第4話 いざ、港街へ

 宿での最後の夕食時にちょっとした波乱が起こる。


「ナギ、明日には旅立つってどういうこと!?」

「アリシエ……瞳がMマッゾになってる」


 アリシエは新たな客のナギを逃がすまいと立ちはだかっていた。たった二日間の付き合いではあるが、アリシエからすればナギはアリシエ父の古着を購入した良き客である。


「ナギ、どこに行くつもりなの?」

「港街オシアナへ行って海が見たいんだ」

「へぇ……オシアナへ行くんだ」


 アリシエは意味深な表情を浮かべるが、ナギにはその表情の理由がわからないし想像もつかない。


「ナギ、乗合馬車で十日間の旅ってことは知ってるの?」

「今日、聞いてきたから知ってる」

「じゃあ、人が集まらないと向かわないことも知ってるよね?」


 ナギの旅立ちが明日に決まった理由はここにある。乗合馬車は採算を取るために行き先が同じ人たちが定員一杯にならないと、その場所に向かうことがない。

 違う方面に行く者が多ければそちらが優先される。

 明日が港街オシアナに行く馬車が出る日で、ナギは最後の一席を確保していた。


「もちろん知ってるけど、それがどうかした?」

「乗合馬車は人を目一杯に詰め込んで出発する。みんなが狭苦しい中で固い板の上に腰を下ろすの。オシアナまで順調に進んだとしても最短で十日間。問題が起きたら、それ以上の日数を固い板の上で座り続けることになる」


 具体的に語られる内容にナギはひるみそうになる。なかなかに耐え難い苦痛だと思う。


 アリシエは少し怯んだ様子を見せたナギに畳み掛けるように続ける。


「途中で取る休憩も人のためじゃなくて、馬を休ませるため。言ってみれば強行軍。厳しい道のりを選ぶよりも、ここに宿泊していればベッドで快適に眠れるよ」

「俺には目的があるから、オシアナに行くよ」

「ここにいれば、もしかするとベッドよりも快適な私の膝枕が味わえるかも」

「それは好きな人にしてあげたらいいよ」


 ナギは怯みはしたものの決して折れない上に、アリシエになびくこともない。

 海へ行き職業を確かめるという目標と、その先には元の世界に帰る方法を探すという大きな目標がある。

 それにナギが異世界に連れられてきて二日目でしかなく、この世界の人々との間には超えられない壁を感じている。そこに例外はない。


「意志が強いね。お母さん! ナギはオシアナに行くんだってさー!」


 アリシエの声に奥から女将さんが出てくる。こちらは少し驚いた表情をしていた。


「オシアナに行くのかい! もっと早く言いなよ。オシアナには息子が住んでるのさ」

「まさか……息子さんはオシアナで宿を経営してるとか?」

「あいつにそんな甲斐性はないよ。オシアナ出身の娘と結婚して漁師をしてるのさ」


 アリシエの意味深な表情を理解した。未だに瞳をMマッゾにしているアリシエの兄に会いたいとは思わない。

 少しは頼りたいかもという気持ちよりも、絶対に会いたくないという気持ちのほうが遥かに上回った。


「奇遇ですね。女将さんかアリシエに似てますか?」


 女将とアリシエは似ていない。どちらかに似ていることがわかれば避けやすくなる。

 横目でアリシエを見ると何か思案しているが、恐らく計算機を叩いているに違いない。


「息子は私に似ているね。昔は瓜二つって、よく言われたもんさ」

「そうなんですね。女将さんに似た人を見つけたら話し掛けてみます。それでは、明日は朝早いので部屋に戻って休みますね」


 これ以上はここにいてはいけないと本能が警告してくる。具体的には所持金がより心許なくなると警鐘けいしょうが鳴り響いている。


「ナギ、待って。旅に出るならお父さんのお古のローブを『店で買った』」

「何かあった時のためにお父さんのお古の小型のナイフを『店で買った』」

「アリシエ、おやすみ」


 ナギは逃げ切った。街の親切な人が教えてくれた物を最低限は買い揃えている。お古でも構わないが、頼った時に無いと困るので事前の準備に抜かりはなかった。



◇◇◇◇



 翌日には意外と何事もなく、女将さんとアリシエと挨拶を交わしたナギは宿から去ることになる。


 二人は遠ざかっていくナギの背中を見つめていた。


「アリシエ、随分と執拗しつようにしていたね」

「なんか気になったんだよ」

「ナギがまた王都に来たとしても、うちにはもう泊まらないよ」

「お母さんはそう思うの?」

「アリシエを嫌ってはいないだろうけど、随分と警戒されていたじゃないか。男でも女でもしつこいのは嫌なもんだよ。旅をするなら尚更だろうさ」


 私は改めて自分の行動を思い出してみる。

 度を超えていたとしか言えない。それを恥じるのも悔やむのも遅すぎた。

 お母さんのナギはもう泊まらないという言葉は私の行いのせいだけど、とても寂しく思う。

 前に仲良くなった女の子が宿から去る時でさえ、もう会えないことに寂しさは感じずにそういうものだと思ったくらいだったのに……ナギがもう来ないことに寂しさを覚えるのは罪悪感があるからかな。



◇◇◇◇



 乗合馬車で港街オシアナに向かってから、三時間後にはナギは苦悶くもんの表情を浮かべて身体を丸めていた。

 理由はお尻が痛いのと、背中が痛いからである。

 馬車は雨を避けるために木板で囲まれいて、天井部の上には荷物が載せられて布が張られている。


 窓のような開口部はあるが、狭い空間に人が詰められているおかげで、ほとんど光が入らなくて薄暗くて閉じ込められているような状態だった。

 そして誰もが話すことはない。痛みに耐えているか、騒いでしまって反感を買わないようにしているかのどちらか、あるいは両方だとナギは思う。


 座席が固いだけではなくて、街道を走る振動もよく伝わる。苦痛以外の何物でもなかった。

 つい宿のベッドを思い出してしまい辛さが増す。


 馬車に乗ってから始めての休憩の時には身体がもうバッキバキに凝り固まっていた。

 港街オシアナまで続く街道は見晴らしが良い状態がずっと続き、魔物が出る場所からも離れていて安全らしいが護衛として三人の冒険者が付いている。

 彼らはそれぞれ馬に乗っているからなのか疲れが見えない。それに比べて馬車の利用客は目からハイライトが消えている気がする。


 ナギは自分で自覚しているので真っ白に燃え尽きていると言われたとしても不思議に思わない。

 自転車も車も電車も何もかもが、ふかふかのシートがある世界から来た身としてはクッションがない意味がわからず、この辛さはステータス以前の問題だと思えた。


 夜は馬車内で眠り、護衛役と御者は野宿。何度かの休憩を挟んで利用客と話してみると帰省客が多く、旅人は冒険者も兼ねるために少ないことがわかったので、ナギはさり気なく帰省客を装ったことは言うまでもない。


 ナギが旅立った日に、アリシエが反省していたことなどは知らないナギではあるが、アリシエ兄に対して絶対に会いたくないと思っていた気持ちが少しだけ変わっていた。

 乗合馬車で同じようにオシアナに向かったと思われるアリシエ兄に対して、少しだけ尊敬の念を抱いたのである。


 三日目からは癒しと楽しみが出来る。王都を旅立った日から沈黙を貫いていたシステム音声さんが久しぶりに頭に声を届けてきた。


『物理防御力、ちょっとだけ上昇』


 ナギはシステム音声さんの声に思わず反応しそうになるが、なんとか堪えて喜びを噛みしめる。初めてのステータスの上昇である。言いたいことはもちろんあるが喜びのほうがまさった。


 その日からは定期的にシステム音声さんの声が届く。


『物理防御力、微々上昇』

『忍耐力、ちょびっと上昇』

『生命力、誤差ほどの上昇』


 などなどが届く。まさかシステム音声さんの声を癒しに思う日が来るとは、ナギは思いもしなかった。

 オシアナに着いたらステータスを見るのが楽しみになり、わずかな希望を持つことができる。

 うざ絡みをやめておこうかと思っていたナギではあるが、さすがにシステム音声さんのふざけたアナウンスを問い詰めると決めた。

 癒しに思ったのは別の話しと切り分ける。返事の有無などは関係ない。


 ステータス上昇は物理防御力、忍耐力、生命力のみ。その中で物理防御力の上昇のアナウンスが一番多い。

 ナギは物理防御力に関して全身のことだと信じてはいるが、ステータスを開いた際に部位指定とかされていたら全てを諦めるつもりでいる。

 きっと容易たやすく折れるに違いないと自分で思う。何せへなちょこなのだ。


 システム音声さんの声が届いてからは、暇つぶしに音声の変更を試みていた。

 石版に触れた時から変わらずに同じ女性の声が届くが、男性の声に変更と思い浮かべてみたり、母や妹の声にチェンジ、語尾を変えてほしいと思い浮かべてみるが全て通じなかった。


 多少はおかしくなっていたナギではあったが、苦行を乗り越えて十日目にして念願の港街オシアナへと辿り着く。

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