インフィニティ

融合

前編

 第十五番目の地球という惑星にはこんな言葉がある。

「棚から落ちた達磨」

 意味合いは多少違えど、まるで私たちに贈られている言葉のようだった。

 だが、私たちはそのような達磨になりはしない。

 管理する側である私たちが、する側でなくなることなど決してありえない。

 そしてそれは私たちの欲望であると同時に、お前たち人間へ差し伸べられた救いなのだ。

 この世界に来て二九〇年が経過した・・・後、十年か。

 後十年で、一体どれだけの救世主を育成できるのか。

 まったく、たかがパーツ如きに頼ることになろうとは皮肉なものだな。

 この計画が失敗すれば、すべての宇宙に存在する生命体はおろか、私たち管理者の存在理由も消えてなくなる。

 だというのに何だこれは、死を代償とする生の楽しさがこれほどまでだとは人間の心理を見た気分だ。

 なるほど、私たちはあらゆる意味で管理者失格か。

 

 

 毎日同じ夢の繰り返し、もう何十、何百、何千回目だろうか。

 俺がまだ幼い頃、顔の見えない何者かに目の前で家族全員が惨殺されたあの時の景色が、頭にこびりついて離れない。

 悪夢はやがて日常となり、心すら乱れなくなる。

 復讐?そんなことに何の意味がある。

 今のオレにはそんな気力も、生きる意味さえもない。

 あ〜そうだ。このまま生きていたところで何の意味もない、むしろここまで生に縋った俺自身に誇りさえ感じる。

 オレ、影宮 天月 十四歳。

 もう見ることのない景色を目に焼き付けるかのように教室から窓の外をひたすらに見つめる。

「行くか」

 ボソッと呟いた俺の言葉は近くの席に座る生徒にすら届かないほど小さい。

「先生」

 オレはゆるりと手を挙げ、授業を一時中断させる。

「どうした影宮」

「少しお腹が痛いのでトイレに行ってきてもいいですか?」

「いいぞ」

 俺は何の違和感すら与えずにゆっくりと席を立ちそのまま廊下へと出る。

 だけど向かう先はトイレじゃない、屋上だ。

「鍵かかってる」

 職員室に鍵を取りに行く必要はない。

 オレは階段に置いてあった椅子を両手に持ち、施錠されている扉のガラスを割る。

 扉は全身ガラス張りでできているためそこから容易に屋上へと出ることができた。

 おそらく音に気が付いた教師が様子を見に来ることだろう。

 だけど関係のないことだ。

 だってオレは今から————。

 オレは屋上を覆うフェンスを超え、直で真下の地面が見える位置に足を置く。

 天国や地獄など本当に死後の世界は存在するのだろうか、答えは分からない。

 あったらいいとそう思う。そうすればまた家族に会えるし、なくてもこの意味のない生を終わらせられる。

 命なんて安い代償だ。

 オレは全身を空中へと投げ出し飛び降りる。

「影宮‼︎」

 瞬間背後から声がして振り返ると一人の女子生徒の姿が見えた。

 幼き幸せな日々が蘇る。

 毎日のように幼馴染の少女と公園やお互いの家で遊び、その様子を親たちが微笑ましく笑いかけているあの頃の日々。

 かくれんぼをやると、決まってあいつはオレを見つける、エスパーかと思わせられるくらいに勝てたことなどない。

 教師を差し置き一番最初にオレのいる屋上に現れたのは隣の席の三峰 アリス。

 一瞬あいつと重なって見えたのはきっと気のせいだろう。

 本当のあいつはもういない。そして俺ももうすぐいなくなる。

 オレは落ちていく最中変わらず授業を受ける生徒の姿を捉える。

 散々オレを惨めに見ていた、時には虐めてきた連中が今では逆に惨めに、そして可哀想にすら思う。この先後何年、あいつらはこんなにも意味のない生に縛られ続けるのか。可哀想で仕方がない。

 地上が目と鼻の先に見えたところでそっと目を瞑る。

 じゃあな、最高の家族を産んでくれたクソみたいな世界。

「やぁ、よく来たね次世代の救世主君」

 空間に響く高らかな男の声が聞こえて静かに目を開ける。

 そこには一帯に見たこともない美術品や古道具が積み上げられていて多少の埃っぽさを纏っている。

 俗に言う骨董屋というものだろうか。

 いやそんなことはどうでもいい。

「オレを呼んだのはお前か?」

「ボクじゃないさ」

「どうして邪魔したんだ、あと少しで・・・」

「だからボクは何もしていないさ、君の方からこの店に来たんだぜ」

 そんなはずがない。オレは屋上から飛び降りて自殺を図ったのだから。

 まぁもう一度やり直せば済む話だ。一度の勇気を無駄にされたのは癪だが、ただそれだけのこと。

 オレは黙って立ち上がると店の扉に手をかける。

「行くのかい?」

「ああ」

「死ぬことに何の意味があるというんだい?」

「逆に生きることに何の意味がある?」

「ボクには決められた存在理由があるが、君には確かにないのかもしれないね」

「じゃあ」

 オレは再び扉に手をかける。

「家族にもう一度会いたくはないのかい?」

 聞き捨てならない言葉がオレの耳に届く。

「どういう———」

「君は運命に選ばれたのさ、今ここで死ぬ選択を再び取れば君はその可能性を捨てることになる。それでも構わないのかな?」

「どういうことだ」

 オレはかけていた手を扉からはずし、重たい足取りで話す奴の下へと近づく。

「今ここであれこれ説明したところで君には到底理解できないだろう。だから君にとって重要なことだけを伝える」

 誰かの話に耳を傾けたのは何年ぶりだろう。家族を失い悪夢をひたすらに見るようになってからは虐めさえどうでもよくなり、人の話もまともに聞いたことがなかった。

「君は救世主候補として選ばれた選ばれし者、これからボクが与える力を使い育成施設で救世主と認められたあかつきには、今は二九ある宇宙の内のどれか一つへと送り込まれる」

「それとさっきの話がどう繋がるんだよ」

「ここ第十五宇宙とは双子のような世界がどこかの宇宙には存在している。また会えるかもしれないよ、君の家族に」

 それ以上の情報をシャットダウンするかのように頭の中が真っ白になる。

「本当に・・・本当なのか?」

「ボクは嘘はつかないぜ、どうだい?少しやる気が出てきただろ」

 もう一度会えるというのなら、悪魔にでも魂を売ってやる。

「さっき言った言葉は取り消す」

「生きる意味を問いたことかな?」

「死ぬ理由ならいくらでも見つかる、だけど、せっかく芽生えた生きる意味に少し縋ってみたくなった」

「そうか、そうか!君がいつか救世主になれることを、家族に再び会えることを願っているよ!」

 何者かも分からないそいつは両手をいっぱいに広げて高らかに笑う。

「これが君の力だ」

 次の瞬間、店内に置いてある商品全てが洗濯機にかけられる衣類のように周囲を回り始める。

 次第にオレの体は全身が光で覆われ、数秒して全ての現象が止む。

「力の名称は『人格ガチャ』、これで悪夢は見なくて済むはずさ」

 特に見た目、感覚に変化は感じられない。

 今のが夢だったのでないかと錯覚してしまうほどに。

「これから君を施設へと送る、そこで存分に育成されるといい。施設を単純に、施設と呼んでもいいが、ボクたちは、管理者だった頃の名称をそのまま施設の名とした。施設の名は『インフィニティ』、できればそう呼んで欲しい」

 インフィニティ、どこか大袈裟な名称だが、ボクたちということはコイツ自身の名前ではないということ。

「お前の名前は何ていうんだ?」

「ボクたちは総じた名しか授けられていない。そうだな〜普通に店主と、そう呼んでくれ」

 その後オレは地下にある部屋へと案内され、何やら薄暗い通路を見せられる。

「道に沿ってただまっすぐ進むだけでいい、そうすれば施設へと辿り着ける。ここから先、進むかどうかは君次第だ。止めるならまだ間に合う」

 オレは一言も発せずに薄暗い通路へと足を踏み入れる。

「前しか見えてない、か、最後に一ついいことを教えてあげよう。君が目指すべきは第七宇宙だ、それでは健闘を祈る」

 店主はそう言い残し扉が閉まると、真っ暗な闇に包まれた。

 

 もう何時間、何日、どのくらいの間この暗闇を黙々と歩いてきただろうか。

 進めば進むほど闇に浸かるかのように一向に目は慣れない暗闇のまま。

 だけど次第に隙間から差し込む光の存在が見えてきた。

「着いたのか?」

 そう思い、オレは光の元へと手を伸ばす。

 するとオレの存在を待っていたかのように目の前の扉は開かれ、眩しい光が眼球を刺した。

「よく来た、貴方は施設インフィニティの1500番目の救世主候補者だ。以後、1500と呼ばせてもらう」

 女性の声が響き渡るその室内は真っ白な天井・壁・床で覆われた無機質な隔離空間のよう。

「食事はおろか水分すら補給できずに限界に近い状態であることは承知の上でこれから一つのテストに挑んでもらいたい」

 テストという単語が微かにオレの耳に届いた直後、部屋全体が暗闇に包まれると同時に体に多少の重圧がのしかかる。

「っ⁉︎」

「地面に紫色の線で円が描かれていると思う。円の総距離は四〇〇メートル、地球で使用されている陸上競技のトラック一周分と同等だ」

 暗闇に浮かぶ大きな紫色の円がどこか不気味さを彷彿とさせる。

「その上を走れと?」

「その通り、現在重くもなく、軽くもない心地の悪い重圧の負荷を感じていると思うが、これからその重圧と暗闇の中、ただひたすらに体力が尽きるまで紫色の円を頼りにその上を走り続けてもらう」

 つまり、終えられる条件は意識損失。

 何とも鬼畜な条件だ。最初がこれではこの先が思いやられる。

 だけどオレにはそれら全てをこなさなければならない理由がある。

「分かった」

「1500は聞き分けが良くて助かる。では開始だ、私との会話終了後、ベルの音が響き渡る。その音が完璧に止んだらスタートだ」

 そうして見えない相手との会話は終了した一分ほど後に二回ほど大きな鈴の音が室内に鳴り響く。

「鳥肌が立つな」

 音が完全に鳴り終えたことを確認して走り出す。

 既にオレの体は何日も歩き続けたことで悲鳴を上げているため、おそらくここでの走距離は歩いた距離には及ばないだろう。

 だけど、キツさで言ったら断然テストの方なのは間違いない。

 都度、吐き気と目眩に襲われながら、永遠と紫色の線を見つめて足を回転させ続けなくてはならない。一体これに何の意味があるのか、今は考えても分かりはしない。無駄なエネルギーを消費してしまうだけだ。

 そんな中で唯一はっきり言えることは、できるだけ走り続けた方がいいということ、これはテスト、つまり距離を稼げば稼ぐだけ何かしらの場面に有利に働くということだ。

 オレはその後どのくらい走り続けたのかは分からないが気を失った。

 その日オレは夢を見た。

 それは悪夢ではなく、陸上競技種目の一つ「10000メートル走」の夢。汗を流した険しい表情の男たちが息を切らせて争い合う映像、そしてその中でもぶっちぎりな走りを見せていた男に映像の焦点が向けられたところで目が覚める。

「目が覚めたようだな」

 先程聞いた女性の声が聞こえ、体を起こすとオレはまだ真っ白な無機質な空間の中にいた。

「1500が今回走った距離は僅かに五キロ、正直言って育成対象にすらならないレベルだ。よって次が最後のチャンスだ、もしこれでも基準を越えられないようならばその時点で脱落してもらう」

「なっ、あの時は状態も良くなかった」

「だから何だ、基準を越えられない者を育成する余裕はない。このテストで脱落する者はそう珍しくはない、過去にも多くが脱落していった。そして基準を越えられた者だけがこの先の領域に足を踏み入れることが許される」

 オレは現段階ではこいつにとってはいらない存在。

 特にその点に関して思うことはないが、血反吐を吐いてでもこの先の領域へと踏み入ってやる。

「オレは次どうしたらいい?さっきと同じ状態じゃない以上、基準も当然違うだろ?」

「頭の方は中々みたいだ。今回、1500は三〇分以内に十キロを走り終えろ、それが条件だ」

 十キロを三〇分以内か、確か記憶が正しければ世界記録が二六、七分。

 ましてや多少の重圧の中で行われるため、今のオレには高すぎる条件だ。いや、例え万全の状態でも無謀に近い。

 できるできないで片付けるわけにはいかない。

 おそらくオレは脱落すれば再び死の選択をするだろう。だけどそう易々と運命に命をやりたくはなくなった。

「早く始めてくれ」

 部屋が暗くなり重圧がのしかかると、すぐさま鈴が鳴る。

 そうして再び鳴り止むのを確認した後走り始める。

 瞬間、頭の中に夢で登場した圧倒的な走りを見せていた人物の映像がフラッシュバックする。

 思い出した、この男は陸上競技10000メートル世界記録保持者「リーマス・ジェイソン」。

 何やら体の奥底からやる気と自信が溢れると同時に、体が一気に軽くなる。

「ヘイヘイヘイ!」

 ゆりぃーテストだ、このまま突っ走ってやる。

 オレは息を切らすことなくただただ永遠と重圧と暗闇の中を走り続けた。

 気が付くと部屋は徐々に明るくなり始め、頭の中の人物も消えていた。

「はーはーはー」

 心臓の音が今までにないほどバクバクと音を立てている。

 喉が痛く、吐き気と目眩が止まらない。

「1500、貴方はこれから育成対象となる。立派な救世主となってくれ」

 どうやらオレは条件をクリアしたらしく、これでようやくこの空間とはおさらばできる。

 それにしても一体どのくらいのタイムを出したのだろうか。

「改めて1500、この番号は最早貴方のものだ。それでは健闘を祈る」

 どこかで聞いたことのあるセリフを再度送られ、扉の先へと通された。

 そして開かれた扉の先にはまた扉と、何重にも重なった扉が開かれている間、オレは先程の出来事を思い出していた。

 店主が言っていた人格ガチャという力と夢の内容には何か関係性がありそうだ。最後に言っていた「悪夢をもう見なくなる」とは、力の源となる夢を見るようになるためと、そういうことだったのだろうか。

 すると次第に最後の扉が開かれ、晴れた空が視界に映る。

「うそだろ・・・」

 そこには見たこともない歪な形をしている機械やトレーニング器具、スポーツなどができるトレーニングスペース、一見何ら違和感のない緑の芝生が青い晴れ空の下に広がっていた。

 外部と勘違いしてしまうほどのクオリティ、だけど、外部にはありえないような物まで完備されているところを見ると、ここは施設の中なんだろう。

 オレ自身の常識の範囲内で考えた結果とかそういう次元ではなく、この景色が普通ではないことは誰が見ても一目瞭然。

「影宮 天月様デスネ、育成番号1500。オ待チシテオリマシタ」

 突然小さな羽を生やした手のひらサイズのぬいぐるみのようなロボットがオレの目の前に現れる。

「私ハ、ルーメン ト言イマス、コノ施設ノ監視ヲ任サレテイル者デス。オ見知リオキヲ。デハ、コレカラ施設ノ中ヲゴ案内シマス」

 オレはルーメンと名乗るロボットに連れられ、実際に施設を見て回りながら機械、器具の使い方やそれぞれがどういったことをする場所なのか一通りの説明を受けた。

「説明ハ以上ニナリマス。次ノ工程ハコチラノ ルーメン ノ仕事ニナリマスノデ、私ハオサラバシマス」

 そうしてルーメンは隣にいるルーメンへと仕事を引き継ぎ去って行った。

 二人の見た目はどこからどう見ても全く同じなため見分けが付かない。

「引キ継ギマシタ ルーメン デス、デハコレカラ、オ部屋ヘトゴ案内サセテイタダキマス」

 話し方まで同じとは、ますます見分けることなど不可能だ。

 その後オレは先ほどから遠方に見えていた高く聳え立ついくつもの塔らしき建物の一つへと案内された。

「ココハC塔ト呼バレル建物デス、塔ハ合計四ツアリ、ランクニ応ジテ振リ分ケラレマス」

「ランクって何だ」

「ランクトハ、現時点ニオケルゴ自身ノ成績ノ総評価デス。Dカラ始マリSマデアリマス、ソシテ救世主ニハSノ評価ヲモラッタ者ノ中カラ更ニ厳選サレタ者ノミガナレルノデス」

「つまりオレはその中のCランクに振り分けられたってことか」

「ハイ」

 その後オレは塔内の自室へと案内される。塔は全部で十階まであるらしく、オレの部屋は七階。

 室内には家具などの必需品が何一つ用意されてなく、あるのは台所や風呂、トイレなど元々完備されている物だけ。

「コレヨリ内装整備ヘト移行シマスガ、育成対象者ニハ通例二ツノ選択肢ガ用意サレテイマス」

 ルーメンは小さな指を一本ずつ立たせながら説明を続ける。

「一ツ目ハ、1500ガコレマデ暮ラシテキタ自室ノインテリアヲ、ソノママ反映サセル。二ツ目ガコチラノ提供スル新シイインテリアヲ希望サレル、オ選ビクダサイ」

 なるほどな。一を選んだ場合、オレが今まで使っていた豚小屋同然の内装になるってことか。

 親がいなくなり養護施設へと預けられたオレを養子として引き取ってくれた老夫婦が死んでからというもの、どことも分からない場所で倉庫暮らしをしていた。

 これまで住んでいた老夫婦の家は政治の都合か何かで取り壊しが決まり住む家を亡くしたが、その後残してくれた遺産や保険金により学費分はなんとか賄えていた。

 せっかく行かせてくれた学校を入学した当初はそう簡単には辞める気分にはなれなかったが、次第にその気持ちは変わっていった。

「二つ目で頼む」

 そうして少しの間自室の外で待たされ、整備が終わったのか再び通される。

「すごいな」

 当たり前の家具が当たり前に置いてあるだけだが、オレからすればまるで豪邸の一部屋の様だ。

 まだこの常識離れした状況には慣れないが、いつかは慣れる。

「デハコレデ案内ハ終了デス。明日ハマタ別ノ ルーメン ガ早朝六時ニオ部室ヲ訪ネルノデオ願イシマス。デハ」

 オレはベットの上へと寝転がり天井を見つめる。

 先程の説明から読み取れる重点は二つ、オレは必ずSランクを目指す必要があるということ、もう一つが下のランクへと落ちるか低いランク帯を維持していると脱落候補になるということ。脱落に関しては特に触れてはいなかったが、最初のテストの様子からしてこの条件で間違いはない。

「Cランクか・・・」

 下にDランクがあるというのにCランクに振り分けられた要因は、十中八九最初に行ったテストが関係しているはず。

 どのような点を考慮されたのかは分からないが、地球上の世界記録を持ってしてもCランク止まり、この先、奇跡だけでは乗り越えられない壁が立ち塞がることだろう。奇跡なんてものを信じているはずもないが、オレは必ずSランクにのぼり救世主となる。

 そして—————

「遠いいな」

 ポロリとオレの口からこぼれたその言葉を最後に、今日のところは眠りについた。

 初日の夜、オレは再び夢を見た。

 その場には相応しくない埃一つ見当たらない綺麗な格好をした茶髪の女性が、その美しい水色の眼差しを画布へと釘付けにしたまま気持ちよさそうに筆を滑らせ芸術を生み出していく瞬間。

 完成した油絵は中世ヨーロッパのものだろうか、ファンタジーの世界に吸い込まれそうな感覚に陥り、今にも街行く人々が動き出しそうなほどのクオリティ。

 まさに感嘆の息が漏れる。

 だけど驚くべきはクオリティだけには留まらない。なぜなら彼女は、創作中一度として作品から視線を外すことをしなかった。

 これほど情報量の詰まった作品は相当頭に焼き付けなければ到底描くことなどできはしないだろう。

 と、そ瞬間映像は途切れ、軽くなった瞼がパチっと開く。

 時刻は朝の五時半。ルーメンが来るまでまだ時間があるな。

 これほど質のいい睡眠で夜を過ごせたのは久しぶりだ。

 オレは朝食を軽く済ませた後、歯を磨き、顔を洗って寝癖を整え、支給されていた青い服に袖を通す。

 一通りの支度を終え、ルーメンを待つ。

 扉がガチャリと開かれる。

「オハヨウゴザイマス」

 昨日のルーメンと何ら変わりないが。

「初めましてか?」

「ハイ、昨日ノ ルーメン カラ引キ継ギ私ガ本日最初ノカリキュラムヘトゴ案内シマス」

「カリキュラムは何時から始まる?」

「毎日ノカリキュラムハ、朝六時半カラ開始サレマス」

 朝が早い分には何も問題ない、これまで睡眠時間を長くは取っていなかったため、早起きには慣れている。

「ソシテカリキュラムガ終了スルノガ、夕方ノ六時デス。ソレカラ食事ノ時間ヲ除イタ就寝十時マデノ時間ハ自由ニ過ゴスコトガ許サレテイマス」

 つまり、その自由時間をいかに有効活用するかが鍵となりそうだ。

「ソレト1500ニモ明日カラ朝昼夜、三食ガ施設カラ提供サレマスノデ明日ノ起床時間ハ五時ニナリマス」

「今日は自分で何とかしろってことだな」

「ハイ」

 まぁ部屋に置いてある冷蔵庫にはある程度の食材が完備されていたから問題ないな。

「今日最初のカリキュラムは何をする?」

「基本的ニ施設デ行ワレルカリキュラムハ二ツ、スポーツ ト 座学デス。ソシテ本日最初ノカリキュラムハ座学デス。座学デ学ブコトハタッタノ二ツ、言語ト歴史デス」

「それだけか?」

「ハイ」

 今の発言は浅はかだったかもしれない。

 言語という部分を英語などの一言語で表わさなかった点から、その範囲を容易には計り知れない。それはまた歴史にも言えることだ。

「カリキュラムニオイテ、通常ハランクゴトノクラス編成ニナッテイルノデスガ、本日最初ノカリキュラムダケ、Sヲ除イタ、D〜Aランクノ全テノ育成対象者ガ1500ヲ待ッテイマス」

「オレを?」

「新シク施設ニ足ヲ踏ミ入レタ者ノ、サガ ノヨウナモノデス」

 そうしてルーメンへと連れられ、目的地へと向かった。

「近くで見るとまた一段とすごいな」

 オレは宮廷のような建物の中へと通される。

「デハ私ノ案内ハココマデデス。心ノ準備ガデキタラ扉ヲ開ケテ下サイ」

 オレは迷わずに重たい扉を両手で押し開ける。

「うっ」

 そこには約一〇〇人ほどの若い男女が、施設から支給されているだろう指定服を来て着席している。

 昨日の時点でも思ったが、ランクごとに服が色分けされているようだ。

 赤、白、黄、青の四色が見受けられオレのランクである色は青。数の比率からしてDが黄、Bが赤、Aが白と言ったところか。

 先程まで机と向き合っていたと思われるが、今はそのほとんどが振り向きオレへと視線を向けている。

 軽く恐怖だ。

「ここに座りなさい」

 多くの視線を集めながらその場に立ち尽くしていると、監督者と思われる男が一番前の席に座るように促してきた。

 中学ではなるべく一人の世界を作りたかったため一番後ろの端の席を陣取っていたこともあり、一番前に座るのは初めてのこと。

 落ち着かないな。

「ではカリキュラムを始める前に私の自己紹介をしようか」

 男は見たところ普通の中年のようにも見えるが、仮にも救世主を育成する施設だ、普通の人間な訳がない。

「私は矢部 雅也 四八歳、育成番号は1352だ。ここへ来たのは丁度十八の頃だった。私のように既に若くない者たちは、管理者に選ばれた者だけが施設に残り教育者となって次世代の育成を任されている」

 オレの番号が1500ということは、大まかな単純計算では一年あたりに約五人ずつ育成対象者となっていることになる。

 だけど実際は一年ごとに多少の振り幅はあるだろう。

「つまりあんたも昔は救世主候補だったのか?」

「しかし時期ではなかった、ただそれだけのことだ」

「救世主は目指してなかったと?」

「かつては私も目指していた、けれど結果は私たちが決めれることではない。運命に従ったまでだ」

「運命か————」

「自己紹介だけのつもりが少々無駄話がすぎたな、久しぶりの新人ということでテンションが上がってしまったようだ。では早速カリキュラムへと移る」

 自己紹介はオレへと回されることはなくカリキュラムが開始する。

「では新人がいるため、まずはカリキュラムの説明からだ。私の座学カリキュラムは歴史は特に扱わない、言語のみを扱う。言語は一つのカリキュラムにつき一世界の全ての言語に触れていくこととなる」

 確か店主のあいつは全部で宇宙は二九あると言っていた。その宇宙が一つの世界と見るとするなら一体どれだけの言語を習得しなければならないのか。

「つまり私のカリキュラムが二九回終わる頃には二九の世界全ての言語に触れることとなる。けれど当然、一度のカリキュラムで一つの世界の言語を覚えられはしない、一つと言っても世界には数え切れないほどの言語が存在しているからな」

 要するにその繰り返しということ。

「けれど覚えられるのなら早いうちに覚えた方がいい。いつ誰が脱落させられるかなど、私は知りもしないからな」

 だけど一カリキュラムで一つの世界の言語となると、最低でも二九回のカリキュラムを終える必要がある。

 つまりは、そこがセーフティーゾーン。

「では早速始めよう。今日は第二十一宇宙の言語を学ぶ」

 カリキュラムが始まると、矢部は正面にあるスクリーンに数々の言語を映しながら行っていく。

 常軌を逸したありえないほどの情報量がありえないほどの速さで繰り広げられる。

 これでは例え同じカリキュラムを何周もしたところで身に付きなどするはずがない。

 オレはカリキュラムの最中、ふと夢での女性を思い出し、自分が自分ではないように頭の中に無意識に見たもの、聞いたものの情報が入っていく。

「すごいですわ」

 あまりの体験に、思わず声が漏れてしまいました。

「ではカリキュラムの最後にこれまでやった総復習テストを行う」

 その瞬間、夢から覚めたように感覚がいつも通りに戻る。

「1500は本日行った範囲のみ回答しろ」

 そうしてみんなに回答用紙と問題が配られ終え、テストが開始される。

「っ⁉︎」

 分かる。

 他の宇宙に関してはさっぱりだが、それが当たり前かのように頭の中の引き出しが開いていき、スラスラと問題が解けていく。

 オレはおそらく一番で解答用紙を裏面に伏せ、終了時間を待つ。

「ほぉー」

 矢部は一度オレへと視線を向け、そう一言発する。

 テストの時間が終了し、解答用紙が回収され始める。

 すると背後からオレを呼ぶ声がする。

「おい、新入り」

 オレは声のする方向へと振り返る。

「どうやら解き終わったことをアピールしていたようだが、調子に乗らないことだ。君のようなCランクの雑魚は、分をわきまえることだな」

 服の色は白、ということはAランクか。厄介なやつに目をつけられたかもしれない。

「オレは解き終わったから顔を上げて座ってただけだ」

「くっ、それが調子に乗っていると言っているんだ。一度カリキュラムをこなしただけで容易に解ける問題じゃない。Cランクが、君の程度は知れているんだ、解けないことを隠すために背伸びをするのが不快だと言っているんだ」

「Aランクは流石だな、ほぼ全員が高得点を叩き出している。Bランクとはかなりの差だ」

 緊迫する空気の中、矢部が口を開く。

「当然ですよ、僕たちAランクは人間の限界をとうに超えている」

 その後もペラペラと解答用紙に目を通していく矢部の口角が多少上がる。

「なるほどな1500、例えCランクといえど天才のお出ましか」

「どういうことですか?」

「満点、当然第二十一宇宙の範囲のみだが、たった一度のカリキュラムで覚えたのか。ポテンシャルだけならSランクすら今の段階で見えるレベルだ」

「なっ⁉︎」

 その瞬間、部屋全体がざわつき始める。

 オレが今日見た夢の女性の名前はカナダ・アリフレイア、中世ヨーロッパの貴族みたいだ。以前もそうだったが、夢で見た人物の情報が頭の中へと勝手にインプットされていく。

 そして今回、オレはその女性の画力の才能ではなく、瞬間記憶の能力を間違いなく使えていた。更にそれは目で見た情報だけでなく耳からの情報までも、その全てを記憶している。

 つまりオレの力「人格ガチャ」とは、夢でランダムに出てきた人物の人格、その才能を実際に使うことができるというものだ。おそらく、どこか自分が自分でないような気がするのは、自分の意識ははっきりしているが人格が多少なりとも変わってしまうためだ。

 面白い力だが、扱いづらくもある。

「そういうことだ席に戻れ1473」

「くそ」

 その後一つ目のカリキュラムを終えたオレは、扉の先に待っていたルーメンに連れられて本日二つ目のカリキュラムへと向かう。

 後ろには同じ色の服の育成対象者が見受けられることから、二つ目からはランクごとのカリキュラムだということ。

 そうしてオレは今日だけで計六つのカリキュラムをこなした。

「Cランクでこのレベルか」

「ハイ、カリキュラムノ内容ハ違エド、毎日合計六ツノカリキュラムヲコナシテイタダキマス」

 今日は座学の他にバスケと水泳、リングと呼ばれる宙に浮かんだいくつもの巨大な輪っかを足場にして行う鬼ごっこのようなスポーツ、また体術においてはカンフーと暗殺術を学んだ。

「デハ、コレカラ自由時間トナリマスノデ、施設内ヲ好キナヨウニ使ッテ下サイ。デスガ一ツダケ、アソコニ位置スルピラミッド状ノ建物ニハ、決シテ近カズカナイデ下サイ」

「分かった」

「ソレト、就寝十時、起床五時を必ず守ルヨウニオ願イシマス。コレデ ルーメン ニヨルゴ案内ハ以上トナリマス、今後何カゴ質問ナドアレバオ部屋ニ設置サレテイルテレフォンヲゴ使用下サイ。デハ」

 そうしてルーメンは去っていき、ようやく施設に関するチュートリアルが終わった。

 ざっと説明されただけでは、まだまだ分からないことも多いため、今後何度かテレフォンを使用することになるだろう。

「とりあえずコートに行ってみるか」

 オレは先程の三つ目のカリキュラムが行われたバスケットコートへと再び足を運んだ。

 常にゴールとボールは完備されているのでいつでもプレイすることができる。後はコートに空きがあるかどうかだが、問題なさそうだ。

「始めるか」

 バスケは基本的にバランスのよいスポーツとされており、運動能力を軒並みバランスよく鍛えることができる。

 今日生まれて初めて体験してみたが、かなりの伸び代を感じた。

 今日のところはバスケと部屋での筋トレだけで自由時間を消費するとしよう。

「なんだ、お前一人だけか?」

 不安定ながらもハンドリングを経てシュートを打ったタイミングで誰かが背後から声をかけてきた。

「ナイッシュー、下手くそだがセンスはあるな」

 白服、Aランクか。

「オレに何か用か?」

「かてーなお前、一人でやってるのが見えたから俺も一緒にやろうと思ってよ」

 上手い人とやれば、得る経験値は一気に跳ね上がる。

 オレにとってもメリットだ。

「できるのか?」

「はっはっは」

「何かおかしかったか?」

「いや、俺は仮にもAランクだ。苦手、得意以前にできないことなんかねーよ、あったら今頃脱落してるしな。まぁだけど強いていうならバスケは好きだ」

 なるほど、もう今までの基準で物事を図るのはやめにしよう。

 常識なんて通じない、ここはそういう場所なんだ。

「オレは今日初めてバスケを始めたから、色々と教えてもらいたい」

「いいぜ。だけどその前に一ついいか?」

「やっぱり何か聞きたいことがあるみたいだな」

「まぁ大したことじゃねーんだけどよ、今日一つ目のカリキュラムのことで少しな」

 そのことか。

 仮にもコイツはAランク、オレに突っかかってきた奴と同じランクなだけあって思うところがあるんだろう。

「揉めた事についてか?」

「ああ、正直俺もあいつはあまり好きじゃない。だけどお前とはどこか気が合うし気に入ったから一つ忠告をしといてやる。1473番リーゼ・フォン・ルーシェはやばいほど執念深い男だ、気を付けろよ」

「こっちからは関わるつもりはないな、オレも余計な争いで時間の浪費は避けたい」

「ああ、どうやら俺の忠告は必要なかったみたいだな、余計なことをした」

「いや、そんなことはない。忠告のおかげでより一層関わりたくなくなったからな」

「そうか、じゃあ気を取り直して早速始めるか」

 そうしてオレがボールを持ち、スリーポイントラインで構えたところで、こちらへと向かってくる五人組の集団が目に入った。

 噂をすればなんとやらか。

「随分と探したんだが、なるほどバスケか、自由時間を効率よく活用する姿勢は認めよう。だが僕に恥をかかせた代償は取ってもらおう」

「リーゼそれはねーだろ」

「君には口を挟まないでもらいたいね」

「そういうわけにはいかねーな、こいつと俺はもう友達なんでな。それに恥をかいたのは矢部とお前自身のせいだろ」

「僕がそれくらいのこと分かっていないはずがないだろ。この行き場のない怒りをぶつける最適解がそこの新人だったというだけのことだ」

 理不尽な物言い、一見力を持たないその武器は、純粋な立場や力の差でいくらでも折れない矛にも貫けない盾にもなり得る。

 その絶大なる力の差が、ここでいうランク差というわけだ。

「一度だけ相手をしてやってもいい、ただ、金輪際オレの時間を無駄にするな」

「随分と上から目線の物言いじゃないか。とことん僕とは馬が合わなさそうだ。約束しよう。ただ今日死んでしまえば金輪際などないかもしれないな」

「やめとけ1500、天地がひっくり返ってもお前に勝てる相手じゃねぇ」

 天哉がオレの肩をがっしり掴み、強く力が込められる。

「勝てるなんて思ってない」

「それじゃただの自殺行為だ」

 そう、これは勝つための喧嘩じゃない、オレにとっては経験を得る場だ。

 どんなに無惨な敗北が待っていようと、CとAランクの間にある差をこの身を持って実感することができる絶好の機会だ。

 これを己の糧とする。

「ここじゃ人目もかなりある、場所を移そう」

「ああ」

「イカれてやがる」

 オレはリーゼ先導の下、人気の全くない大広間へと移動した。

「ここは」

 先程ルーメンから指摘のあったピラミッド状の建物が、一〇〇メートル付近にまで見える。

 この距離でこれほどまで大きく見えるとなると、実物は塔の全長を超えるかもしれない。

 この施設内で一番大きな建物の可能性がある。

「人気がないと言ってもいつ何時誰に見られているか分からない。早めに終わらせてもらう」

「ああ」

 そう言ってオレの目では追いきれないほどの速さで懐へと入られると、あまりにも強烈な痛みが腹部を襲う。

「かっ、あっ、くはっ」

「あーあ、言わんこっちゃねぇ」

 その後オレはただただサンドバッグにされながら、一撃一撃命の危機を感じるほどの威力を纏った拳を受け続ける。

「うっう、ぐはっ・・・うぇー、はーはーはー」

「ただ撫でただけだ。この程度で倒れられては困る、僕の気はまだ済んでいない」

 かなりの実力差が存在することは承知の上で挑んだが、このままでは本当に死にそうだ。

「これ以上無理だというなら死んでもらおう」

「やめろ」

 突然拳の嵐が止んだ。

 視線を上げると、振り下ろしたリーゼの拳が天哉によって受け止められていた。

「君は一体何をしているんだ?」

「見りゃ分かんだろ、止めてんだよお前を」

「君まで僕をイラつかせるのか」

「イラつくのは勝手だけどよ、タイマン張って後悔すんのはお前の方だぜリーゼ」

 ピリつき始めた空気の中、お互いに一定の距離を保ったまま睨み合う。

「確かに君と僕の力じゃ、僕にチリほどの勝ち目がないのは確かだ。だけど、この場にいるのは僕だけじゃない。君の目は節穴かい?」

「何人いようと、お前ら程度の実力じゃ俺に一撃すら当てられねーよ」

「頭の良さでは僕は負けないというのに皮肉な話だ」

「暗記力、それがお前の力だからな、仕方ねーよ。その唯一の武器を打ち砕かれた気分になってこいつに突っかかったことも分かってる。小せぇーよ、お前」

「なんだと?」

 先程までどこか余裕そうな笑みを多少は浮かべていたリーゼの表情が、今では完全に曇っている。

「救世主を育てる施設で、暗記力っていう実戦では何の役にもたたない力を授けられるなんて、本当に可哀想なやつだよお前は」

「取り消せ」

「嫌だね」

「取り消せ!」

 大声をあげ天哉へと殴りかかると、それに続いて後ろの四人も天哉を囲むように動き出す。

「怒りに呑み込まれやがって、チョロいんだよ」

 天哉はそう言ってその場から姿を消すと、一瞬にしてリーゼの真後ろへと回り込む。

 その後なんとか天哉の動きに反応したリーゼが振り向き拳を振り下ろすが、再度天哉は姿を消す。

 そうしてリーゼサイドは、天哉に一撃も与えられないまま体力のみ消耗していく。

「くっそ、どうして一撃も当たらないんだ」

「お前の力じゃいくら足掻いたところでAランク止まりだ。Aランクの俺が言えたことじゃねーが、早く脱落することを勧めるぜ」

「くっそー‼︎」

 敗北は既に決まっている、何の意味も持たない一撃をリーゼは放つ。

「やめなさい!」

 と、その時、透き通るような高い声が広間に響く。

「蘭、どうしてお前がここに?」

「私の目を欺けると今後も思わないことね」

「そうだった、お前は一秒か、三秒先の未来と過去が見えるんだったっけな」

「三秒よ、運が悪かったわね。丁度広間への曲がり角を曲がった瞬間だったのかしら?現実の姿は隠せても、過去は隠せなかったみたいね」

 要するに、運悪くばったり出会してしまったようなことだろう。

 地へと寝そべりながら女性の長く美しい黒髪に視線を奪われる。

「お前がいるなんて思わなかったしな、それならどうして最初に止めなかったんだ?始めから見てたんだろ?」

「始めは何をしているのかまでは分からなかったの、けれど、天哉の瞬間移動の力を見たことで事態を把握できた。それで声をかけたわ」

「なるほどな」

 その瞬間、女性と目が合う。

「この子って今朝の」

「ああそうだ。このバカリーゼがこいつに目をつけたもんで、もめることになったってわけだ」

「そういうことだったのね」

 すると女性はオレへと近づき、手を差し伸べてくる。

「大丈夫?私は李娜蘭、育成番号は1469よ」

「大丈夫だ、問題ない」

 オレは差し伸べられた手を払い、自力で立ち上がる。

「なーにカッコつけてるんだよ、ボロボロじゃねーか」

「誰の手も借りない。オレは一人で十分だ」

「意味わかんねーけど、俺はもうお前の友達だ。俺は石上 天哉、お前は?」

 そう言って天哉はオレの腕を掴み、自分の肩へと乗せる。

「え?」

「名前だよ名前」

「影宮、影宮 天月だ」

「よろしくな天月」

「邪魔をしないでくれないか」

「リーゼも天哉も、まさか忘れたわけじゃないでしょうね。あの建物の近くで喧嘩なんかして、もしあの悪魔を起こしたら今度こそ殺されるわよ」

 蘭の視線はいつの間にか、あのピラミッド状の建物へと向けられていた。

「忘れたわけじゃないけどよ・・・悪い」

「僕の限界を新入りなんかに教えられたみたいで気が立ちすぎていたみたいだ。すまない」

 正直謝罪一つで許せるような事態では既にないが、これ以上関わらずに済むなら願ってもないことだ。

「ほら、早く立ち去るわよ」

 そうしてその場にいた全員がその場から颯爽と立ち去り、オレと天哉、蘭は先程のバスケットコートのベンチに腰を下ろす。

「それにしても災難だったわね、いくらリーゼが執念深いからと言っても、あそこまで気が立つなんて普通じゃないわ」

「まぁ分からなくもねーよ。ここじゃ、頭脳や身体能力において人間の限界を超越した力を手にできる。だけど、いくら人間の限界を超えたとしても施設の奴らみんながその限界を超えた化け物揃いだ、勝ち上がるためにはどうしても能力が鍵になってくる。あいつ自身も言ってたが、ここに来て一日や二日のやつにそれを教えられるってのは相当なもんだ」

「確かに、その通りかもしれないわね。ところで影宮くん、だっけ?」

 影宮くんか、小中の教師くらいにしか呼ばれたことがないが、悪くはない。

「この施設には昨日来たのよね?」

「いや、正確には一昨日かもしれないが、この景色を見たのは昨日が初めてだ」

「かもしれない?あー、あのテストか、俺も合格するのに苦労したぜ」

 なるほどなと共感するように天哉が頷く。

「影宮くんはどうやってあの店に来たのかは覚えているのかしら?」

 あの店、ここで言う店とは一つしかないだろう。

「骨董屋のことか?」

「ええ」

「その前の出来事なら覚えてるが、どうやって来たのかまではよく覚えてないんだ」

「やっぱり」

 何がやっぱりなのだろうか。

 もしかすると、ここにいるみんながどういった経緯で店へと導かれたのかを覚えていないと言うのか?

「やっぱり?」

「実は私が知る限り全員が店にどうやって来たのかを覚えていないのよ、影宮くんと同じように覚えているのはその前の出来事だけ」

 予想は的中ということか。

 やはり、自らがあの店に足を踏み入れたというよりは、あの店主によって導かれたということだ。

「これは俺の独り言なんだけどよ、俺は特に現実が嫌になったとか、何か特別な力が欲しくなったとかそういう気持ちはこれっぽっちもなかったんだ。だけどある日、小学校の帰り道に面白そうな石を拾おうとしてしゃがんだ瞬間に骨董屋に移動してたんだ」

 つまり、選定条件は現実逃避系ではないということだ。

 いや、むしろ条件など存在するのだろうか、今朝一堂に会した際パッと見ただけだが、年齢以外に偏りがあるところは見受けられなかった。

「小学生?天哉は一体何歳からこの施設にいるんだ?」

「多分、十歳くらいだな。今は十六歳だから、だいたい六年間施設にいることになるな」

 六年かけてAランク、先程の戦いは凄まじいものだったが、そんな天哉でさえそのレベル。そして天哉よりも番号の若い蘭もAランク、見えない壁が心に立ち塞がった気分だ。

「えっ?貴方十六歳だったの?」

「まぁな。そう言えば、蘭は何歳なんだよ」

「私は・・・十五歳よ」

「はっ、おいおい、年下のくせに俺にあんな偉そうな態度取ってたのかよ」

「貴方とは一つしか変わらないし、それに年齢なんてただの数字、実力が全てのここでは私たちにとっては何の意味もないことだわ」

 その割には多少の焦りが見える。

 同じランクと言えど、こうして面と向かって話すのは珍しいのだろうか。

「んんっ、まぁ年齢の話はここまでにして、私も些細な出来事が外での最後の記憶ね」

「天月の最後の記憶はどんななんだ?」

 その瞬間、嫌な汗がじわりと滲む。

 決して思い出したくない記憶ではないが、同時に家族のことも思い出してしまった。

「おい天月、大丈夫かよ」

「ちょっと影宮くん?」

 オレは呼吸を静かに整える。

「何でもない大丈夫だ」

「何でもないって、別に無理して答えなくてもいいぜ」

「これはあくまでも私たちが話したくて話したことだわ、貴方が無理をする必要なんて——-」

 別に無理はしていないし、隠したいわけでもない。

「オレの最後の記憶は自殺だ」

 その瞬間二人に動揺が走るのが分かった。

「自殺ってまじかよ」

「冗談、ではないのよね」

「真剣な解答だ。理由を話す気はないが、オレは学校の屋上から飛び降りた直後に骨董屋へと飛ばされた」

 理由までは話す義理もないし、その必要もない。

「天月、だけどお前がここにいるってことは生きる決心をしたってことだよな?」

「ああ、例え四肢がなくなろうともオレは救世主になる。それが今のオレの生きる意味だ」

「ライバルとしては譲れねぇーが、友達としては全力で応援してやるよ」

 そう言って差し出された天哉の握られた拳をじっと見つめる。

「なんだよ、早くお前も出せよ、恥ずいだろ」

「・・・くさいな」

「うるせぇーよ」

 オレは軽く握った拳を胸辺りで構える。そしてそこに天哉が拳をコツンッとぶつけてきた。

 友達か、生まれて初めてできたがどこか変な感覚だ。

 だけど悪くはない。

 これから友達がオレの生きる意味になりはしないが、ここにいる間は色んな意味で退屈せずに済みそうだ。

「影宮くんって、どこか1436に雰囲気が似ている気がするわ」

「おい、冗談になってないぞ蘭!あんな悪魔に天月が似てるわけねーだろ」

「ごめんなさい、失言だったわ」

 悪魔、先程の広間で蘭の口から出ていた言葉だ。

「その悪魔って何なんだ?あの大きなピラミッド状の建物と何か関係があるのか?」

「それは・・・だな」

 何かに怯えるような表情を天哉と蘭は浮かべている。

 そう言えば先程も蘭から悪魔という単語が飛び出した瞬間、天哉とリーゼはどこか怯えるような態度を見せていた。

 リーゼ、天哉、蘭、この三人はAランク、その悪魔とかいう存在とAランクとの間には、何かトラウマのような過去があるのだろうか。

 その時、施設全体に放送が流れる。

『夕食の時間となります。食堂に集合してください』

「まぁこの話はまた今度にして一旦夕食にしようぜ」

「そうしましょ」

 今は仕方ないか。

 時間を守らなければ、それすら脱落の要素になりかねない。

「オレの食事は明日から用意されるらしいんだ。だから今日は部屋に戻るよ」

「そういや、俺もカリキュラム初日は食事が出なかったな」

「私も確かそうだったわ、だけど、分けてもらうのは問題ないはずよ。現に私はそうしてもらったもの」

「そうなのか?そういうことなら天月も行くぞ」

 なるほど、友達にはこういったメリットもあるのか。

 オレはその後、天哉とメグミに食事を分けてもらい、かなりお腹をためることができた。

 久しぶりのまともな食事だったな。

 見た目もそうだが、まともに食事をお腹に入れたのは何ヶ月いや、何年ぶりだろうか。

 食後、オレは天哉と蘭と別れ、そのまま帰路に就いた。

 

 施設に来て約一ヶ月が経った頃、オレはBランクへと上がりB塔へと移動し、服の色が赤へと変化した。

 今日からはBランクのカリキュラムへと参加することとなる。

 始めはCランクのカリキュラムさえついて行くのがやっとだったが、日を重ねるに連れて飛躍的な進歩を遂げていった。

 毎日、能力に関する夢を見るため様々な人格と力を得はしたが、人格『ガチャ』というだけあって得る力はそのほとんどがハズレ。ここ一ヶ月で当たった使えそうな人格は、先の人格二つを加えて四つのみ、一つが陸上自衛隊のレンジャーと呼ばれる精鋭部隊に所属している風間 深夜、二つ目が過去、天才数学者と呼ばれていたスイス人男性のパウル・ベクター。

 オレはそれらの人格を使う度に、ある肉体的変化を感じている。

 それは、徐々にオレ自身の基礎的能力を始めとした身体能力の向上、IQの上昇などが日々のカリキュラムにおいて見られるようになった。

 人間は学習する生き物とはよく言うが、オレ自身の脳が受け入れ使用した人格の能力を学習しているということに他ならない。ここで重要となるのが、能力を学習したとしても、人格それ自体を吸収しているわけではないということだ。

 常識的に考えれば複数の人格を入れ替え使用していれば、通常時にもその変化、つまりは多重人格的要素が表へと滲み出てしまうものだが、そういった兆候は一切見られない。

 何とも不思議で仕組みのほどは理解できないが、オレからすればただただ急成長を促せる最高の能力だ。

 気が付くと時刻が五時十五分を回っている。

「準備していくか」

 オレは一通りの身だしなみを整え、食堂へと向かった。

 あれから天哉と蘭とは友好的な関係が続いていて、今日も食堂では朝食をともにする。

 オレはその後少し自室でゆっくりしてから、いつもとは違うBランクカリキュラムの場へと向かう。

 正式にオレがBランクへと昇格したのは昨日のこと、つまりは今日が初となるBランクカリキュラムだ。

「こんにちは〜今日も元気にやっていこうね!今日は三人もBランクへと上がってきてくれた人たちがいるね、ってことは〜?」

 担当講師が耳に手をかざして育成対象者へと問いかけるが、誰一人として答える素振りすらない。

「もっと楽しもうよみんな、新人だよ新人!みんなのすごさを見せつけるせっかくの機会、トライアルカリキュラムの時間だよ!」

「トライアルカリキュラム?」

 ここは一つ、新人であるオレが先陣を切って質問をする。

「おっ、いい質問だね〜っと、その前に、自己紹介するね。私は雪代 イエスタ、育成番号は1402、私も後もう少し若ければ救世主になれるチャンスがあったのに、おっしぃーよね」

「けっ、一体何歳なんだよ」

 するとオレの横にいた同じく新人が質問する。

「おっとそれ聞いちゃう?まぁいいけどね、今は三七歳だよ。私がここに来たのが十八の時だから、後三年遅く来ればなぁ、あーあー」

 過去を思い出し、露骨に嫌そうな表情を浮かべる雪代だが、すぐに態度を改める。

 それにしても関係はないが面白いことを知った。

 要するに三五歳を過ぎれば教育者側へと回されてしまうということ、勿論実力は重視されるだろう。救世主として施設を卒業できるデッドラインは三四歳というわけだ。

「おっとおっと、かなり脱線しちゃったけど、トライアルカリキュラムの説明だったよね。簡単に言えばランク上げされた新人の実力を手っ取り早く試すためのカリキュラムってところかな」

「ここにいる奴ら全員ぶん殴るとかか?それなら簡単でいいぜ!」

「いいや、どちらかと言えば殴られる方だね、今からここにいる全員でCats &mouseというものをやってもらうよ」

 和訳すれば猫とネズミ、単純に考えれば弱肉強食の構図が浮かび上がる。

「鬼ごっこのようなものか」

「おっ鋭いねー、君は確か、1500番だよね?」

「会うのは初めてのはずだ」

「さっきからちょくちょくタメ口だね、まぁ私は気にししないけどねー。君は有名だからさ、ほら、一ヶ月前の初回のカリキュラムのこととかね」

 あの場にはD〜AのSを除く全ての育成対象が集まっていた。講師陣に伝わっていたとしても何ら不思議ではないか。

「まぁそれは置いといて、Cats &mouseっていうのは交代も増えもしない鬼ごっこだよ。それと注意すべき点は鬼側のCatsに見つかったmouseは、死ぬほどボコられるってこと」

 分かりやすいルールだ。そしてmouse側は当然、試される側のオレたちだ。

「CatsはBランク全員、mouseは君たち三人だ。Bランクのみんなは殺す気でやってね、もし手なんか抜いたら私が君たち殺しちゃうから、テへッ」

 この施設のランク別の人数は、Sはどうか分からないがD〜AではDランクが最も少なく十名以下、CとBランクが同じくらいの三〇から四〇人程度、Aランクは初日の記憶上だが二〇人程度はいた気がする。

「範囲はこの施設全体、他のカリキュラムの邪魔にならなければどこへ逃げても構わないよ。ただ、人気のない場所で捕まったら大変だけどね〜」

 いくら順調に成長していると言ってもCランク内での話だ。このBランクがどの程度のレベルなのかは不明、だがAランクとの差を考えると相当なものなのは間違い無いだろう。

 驕らず少し気を引き締めるか。

「俺らがこいつらぶっ飛ばすのはダメなのかよ」

「能力を使わなければありだね、まぁ抵抗できたらの話だけど」

「舐めんなよクソが、こんな奴らぶち殺してやらぁ」

 1488、Cランクの時から態度の悪さで目立っていたが、Bランクに来てもそれは依然変わらないのか。

 比較的近づくことがなかったせいか、一ヶ月経った今でも名前の一つも知らない。

 まぁ無理に知る必要もないが。

「じゃあ、今から君たち三人には十分あげる。タイムリミットは一時間、よーい、スタート!」

 雪代の高らかな開始の合図が響いたと同時に、オレたち三人はそれぞれ異なる方角へと散らばる。

「ここら辺でいいか」

 オレは視界が建物で囲われている集積地ではなく、比較的広い範囲が見渡せる建物の隅へと身を潜める。

 このカリキュラムの趣旨はオレたち新人の実力を試すもの、隠れるだけではその趣旨が達成されないことにはなるが、初っ端から交戦するのは得策じゃない。

 まずは相手の出方を見て———-

「一人目みーっけ!」

 声のした真上へと視線を向けると、こちらへと飛び降りてくる人物が確認できた。

「悪いけど殺す気でぶん殴らせてもらうよ、そういう命令なんでね」

 まずすべきことは冷静な状況確認だ。

 視界で捉えているのは目の前のBランク一人のみ、他にも隠れている仲間はいないか、携帯している武器の種類は?相手の視線を都度チェックしながら周囲の地形も同時に解析していく。逃げ道の選定、戦闘に持ち込まれた時の立ち回り方、相手の全ての力が未知なため、細心の注意を払い自分に有利な状況を導き出してゆく。

「行くか」

 ルール上能力の使用は反則だが、オレは陸上自衛隊風間 深夜の人格を使用して相手へと近づく。

 すると当然、相手は攻撃を仕掛けてくるが、オレはその攻撃をしなやかに捌いて体勢を崩させる。

「なるほど、こんなもんか」

 他のBランクがどの程度の実力かまでは知りようがないが、目の前のこいつは大したことはない。

 相手が一人だったのもツいていたな。

「イテッ」

 オレは相手の掴んだ腕を後ろへ回した後、地面へと寝転ばせ蹴りによる一撃で意識を刈り取る。

「いたいた、みんなー見つけたよ!」

 あまり音を立てたつもりはなかったが、続いて五人のBランクがオレの目の前へと姿を現す。

「流石にきついな」

 オレは陸上競技10000メートル世界記録保持者のリーマス・ジェイソンの人格を使用して全速力で先程の観察で導き出したルートに沿って逃亡を開始する。

「あっ、待てこの!」

 どのくらい逃げたのかは分からないが、気が付くと背後に追手の姿は見えなくなっていた。

「はーはーはー」

 あまりのしつこさに多少がむしゃらになりながら逃げていたため、途中からどこを走っているのか自分でも分からなくなっていたが、どうやら来てはいけない場所に来てしまったらしい。

 近づくなと言われていたピラミッド状の建物。

 近くで見るとやはりデカい、間違いなく塔よりも高さがあり他のどの建物よりも大きく見える。実際は三角錐のため施設で一番の大きさかは分からない。

「どこ行った?」

 マジか、あいつらにもこの建物は見えているはずだが、お構いなしに追ってくるな。

 オレは一刻も早くこの場を立ち去るために背後から忍び寄り、一人ずつ片付けていくことにした。

 こういった戦術にはやはり陸上自衛隊の人格は適している。

 オレは再度、風間 深夜の人格を使用する。

「行くか」

「どこに?」

 しゃがんでいた体勢から腰を上げて奇襲を仕掛けようとしたその瞬間、背後から声をかけられる。

 一瞬ゾワッとした感覚に襲われ、振り返る。

 そこには、オレと同い年くらいの男の子が立っていた。

 瞳の光は消え失せ、まるで感情をなくしてしまった人形のようだ。

「記憶にない顔、誰?ここで何してるの?」

「え?・・・オレは影宮 天月だ、ここでは1500とも呼ばれてる。今はわけあって隠れてる最中だ」

「何で隠れるの?この施設に怖いものなんてないのに」

「確実に勝てると言い切れない相手に、真正面から立ち向かうのは愚かなだけだ」

「君は弱いんだね、だけど多分強くなる。底が見えない人は初めて、不思議だ」

 そう言ってオレの瞳をじっと見つめてくる。

「お前は怖いものがないくらい強いのか?」

「俺は負けない、負けたことがない。生まれた時からずっと」

 やはり機械と話しているみたいだ、決められたプログラムが組み込まれて話しているようなそんな感じがする。

「まともに人と話したのは久しぶり、君が望むのなら君に恐怖を与える存在を俺が消してあげる」

 その感情の読めない瞳からは、口から発せられる全ての言葉が真実であると思い込まされる。

「これはオレの試練だ、手は出さなくていい」

「分かった」

「は?」

 言葉とは正反対の行動を取ったそいつは終始無表情のまま、オレは突然のことで情けのない声を上げてしまった。

 オレは後ろから強く押されたことで、前へと飛び出てしまう。

「見つけた!いたよーみんな」

 目の前の一人が声を上げたことで五人どころではない、八人のBランクが集まってしまった。

「やばいな」

 今使える戦闘向きの人格は、陸上自衛隊風間 深夜だけだ。

 カリキュラムで習う体術は勿論あるが、それはみんなが身に付いているもの、ここで活路を切り開くためには今はまだ人格だけに頼るしかない。

「今はまだ君の戦いはつまらなさそうだ、こうやるんだよ」

 オレは一度先程の背後にいた人物に視線を向けた後、直ぐにBランクたちへと視線を戻す。

「何が——起きた」

 目を逸らしていた時間は〇.五秒にすら満たなかっただろう。

 だけどこいつには充分すぎる時間だったのかもしれない、再び視線を戻した時には目の前の全員が地に伏せていた。

「いつかまた話そう」

 そう言ってそいつは建物の中へと姿を消してしまった。

 最初に見た時からそんな気はしていた。

 この目の前に聳え立つピラミッド状の巨大な建物へと近づくことが禁止されているのは、あいつがいるからだ。

 それから約二〇分程が経過し、オレは地に伏せたままの八人を起こしてスタート地点へと戻った。

「お帰り〜・・・お?」

 オレが足のふらつく八人を連れてきた戻って来たというおかしな光景に、雪代は視線を向けたまま目を細める。

「すごいね、その子たちはBランクでも上位の子たちなんだけどな。まさか君一人にやられて戻って来るとは思わなかったよ〜」

 雪代は感心の意を示すように拍手をする。

「違いますよ、こいつがやったんじゃない、と思います」

 足をふらつかせながら、Bランクの一人がそう発する。

「煮え切らないね、じゃあ一体誰にやられたのかな?」

「それは」

「格下に負けたことが気に入らないからってそういうのはよくないな〜」

 このままオレがやったことにすれば他の者はオレを一目置いた存在として見てくれるだろうが、過度な期待や余計な恨みは買わないに越したことはない。

「オレじゃないのは確かだ」

「ほぉほぉ、本人が言うのならそれが真実だね。それじゃあ君にも聞こうか、一体誰の仕業かな?」

 雪代なら施設の関係者として、何かしらの情報を知っているかもしれない。

「ピラミッド状の建物に住んでいる少年、と言ったら分かるか?」

「あー、彼ね・・・って!1436番にあったの⁉︎」

 トライアルカリキュラム開始前からずっと余裕の笑みを浮かべていた雪代だが、1436の話を切り出した途端、額に冷や汗が滲み出し顔色が真っ青になる。

「どうかしたのか?」

「・・・え?あ?あっ、ごめんねーいやぁ〜最近ちょっと寝不足でさ、あんまり気にしないでよ」

 気にするなと言われても無理な話だ。誰一人声をかける者がいなかったら何秒、何分、何時間止まっていたのか分からない。

 それにしても雪代といい、天哉や蘭たちAランクといい、どうしてそこまで1436に恐怖を抱いているのか。

 1436と直接言葉を交わした限り、とてつもない圧のようなものは嫌というほど伝わって来たが、恐怖は覚えなかった。それにBランクの連中も恐怖は抱いてはいない様子だった。

「それより困ったね、どうやら君の実力だけ測れていないようだね」

 そう言って雪代は斜め下へと指を指す。

 それに合わせて視線を下へとズラすと、手負いの新人二人が力尽きている姿があった。

「意気込んでた割には随分なやられようだな」

「るせぇよ、何もしてねぇ奴が調子乗ってんじゃねーよ」

「ほら、見ての通り君だけ無傷で何もしていないんだ。う〜ん、どうしよっか?」

「それなら——-」

 オレが口を開こうとした瞬間、一人の男がそれを遮る。

「それなら僕にやらせてよ」

「どういうこと?」

「僕とそいつのタイマンだよ」

 誰かと思えば序盤に気を失わせた奴だ。なるほど、この感じだとプライドが傷ついたことでかなり根に持ってるな。

 ここはこいつの考えに乗ってやるか。

「オレはそれでも構わない。それでトライアルカリキュラムとやらを終えられるならな」

 雪代は少し考える素振りを見せた後、口を開く。

「そ〜だね、うん!そうしよっか。まぁ他二人ボコボコなのにタイマンかよってなりそうだけど、特別に1500が1478に勝てたら終わろうか、勝てなかったら1500だけ後日改めてってことで」

 単純な話、周囲からすればCランクとBランクの一騎打ち、勝てるはずないと講師含めここにいる全員が思っている。

「いや、一人違ったか」

 目の前のこいつは最早オレより格下、挑戦者だ。先程は油断もあるとは思うが、次勝つのもオレだ。

「さぁ、二人とも準備はオッケーかな?始めるよ?よーい、スタート!」

 雪代の合図と同時に1478が瞬きも許されない速さで攻めて来る。

「っ⁉︎」

 瞬時に使用した陸上自衛隊風間 深夜の人格で掴みにかかるが、宙へと逃げられる。

「なんだよその跳躍力」

 これは基礎的な能力だけでどうにかなる次元ではない、こちらも何かこの常軌を逸した能力に、戦闘向きの人格で対応しなければやられる。

 陸上自衛隊の人格は戦闘はできるが、決して戦闘向きの人格ではない。

 新たな人格を今得ることは不可能、オレは寝ないとガチャが回せない。

「くそっ」

 その瞬間、放たれた蹴りを左腕でガードするが、痛みなど感じる暇もなく骨が砕ける。

「くっ」

「痛いよね?なんたって僕の能力はバッタの脚力だからね、悪いけどもう勝ち目ないみたい」

 オレはまだ勝つことを諦めてはいない。

 確かに当たれば一瞬で骨が砕ける威力だが、筋肉の些細な動きに注意を向けて次の行動を予測し回避する。

 そして重要なのは、こいつは防御力までは上がっていないということだ。一〇〇%とは言い切れないが、能力で強化されたのがバッタの脚力のみであると信じることにしよう。

「行くよ!」

 その後も素早く繰り出される足技の数々をギリギリのラインで避け続ける。

 掠りはするが当たりはしない。

「ねぇ避けないでよ、当たらないじゃん」

「当てたいならもっと来いよ、ノロマ」

 その瞬間、明らかに1478の表情に変化が見えた。

 怒りだ。

 怒りは攻撃を単調にし、そこに自ら隙を与えてやれば、生まれた可能性は確実なものになる。

 オレはあえて避ける動作に緩急を付けてテンポを遅らせ攻撃を誘う。

「ふっ」

 かかったな。

 案の定オレの罠へと引っかかり攻撃を仕掛けて来るが、逆にオレはトドメを狙った相手の最大の隙を見逃さず、相手の顔面へと強烈な一撃を叩き込み地面へと叩きつける。

「ほぉ〜体術の方もかなりの腕前みたいだね」

 勝敗が決し、雪代がオレへと褒めの言葉をかけてくる。

「これでトライアルカリキュラムは終了だよ、改めて今日から君たちはBランクの仲間入りだ。よろしくね〜」

 オレはトライアルカリキュラムを通して一つ学習をした。

 周囲の状況を把握し、立ち回りを分析することは大切だが、それだけでは超えられない壁がある。

 その壁を超えるためにはそのための才能が必要、体術や格闘を得意とする人格を当てることが直近の目標だな。

 どこで得た知識かは定かではないが、オレの記憶にはこんなものがある。脳に強く刻まれた印象や出来事が時として夢に出て来るというもの。

「試してみるか」

 オレは今日、ひたすらにこれまであった戦闘描写をフラッシュバックさせることに決めた。

 

 半年後

 

 オレは一ヶ月ほど前に十五歳の誕生日を静かに迎えて、Bランク内では既に頭一つ飛び出た存在となっている。

 その他で特筆すべき点と言えば、この半年間でオレに続いて1501と1502が新たに施設の育成対象者とし追加されたこと。

 

 自由時間。

 

 何やら円を作り、話をしているAランクの集団が目に入る。

「そういえばあいつの解放今日だったっけか?」

「全くバカな奴だよな、施設から抜け出すなんてさ」

「確か、大量殺人を過去に犯した奴なんだよな?」

「おいおい、それはただの噂だろ?」

「そうか?だけど牢屋に閉じ込められてるのは事実じゃねぇか」

 何やら聞きなれない単語が飛び交っているので興味を引かれる。

「一体何の話をしてるんだ?」

 オレは自然な流れで集団の中へと割り込む。

「Bランクか、何のようだ」

「いや、聞きなれない言葉が聞こえたからな、気になっただけだ」

「まぁ隠すことでもないか。俺も噂で聞いただけなんだが、今から十年ほど前にこの施設を抜け出した奴がいたらしくてな、そいつが地下の牢屋に監禁されてるらしいんだ」

 この施設を半年間見てきたが、牢屋が存在していたのは初耳だ。だが、特に殺しも罰せられる対象ではないようだし一体どんな理由で牢屋に閉じ込められているのか。

「牢屋は施設から逃げた者を収容するために作られたのか?」

「さぁそこまでは知らねーけど、話によるとそいつは、抜け出した後、のこのこと戻って来たらしぃぜ、それも全身血まみれでな」

 となると、度が過ぎた殺人鬼などの危険因子を閉じ込めておく場所とでも言うべきか。

 問題はどう施設を抜け出したかだ。

 見た感じ抜け道なんて一つもない。

 例え来た道を戻れたとしても、店主のあいつが見過ごさないだろう。

「まぁとにかくそいつが今日牢屋から解放されるんだとよ、カリキュラムの時講師の一人から聞かされた」

「オレたちはそんな話聞かされてないけどな」

「お前Bランクだろ、今日解放されるそいつは元々Aランク、つまりこれから俺たちはそいつと同じ塔で暮らさなくちゃならねんだよ」

 その時、足元へと微細な振動が伝わる。

「噂をすればだな」

「行ってみるか」

 どうやらAランク数人は牢屋の位置を知っているらしくオレもそれについて行く。

「ここって」

 久しぶりに来たな。

 オレは約半年ぶりにあのピラミッド状の建物の前へと足を運んだ。

「この中なのか?」

「いや、この後ろだ」

 後ろへと回るが、特にそれらしき建物は見当たらない。

 あるのは道端でよく見るマンホールのような真っ黒な円。

 この施設では見慣れないものだ。

 すると徐々にそのマンホールのようなものが上へと隆起し始め、真っ黒な円柱が現れる。

 扉が開くと、その中にはルーメンとボロボロの服を着た黒髪の長髪男が立っていた。

「あいつか?」

「たぶ——」

「っ⁉︎」

 オレの問いかけへと反応したAランクの男の頭が割れる。

「はぁー、十年ぶりの高揚感です」

「な、何してんだよお前‼︎」

 取り乱したAランクの一人が、手が血で染まった長髪の男へと殴りかかろうとする。

「ヤメナサイ1438、コレ以上施設ノ害トナレバ、今度コソ消サレルコトニナリマス」

「分かっていますよ。これで遊びは最後にします」

 長髪男はオレへと一瞥くれた後、ルーメンに連れられ去って行った。

 いずれAランクに上がったらもう一度会うことになるかもしれないが、極力ああいう人種とは関わらないに限る。

 嫌なことを思い出した、気分が悪い。

「死人にこだわっても何の意味もない。お前も早く立ち去った方がいいと思うぞ」

「俺はこいつと同じAランクなんだよ!なんていうか、ライバルだけど仲間っていうか、そういう気持ちお前にもあるだろ?」

「オレはもう行く」

 自分で言っててどうしようもなさを覚える。

 一番死人に固執しているのは他の何者でもない、オレ自身だ。

「ブーメランだな」

 オレはその場を後にし、食事の時間まで自室で過ごした。

 

 

 

 いつもと変わらない様子で決して開かれない扉を見つめ座る男、骨董屋の店主。

 この店には、店主が招待したまたは、選ばれた客しか訪れない。つまり、外側から扉が開かれることなどありはしない。

 皆、突如として店内に召喚させられるのだ。召喚対象は常に店主の気分によって決められ、その頻度もバラバラ。

 しかし数日後には特別なイベントが待っているため、店主は定位置の席を離れて店の地下へと足を進める。

 階段を降りきり目先にある古びた扉を開けると、真っ白な空間が姿を現す。

「待たせたね、今日はボクの呼びかけに集まってくれて感謝する」

 空間内には計三〇名の老若男女が国籍問わずおり、怪訝な表情を浮かべる者、困惑する者と様々だ。

「一体何がどうなってんだよ!俺はさっきまでパチンコ打ってたはずじゃ?」

「Who are you?[#「?」は縦中横]Get me out of here![#「!」は縦中横]」

「勝手に呼び出してしまったことについては謝罪をしよう。けれどここに呼んだのは暗殺者か一度は殺しを経験している犯罪者の二種類だけだよ、まぁ多少の例外もいるけれどね」

 店主はこのイベントの目的を口にし始める。

「今日君たちに集まってもらったのは、ある仕事を任せたいからさ」

「仕事だと?」

「ああ、報酬は弾ませてもらうよ」

 店主はここでは口にしないが、その報酬は報酬と銘打ってはいるものの、ほぼ確実に手に入らないもの。

「ボクともう一人とで、ある施設を運営しているんだが、その施設で行う予定のイベントに協力して欲しいんだ。ぶっちゃけ言うと、君たちには殺人鬼役を任されて欲しいのさ」

「なるほどな、要するに殺しの依頼ということか」

 その瞬間、この場にいる者全員が店主と一人を除き、目の色が変わる。

「へぇー面白そうだね」

「It's a blood festival. My heart is pounding.」

「けれどここにいる者全員じゃ多いいのさ、そこでだ、これから君たちには残り三人になるまで殺し合ってもらいたい」

「はぁ!冗談じゃねーぞ、そういうことなら俺は降りるぜ!」

 残り三人ということは、つまりその他二七人による血の海ができるということ。

 正確な報酬も聞かされていない彼らにとっては到底割に合う話ではない。

「帰りたい人は、ボクが今すぐここでの記憶を消した後に家へと送り届けてあげるよ。ただし、報酬は一億、更に言うならこれから先は殺し放題だ。それでも帰りたい人は手を挙げてくれ」

 例え命を失う大きなリスクを負っていたとしても、生き残った時の恩恵に目がくらんだほとんどの者が手を挙げない中、迷わずに手を挙げた者が一人。

「おっと、君は手違いで迷い込んでしまったみたいだ〜」

「なので私は辞退させてもらいます」

「仕方のないことだ。だけどね」

 そう言って店主は天月と同い年くらいの少女の耳元へと顔を近づける。

「彼、影宮 天月にもう一度会いたくはないかい?」

「え?影宮について何か知ってるの?」

「実を言うとボクが彼を消したのさ、どうかな?これで帰らない理由ができたかな?」

「だけど・・・」

「さっきのはほんの冗談さ、君は紛れもなくボクの意思で招待したんだからね」

 そう言い残すと、姿勢を元に戻して全員へと視線を配る。

「ボクがこの部屋から出たら殺し合いを始めるんだ。残り三人になったらこの扉を開けてくれ、では君たちに、殺し合う力をボクからプレゼントするとしよう」

 店主がそう言い放つと、手のひらサイズの黒い光が無数に宙へ現れた。

「さぁ早い者勝ちだ!誰が生き残るのか楽しみにしているよ」

 店主の声が空間に響き渡った数秒後、扉の閉まる音がすると同時に狭き戦争が始まった。

 

 そこから約十五分後。

 

「終わったかな?」

 店主が一人ボソッと言葉を口にした直後、扉が開かれる。

 真っ白だった空間は、赤色で染め上げられ地獄絵図と化している。

「少し部屋を綺麗にしようか」

 すると室内はみるみる内に本来の白を取り戻していく。

「では、残った君たち三人の手にした力をまずは確認させてもらうよ」

 手にした力とは、この戦いに生き残るために店主が人間へと与えた力のこと。

 先程の宙に浮かんでいた黒い光の正体がまさしく与えられた力だったというわけだ。しかし力は手にする者が選べるものではなく、どんな力を手にするかは運次第、そうして見事に勝利を勝ち取った者がここにいる三人。

 一人目は、世界一の暗殺者と自称しており、依頼された暗殺は一〇〇%確実に遂行する凄腕の暗殺者ベリー・マルクス、手にした能力は「雷」。

「シンプルが故に君にピッタリの力だね」

 二人目は若干十八歳の少年でありながら、店主がこの場に招待するまで少年院に入れられていた連続殺人鬼 竜童 サバラ、能力は「透明化」。

「これからは殺し放題ってわけか。楽しみでワクワクが止まらないよ」

「頭がおかしい発言だけど、イベントには適役な人材なようだね」

 最後の三人目は———-。

「これは少し以外な展開だ。招待したボクが言うことではないんだろうけど、正直君が残るとはこれっぽっちも思わなかったよ」

「あっ・・・あっ」

 少女はパニックになっている様子。

「無理もないさ、君は殺しとは無縁の、ごく普通の中学生だったのだからね。あー、ボクはなんて罪なことを・・・」

 そう発した男の口元は、僅かばかり笑みを浮かべていた。

「けれど、この場に残ることに決めたのは君自身だってことを忘れちゃダメだぜ。なぁ?三峰 アリス」

 三峰 アリス、ごく普通の女子中学生、能力は「罪の反射」。

「イベント開始は一週間後だ、それまでに君たちには暗殺術を身に付けてもらう。これは命令だから逆らうことがもしあれば、ボクは遠慮なく君たちを消す」

 ベリー・マルクス、竜童 サバラにとってこの状況は仕事であり、娯楽である。

 しかしまだ幼い三峰 アリスにとっては、未来に後遺症を残してしまうかもしれない恐怖そのもの。しかし彼女は影宮 天月を思って地獄道を突き進む、到底できることではない。

「俺には鍛錬など不要だ。必要なのは相手を知り神経を研ぎ澄ますことだけだ」

「分かっているさ、だから君にはこの一週間でターゲットとなる育成対象者の情報を頭に叩き込んでもらうよ」

「得意分野だ」

 そうしてベリー・マルクスは早々に別室へと通され、情報収集に励む。

「問題は君たちだ。正直一週間で化けることなど期待してない。だから一週間の間でこれを扱い慣れて欲しいのさ」

 そう言って取り出したのは直径三〇センチほどの細い棒。

「何だよそれ」

「これは対人間用に開発したMSLという人体の筋肉を三秒間硬直させられる装置さ、要するにこの装置だけで暗殺することも可能だということだ」

 二人は店主から一本ずつ装置を手渡される。

「この装置で相手に触れるか、相手との距離三メートル以内で相手へと棒の先端を向けることでその効力が発動する仕組みとなっている。装置を使用する際は下の方にあるボタンを押して———」

 するとすぐ様竜童が店主へと装置を向ける。

「その可能性があるとは思っていたが、まさか本当にボクへと向けてくるとはね。本当にボクを殺せると思ったのかい?愚かだね」

「まっ、少し試してみたかっただけだ。あんたも死んでないみたいだし、気にすることでもないだろ」

「それもそうだね。けれどこれはあくまでイベントのために行なっている準備だ、もし、関係のない者を殺したりするなら、ボクに消される覚悟を持ってやった方がいい」

「分かってるよそのくらい。もうやらない、これで満足だろ?」

「そうだね。まぁ後で君たち二人にも、しっかりと対象の顔を覚えてもらうよ。教育者を殺されたらたまったものじゃないからね」

 イベント、つまりこれから施設で行われるカリキュラムでは、育成対象者を対象とした恐ろしい何かが始まるということ。

 しかしこのことを施設内の人間は知る由もない。

「とりま対象じゃない人間を殺せば俺たちの命がなくなるってことでいいんだな?」

「理解が早くて助かるね。三峰 アリス、君もルールは守るようにお願いする」

「私は・・・」

「逃げ出すかい?残念だけどそれはもう叶わない」

 タイプの異なる勝者三名が同じ目的の下、これから戦場へと送られる。

 店主や施設のトップにしてみれば、インベトは残り限られた時間の中で救世主を育成するためには必要な線引きと同時に、単なる遊びの一つでもあるのだ。

 しかし彼らの遊びが、地球が存在する第十五宇宙だけでなく、その他全ての宇宙の存亡を揺るがす事態を招いたことを誰一人知りはしない。

 人が真実を知れば、彼ら二人を殺したいほど憎むことだろう。

「殺人役は君たち三人と他に後二人いる。その二人とは施設に行ったら会えるだろう」

 三人は店主に見送られテレポートのような形で施設へと飛ばされる。

 そこは最初に育成対象者が訪れる選別の間だった。

 殺人役は計五人、残り二人は育成対象者の中から選ばれる。

 たったの五人とはいえ手段は暗殺、この先施設で起こりうる未来を想像するのは、然程難しいことではないだろう。

 

 

 

 いよいよオレのAランク昇格も目前だ。

 特別誰かにそう言われたわけではないが、実力的にもこれ以上Bランクにとどまったところでマイナスでしかないからだ。

 施設としても優秀な人材を遊ばせておくことなどしないはず。

「雪代、少し話がある」

「おやおや何かな?」

「オレがまだCランクだった時、Bランクへの昇格は講師側から伝えられた。オレは後どのくらいでAランクへと上がれる?」

 雪代は少し悩むような仕草を見せた後、話し始める。

「私は正直、1500はもうAランクに上がってもいいレベルだと思ってるんだけどね・・・」

 どうやら雪代もその部分には疑問を持っているらしく、煮え切らない返答。

「上からの指示が来ないんだよ。これまでなら少しレベルが足りなくてもランクアップさせていたくらいなのに、ほんとどうしてだろうね〜?不思議だな」

「オレの実力に気付いていないってことはないのか?」

「それはないかな〜、仮に君が実力を隠していたとしたら別だけどね。だけど表面化している実力は余りなく評価されるんだよ」

 つまり、今のオレが正当に評価されれば間違いなく、Aランクに上がれるということ。

 そしておそらく評価する者もそれは承知の上なはず、そのため余計に指示を出さない理由が見当たらない。

「けっお前がAランク?寝言は寝て言えよ。俺様よりも雑魚なお前がAランクとか言ってんじゃねーぞ」

 こいつはオレと同じタイミングでBランクへと昇格した育成番号1488。

 まず、1488がオレよりも強いはずはないが、一度も手を合わせないまま頭一つ抜けた存在だと思い込むのは、いささか早計だったかもしれない。

「悪いがお前はオレよりも弱いと思うぞ」

「言ってくれんじゃねーかよ、一度も俺と勝負もしたこともねーくせによぉ」

「あれ?君たち二人、一度も手合わせしたことなかったっけ?」

 講師によってカリキュラムの指導方法は異なるが、雪代の体術のカリキュラムではその都度対戦相手が変わるように組まれている。

 しかし、奇跡とも言える確率でオレと1488は一度も組まれないまま半年が過ぎてしまった。

「なら今戦っちゃえば?他の子達もやってることだしね。特別に私が見届けてあげるよ」

「いいじゃねーか1500、もうBランクは雑魚ばかりで退屈してたところだ」

「お前に言わせればオレもその内の一人なんじゃないのか?」

「はっ、雑魚にも楽しめねぇ雑魚と楽しめる雑魚がいるんだよ、お前はまだ楽しめる雑魚だ」

 プライドの高い1488はオレとの実力差を身に染みた時、どんな反応を見せるのだろうか。

 全力を出す相手ではないが、これ以上必要以上に関わられても迷惑だ。こいつはオレの目的の邪魔にしかならない。

「せいぜい頑張れよ、すぐにはやられないよう」

「クソが、舐めてんじゃねーぞ」

「はいはいはい、一旦ストーップ。そんなんじゃ始められないよー、ほら、位置について二人とも」

 オレたちが互いに距離を取りスタンバイすると、周囲の者たちは動きを止めてオレたちへと視線を向ける。

「んだよ、見せもんじゃねーぞ」

「いいじゃないかー、みんなも気になるんじゃない?君たち二人の戦いが」

 オレと1488の実力差がどの程度なのかは置いておいても、どちらも長いこと負けなしなのは変わりはない。

 そしてオレも基本的に全力を出しては取り組めなくなっていたため、みんなからしてみれば注目の一戦なのは間違いない。

「周りは関係ない。オレに勝ちたいのなら死ぬ気で来い」

「ぬかしてろクソが」

「準備はいいね?それじゃあ、スタート!」

 雪代により開始の合図が出される。

 このまま速攻で仕留めに行ってもいいが、まずは受け身に徹してみようか。

「おい、そんなもんかよ1500」

 オレは何も人格を使うことなく、あえてギリギリを狙いかすりもせずに相手の攻撃を避けていく。

 勝てると思い込んでいる相手の鼻っ柱を折るのは楽しいことだとここへ来て学んだ。目の前で攻撃を休むことなく繰り出しているこいつは今、攻撃が当たらないことよりもオレが反撃できない喜びが勝っている。

 いい頃合いだ。

 ストレス発散のコマにさせてもらおう。

 オレは一瞬だけ元スーパーウエルター級世界チャンピオンプロテゴ・ヨーデルン・ステルの人格を使用して、1488の顔面へと目には見えない速度のジャブを軽く当てる。

「カッ⁉︎」

 目の焦点がブレると同時にガクリッと膝が折れて地面へと膝を付く。

「へぇ〜これは驚いたね、決着でいいかな?」

「待てよ!まだ、終わってねぇーだろ、どうみてもよぉ!どこに目つけてやがんだ、このクソババァ!」

 その瞬間、背後から底知れない圧を感じた。

「ほら、こ———-」

 瞬きをしたその一瞬、雪代の強烈な一撃が1488の顔面へとめり込まれた直後、軽い爆発を起こした。

「爆発?」

「私の能力は爆弾、相手の触れた箇所に設置した爆弾を好きな時に爆発されられるんだよね」

 1488をサンドバッグにした状態で自身の能力の解説までしてくれるとは、実に良心的だ。

「はい、いっちょ上がり!これに懲りたら二度と私をババア呼ばわりしないことだね〜」

「あー、カッカッカッ、いってぇいってぇ」

 今のを耐えるか、正直オレの一撃よりもダメージは上のはずだが、タフな奴だ。

「お前の能力は防御系のものなのか?」

「けっ、んな脆いもんと一緒にすんじゃねーよ。俺の力はダメージを吸収する。そして、それを発散する!」

 動揺した雪代はほぼ無防備な状態となり、そこを狙った1488の蓄積した全ての発散ダメージを込めた拳が雪代へと襲いかかる。

 雪代は反射的に目を瞑ってしまったことにより、いよいよ当たるのは確実的。

 自らオレたちの勝負の間に入った雪代を庇ってやる義理はないが、仕方ないな。

「あ?何勝手に止めてんだよ」

 オレは1488と雪代の間に入って拳を受け止める。

「これはオレとお前の喧嘩だろ?雪代は関係ないはずだ。来るならオレに来いよ」

「ありがとう〜」

「一度だけは助けてやる。後は黙って静かに見ていろ」

「だけどさ〜、私の邪魔しないでくれな〜い」

 ん?気のせいだろうか、今間違いなく邪魔だと言われた気がする。

「わざとか弱い女性を演じて、こっちもカウンター喰らわせてあげようかと思ったのにな〜何してくれるの?ねぇ、何してくれるの!」

 なるほど、1488の能力を考慮した誘いだったということ。

 一杯食わされたな。

 それにしても頭に血が上りすぎている、今は何を言ったところで届かないだろう。

 もう一度言うが・・・

「一応、オレたちの勝負なんだけどな」

「え?何か言った〜?」

 女性の地雷を踏みつける恐ろしさを、オレは意外な形で学ぶことになった。

「まぁこの勝負は明らかに1500の勝ちだったからさ、後は私に任せてよ〜」

「ふざけ————」

 雪代の拳が1488の口を塞いだことにより言葉が途切れる。

 そして、先程とは違う、耳にキーンと響くような爆発音がした直後、1488は完璧に意識を損失した。

「今の君にはこのダメージ量は、一度に吸収しきれなかったみたいだね。ざぁーんねぇーんでぇーしたー」

 最後に飛び出した子供みたいな煽り方を見れば、今の一撃でどれだけ気が晴れたのかが一目瞭然だな。

 それにしても講師に選出されるだけはある。例え三七歳と言えど、現Aランクの天哉と互角かそれ以上の実力を持っている。

「すぐには目を覚ましそうにないな」

「あまりタメ口ばかりだと、君もこうなっちゃうかもよ?」

 そう言って地面に寝そべる1488を指差す。

「うっそでーす。でも、私と君が本気で戦ったらどっちが勝つと思う?」

 それは難しい質問だ、今のオレは間違いなくAランクに匹敵する実力はあるが、勝てるかと聞かれれば分からないとしか言いようがないレベルだ。

 だけど、例えオレが今の状態から成長しなかったとしても、負けると言う選択肢は存在しない。

「オレが勝つだろうな」

 嘘でも自分が負けるとは口にしたくはない。

 どの道オレは遥か先に行く存在、ちょっとやそっと盛ったところですぐに現実になる。

 その後、今日一日のカリキュラムは全て終了し、夕食の時間を迎えた。

 

『警告、警告、施設の第二扉が開かれました』

 夕食の最中、突然放送が食堂全体に響き渡る。

「第二扉?」

「天月、お前知らないのか?この施設には骨董屋に繋がる扉以外に後二つの扉が存在してんだよ、だが、妙だな」

「ええ、確かに妙だわ」

 天哉と蘭は何かに引っ掛かりを覚えたらしく、曇った表情を浮かべる。

 こういう事態に誰一人一切焦る様子を見せないのは流石と言ったところだな。

 精神面にも育成の効果が出ている証拠だ。

「何が妙なんだ?」

「第二、第三は直接外に繋がっているが、外からは視認できない作りになっているらしいんだ。扉を破壊することなくそこから侵入できたとなると元施設関係者の可能性が高い」

 更に骨董屋を経由した第一の扉でないということは要するに招かれざる客だということ。

「そして脱落した人たちは記憶を消されるらしいから考えられるとすると・・・」

「まさか救世主?」

「ああ、その可能性が高い。理由までは分からねぇがな。そしておそらくそれはこの地球が存在するここ第十五宇宙の救世主だ」

 なるほどな、今の段階で二つの事実を理解した。

 一つ目がこの施設が建てられているのは地球上のどこかであるということ、なぜ天哉がそれを知っているのかは分からないが、ルーメンにでも聞いたことがあるのだろう。

 二つ目は救世主をこの目で見れるまたとない機会であること、実際にこの目で確かめてオレの今目指すべきラインの強さを知る必要がある。

「見に行ってみるか?」

 オレの考えを察したかのように天哉がそう聞いてくる。

「勿論だ」

「じゃあ俺に触れてくれ、瞬間移動する」

 天哉に触れている者も同時に瞬間移動させられるとは、なんて便利な能力だ。

「私も行くわ」

 そう言ってオレに続いて蘭も天哉の肩へと手を置くと、一瞬で開かれた扉の前へと移動した。

 扉の先には天然の太陽が浮かんでいる。どうやら本当に外と直接繋がっているらしい。

 だがすぐにオレの視線は数体のルーメンに囲われている目の前の存在へと釘付けになった。

 目の前の男は全身を炙ったかのように服は焼け焦げボロボロになっており、体が黒く染まっている。

 おまけに体からものすごい蒸気が立ち込めている。

「聞こえてるだろインフィニティ!どういうことか説明してもらおうか、俺の計算では後十年は猶予があるはずだが、こんなにも早いなんて聞いてないぞ」

 どうやら男の目的はオレたちではなく、インフィニティというものらしい。

 確か施設の名前がインフィニティだった気がするが、話の流れからしてまるでインフィニティという別の存在がいるかのような言い方だ。

「タダ今管理者ト通信ガ取レマシタノデ、案内シマス」

 そう言って、ルーメンは黒焦げの男とともに上層へと姿を消してしまった。

 その後、空いた扉は残りのルーメンたちでなんとか閉じることができたようだった。

「扉ハ管理者ノミ開ケルコトガデキマスガ、ムヤミヤタラニ今後近ヅカナイヨウオ願イシマス。デハ」

「なんだよ、そうだったのか?俺はてっきり——なぁ、おい、それっておかしくねぇか?」

 天哉の言うようにおかしな話だ。

 まず第一にあの黒焦げの男は侵入ではなく、管理者自ら招き入れたことになる。

 第二に、過去施設を脱走したと言われている1438は、管理者の意思で外へと一度放たれたことになる。

 一体なぜ?何のために?

 

 男は施設の管理者の元へと通される。

「説明してもらおうか、お前の話からすると、少なくとも後五年以上の平和は保たれるはずだ」

 男が口にしている話は、まさにこの施設の存在意義に関わる話。つまりは救世主を作り出す目的に関わる話。

「貴方は実際にエターナルを見たのか?見てないはずだ」

「確かに直接見たわけじゃない、だけどこの傷を見れば何があったのかはお前なら一目瞭然だろ。既に崩壊は始まっているぞ」

「私はこう言ったはずだ、今から約十数年後に次元が崩壊しエターナルが解き放たれると」

 要するに二人の間では情報の相違が起きていたということ。

「けれども多少の歪みはところどころで生まれていることだろう。でなければ、猶予があるというのに何のために貴方方救世主を各宇宙へ送り出したのか、その意味がないとは思わないか?」

「言われてみれば確かにそうだな」

「貴方も救世主なら更に賢く生きるべきだ。施設での育成は終了したが、救世主としての研鑽は続いているはず。とりあえず貴方を責めるのは終わりにしよう。それで、今回の歪みは随分とすごいものだったようだな」

「ああ、触れただけで太陽行きだ。全く、命がいくつあっても足りやしない」

 男はやれやれという態度を見せる。

「流石に今回ばかりは不意打ちがすぎた、そこら中傷だらけだ」

「けれどその適応力ですぐに傷も癒えるはずだ」

「全く、施設にいた頃からの随分な扱いはどうやら今でも変わらないらしい。そういえば、王は元気にしているか?」

「後で会いに行ってみるといい」

「二年ぶりの再会か、何やら高鳴りを感じる」

 男はその後管理者の下を離れ、一際目立つ存在であるピラミッド状の巨大な建物「アトゥラ・ゼトゥス」へと訪れた。

 この建物のことを「アトゥラ」と呼ぶ者もいれば、「ゼトゥス」と呼ぶ者もいる。どちらとも間違ってはいないため、どちらとも正解だ。

 男が建物内へと足を踏み入れると、そのまま建物の最上階まで移動する。

 すると薄暗く宇宙空間のような部屋の中央に無心で座る一人の人物がいた。

「よぉ、久しぶりだな。二年ぶりに会えて嬉しいよ王」

「1430」

「今は1430じゃないけどな、みんなからはヴェールと呼ばれている。王もそう呼んでくれるとありがたい」

「分かった。それでヴェールは何しに戻ってきたの?」

 ヴェールは先ほど管理者に話した内容と、同じ内容を王と呼ぶ人物へ話す。

「よくその程度の頭脳で救世主になれたね」

「酷い言い草だな。そういえば王はまだ十三歳か、どんなに実力があっても救世主になるには後五年かかるな」

 ヴェールが今話している人物はAランクが恐れるピラミッド状の建物「アトゥラ・ゼトゥス」の住人であり、トライアルカリキュラムの際、天月に力を貸した人物。

 まさかそんな人物が年端もいかない十三歳の子供だったとは・・・しかし、恐れられ認められる実力を持ちながら未だ救世主になれないのは、年齢における制限のせいだとヴェールは言う。

「知ってるよ、施設の目的も含めて偶然耳にしたから。だけど俺が縛られているものが制約じゃなくて因果でよかった」

「確かに因果なら納得せざるを得ないからな」

「俺は意思で納得している。俺が知る世界は施設だけ。知識で異世界を知っていても未知の世界を何年も守るつもりはない」

「王にしてみれば今の俺たち救世主がやっていることは、要するにゴミ掃除というわけか」

「そういうこと。俺が手を出すまでもなく君たちなら問題ない」

「フッ」

「何が面白いの?」

 1436の言い回しは、ヴェールを褒めているのか貶しているのか分からない、その矛盾がおかしくて出た笑み。

「何か猛烈におかしくてな、つい目の前にいるのが子供だということを忘れてしまいそうだ、前提としてこの施設を一般論で見ることが間違っているんだが」

「ヴェールは俺を冷酷だと思う?」

「冷酷とは違う気がするが、感情が消えてしまうのは仕方のないことだと思うぞ。俺にお前の過去は想像もつかないが、生まれた時から育成されているんだ。むしろ感情が残る方が難しい」

「だけど俺にも一つだけ感情がある」

「ほぉ」

 ヴェールにとって1436のその発言は、今までともに過ごしてきた日々の中で初めて聞いたものだった。

 そのため、興味を抱かざるをえない。

「家族を見てみたい。そんな小さなことだけど、それも俺がいつか世界に手を貸す時の理由になる」

「面白いな」

「ヴェールはしばらく施設にいるの?」

「そうだな、俺以外にもこの宇宙には救世主はいる。心配する必要はないからな」

 ヴェールたち救世主は、既に育成される施設ではなく世界という戦場へと送り出されている身、しかし仲間への疑念を一切見せないその姿勢は、これまで築き上げてきた信頼などでは決してなく、それほどまでに救世主とは実力を備えた存在であるという証拠。

 施設インフィニティは、宇宙を含めた世界を守れる存在を作り出す。

「そうだ王、久しぶりに俺と一戦しようじゃないか」

「それに何の意味があるの?どうせ君は俺には勝てない。死ぬだけだよ」

「なら、前みたく手加減してくれよ」

「それで君は満足なの?」

「それでも王は俺よりも強い、全力を出せるだけで満足だ」

「分かった」

 ヴェールと1436は互いにぶつかり合う。

 その短い間の振動が、施設全体にしばらくの間響き渡った。

 

「一体何だったんだろうな?なぁ、天月」

 天哉が何と指しているのは、施設全体が大きく揺れていたことについて。

 オレと天哉が再び食堂へと戻った約十五分後に、地震のような揺れがしばらくの間続いていた。

「オレにも分からない。だけど一つ確かな情報を得た」

「何だよ」

「オレたちが目指すべき正確な目標だ。今までは目指すべき強さの基準にモヤがかかっていたが、この目で見たことでそれが明確になった」

 自分にある程度の実力が備わることで研ぎ澄まされる第六感と言えばいいのだろうか、見ただけでその者の強さを測れるようになる。

 だが、自分との実力差が離れすぎている相手の強さを見ただけで知ることは不可能。

 つまりオレは目指すべき道のりが見えるほどの実力を付けたということ。

「だからお前たちの気持ちが少し分かるようになってきた、あいつがどれだけ化け物かってことがな」

「そりゃあ救世主はみんな化け物じみてるだろうよ・・・ちょっと待てよ、なんか俺たち話噛み合ってなくねぇーか?俺の気持ちが分かるって何のことだ?」

「1436の話だ。あいつは今のオレでも強さが分からない。それぐらい実力差があるってことだ」

 少し待てど反応が返ってない。

「お前は分かってない」

 またしても天哉は1436の話になるとガタガタと震え始める。

 明らかに尋常ならざる恐怖を植え付けられている証拠だ。

 この前その話を聞きそびれたからな、丁度いい機会なのでじっくりと聞くとしよう。

「あいつを化け物なんて可愛いものでくくるな、あいつは悪魔だ。俺たちが関わるべき存在じゃない、あいつの話はやめにしようぜ」

 そう思ったが、どうやら聞ける雰囲気ではなさそうだな、また機会があれば聞くとしよう。なければ忘れるだけだ。

「ああ、分かった」

「天月、お前まさかあいつと戦いたいなんて思ってないだろうな」

「オレの目的はできるだけ早く救世主になることだ。スルーできるのなら遠慮なくスルーさせてもらう」

「それがいい、あいつとは絶対関わるな」

 関わる関わらないは別として、1436と争えば、オレの目的からは遠ざかることになり、下手をすれば生きる意味をなくすことになりかねない。そんな愚かな真似だけは絶対にしない。

 日々会いたくて会いたくて仕方がないんだ。そう思うたびに胸がギュッと締め付けられる。

 後何年かかるか分からないが、絶対に目的を達成してみせる。

『ブチっブシューン』

 突然食堂の電気が全て消える。

『これより殺人カリキュラムを開始する。生きていたならまた会おう』

 突然の放送が止み、すぐに電気が普及する。

「殺人カリキュラム?」

「聞いたことないカリキュラムね、けれど何か起きる気配すら感じられないわ」

 先程まで他の育成対象者と食事をしていた蘭がオレたちの下へと近寄って来た。

 蘭の言うように、特別何かが起きているわけではなさそうに見える。

 だけど内容的に放送ミスとも考えにくい。

 これは考えれば考えるほど迷宮入りする類のものだ。

 一先ずオレたちは再び食事を初めて、その後それぞれが何事もなく帰路に就いた。

「あの放送は何だったんだ?」

 殺人カリキュラム、何やら嫌な予感がする。

 今日は寝ない方が良さそうだな。

 いや、ここは人格取得のためにも寝るべきか。

「となるとあの人格を使うか」

 オレは超が付くほどのショートスリーパーで昭和時代を騒がせていた紅倉 洋定の人格を使用した状態で眠りについた。

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