第21話 童話『盲目王子と婚約者』④
それからのピピン王子は、田舎娘との約束通り、毎朝、女神への感謝の祈りを捧げるようになった。
その時に女神だけでなく、名も知らぬ娘への感謝も忘れない。
そんなピピン王子は、ひと月に一度は、王都の大聖堂でその感謝の祈りを捧げる事にしていた。
普段の祈りは王宮にある礼拝堂で行っていたのだ。
その大聖堂で、女神と娘への感謝の祈りをその日も捧げていると、信者の中に、しくしく泣きながら、祈りを捧げる者がいた。
「どうしたのだ? ここは女神様に祈りを捧げる場。そんなに泣きながらでは、女神様も困ってしまうだろう。私が話を聞いてやるから、外に出なさい」
「どこのどなたか知りませんが、ご迷惑をおかけしてすみません……」
男は相手が王子と気づかず一緒に外に出ると、泣いていたわけを告白した。
「この国の王子殿下をご存じでしょうか? つい先日まで目が見えなかったというお方です。私は、その王子殿下とご婚約されていたご令嬢の下で、王都にいる間、従者を務めていたのですが、故郷に帰るからとお暇を与えられました。もちろん、その事を悲しんでいるわけではありません。王子殿下の為に毎日王宮に通われ、尽くしておられていました。それが何も報われず、あんな事になって婚約破棄になり、令嬢が泣く泣く故郷に帰る事になったのが悲しいのです……」
その元従者はその田舎娘の事を思って嘆く。
「なんと!? お主はその令嬢がどこの貴族の娘なのかわかるのだな?」
ピピン王子は、泣いていた事への同情よりも、娘の身元がはっきりしそうだとわかって問い質す。
「もちろんです。その方は、ワース伯爵家の娘で──」
「待て、娘の名前はいい。直接本人に聞くからな」
ピピン王子は、こうなったら直接会いに行けばいいと決意し、王宮に戻ると旅の支度を整え、辺境のワース伯爵のもとに向かうのであった。
ピピンは半月かけて、辺境のワース伯爵領を訪れた。
お忍びであったが、領境の検問所を通過した時点で、ワース伯爵の耳に届く事になったが、それも対応を考えている間に、ピピン王子が到着して大わらわになる。
「王子殿下初めまして。私はこの領の領主を務めるワース伯爵と申します。今日はどのようなご用件でしょうか……?」
ワース伯爵は、表面上は冷静な態度でピピン王子を玄関で出迎えた。
「挨拶は抜きにして、私の婚約者は今どこにいる? こっちか?」
ピピン王子は、そう言うと屋敷に入っていく。
「お、お待ちを殿下! わが娘はもう殿下の婚約者ではありません。恐れながら、婚約を破棄されたのはこちらです。娘は傷心の身、そっとしておいて頂けませんか?」
ワース伯爵は父親として娘を守る為、ピピン王子に非礼を承知で立ちはだかる。
「ワース伯爵、すまなかった、その事は改めて謝罪する。──その上でだ。私は直接そなたの娘に謝りたい。今、どこにいる?」
ピピン王子は、素直にワース伯爵に頭を深く下げて謝り、居場所を聞く。
これには、ワース伯爵もこれ以上拒否するわけにはいかない。
一国の王子が頭を下げているのだ、その相手を追い返すことが出来ようか。
「娘は今、庭に……」
ワース伯爵は、渋々居場所を告げる。
ピピン王子は、頷くと、庭に向かう為、屋敷を突っ切るのであった。
ピピン王子は庭に出ると、その東屋に座っている女性の後ろ姿を捉える。
そして、ずんずんとそこに向かって進む。
見知らぬ男が庭を進んで令嬢のもとに向かってくるので、侍女が慌てて立ち塞がる。
「どちらさまですか! ここはワース伯爵様のお庭です。そして、今はお嬢様が休んでおられる最中ですのでご遠慮してください!」
「そこの娘、私の声に聞き覚えがるあるだろう?」
ピピン王子は、侍女の頭越しに、娘に声をかけた。
「……いえ。どなたか知りませんが、人の庭に招かれてもいないのに入ってくるのは感心しませんよ。お帰り下さい」
娘はこちらを振り返る素振りも見せず、ピピン王子に帰るように促す。
「ならば、こちらを見て、私の顔を確認するがよい。そうすれば、わかるだろう? 追い返すのはそれからでも遅くはあるまい。それに、私もそなたに名前を聞きたいと思っていたからな」
「……」
令嬢は何か迷うところがあったのか、葛藤する様子を見せたが、思い切って立ち上がる。
そして、勇気を振り絞るように振り返り王子の顔を見た。
すると、その令嬢の美しい顔には大きな傷が走り、口元はそのせいで歪んで見える。
その傷は古いものではなく最近のものに見える。
「……やはり、あなたのことは知りません……。お帰り下さい……」
令嬢は、王子の顔を見るなり、明らかに複雑な表情を見せたが、悲し気にそう答えた。
「……その顔の傷はどうしたのだ?」
王子は自分が想像していた令嬢の綺麗な顔に大きな傷があることに驚いて聞く。
「妙齢の娘にその質問は失礼ですよ。お帰り下さい」
「……すまなかった。確かにそなたの言う通りだ。それでは別の質問を。そなたの名は何と言う?」
「……どこの誰だかわからない人に名乗る名前はありません。お帰り下さい」
令嬢は、頑なに名乗るのを拒否して王子を追い返そうとする。
その父親であるワース伯爵は悲しそうに二人のやり取りを遠巻きに見ていた。
「私はピピン王子だ。これでよいか? さあ、君の名前を教えてくれ」
「王子殿下でしたか、知らなかったとはいえ、私も王子殿下に対する態度ではありませんでした。すみません……。ですが、見ての通り、顔に傷があり、殿方の前に出られる姿ではありません。ですから、無礼を承知で失礼させて頂きます」
令嬢はそう言うと、王子殿下の元から離れようとした。
「待て。お主のお陰で私は目が見えるようになったのだ、感謝する。それにその傷は、私にくれた薬の為に負傷したのではないか?」
王子は何かを察してそう問う。
「王子殿下とは初対面ですし、薬とは何のことかわかりませんが、失礼しますね」
令嬢はそう言うと、王子を庭に置いて屋敷内に戻ろうとした。
「待ってくれ!」
王子はすぐにその手を掴んで止める。
「痛い!」
令嬢は、腕にも傷を負っていたのか、王子が掴んだ手を振り払う事も出来ずに苦悶の表情を浮かべた。
「す、すまない……! 怪我は顔だけでなく体全体なのか? 私が医者を用意しよう。それがそなたへのお礼の一つだ」
「いえ、結構です」
令嬢は、断ると、屋敷の自室に戻っていく。
ピピン王子は、それを悲しい目で見送る事しかできない。
するとワース伯爵が令嬢の代わりに王子のもとに来て話し始めた。
「王子殿下、娘のことは放っておいて頂けませんか? あの子は、女神様の神託を受けダンジョンに潜り、命を賭けて失明に効く薬を手に入れる事が出来ました。しかし、そのせいであのような大きな傷を負い、人前に出られない体になってしまったのです。そして、あの子は、あなたが幸せになるならと身を引いたのです。婚約破棄した今、あなたは他に何を望まれるのですか?」
父親であるワース伯爵は娘の献身的な態度から王子との結婚を望んでいたが、婚約破棄されてしまったことを、多少恨んでいた。
もちろん、王子はそのようなことを知らなかったのだが、破棄したのは事実であったから、ワース伯爵の非難には言い返す言葉が見つからない。
「……すまない。まさか、こんなことになっていたとは知らず……」
王子も心からの謝罪をするしかなかった。
「……あの子は、今でもあなたのことが好きなようです。あの子は人の心の色が見える特別な体質の子なのですが、王子殿下に初めてお会いした時、心の色がとても綺麗な人だという事に一目ぼれしたと言っておりました。ですが、あのような姿になった以上、あの子は王子の横に立つ資格がないとあなたの婚約破棄の申し出に首を縦に振ったのです。その気持ちを察して、もう二度とここには来ないでください、お願いします……」
ワース伯爵は涙を浮かべて娘の気持ちを尊重してくれるように心の底から願った。
この言葉に、王子は言葉を失う。
自分のことを何度も綺麗と褒めていたのは、容姿の事ではなく、心の事だったのだと気づいたのだ。
目が見えない自分が容姿のことを気にして、目が見える令嬢の方が、心の綺麗さに目を向けていた事実に恥ずかしく、情けなく思った。
「……すまなかった。だが、もう一度、彼女に会わせてくれ。彼女の口から名前を聞いておきたい。情けないことに私は、これまで、彼女の自己紹介さえ耳を傾けようとせず、知らないままであった。だから、その非礼も詫びたいのだ」
王子は王家の誇りを捨て、ワース伯爵に額を地面につけて願った。
「頭をお上げください!──……わかりました。娘を呼んできます……」
ワース伯爵は娘の心情を思うと断りたいのは山々であったが、ここまで頭を下げられると断れるはずもなく、渋々承諾してメイドの呼びに行かせるのであった。
令嬢は、自室で泣いてたのだろう、目元が赤く染まっている。
「……なんでしょう……か」
令嬢は、泣くのを堪えている様子であった。
「これまでの非礼をお詫びする。本当にすまなかった……! そして、君の名を聞かせてほしい……。私の人生を変えてくれた君の名が知りたいんだ」
「……私の名前はサラです。それでは失礼しま──」
「無理を承知で言う。私と結婚してくれないか!?」
ピピン王子は勇気を振り絞って、求婚した。
「……殿下。私はこの傷です。あなたの横に立つ女性はもっと相応しい方がいると思います……。──それでは……」
サラは、そう言うとその場を立ち去ろうとした。
「見かけは気にしない。君の綺麗な心に惹かれたのだ。だから、結婚してくれ!」
「……それでもです。今の私は王家に嫁ぐにはあまりにも相応しくありません。殿下は、王家の義務を果たすべく、見目麗しい女性を見つけてください。お願いします」
サラは、目に涙を浮かべてそう答えた。
頑なにピピン王子の求婚を断る理由が、サラには他にもあったのだ。
彼女は顔や体の傷だけでなく、子供が生めない体になっていたのである。
王家にとって、子孫を残すこことは必要不可欠なこと。サラはそれがわかっていたから、強く拒否したのであった。
王子はその後も彼女を説得しようと何度も彼女のもとを尋ねたが、サラは頑として首を縦に振らず、その間に、王子は新たな婚約者を父である国王から押し付けられることとなる。
そして、王子はサラの言う通り、王家の義務を果たすべくサラを諦め、お互い別の道を歩む事にしたのであったとさ。
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