴走しているわけではありませんよ。ただ今回も頼まれてやっているだけのこと、まぁ前回は少しやりすぎてしまったみたいですがね。ですが今回は牢屋に閉じ込められない程度に暴れさせてもらうつもりですよ」

「気を付けなさい、彼の力は一瞬たりとも侮れないわ」

「ああ、承知の上だ。蘭、援護を頼む」

「ええ」

 二人の戦法は、天哉の戦闘力を蘭の前後三秒の過去と未来を見る力でサポートしながら立ち回るというもの。

 しかし、二人の力を知りつつも尚、1438は余裕の笑みを絶やそうとはしない。

「楽しくなりそうですねぇ」

 

 B塔。

「くっそ、流石にやばいな。今のオレたちだけじゃ手に負えない」

「はは、何寝言こいてんだぁ?まぁ確かに、施設のカリキュラムを受けずにあの強さはチート級だなぁ」

 カリキュラム開始から約二〇分が経過し、マルクス、天月、1488の戦闘は既に十分程度が経過していた。

「騒がしくなってきたな、どうやら俺たちの存在に気づき始めたか」

 マルクスはとてつもない圧を放ちながら二人の下へ歩みを進める。

 踏みしめる芝生の音が二人の耳に届く度に、神経を突き刺すような圧がのしかかる。

「こぇーなら寝てろ、あいつは俺一人でやる」

「負ける選択肢はない」

「ふっ、嫌いじゃねーぜ、そういうとこ」

 持ち直した二人に向けて、マルクスは眼力による更なる圧をかける。

「そろそろどいてもらおう、お前たちにかける時間はこれ以上ありはしない」

「来いよ、クソ———」

 マルクスは一瞬にして1488の懐へと移動する。

「そのつもりだ」

 天月は遅れて状況に反応するが、既に1488の脇腹へとナイフが差し込まれた後だった。

「あがっ!」

「咄嗟に防いだか、ふんっ」

 ナイフは脇腹ではなく、1488の右腕に刺されていた。

 しかし、すぐにマルクスの大きな足が1488を吹き飛ばす。

「次はお前だ」

「ear shit guy!」

「人格を変えたか、その人格はドミニケ・アルゴンのものか?」

「ナゼ?」

「ear shit guy、耳くそ野郎。奴の口癖だ」

 天月が既に当てていた暗殺者の人格ドミニケ・アルゴンは、マルクスの知り合い。

 世界一と自称するマルクスとその知り合い暗殺者による戦闘が始まる。

「その人格で俺に勝つことはできない」

 両者は互いに素早い手つきで攻防戦を繰り広げていく。

 天月はマルクスの顔面へと数箇所かすり傷を残すが、それ以上に天月は徐々に重たい一撃をもらい始める。

「くっ」

「仕上げた」

 そう言って繰り出されたマルクスの攻撃を天月は回避する。

「次はボクシングか」

 天月の人格に合わせてマルクスも構えを変化させる。

「お前の土俵で勝負してやる」

 しかしマルクスに天月の攻撃は多少掠りはするものの、ダメージをくらうのは天月のみ。

 まさに幾度もの死に際で鍛えられたマルクスの実力を上回ることは、今の天月には不可能。そしてそれは1488程度の実力を付け加えたところで同じこと。

 しかしマルクスのそれはあまりにも現実離れした強さ、これでも天月たちは施設のカリキュラムをこなしてきた身だ。

 それを、真正面からの殴り合いでここまで凌駕できるとは到底思えない。

 その秘密はマルクスが骨董屋の地下で授かった能力にあった。

 現状マルクスは表立って目立つ能力は見せてはいないが、内側はそうではない。自身の体内に高速で全身を駆け巡る高圧の電力を回転させることで、飛躍的に身体能力を上げることに成功した。

 だとしても、やはり単純にベリー・マルクスという男は強い。

「俺はまだ実力の半分も見せてはいない。大人しく死んでもらおう」

「いちいち宣言しねぇーと殺しの一つもできねぇーのかよてめぇは」

「時間の無駄だが、久しぶりに楽しいという感情を思い出した。これは俺からのささやかな慈悲だと思うことだ」

「なら、楽しませてやるから殺すんじゃねーぞ」

 1488はフラフラの足で立ち上がると、遠回しに手加減を要求する。

「どの道お前たちは施設から出られないのだろ?」

「だからなんだ」

「逃げた標的は後から追うか、他に任せるとしよう。望み通り殺さぬよう手加減してやるが、死んでも俺に愉悦を与えろ」

「こいやー‼︎」

 側から見れば手加減とは何かと問わずにはいられないほど、重たく素早いマルクスの一撃一撃が1488の全身を蝕んでいく。

「威勢の割にくだらない強さだ。やはりお前一人では足りない」

「はっ、そう焦るなよ。まだまだ足んねぇーんだよ・・・もっと打ち込んでこいよ!」

 1488は待っている、マルクスに最大の隙が生じるその瞬間を・・・最大火力をぶつけるその瞬間を。

「シュッシュッ、シュッ」

 天月がマルクスの背後から素早くストレートを三度放つが、1488への攻撃を緩めることなく避けられる。

「もっとだ」

 マルクスは瞬時に天月の背後へと回り込むと横腹に強烈な一撃を叩き込む。

「ガハッ」

 天月はそのままB塔の建物へと弾丸のような速さで飛ばされた。

 

「くっそ、オレのこの半年間は一体何だったんだ・・・オレは今まで何をしていた、たかだか殺し屋ごときに遅れをとるなるなんて許されない」

「ガッ、グハッ、オェ———グッ、カハッ」

 1488は一定の同じ場所で殴られ続けているため、周辺があいつの血で染まっている。

 既に目の焦点が合っておらず、呼吸も徐々に小さくなっている。

 おそらく能力の力で最大限蓄積したダメージを一気に放つつもりだろうが、限界が近いな。

「動け」

 今のマルクスの一撃で肋骨数本と、右腕の骨が砕かれた。

 だが陸上自衛隊やボクサーの人格のおかげで、多少の骨折には耐性ができている。

「もってくれよ」

 人格は一度に一つしか使えない、それがこの人格ガチャの欠点と言ってもいい。

 だが、それはあくまで人格を使用する際の欠点だ。オレは使用した人格の力を徐々に自分自身へと身に付けることができる。

 まずは奴の動きをオレの頭脳で見極める。

 ここがオレの、そして1488の正念場だ。

「はーはーはー」

「どういうつもりか分からないが、お前は見捨てられたようだ1488」

「気安く呼ぶんじゃねーよ暗殺野郎が、いいんだよこれで、あいつと俺は元々そういう関係だ。それによ、俺一人の方が都合がいいんだよなぁ」

「一瞬でもお前を好敵手などと思った自分自身の愚かさに腹が立つ、仕上げた。次の一撃で命を狩る」

 マルクスはここに来て初めて肉眼で捉えられる雷のナイフを作り出した。

「それがお前の能力ってわけか———」

 目を離したつもりはない。

 だけど姿を見失い、次に奴の姿を見た時には、ナイフの形状をした雷が1488の心臓へと突き刺されていた。

「来るんじゃねー!」

 オレは観察を止め、かけ出そうとした瞬間、それを止める1488の声がした。

「ガハッ、今、いいところじゃねーか、邪魔すんな」

「ほぉ、しぶといな。だが、お前の命はもうじき尽きる。これ以上は、いや、これ以上も無駄な足掻きだ。最後くらい安らかにいけ」

「ああ?何キモいこと言ってんだぁ、死ぬのはてめぇも一緒だろうが」

 1488にトドメをさしたことで多少の油断が生じたマルクスの腕をグッと掴み、1488はこれまで受けた全てのダメージを乗せた渾身の一撃を放つ。

「くらえ、クソが!」

 一撃が放たれた直後、砂埃により視界が曇る。

「くっそ、化け物め」

 マルクスは直撃を避けるために、掴まれた片方の腕を瞬時に切り落とし、1488の攻撃を回避して見せた。

 多少服は破けているが、ダメージと見られる箇所は自身で切断した腕しか見られない。

 オレは込み上げてこようとする感情を抑えて地面に倒れた1488の下へと歩み寄る。

「俺は、ここまでだ・・・んだよ、その目」

「お前がオレの大切になる前でよかったよ」

「ふっ、そう——か」

 こいつがオレの大切な存在となっていたら、オレは取り乱しただろうか。

「どうでもいいことだな」

「次はお前の番だ。もうじき他の奴らも暗殺を終えて合流することだろう。後が控えてるんでな、これ以上Bランク以下に使う体力はない」

 片腕を失ったからといって楽になったわけではない、むしろその逆だ。

 先程までのオレと1488との全ての攻防が手加減されていた。

 こいつはただ暗殺しているように見えてその中に愉悦を求めている、手加減により愉悦を得られるならそれでもよしとしていた。

 だけど、オレたちはその期待に応えられる強さがなかった。

 今目の前のこいつは凄まじく濃い殺意を纏っている。先程とは比べものにならないほどに。

「ゴクンッ」

 オレは無意識に一度喉を鳴らす。

「本当にいた・・・」

 緊張が走る中、突如女性の声がした。

「そっちは片付いたか、アリス」

「まぁ、Dランクだし大したことなかったよ」

「1500、これで更にお前に勝ち目はなくなった」

 マルクスは切断したはずの腕を自身の能力により焼き付ける。

「少し違和感は残るが、問題ない」

「マルクス、ちょっと待ってくれない?」

 こちらへ踏み出そうとしたマルクスに、突如現れた若干オレと同い年くらいの少女が待ったをかける。

「何だ?」

「彼のことは私に任せてくれない?」

「何故だ」

「もうボロボロだし、私一人でも何とかなる。マルクスはAランクの方に加勢した方がいいと思う。彼らもAランクだけど、二人だと大変だと思うから」

「お前に任せられる根拠は?」

「私も殺人役の選別を生き残った内の一人、それじゃ足りない?」

 マルクスの殺気が徐々に引いていく。

 今のオレでは間違いなく殺されていた、理由は分からないが、助かったらしい。

 いや、早計だな、ただ単に殺人役が交代しただけ、今のオレの体でどこまでやれるか。

「お前に任せるとしよう」

「しっかり暗殺しておくよ」

 マルクスがこちらに背を向け、A塔へと走り出そうとしたその時——。

「とんだ魔女だね、アリス」

「どういうことだ、サバラ」

「どうもこうも、そいつは裏切り者だよ。何が目的なのかは知らないけど、D塔の連中は一人も殺されていなかった」

「アリス、どういうことだ」

 先程とまではいかないが、再びマルクスが殺気を纏う。

「いや、それは」

「俺は初めからおかしいと思ってた。どう見ても普通の少女が引き受ける仕事じゃないからね。あの時、最初の部屋であいつに耳打ちされてた時、何か言われたんだろ。それが今回のカリキュラムに参加する決め手となった、だろ?」

「それは・・・私はあくまでも殺人役としてここに来たんだよ、それ以上でも以下でもない」

「悪いけど、信じられないな」

「好きにすればいいさ、けれど1500は私が殺す、邪魔しないでよね」

 オレはこの少女を知っている、どこかで会ったことがあるはずなのに記憶にモヤがかかり思い出せない妙にむず痒い感覚。

 そして、どこか懐かしいようなそんな感覚。

 前にも同じ感覚を味わったことがある。

 確かあれは・・・。

「三峰 アリス」

 零れて発したその言葉に、オレ以外の全員が反応し一斉に視線を向けられる。

「へぇ〜なるほどね、君ら知り合いだったんだ」

「私はそんなやつ知らないね」

「そんな言い訳が通用するとでも?」

 サバラと呼ばれるその男は三峰に向かってナイフを向け、素早く振り回す。

 暗殺者の人格を持つオレから見れば、ナイフを扱う上では無駄な動きが多いが、あれを避けるのは至難な技だろう。

 技術こそ劣るが、野生の本能の持ち主だ。

「突然何すんのさ!私たちが争っても何にもならないよ」

「裏切り者は成敗しなくちゃ、生かす価値なんてないでしょ」

 今までよく交わしたと称賛すべきだが、とうとう交わしきれなくなった三峰の体に、次々とナイフの傷が生じ始める。

「予定は変更せず、やはりお前を始末してから次の計画に移るとしよう」

 先程と状況が変わらないどころか、余計に悪くなった。

 あの少女の正体は三峰 アリス、オレのクラスメイトだった者だ。そしてオレが屋上から飛び降りる際に見た人物。

 三峰には聞きたいことがある、今ここで死なれては困るな。

 つまり、この状況下でオレと三峰の両者が生き残る必要があるということ。

 生きる選択がこれほどまでにめんどくさいものだなんて今まで知る由もなかった。

 そりゃそうだ、オレは今まで死ぬことに意識を向けて生きていたんだから。

「こんなところで死んでたまるか」

「死ね」

「カハッ」

 これまでよりも更に重たい一撃、殺意を込めた一撃。

 この痛さがオレに死の連想を抱かせる。

 運命はオレに生を与えたいのか、死を与えたいのか。

 

「やっぱお前の能力は厄介だねアリス。確か、罪の反射だっけ?受けたダメージをそのまま相手へと返す、透明化したところで意味ないじゃん。一撃で仕留めるって言っても、俺にそんな殺しの技術はないしな。全くDとCランクの連中が可愛く見えるよ」

「影宮・・・」

「って無視かよ、ていうかやっぱり知り合いなんじゃん。まぁマルクスさんの方は片付いたみたいだけどね」

 

 まずいな、意識がだんだんと遠のいていく。

 オレは掠れゆく意識の中、かろうじてこちらへと駆け寄る三峰の姿を捉えた。

「せっかく会えたのに死ぬなんて許さないよ!影宮!あんたは姉の分まで生きなきゃいけないんだよ!」

 姉?三峰は一体誰の妹だと言うんだ・・・やはり似ている。髪の色も、話し方も、雰囲気も何もかもが違うのに、重なって見えるのはどうしてだろう、屋上から飛び降りたあの時も重なって見えた。

 幼馴染で親友、オレの大好きだった人・・・天門 桜。

 まさか、三峰は桜の妹?いや、そんな話聞いたことがなかった。

 くそっ意識が・・・遠のく。

 偶然か、必然か、運命はオレに味方してくれたようだ。

「感動の再会ってやつか、泣けるね〜。だけどもうそろ鬱陶しいからまとめてあの世に送ってやるよ」

「なら私があんたを倒す」

「ぷっ、つい最近まで一般人だった子供が何言っての?それにさっきは俺に手も足も出なかったじゃん」

「サバラ、私の能力はあんたなんかじゃどうすることもできないよ」

「それならもう一度試してみよっか!」

 目を覚ましたオレは一瞬にして三峰とサバラの間に移動し、透明化しているサバラの顔面へと高速の一撃を叩き込む。

「くっ、一体何をマルクスさ、んじゃない・・・でも確かにマルクスさんの気配に、その能力・・・」

「ほぉ、俺の人格までも手に入れたか。サバラ、お前は少し勉強不足のようだ。1500の能力は人格ガチャ、要するに手にした人格を自由に使用できるというわけだ」

「人格ガチャ、意味分からなくてパッとしか目を通さなかったけど、なるほどね、危険人物だったってわけだ」

 オレは二人が話に注意を向けている隙に、ジェスチャーで後方へ下がるように三峰へと指示を出す。

「これ使って」

 三峰から長さが三〇センチほどの細長い棒状の物を手渡される。

「これは?」

「相手に先端を向けたまま、ここのボタンを押すと筋肉を硬直させられる」

 それは使えそうだ。だが、相手も同じ武器を持っていると見るのが妥当。

 となると、どう考えてもまずはあいつから仕留めにいくか。

 オレは周囲に散乱するほどの雷を放電し始める。

 そうして放電したエネルギーを全て体内へと吸収させる。

 今だから分かる。マルクスという男の先ほどの一撃。

 あの一撃さえもまだ、本気ではなかった。

「後悔しろ」

 オレは光の速さでサバラの背後を取る。

「どこ行った?」

「まずは一人目」

 オレはサバラの心臓を電圧により焼ききる。

 その後すぐさまマルクスへと先程もらった武器を向けるが、マルクスの電力によりショートしてしまう。

「今なら楽しめそうだ」

「楽しませるつもりなどない。すぐに決着をつけてやる」

「まるで俺自身と話しているような妙な感覚だな」

 オレたちは互いに光の速さでぶつかり合いながら幾度も重なる光の線を空中に描いていく。

「くっそ、同じ人格のはずなのに何故オレが押されてるんだ?」

「潜り抜けた修羅場の数が違う。地獄に足を踏み入れないお前には届きえない領域に俺は立っている」

「地獄なら、十年も前に体験している」

「地獄は糧にするものだ。だが、おそらくお前は逃げ出した。逃げ出したお前は俺には勝てない」

 確かにマルクスの言う通り、オレは現実を見ようとせず、命を捨てようとした。

 糧か、なるほどな。オレが取るべき選択は逃避ではなく、怒りだったのかもしれない。

「だが何を語ったところでお前の死は揺るがない。未だ俺の本気を引き出せないお前に勝ち目はない」

「ならその役目、俺が引き受けよう」

 突然、聞き覚えのある声が響く。

「誰だ?資料にはなかった顔だ。だが、気配が只者ではない」

「あんたは・・・」

 全身から蒸気を発しながらこちらへとゆっくり歩いて来る。

 触れていなくても感じるこの熱さ、なんて濃いエネルギーだ。

「お前が1500か。王から助けに行くよう頼まれてな、随分気に入られているみたいだな」

「王?」

「育成番号1436、俺たちの王様だ」

 まさか現役の救世主に王と呼ばせる実力の持ち主だとは、オレの想像を遥かに超えた存在だ。

「油断しないほうがいい、あのマルクスとかいう奴はおそらくSランクに匹敵するほどの実力の持ち主だ」

「忠告感謝する。だが心配は無用だ。俺より強い相手は後にも先にも王だけだからな」

「お前は対象外だが、邪魔をするなら殺させてもらう」

「俺の名はヴェール・アルキミスタ。この世界で救世主をしている者だ」

「行くぞ」

 マルクスは雷の力を周囲に散漫させると、それら全てをヴェールに向けて放つ。

「遅いな」

 ヴェールは腰に収めていた刀を抜き、雷一つ一つを鮮やかに切ると同時に素早く刃へと絡み付けていく。

「華麗な剣捌きだ」

「褒め言葉どうもありがとう」

 そうしてヴェールは流れるままにマルクスへと強烈な一撃を叩き込んだ。

「クハッ」

 ヴェールの一撃により、マルクスは初めてこの戦いにおいて血を流す。

「ここは任せてA塔へ急いだ方がいい、来る途中の状況からして既に何人やられたのか検討もつかない」

「ああ分かった。ありがとう」

 オレは三峰を連れてマルクスの下から離れることに成功した。

「確認なんだが、お前はクラスメイトの三峰 アリスでいいんだよな?」

「元、だけどね。まさかあんたがこんな施設にいるとは思わなかったよ」

「死んだと思ってたか?」

「正直、あんたを最後屋上で見た時は死んだと思ったけど、その後あんたはどこかに消えた。人がいきなり消えるなんてことが普通ある?あの時は私が見た幻覚だと思うことにしたんだ。だけど、何日経ってもあんたは戻ってこなかった。しまいにはどこか別の世界で生きてるんじゃないかと、そう思った時だった」

 その時、気が付くと見知らぬ部屋に飛ばされ、その場にいた店主によってオレがこの施設で生きていることを知らされたと三峰は語る。

「そこからは地獄だったよ、そこに集めれた人たちが残り三人になるまで殺し合いをさせられたんだからね。だけど私は偶然手にした能力のおかげでなんとか生き残ることができた」

「一体どんな能力を手にしたんだ?」

「私が手にしたのは罪の反射、要するに、私の体を傷付けることを罪としたなら、その罪を与えた相手に全て反射することができるってもの」

 つまりは1488の能力の上位互換だ。

 1488の能力は蓄積したダメージ分を相手に返すというものだったが、三峰の能力は更に回復までついている。

 そしておそらくそれだけには留まらない。

「罪の指定に制限とかは?」

「この力は生き残る手段としてしか使ってないから、そういうのはちょっと分からないな」

 だがオレが知りたいのは能力のことなんかでは決してない。

 これはあくまでも本題を切り出すための前置き。

「三峰、お前はもしかして桜の妹だったりするか?」

「——実はそのことは私から伝えようと思ってたんだけどね。そうだよ、私は桜の双子の妹」

「桜はそのことを知っていたのか?」

「さぁ、どうだろうね。もし、知っていたとしても、あんたには少しでも心配かけたくなかったんだろうね」

 三峰と桜の苗字が異なるのは、おそらく離婚をしたか里子に出されたかのどちらかだろう。

「桜らしいと言えばらしいな。それと、お前と桜の苗字が違うのはどうしてか聞いてもいいか」

「離婚だよ、それで桜は母親、私は父親に引き取られたってわけ、父親は私が中学に上がるタイミングで亡くなっちゃったけどね」

 桜の家族はどこからどう見ても夫婦円満な家庭だった。そんな事情を抱えていたとは小さい頃のオレは思いもしなかったな。

「次にどうしてオレを探してた?お前は桜の家族かもしれないが、オレに固執する理由にはならない」

「あんたたちのことをよく知らない私でも分かる。桜はあんたのことを愛していたんだって、だからあんたには生きてもらわなきゃならない。桜が愛した存在を簡単に死なせるわけにはいかないからね」

「一度も会ったことのない姉のためにどうしてそこまで行動できる?」

「あんたも硬いね、それが家族ってものだからさ」

 容姿も似ていなければ、性格すら似ていない。

 なのにどうして、オレは三峰 アリスに桜の影を見たんだろう。

「・・・家族だからか」

 理屈では説明できないこともある、か。

 まさに今オレは、その理屈ではないもののために生に縋っている最中だ。

「一つ言っておくが、オレは死ぬつもりはない。少なくとも目的を達するまではな」

「その言葉を聞けて安心したよ、このカリキュラムが終わったら私はここから離れる。今のあんたは一人でも大丈夫そうだからね」

「本当にそのためだけにオレに会いに来たのか?」

「さっき説明した通りさ」

「三峰、お前には別の家族がいるかもしれない。だけど本当の家族は誰一人この世に存在しない、オレと同じでな」

「何が言いたいのさ———」

 三峰のだんだんと遅くなる歩調に合わせてオレも足を止める。

「本当は寂しいんじゃないのか?」

 今のオレと三峰は似ているところがある。オレは今、寂しくて寂しくて仕方がない。この寂しさは友情では埋められない、家族の愛情でしか埋められない空虚。

「・・・・・」

 返事が返ってこない。

 三峰は下唇を噛み締め、ゆっくりと頷く。

「オレの目的はもう一度家族に、桜に会うことだ」

「———どういうこと?本当は生きてるの?」

「いや、間違いなくあの時五人はオレの目の前で殺された」

「あんたの言ってることは矛盾してるよ、聞いてられないね」

「オレが何のためにこの施設にいると思う?全て、その目的のためだ」

「詳しく説明しな」

 オレはここ第十五宇宙と似た宇宙である第七宇宙が存在していること、その第七宇宙にはオレたちの家族が生きているということを三峰に伝えた。

「確かに興味深い話だね。だけど、その話が真実だと保証できるの?」

「信じないならそれでも構わない、だけどオレはただひたすら信じる。この希望が、オレの生きる意味になってるんだからな」

「誰も信じないなんて言ってないだろ?それで、第七宇宙に行く条件は一体何なのさ」

「救世主になることだ。オレたち施設の育成対象者は目的はまだ分からないが、救世主になるため育てられている」

 おそらく育成対象者の大半はオレと同じく目的も分からず育成されている。

 分かるとすればSランクへ上がった時か、救世主に選ばれた時だろう。

「なら、許されるなら私も目指してみようかな」

 この殺人カリキュラムの殺人役として招かれた三峰の処遇に関しては主に三パターンに分られる。

 終了次第、日常へと帰されるか、処分されるか、あるいは施設に残る選択肢だ。その場合育成対象者となるかもしくは危険分子として牢屋に収容される可能性がある。

 許されるならとは、育成対象者として認められることを指しているのだろう。三峰もそこら辺の措置は覚悟の上だということだ。

「もしそうなった時、どこまでできるか分からないが、できる限りお前を支える」

「キザだね、あんた」

 そんなつもりは毛ほどもなかったが、そう捉えられてしまったものは仕方がない。

 今まで口を聞いたことすらなかった三峰に対して、オレは強く守りたいという意思が働いている。

 オレにとって桜は、その血縁も大切にしたいと思うほど愛しい存在だということだ。

「とにかく今はA塔に急ごう」

 随分と話し込んでしまったが、先ほどの救世主の言葉から察するにA塔は相当に危険な状況なのは間違いない。

 この胸のざわつき、視界が歪むような感覚は一体何だ?なぜオレの中に焦りが生まれているのか・・・。

 意識では大切な範囲を決めつけているが、無意識のうちに、意識とは違った現象が起きてしまっている。

「くっそ———」

「どうかしたの?」

「悪い三峰、後から来てくれ、オレは先に行く」

 オレは返事も待たずに一目散に全力で駆け出した。

 

 遠目からでも分かる酷い有様だ。

 建物はどれも薄色な分、濃い色が付くと一際目立つ。

 そして所々に炎が飛散している。

 Aランクの実力は相当なものだが、それを凌駕する実力者の仕業だ。状況から、かなり一方的にやられているのが伺える。

「ふっふっふ、ざっと十人といったところですかねぇ、残りの人たちには逃げられてしまいました」

「勝手に殺すな!まだ終わってねーぞ!」

「そうね、流石に心外だわ」

「おやおやしぶといですねぇ、地獄を見る前にいってしまったほうが楽だと思うのですが」

 あいつは確か、育成番号1438、つい先日牢屋から解放された奴だ。

 天哉と蘭は外傷は多少酷いがまだ生きてはいる。だが消耗の差が歴然だ、同じランク帯でもここまで差があるのか。

「では今度こそ息の根を止めて差し上げましょう。さようなら」

 1438が血で染まった手を二人へと振りかざそうとした瞬間、オレは再びマルクスの人格を使用してその雷のエネルギーによって一瞬にして1438の真横を陣取る。

「退場してもらおう」

 オレの光速に繰り出した拳が1438の目と鼻の先へと横切る。

「貴方ですか、何です?復讐がお望みですか?」

 まさか今の一撃を交わすとは流石に思いもしなかった。

 これは思いのほかしんどい戦いになりそうだ。

「あいにくそんなつもりはない。二人は生きてるし、復讐なんかに時間を使ってる暇はない」

「おっと?私が貴方がその二人の復讐を望んでいると思っているとでもお思いですか?」

 何だかややこしい言い回しだが、要するにこいつは、オレがこの二人のために復讐するとは思っていないということだ。

「何を言ってる?」

「なるほど、どうやら貴方にとって私は初めましてのようですねぇ」

「この前会ったのをもう忘れたのかよ」

「いいえ、貴方こそ私との初めましてを本当に忘れている、いえ、分かっていないようですねぇ」

 初めましてを忘れている?

 まるでオレと以前に会ったことがあるような口ぶりだ。

 だけどいくら記憶を掘り漁ろうとこんな奴に会った覚えはない。すれ違った程度の話でないことは確実だ。

「少々興が削がれました。復讐が目的でないのなら、貴方に用はありません。とりあえずは外部の方達と合流するとしましょうか」

「ここまでして逃げるのか?」

「ふっふ、貴方にはそう映りますか。まぁいいでしょう。今回は大切な人が無事で何よりですね、ふっふっふっふっふ」

「待て——お前は一体誰だ?」

 オレの直感が目の前のこいつを無視するなと警告している。

「今の発言、オレの過去のことを言っているのか?なぜお前がオレの過去を知っている?」

「質問が多いですねぇ、私は先を急ぎますので失礼しますよ」

「待て!」

 マルクスの人格でも見失う速さで、1438はオレの目の前から姿を消した。

 オレ自身、マルクスの人格の力をまだまだ引き出せてはいないのは事実だが、こうも容易く見失ってしまうとは今のオレではまだ実力不足だ。

 一先ずは安全な場所に移動するか。

「酷い有様だね」

「随分遅かったな」

「あんたが速すぎるのさ、それで、殺人役の姿が見えないけど、どこへ行ったの?」

「おそらくマルクスのとこだろうな、あっちは救世主がいるから心配ないだろう」

 オレと三峰は、天哉と蘭を連れてピラミッド状の建物の付近へと移動した。

 どこで被害が起きているか判断できないこの状況で、最も安全だと判断したのが1436がいるこの建物だったからだ。

「助かったぜ天月、虚勢を張ってたがかなりやばかったからな」

「後少し来てくれるのが遅ければ、私と天哉は殺されていたわ」

「今回は運が良かった、オレがいても勝てていたか怪しかったからな」

「それでも、来てくれた時すげぇ嬉しかったぜ、ありがとな!」

「ありがとう、影宮くん」

 悪い気は、しないな。

 感謝なんてする側にもされる側にも回ることはない、自分には縁遠いことだとばかり思ってきた。

 この施設に来てからは、止まっていた時間が動き出した・・・そんな感じがする。

「それで、そちらの女性は一体誰なんだ?」

 天哉は興味津々な様子で三峰をじっと見つめる。

「彼女はオレの大切な人の妹だ。事情は色々厄介だから聞かないでくれ」

「おい、ちょっ、お前こっち来い」

 何やら天哉に肩を組まれると、蘭と三峰から多少距離を取り始める。

「何だよ?」

「まぁなんだ、この施設にも容姿が整っている奴もかなりいるが、次第に見慣れちまうもんなのさ———そんな俺の下にあんな可愛い女子を連れてくるなんて、お前も隅に置けない奴だぜ」

「別にオレが連れてきたわけじゃない」

「そんなもんなんだっていいけどよぉ、彼女の番号は?いつからこの施設にいるんだ?紹介してくれよ、俺たち友達だろ?」

 ここはそういう感情が禁止されている場ではないが、場違い感が否めない。

「三峰は育成対象者じゃない、そうなるかもしれないって段階だ。そもそもオレの時みたく、一堂に会するカリキュラムが開かれてないだろ」

「あんなもん、特別に決まってんだろ」

「は?」

「天月、お前何も知らなかったのかよ、俺たちも詳しく聞いたわけじゃないんだが、施設の管理者直々に1500番を育成対象者全員で迎えるように指示されたんだ」

 それは初耳だ。

 思い返してみれば、1501、1502と、オレに続いて二人もの育成対象者が送り込まれているのにも関わらず、一度もそれらしきカリキュラムが開かれた記憶がない。

「そんなことよりよ、育成対象者じゃないってどういう・・・まさか」

「このカリキュラムの殺人役の一人だ」

「おいおい冗談じゃねーぞ!なんでそんな奴とつるんでるんだ」

 ものすごい手のひら返しだな。

 まぁ散々その殺人役に痛めつけられた後なら、この反応は仕方のないものだ。

「何をそんなに騒いでいるの?」

「そいつから離れろ蘭」

「落ち着きなさい天哉」

「早く離れろ!そいつはこの殺人カリキュラムの殺人役だ、何を考えてここにいやがるんだ」

 天哉は蘭の言葉が耳に届かないほどに興奮してしまっている。

 既に何を言っても通じなさそうだ。

「さっき、この子の口から直接聞いたわ」

 そう思ったが、天哉は間抜けな顔を維持した状態で少しの間静止する。

「聞いた?」

「聞いたわ」

「直接?」

「ええ、直接ね」

「それを聞いて何も思わなかったのか?そいつは俺たちのことを殺すためにここにいるんだぜ?」

「悪いな、しっかりと説明するべきだった」

 オレは改めて二人に三峰のことをこちらの事情を抜きにして、ただ三峰がオレに会いたくて殺人役になったことを伝える。

 言葉足らずだが、嘘ではない。

 蘭と天哉は煮え切らない表情を終始浮かべていたが、三峰が味方であることは理解してもらえたからよしとしよう。

「なぁ一つ質問なんだけどよぉ、その、三峰さんは、天月のことが好きってことか?」

「どうだろうね、はっきりと意識してるわけじゃないけど、もしかしたらそうなのかもしれないね」

 先程のお返しと言いたげな表情をこちらへと向けてくる。

「それは光栄なことだな」

「んだよその反応、お前そんなんじゃ女子にモテねーぞ」

「おそらくだけど、天哉よりはモテるはずだ」

 何にせよこの施設では関係のないこと、この会話は一時の安らぎのためのもの。

「お前、何てこと———」

 その瞬間、ピラミッド状の建物へとものすごい勢いで何かが激突した。

 その衝撃音で、天哉の言葉がかき消される。

「何だ?」

 あの特徴的な地面スレスレまで長く伸びきった髪に血で染まった両腕、1438だ。

 状況から、何者かによってここまで飛ばされて来たと考えるのが妥当だ。

 そしておそらくその相手は・・・。

「ふぅ————全く、骨が折れるな」

 流石は救世主だ。一対一、いや一対二の戦闘を繰り広げている。

「がら空きだ」

「おっと危ない、油断ならない奴だ」

「お前が救世主だとしても俺には関係のないことだ。人の殺し方はこの世で俺が一番詳しい」

「私のことも忘れないでくださいね!」

 マルクス、1438、救世主の三名は、宙に浮いた状態で素早く攻防戦を繰り広げている。

 一見、拮抗しているかに思えるこの戦いは、マルクスと1438が押しているように見える。

「くっ、少しまずいな」

「死ね」

 マルクスは救世主の首筋へと、周囲にものすごく雷を散乱させながら蹴りを喰らわす。

「カッ」

「では、私も」

 次に1438がみぞおちに拳を捻り込もうとするが、危うく刀で防ぐことに成功する。

「まさか、ここまで押されることになるとは思いもしなかったな。俺一人では少々荷が重いか」

 オレたち育成対象者は、人を殺める力を手にするが、殺人に特化した訓練をしているわけではない。

 しかし、あの二人は違う。

 マルクスはおそらく暗殺のプロ、直接戦った際、相手の生死を繊細に操るような攻撃を仕掛けてきていた。そして1438は考えるまでもなく、殺人鬼の類いだ。

 つまり、いくら救世主と言えど、暗殺に特化した敵二人を相手にするのは分が悪い。

 更に言うなら、マルクスという男の立つ次元が救世主にすら届き得る。まるで実力の底が読めないほどに。

 1436に感じる深さと似たような感覚・・・届くのか?育成対象者ではない者が。

「仕方がない、ギアをあげるとしよう」

「何なんだ、お前のその熱さは」

 マルクスはものすごい熱さを纏った救世主に対して最大限の警戒を向ける。

「これが救世主様の実力ですか、1436には劣りますが、素晴らしいですねぇ」

「これは、ついこの間太陽に適応した時の力だ。燃え尽きて灰になれ」

 信じられない熱さを纏った熱風が距離の離れたオレたちにまで襲いかかる。

「アチッ」

「これは何かヤバそうな予感がするわね」

「まさに冗談みたいな力、私たちが持つ力も大概だけど、あれは別格だね」

 蘭と三峰は、二人揃って太陽のように輝きと熱を放つ救世主へと釘付けになっている。

「とりあえず、離れなきゃ巻き込まれちまうぜ、どんどん熱さが増して来てやがる。味方の技で丸焦げとかマジで笑えねぇーぞ、おい」

 次の瞬間、燃えるような熱さとは正反対に空気が冷気を纏ったように冷たくなる。

「斬」

 救世主がそう言い放った直後、宙全体に円を描いた巨大な一撃がみまわれる。

「雪?」

 どういう理屈か分からないが、通常の温度へと戻った施設内に雪が降り始めた。

「ふっふっふ、この私の右腕を持っていくとは、流石の一言ですよ」

 遠目に見える隆起している瓦礫の上に、片腕をなくした1438の姿が見える。

 かなりのダメージと見るが、どうやら息の根は止まっていないようだ。

「ん?何だ?」

 何かが頬に付着する。

「血?」

 宙に雷が走るとともに血液が撒き散らされる。

「あれ?」

 その瞬間、急に視界が歪み始める。

 睡魔が襲って来たとか、マルクスの雷を受けたとかでは決してない。

 何というか言い表すなら貧血に近い感覚だ。

「ちょっと影宮?急にどうしたのさ」

「おい、しっかりしろ天月・・・おい!」

 オレは膝から崩れ落ちると、そのまま地面へと倒れ込んだ。

 

 何だこの感覚は?

 意識を失ったってことはここは夢の中なのか?

 次第に暗闇に包まれていた空間に光が差し始める。

「・・・え?・・・なんで」

 どうしてまた、この夢を見るんだ。

 目の前には幸せな風景が広がっている。

 父さん、母さん、桜と桜の両親。

 この日オレたち六人は、些細なことでオレの家へと集まっていた。

 そしてこの夢にオレはいない、正確には、オレがオレ自身の視界を共有している。

 もうすぐだ、もうすぐあいつがきてしまう・・・何度夢の中で逃げてと叫び願ったか、何度この日が来なかったらと願ったか。

 生きる道を見つけたオレに、この夢はあまりにも酷すぎる。

 もう、願いたくない、見たくない、家族を、失いたくなかった。

 四歳だ、たったの四歳。

 なのにこんなにも強く記憶に焼き付いている、何度も何度も何度も何度も何度も何度も夢に出てくるほどに。

 鍵を閉めていたはずの扉がガチャリと開く。

「いや、だ———-」

 やめてくれ、いくら耳を塞いでも聞こえてくる悲鳴。親しい者の悲鳴、何もできない絶望感。

 今オレは、現実ではほとんど見せることのない涙を浮かべている。

「て・・・ん月、に、げ——て」

「あー、あー、ああああああああああああああああああああああ‼︎」

 

 ぐるりと視界が変わる。

 オレを見つめる幼いオレの姿が見える。

 何か被り物をしているのか視界が良くない。

 目を瞑りたくてもオレの意思はただここにあるだけ。

「あー、たまりませんねぇ」

 聞き覚えのある声、そして口調。

 次の瞬間、更に視界が変わり気が付くと目の前に巨大な白い建物が聳え立っていた。

「開けてください、こんな姿でいつまでも外にいては捕まってしまいますからねぇ」

 ゆっくりと目の前の扉が開かれると、そこには見慣れた景色が広がっていた。

「オカエリナサイ、1438」

 オレの思考は一瞬にして静止する。

「きゃあー!」

「や、やめろー!」

 次第にそこら中で悲鳴が上がり始める。

『1438、私はこんなことは命令していない。今すぐやめるんだ。聞いているのか、1438』

「ふっふっふ、いい気味ですよぉ」

 意識がだんだん遠ざかると視界がショートし、目が覚める。

「おい、大丈夫かよ天月」

「流石に今の倒れ方はおかしかったわ、少し休んだ方がいいわね」

「影宮、あんたどこ見てんの?」

 なにかオレに話しかける声のようなものが聞こえる気がするが、そんなこと後回しだ。

 復讐なんてどうでもいいと思っていた。

 人間の仕組みは面白い、何がいつ、どんな形で何のトリガーになるのか分からない。

「殺してやるよ、1438」

「おい、天月!」

 オレはマルクスの人格を使用して、その雷の力で一気に加速する。

「オレを見ろ‼︎新庄———!」

「おや?その名で呼ばれたのは久しぶりですねぇ、その様子だと、私のことを思い出してくれた様子。ですが、名前まで教えた記憶はありませんが、まぁいいでしょう。影宮 天月さん」

 オレは思い切り1438の首を掴むと地面へと叩きつけ、そのまま馬乗りになる。

「ふっふっふ、激情に駆られるまま——-ッ、私に——ッ拳を振るう貴方のその表情———カッ・・・ぺッ、とても素敵な復讐心ですよぉ。貴方を生かした私の判断は正解でした」

「——黙れ」

「貴方はきっと、私へとその復讐心を向けてくれると信じていました。私がまだ牢屋に閉じ込められていた時、管理者からかつて私が生かした少年、影宮 天月が施設に送り込まれてくることを聞かされた時の私の感情が貴方には理解できますか?」

 こいつは・・・異常だ。

 だが、オレの復讐心を駆り立てることが目的だったのなら、望み通りこの感情でお前を消してやる。

「お前のせいで、お前のせいで!」

「醜いほどに美しぃ、一度してみたかったんですよ、両者恐れのない、ただただ死と隣り合わせの極限の命のやりとりというものを」

 オレは機械のように同じ動きを繰り返して、1438を殴り続ける。

 拳には憎き相手の血液が大量に付着し、同時に多少の高揚感を感じ始める。

「いい表情です。サンドバッグの役目はこの辺でいいでしょう。今のは私からの心ばかりのプレゼントです。ここからは生死をかけた戦いといきましょうか」

「上等だ」

「行きますよ」

 オレたち二人はお互いに初手の一撃を繰り出す。

 オレの膝は崩れ落ち、1438の前に座り込む。

「いやいや、がっかりさせないでくださいよ!何ですかその有様は、クズですか貴方は」

 足に力が入らないどころか、まともに能力が使えなくなってしまっている。

「体力切れですか、せっかく面白くなりそうでしたのにガッカリです。世の中には三度目の正直という言葉がありますが、三度目はないという考えも多く存在します。残念でなりませんね、ですが楽しみは1436だけで我慢するとしましょう」

 1438はオレの首を掴むと、ものすごい力で握り絞める。

「カッ——アッ」

 育成番号1438、本名「新庄 黒妖」、能力は「ヴァンプ」血液を浴びるほど強くなるというもの。

 吐き気がして仕方がない、オレの大切な人たちはこんな奴の糧にされたのか。

 取り返してやる。

 死ねない、こんなところで絶対死んでたまるか。

「カッ」

 いっそう首を絞める力が強くなる。

「オレは・・・しね・・ない」

「君は死なない」

「貴方は————」

 1436がオレの目の前へと突如姿を現し、1438の手首を握り潰す。

「おッ、と、これは手厚い挨拶ですねぇ」

「1500は君が殺せる存在じゃないよ」

「何を言っているんです。現に今貴方が邪魔をしなければ私が———」

「うるさい」

 何が起きたのかは見えなかったが、気が付けば1438が地面へと倒れ込んでいた。

「少しの間、カリキュラムの様子を見ていたけど、やっぱりまだ弱いね。この前よりは強くなったけど、この戦いを終わらせる力を今の君は持っていない。俺なら終わらせられる、だからそこで見てて」

 そう言って1436はオレの前から姿を消した。

 

「ふぅ、随分としぶとい奴だな、まさかここまで俺と渡り合えるとは思いもしなかった。暗殺の技術だけじゃない、俺の適応力への対応を見せる無限とも言える変幻自在の戦闘スタイル、なるほどな、紛れもなく天才だ」

「だが、この傷ではお前に少し分がある。負ける気など毛頭ないがな」

 救世主ヴェールの能力「適応力」は、あらゆる環境へと適応する過程で傷を癒すことはできても消耗した体力が回復するわけではない。

 しかし両者満身創痍だというのに、以前余裕を崩さないのは己が培って来た経験によるところが大きい。

 しかし、絶対的な力というものはその者の生きて来た結晶を、最も容易く打ち砕く。

「ヴェール、後は俺がやるからもういいよ」

「王、流石にその割り込みは認められないな」

「お前は確か、資料にあった唯一のSランク育成対象者。なるほどな、このタイミングでラスボス登場というわけか」

 マルクスは自身を鼓舞するかのような威嚇にも似た笑みを浮かべ、より一層神経を研ぎ澄ます。

「悪いが今いいところなんだ。王はそこで見ていてくれ」

「外の世界は君を変えてしまった」

「何を言っている———-ッ!」

 次の瞬間、三六〇度全ての角度から生じる圧力がヴェールを襲う。

「これは⁉︎くっ」

「施設にいた頃は何でも言うことを聞いてくれたのに、残念」

「くっ・・・あっ」

 徐々に圧力が増し、ヴェールの腕の関節がおかしな方向へと向き始める。

「・・・分かった、だから今すぐ、この力を解いてくれないか?」

「次はないからね」

「はーはー、感謝する。悪いな俺はまだ死にたくはない、観戦させてもらうとしよう」

 ヴェールがマルクスとの戦いを放棄することへの謝罪の意を示す。

「育成番号1436、今のがお前の全力というわけではないだろう。先程まで俺と互角以上の戦いを繰り広げていた男をいとも容易く降伏させたその強さ、凄まじいな」

「君は今のが凄いと思うんだね。だけど俺は思わない。だから君は俺には勝てない」

 物事においてレベルが上昇していくにつれ、以前の自分の未熟さを身を持って学ぶことができる。

 それが成長というものだ。

 しかし1436は何も感じない。

 喜びも怒りも哀しみも楽しさも、その全てをあらゆる面で感じることはない。

 それは、感情が動く成長のレベルを遠に超えたこと、強さへの障害となる感情は余計だと判断したことによる影響。

 彼は生まれた時から施設で暮らし、まだたったの十三歳、施設の外に出れるのは五年後の十八歳の頃。

 施設の管理者にとって1436は予期しない黄金の果実であると同時に、危険視する存在でもある。

「お前ほどの実力者に殺されるのならば、ここはいい死に場所になるかもしれんな」

「君が俺に勝つことはない。これは真実、だけどただでやられるつもりもないよね?」

「その通りだ、俺はこれまでの人生に誇りを持って最後まで命を全うするつもりだ」

 マルクスは青く輝く液体が収められている円柱状の物をコートから取り出す。

「途中、様々なアクシデントが起きたが流れは計画通りだ」

 そう言うと、マルクスは自身の頸動脈へと物体を突き刺し液体を流し込む。

「くあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 ものすごい叫び声が、密閉された施設全体に響き渡る。

 徐々に全身の血管が浮き彫りとなり、外から分かるほどに肌が青白く染まっていく。

 眼球は白目をむき、先程のマルクスとは全くの別人へと変わり果てる。

「正直1436、お前の情報は資料に載っていたが、一人だけ暗殺対象外だった。だが俺は施設の管理者に一つあることを頼まれた。それは、1436の今の実力を確かめること」

「確かに王は長いことその実力を発揮する機会が減っているのは事実だ。管理者側もたったの十三歳の少年がこれほどまでの完成体に仕上がるとは思いもしなかったんだろう。だがお前に王の実力の一部すら引き出せるとは到底思えないが」

「お前も救世主なら聞き覚えがあるだろう、エターナルという言葉に」

 エターナルという単語を聞いた瞬間、ヴェールの血の気が引いていく。

「当たり前だ。俺たち育成対象者はエターナルに対抗するために育てられているのだからな」

「今打ち込んだのはエターナルの力なの?」

「王?」

「流石がの頭の回転速度だ。管理者の話によれば、打ち込んだ液体は、エターナルの成分そのものだと言っていた。それに使用すれば死ぬともな」

 つまりマルクスは元々死を提示させられた上で、この殺人カリキュラムの仕事を請け負ったということ。

「始めは命令とはいえ、使う気など毛頭なかったが、これほどまでに素晴らしい死に場所が用意されているのならその気も変わる」

 ベリー・マルクスという男は、世界一の暗殺者。

 それは自称でもあり、真実でもある。

 男は仕事を断らない、命じられた暗殺は一〇〇%確実に完了してみせる。

 今回の殺人カリキュラムにおいても同じこと、マルクスの暗殺スタンスにおいて仕事を断る理由など存在しない、例え自らの命がかかっていたとしても。

 生と死は常に隣り合わせだ。

 マルクスは失敗しないため常に生を選び、他人に死を与えて来た。

 いつしかこう思うようになった『死への喜びを知りたい』と。

 天月はマルクスと1438の殺人に求める感情を、同類だと思ったことだろう。

 しかし、別物。

 1438はただ殺しを楽しむための追求をしているだけであり、マルクスは自身の死を、いかに素晴らしく飾れるかを探っている。

 マルクスはようやく見つけた、最高の死に場所、圧倒的力の前に崩れ去る喜びを。

「どいてヴェール」

 1436の纏う空気の流れの変化を感じ取ったヴェールは、素早く距離を取る。

「ここが俺の終着点だ!」

 マルクスは全身に雷を纏うことで、自身がとてつもない光を放つ光源と化す。

 マルクスが通った道は地面が捲れ上がり、圧巻の速さで1436の腹部へと強烈な拳を捻り込む。

「・・・」

 1436の体は角度のキツイくの字となり、足が地面から離れて宙へと浮く。

「あの威力の攻撃をもろにくらうか、王といえど生身でくらえばただでは済まない」

 そう話すヴェールの表情には、一切の不安が見られない。

 信用から来る言葉かあるいは、仲間だが、多少のダメージは負ってほしい、そんな意味の言葉だろうか。

「君の攻撃は俺に当たってない」

 1436は攻撃が当たる直前でマルクスの手首を掴んで攻撃を止めて見せた。

 神技どころの話では済まされない。

「全く、恐ろしい男だな」

 ヴェールも救世主であり、元は1436と同じSランクだがしかし、この光景を目前にするとヴェールが可愛く見えてしまう不可解な現象へと陥る。

「じゃあね」

 そう1436が発した直後、殺人カリキュラムで生じた被害などかき消すように、前方へアトゥラ・ゼトゥスから施設の端まで届き得る巨大な砂埃が勢いよく発生し、施設の端へと何かが激突した。

「ゴフッ、まさか一撃とはな」

 マルクスの胴体中央に大きく円状の穴が開いている。

 1436の実力を、愚かにも外部の人間で測ろうとした管理者側の考えの甘さ、それをたったの一撃で思い知らせた脅威の実力。

「殺すつもりで打ったんだけど、まだ生きていられるんだ」

 飛ばしたマルクスの下へと一瞬にして姿を見せる1436。

「能力や救世主など、その全てが人智を超えていると思っていたんだがな・・・お前のそれは、人が手にするべきではない次元にまで達している。世界など、一瞬にして滅ぼせるだろう」

「俺たちは世界を護るために作られている」

「人間の感情を理解していないな」

「俺は感情が分からない、理解する必要もない。そろそろ息の根を止める」

「ああ、やってくれ・・・」

 マルクスは目を瞑り、脱力状態で頭を壁に寄り掛からせる。

「待ってくれ1436、そいつのトドメはオレにやらせて欲しい」

「1500、嫌だと言ったら?いくら君の頼みでも君を消すことになる」

 1436の忠告とも取れる発言を聞いてもなお、天月は歩みを止めようとしない。

「1436、オレは今すぐにでも強さを得なくちゃいけないんだ。そのためにはそいつの血液が欲しい」

「君の限界は俺に届くの?」

「さぁな、だけどその可能性はあると思ってる」

「それなら君に譲るよ」

 今の天月の発言は、1436との一戦の影を落とし込むものとも取れるが、天月本人の目的においてそれは愚策。

 しかし、天月の成長にとって、この交渉は勝ち取らなければならないもの。例え矛盾が生じようとも。

「任務を完遂できなかったのは、これが初めてだ・・・だが今は、喜びを感じている、トドメを刺せ」

「では、さようなら」

 天月はマルクスの願い通りトドメを刺した後、その血を全身に浴びる。

 人格ガチャで得た、1438のヴァンプの力を使うため。

 直後天月は、嘔吐した。

 サイコパス、そう取られても仕方のない行為だが、憎む相手の能力を使い、屈辱的な行為に及んだとしても、何としてでも自身の目的を成し遂げるという強い意思の表れ。

 憎むべき相手を見つけたことによる理性におけるリミッターの一時的解除。

「俺が興味を抱く人間は、君が初めてだよ1500」

「はぁはぁ、光栄だと受け取っとくよ」

 直後、施設全体に放送が入る。

『以上をもって殺人カリキュラムを終了する。カリキュラムで発生した被害の処理を行うため育成対象者全員は、これより各塔一階床の扉から地下の予備施設へと移動するように』

「そんなところがあるんだ」

「知らなかったのか?」

「うん、殺人カリキュラムが開かれたのも俺がいる間は初めて。だけどただそれだけ、知らないなら学べばいい、俺たちは育成される側だから」

 1436は天月を少しの間見つめた後、背を向ける。

「俺は先に行く」

 そう言って天月の前から静かに一瞬で姿を消した。

『覚えておけ1500』

 命尽きたはずのマルクスの声が天月の耳元で囁かれる。

『尊い命が尊く散れると思うな、儚い命が儚く散れると思うな。命の価値は常に右往左往している。それが世の常、心理だ』

「一体何を・・・」

『お前が一体何を求めているのか知らないが、この世に価値どおりの死を迎えられる命など一つもない。お前の選択が愚かな道を行かないよう気を付けることだ』

 幻覚、そんな類いではない。

 一方的だが、その言葉はしっかりと天月の耳に届いた。

 世界の原理は時に信じ難い現実が起こり得るもの。

 ただそれは人間が世界の、それ以上の広さを知らないだけのこと、言い換えれば外の世界には可能性の宝庫が広がっている。

 殺人カリキュラム・・・時間にして約一時間に満たない出来事。

 しかし、DランクはおろかCランクの育成対象者が全滅、BランクとAランクも多少の死者と重症者を出す結果となった。

 今後更に物語は激化していく。

 天月はこの先、一体どれだけの可能性を広げていけるのか。

 

 このような結果は予期できなかった。

 まさか殺人カリキュラム進行中に現救世主「ヴェール・アルキミスタ」の突然の訪問に、カリキュラム参加、1436の圧倒的な強さによる正確な実力測定の失敗。

 当初私の思い描いた殺人カリキュラムの目的は、遊び心も多少混じっていたのは認めるが、育成対象者の線引きをして活性化を促すこと、そして1436の現段階の比較的正確な実力測定にあった。

 まぁけれど、後者に関してはそれ程救世主になった時、頼りになる存在だということだ。

 前者に関してはたった一つだけの成果に満足しておこう、無いよりはまし。

 育成番号1500、影宮 天月。奴が気に入るだけのことはある、それにもしかしたら届き得るかもしれない。

 育成番号1436、私が名を与えた人の子。

 その名は現人神、かつて全ての世界の創造主であった神から取った名。私たちの想像を唯一超える存在であることから、神の生まれ変わりという意味を込めてそう名付けた。

 1500は1436に届き得る可能性を秘めている、それが分かっただけでもカリキュラムを行った意味があったというものだ。

 

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