第5話 港街オシアナ
乗合馬車は十日目の昼頃に港街オシアナへと到着する。
馬車から降りたナギは座りながら潮風を感じていた。
極度の疲労と身体の節々が痛むために立ち上がれないが、下り勾配に広がる街と雄大な海がよく見渡せる。
馬車から解放されたことに加えて、一つ目の目標の海へ行くことを達成したことが嬉しくてどうしようもない思いに駆られる。
今すぐに海に駆け出して釣り竿を使ってみたい気持ちはあっても身体が追い付かないので遠くから海を眺めるしかないが、やっとスタート地点に立つことができた気がしていた。
少しの休憩の後に海へと向かい歩いていく。
港街というだけあり、港には木造の船が並び、朝から漁に出ていた名残がある。
暑い日差しの中、桟橋を歩いていると澄んだ海に小さな魚が泳いでいるのが見える。
海面を覗き見ていたナギは……そのままバシャンッと海へ落ちた。
馬車での旅で
暑い日差しの中を歩いたことに加えて、ステータスが貧弱なのも影響した。
泳げるナギでも、そんな状態で泳げるはずもなく水を吸った衣服の重さも相まって溺れていた。
もうダメだと諦めかけたその時――
『称号〈海へ引き摺られし者〉を獲得しました』
システム音声さんの声と共に男性の声を聞いた。
「大丈夫か!?」
声と共に海面へと持ち上げられて、そのまま浜辺へと
「げほっげほっ……」
ナギの視界が明滅する中で見えたのは二人の男性。それを最後にナギは意識を手放した。
◇◇◇◇
ナギが目覚めると簡易なベッドで横になっているのがわかる。少しずつ思い出していくのは、海に落ちて溺れたことや助けられたこと。
起き上がろうとするが、頭が痛み動けなかった。しばらく横になっていると声が掛かる。
「起きたみたいだな。気分はどうだ?」
「キミが桟橋から落ちた時は驚いた。間に合ってよかったよ」
男性たちの話しを聞けば、ナギが海へ落ちたのを目撃して海に飛び込んで助けてくれたことがわかった。
「気分はそこまで悪くありません。助けて頂いありがとうございます。あのままだと死ぬところでした」
ナギは命に関わることなので、取り
「もう少し横になっているほうがいいな」
「キミの荷物も無事だし安心していい。また後で様子を見に来るよ」
そうして二人は去っていき、ナギはもう一度眠りにつく。
◇◇◇◇
次に目覚めた時には、既に一人の男性がいて網を触っていた。
ナギが目覚めたことに気付いた男性は網に触れるのをやめてナギに近付き顔を覗き込んできた。
「血色が良くなっているな。身体の調子はどうだ?」
「気だるさが抜けたような気がします」
「水を持ってくるよ。少し待っているといい」
すぐに戻ってきた男性に改めて助けてもらったお礼をした。
「気にすることはないさ。俺も溺れたことがあるからな」
ナギは男性が網に触れて何かをしていた顔と、溺れたことがあると言いながら笑う顔を見て尋ねずにはいられなかった。
「関係なかったら申し訳ないのですが、ご家族が王都で宿を経営していませんか?」
反応が返ってくるのが、かなり早かった。
ガバっとナギに近付いたかと思うと、顔が付きそうなほどの至近距離で問い掛けてくる。
「もしかして母と妹を知っていたりするのか!?」
「宿泊客から女将さんと慕われている方と、妹さんの名前はアリシエではありませんか?」
「そうだ! よく家族だとわかったな。助けたのが家族の知り合いだとは思ってもみなかったよ!」
「知り合いというほどでもないのですが……」
そこからナギは宿に泊まったことや、ここまでの経緯を話した。
ナギが助けてくれた男性がアリシエの兄だと気付いたのは女将さんが言っていた通りに瓜二つだったからで、驚くほどに似ている。二人の歳が同じなら双子と言われても納得するくらいである。
「はははっ! だめじゃないか。乗合馬車から降りてすぐに港に向かうなんて死にに行くようなものだ。同じことをした俺だからわかる」
陽気な男性はアリシエの兄でマルク。ナギが経緯を話す際に、お互いの自己紹介をしていた。
「気を付けるといい。俺は結婚した日も浮かれて、海に落ちて溺れたからな。酒も入っていたし本気で危なかった」
ナギも溺れておいてなんだが、それは死んでいてもおかしくないと思った。
「でもな、本当に死を覚悟したのは助かったあとだ。結婚直後に溺れた俺は妻の怒りを買って殺されかけた。溺れた者同士だ。ぜひ教訓にしてくれ」
全く笑えないし、教訓になんてしたくない。
女将さんも自分が知らないだけで、こういう性格なのかもと一瞬だけ頭をよぎるが、似ているのは顔だけだと信じる。
「これからは溺れないように気を付けます」
「それがいい。油断はだめだ」
マルクは元々陽気な性格なだと感じるが、家族のことを少しでも聞けたことでより機嫌が良くなったように思える。
聞けば、こちらに自分の守るべき家族がいることや乗合馬車を利用することに気乗りしないからと、女将さんたちとはしばらく会っていないとのことだった。
ナギはマルクからオシアナに来た理由を聞かれたが、海を見たことがなく一目見たいがためと偽っている。
所持金はもうほとんどなく、生活基盤づくりを優先したい思いもあるが、自分で何が出来るかさえわからない。
マルクを頼って、漁師の手伝いを頼み込んだとしてもステータス面で不安がある以上は迷惑にしかならないので出来ない。
「これからしばらくはオシアナに滞在しようと思っているのですが、オシアナにはどんな宿がありますか?」
「宿か……宿は王都みたいに多くないな。貴族の観光向きの宿か、冒険者や旅人向けの安宿しかない。ナギが宿を取るなら必然的に安宿にはなるが、もう時間も遅いし今日はこの小屋で泊まるといい」
「助かります。ありがとうございます」
ナギはマルクから小屋は海沿いにある漁師の休憩所みたいなものと説明を受けている。
整理はされているが皆の家が海に近いために、あまり使われていないとのことだった。
マルクはほどなくして小屋を去り、ナギだけとなった小屋は静まり返っていた。
ナギはやっとの思いで着いた海のそばで自身がオシアナに着いた直後よりも
明日からのためにも、楽しみにしていたステータスを確認することにした。
「ステータスオープン」
目を引くのは追放されたきっかけであり、海に向かうことを決めた理由の職業〈釣り人〉
スキルに変化はなし。そして職業と共にステータスの低さが追放の原因ともなったが、そのステータスは〈生命力その他、全てへなちょこ。ゴブリン相手に一撃耐えきる〉と変化していた。
新たに増えた称号欄には――
〈海に引き摺られし者〉
海を覗く時、海もまたこちらを覗いていると思う者。
「システム音声さん……俺、こんなの思ったことないんだけど」
ナギの高揚感は消え去り、意気消沈する。
ステータスを見るのを楽しみにしていたのに、さほど変わった気がしない。
ゴブリンから一撃は耐えられるようになったことは成長していると思うものの、二撃目に死ぬとしか思えない。
「相変わらずステータスの数値が出ないのならさ、馬車での旅の
システム音声さんからの返答はもちろんなく、ナギの独り言が虚しく響く。
「だぁー! ……いい、わかった。明日は一人寂しく釣りをする!」
◇◇◇◇
朝早くから、ナギは行動を開始した。
小学生の頃に父が釣りに連れて行ってくれた時は早朝から海に向かった記憶がある。
釣りをした経験はたったそれだけのために、早朝から行うものというイメージが強い。
小屋を出て、左側には港。右側には砂浜が広がり奥のほうには岩場らしき場所が見える。
漁のことを考えれば港のほうは邪魔になると考えたナギは岩場へと向かっていく。
「暑い。潮風が身体に纏わりついて、よけいに暑く感じる気がする」
天気は快晴、波は穏やか。今日も海は澄み渡っている。孤高の釣り
岩場付近に着いたナギは岩場へとは進まずに周囲を注視していた。
探すのは移動しやすく、刺々しい岩場ではなく、なるべく平ら、さらに広くて奥まっている場所。
海に落ちる、さらに溺れるという
なかなかに見つからないので、広さを諦めてなるべく陸地に近い位置に陣取る。
決して
孤高の釣り人ナギが、ついに釣りを開始する。
「システム音声さん、見てて! ここから俺の釣りライフが始まる!」
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