第20話 童話『盲目王子と婚約者』③

盲目なピピン王子のもとに婚約者である田舎娘が訪れなくなってから、三か月が経とうとしていた。


その間、侍女達は田舎娘の噂について面白おかしく話している事もあったが、それも最初の一か月くらいで二か月も過ぎると噂自体にものぼる事が無くなり、忘れ去られていった。


ピピン王子も田舎娘の事は気になっていたが、自分のもとを去った相手であるから、未練がましくいつまでも気にしてはいけないと、忘れようと努力する。


最初こそ、その綺麗で優し気な声を思い出すことが出来たが、三か月もするとその声もはっきりとは思い出せなくなってきた。


なんと、いい加減なことか。いや、だが、私にとってはその程度の婚約者だったという事だろう。陛下にお願いして婚約破棄の正式な手続きを行ってもらうか。それで完全に忘れられる。


王子は自分の厳しい一言で、田舎娘が諦めたと思っていたから、その罪悪感からも逃れたかった。


だから、有耶無耶になっている婚約を正式な形で破棄してもらおう、という気分になる。


そんな日の午後であった。


「ピピン王子殿下。お客様がお見えです」


次女はいつもとは違う緊張気味な声で、そう伝える。


「予約も無しに私に客だと? そんな失礼で暇な者など、いつぞやの田舎娘くらいのものだぞ?」


ピピン王子は、沈んだ気分でそう皮肉を漏らす。


「そのいつぞやの方がお会いしたいそうです……」


侍女は、緊張を解かず、王子に事実を伝えた。


「なんだと!? 田舎娘が!?」


ピピン王子は、侍女の緊張する様子も不可解であったが、突然会いに来なくなり三か月間も連絡一つ寄越さなかった田舎娘が訪れたことに聞き間違いかと聞き返す。


そこに、「失礼します」という声と共に、足音が部屋に聞こえてきた。


その一言で、田舎娘であることがピピン王子の忘れかけていた記憶を刺激される。


綺麗で優しげな声だ。


いや、少し、かすれている気がする。


やはり、病気という噂は本当だったのか? いや、だが、三か月も続く病となると重病ではないか? 無事でいられまい。だが、連絡一つ寄越さないのも不可解だ。ここは心配してやるべきか、それとも連絡一つ寄越さずに再訪した事を責めるべきか?


ピピン王子は、脳内でグルグルとそんな葛藤が展開された。


しかし、その葛藤をよそに、


「王子殿下お久し振りです。私の事を覚えていらっしゃいますか?」


と田舎娘は簡単な挨拶をした。


「……その声は、三か月もの間、連絡を寄越さなかった田舎娘か? 何の用だ? てっきり婚約を諦めて故郷に帰ったとばかり思っていたぞ。どの面を下げて私の前に訪れたのだ? そんな者を婚約者として認められない。今度こそ婚約破棄だ、いいな?」


ピピン王子は懐かしい声に嬉しさと同時に今さらという気持ちが入り乱れ、無愛想な声でいつもの憎まれ口をたたく。


「……わかりました。──ですが、その代わり、私の願いを聞いてもらってもよろしいでしょうか?」


田舎娘はなんと、少し悲し気だが、ピピン王子の言葉に同意し、それと交換条件をお願いしてきた。


「な、なんだ、素直だな……。(そうか……。きっと故郷で問題が起きて手が離せなっかったというところか。そして、その問題が解決できないから、私に泣きついたと……。これで縁が切れるのなら、お礼の意味も込めて……)──よし、お前と婚約破棄できるのなら、私が出来る範囲でなんでも言う事を聞いてやろうではないか」


ピピン王子は、心がずっしりと沈む思いであったが、決心して田舎娘の言葉に同意する。


「それでは、明日から毎朝目が覚めたら、女神様に今、生きていることへの感謝の祈りを捧げてください。そして、その後、毎回、この小瓶の水を一滴だけ舐めて頂けますか? これを一か月間欠かさず行ってくださるのなら、私も婚約破棄に同意致します」


「なんだ、毒でも飲ませるきか?」


ピピン王子は、田舎娘の言葉に軽口を叩いて応じる。


「劇薬であることは確かです。ですから、毎回、必ず一滴だけでお願いします。ズルをして一気に飲み干せば、命の保証はできません。もし、自殺する気があったとしても飲まないでください。私が殺したことになれば、一族郎党が責任を問われることになりますので」


田舎娘はその心中が、どのようなものなのか全く分からない淡々とした口調で答えた。


「……よかろう。婚約者の最後の頼みだ。婚約破棄できるのなら、たった一か月の祈りなど楽なものだ」


ピピン王子は、久しぶりに会えた田舎娘の声色に何か不信感を覚えたが、その願いを聞き入れることにした。


それに、田舎娘が望むことだ。


三か月の間に何があったのかは想像できないが、何かを覚悟しているのかは理解できた。


それに、無茶な願いでもない。


もし、本当に毒だとしても、田舎娘の言う通り、一族郎党が処刑される事になるし、もとより、自分が死んでも悲しむ者はいないから、いまさらであった。


「……それでは、ピピン王子殿下。一か月後、願いを叶えて頂けましたら、正式に婚約破棄に同意し、二度とここへは訪れませんのでご安心ください。──王子殿下との半年間はとても楽しかったです。それでは失礼します……」


田舎娘は、そう言うと、退室する。


ピピン王子は、後ろ髪を引かれる思いであったが、呼び止める言葉も見つからないのであった。



ピピン王子は、朝に祈りと劇薬をひと舐めするというこの簡単な願いを、最初は忘れそうになる事もあったが、メイド達に自分を起こしたら、祈りを捧げるように指摘せよと言いつけていたので、なんとか忘れずに行い、劇薬もその後一滴舐める生活を続けた。


そして、半月経過した頃のこと。


目に光を感じるようになった気がした。


気のせいかと思ったが、闇しか見えなかった視界にそれ以外の色を感じる。


当然ながら、闇以外を感じたのは初めてであったから、感動した事は言うまでもない。


その日は、侍女を下がらせ、部屋で嬉しさに涙を流すのであった。


そして、その日から、少しずつ、闇と光以外の色も薄っすらと感じ始めた。


それこそ、ぼんやりという表現が相応しいものであったが、医者が説明する「色」というものが確実に見え始めたのだ。


王子は、その薄っすら見える色に毎日感動し、生きる希望を見出しつつあった。


そして、考える事も自ずと増える。


それは、田舎娘が起こした奇跡であろう事、そして、田舎娘が言った通り、一か月間祈りと薬の摂取を行えば、完全に視力が回復するのではないかという希望についてなどだ。


ピピン王子は、視力が回復しつつある事を周囲には告げていない。


それがぬか喜びであった場合、落胆されるのも嫌だったし、田舎娘にもその時は迷惑がかかると思ったのだ。


だから、一か月間続けて完全に治った時、そこから少し様子を見て、みんなに話そうと考えるのであった。


そして、習慣となった女神に生きていることを感謝する朝の祈りを心から捧げ、一か月目にほとんど見えるようになった視力で小瓶の最後の一滴を舐めた。


すると、視力は完全に回復し、小瓶は音を立てて砕け散る。


この奇跡としか言えない結果に、ピピン王子は田舎娘が自分の目を治す為に、この薬を入手してくれたのだと確信した。


だが、また、見えなくなる恐れもある。


ピピン王子はこの奇跡をすぐにでも周囲に話したかったが、一週間我慢する事にした。


そして、その一週間後。


王子は盲目から完全に回復した事を周囲に伝えた。


当然、王宮医師がそれを確認する。


「間違いございません。王子殿下の目が見えるようになっておられます!」


王宮医師の宣言で、王宮は大騒ぎになった。


当然である。


役に立たないと思われていた盲目王子が、少なくとも目が見えるようになったのだ、それは、王位継承権にも関わってくる。


だから、騒ぐなという方が無理な話であった。



ピピン王子は、これが田舎娘による奇跡である事はまだ、話していなかった。


というのも、彼女が嫌がる気がしたのだ。


だから、あえて誰にも言わず、女神様に祈りを捧げた結果、奇跡が起きたという事にしたのであった。



奇跡から三日が経過した頃、ピピン王子は、侍女に田舎娘の名前を初めて問うた。


彼女に直接感謝したいと考えたのだ。


最初は、一か月経ったら、婚約破棄の為に自分のところに再度訪れると思っていたのだが、それもなかったので呼び出そうと考えたのである。


すると、侍女は、ピピン王子に一通の手紙を差し出した。


田舎娘から、王子への手紙である。


一か月間、お疲れ様でした。これで私と王子殿下の婚約は晴れて正式に破棄となりました。これからも、女神様に感謝することを忘れず、祈り続けてください。王子殿下の幸せが末永く続きますよう私も祈っております。

──元婚約者より──


それは、奇跡を起こした者の手紙としては、あまりにも短い内容であった。


全く奇跡を誇るものではなく、ただ、淡々と婚約破棄の通知と王子の幸せを願うもので、余計な事は一切かかれていない。


少しくらい恩着せがましい内容でもピピン王子は泣いて感謝しただろう、だが、それもなかった。


そのせいだろうか? なぜか涙も出てこない。


「娘をここに呼んでくれ。時間がかかっても構わない」


「それは出来ません。王命により、元婚約者を呼び出す事はあまりに礼儀を欠くのでそれを禁じるとの仰せです。ですから、あの方の事は他言無用、一切、触れるなとの命令も出ております」


「父上が!?」


ピピン王子も寝耳に水である。


いつの間にそんな事になっていたのかわからなかった。


「名は? あの娘の名前くらいは、いいだろう?」


「名前も陛下から話すなとの仰せでございます……」


「……」


ピピン王子は何が起きているのか全くわからなかった。


「……この一か月の間、私が目が見える兆しが出て喜んでいる間に、そんな命令が下されていたという事か……。耳が良いのが長所だったのに、いざ目が見えるようになると聞こえなくなるものらしい……」


ピピン王子は自嘲気味にそう独りつぶやく。


こうして、ピピン王子は視力を得た代わりに婚約者を失ったのである。

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