第17話 五歳の娘とのやり取り

 お隣の娘サラを急遽預かることになったヨハンは、食事を用意をすることにした。


 と言っても、いつもの買ってきたものを温め直すだけであるが。


 その作業の間、サラは大人しく椅子の上で待っていた。


 大人しい子供と言えばそういう事になるのだろうが、サラは母親の言う通り目がほとんど見えないようなので、知らない部屋では動けないと言った方がいいのだろう。


 サラは、机の角や机の上に置いてあるナイフやフォークを触って感触を感じるとようやく安心した様子になって食事ができるのをまだかまだかと待っている。


 ヨハンはそんな可愛らしい反応を見て微笑ましくなるのであった。


「サラちゃん、普段はこの時間、どんなことをしているんだい?」


 ヨハンは、サラに気を遣って、会話のネタになればと聞いてみた。


「えっとね? いつもは、お母さんの仕事場にある休憩室の端っこに椅子があってね。そこに座ってお仕事が終わるのをずっと待っているの。座りっぱなしだとお尻が痛くなるのから、本当はたまに立ちたいのだけど、その椅子が高いから、お母さんが戻ってくるまでは下りられないの。前に椅子から降りて座れなくなった時、他の人に邪魔だと怒られたから、それからは我慢してる」


「え? ……トイレはどうしているの?」


「お母さんが休憩で戻ってくるまで我慢してるよ。前に我慢できなくて漏らしたことがあるのだけど、その時も怖いお姉さんに強く叩かれたから、出かける前にトイレに行ってお水は飲まないようにしているの」


「……(相当ひどい職場ですね……。母親も娘が叩かれたの知らないのかもしれない)そうか……。だから、今日は行きたくなかったのですね……」


「うん……。私がお父さんに殴られてお目目が見えなくなったせいで、お母さんはお父さんとリコンしたんだって。私、小さかったから覚えていないけど、その時お母さん大変だったって言ってた。今は、稼ぎが良い仕事が見つかったからなんとか生活できるんだって。だから私は我慢しないといけないの。でも、本当はあそこにいきたくなくて、わがまま言ったの。私、迷惑ばかりかけてる……」


 サラは、話しながら段々と暗い表情になっていく。


 そんなサラはまだ、五歳である。


 我儘どころか、これほど、我慢強い子供も多くないだろう。


 この子は自分の目が見えないことで、周囲に迷惑をかけていると感じ、普段から動かないようにしているのが察せられた。


 ヨハンはいらない質問をしたと反省すると、


「よし、ご飯が温まりましたよ。これは近所の『働き蜂亭』というお店のもので、ほっぺたが落ちる程おいしいですから食べてみてください」


 と明るく振る舞って告げる。


「……この匂い、知ってる! いつも通り過ぎる時にいい匂いがするからお母さんにお願いしたことがあるの。でも、高いから今日は駄目だって言ってた。──……そんな素敵なものを食べてもいいの?」


 サラはそう言うと、つばを飲み込む。


 そして、それと同時にお腹の虫が「グゥ~!」となる。


「はははっ。もちろんいいですよ! あ、ちょっと待ってください。切り分けてフォークに刺してあげますから」


 ヨハンはサラのエピソードに泣きそうになるのであったが、涙を我慢してお肉を切り分けていく。


 そして、そのお肉をフォークに刺して、「お肉だよ」と教えてからサラに渡す。


 サラは、いい匂いに刺激されて涎を垂らしながら、フォークを口に運ぶ。


「美味しい! 私、こんな柔らかいお肉初めて! おじさん、ありがとう!」


 サラは満面の笑顔でヨハンに感謝する。


 それに対して、ヨハンはまた、涙が出そうになった。


 自分にとってはいつもの食事だが、五歳の女の子にとっては、幸せな瞬間であることに心を打たれたのだ。


 この子の目が見えていれば、家で留守番をしてもらい、母親のアンナさんも昼間働ける仕事に付けたのかもしれないですね……。でも、一人では危ないから職場に連れてきても大丈夫な条件で、お金にもなる仕事が夜しかなかったのかもしれないです……。


 ヨハンは、また、フォークにお肉を刺してサラに渡すと、この親子がこれまで苦労してきた事の一端を想像して同情する。


 サラは、最初こそ夢中になって頬張っていたが、三口目あたりからは、大切に食べないと勿体ないと思ったのか、じっくり味わい始めた。


 その様子が、また、ヨハンの涙腺を刺激する。


 歳を取ると涙腺が……。


 普段から落ち着いていて、冷静なヨハンもこの手の事には弱いようだ。


 今さらながら、本人もそう感じたようで、天井を見上げて涙をこらえるのであった。



 しばらく食べていたサラであったが、途中で手を止めるとヨハンに食事をさせてもらった事を感謝する。


「おじさん、本当にありがとう! こんなに美味しい食事は初めてだったから、いっぱい食べっちゃった」


 サラはそう言うと、お腹を撫でる。


 それでもヨハンは、サラがこちらに気を遣って沢山食べずに我慢していると感じていた。


 そこで、


「もう、いいのですか? 残ったものは日持ちしないから捨てないといけませんね……。これは勿体ないなぁ~」


 と探りを入れる。


 すると、サラは慌てて、


「す、捨てるのは勿体ないよ? じゃあ、もう少し食べていい?」


 と控えめに言う姿に、ヨハンは「そうしてくれますか? 食べられるなら全部食べてくれると私も助かります」と応じて、サラの可愛さに癒されるのであった。



 今度こそ、お腹いっぱいに食べて満足したサラは、ヨハンにまた、感謝を忘れず、お礼とばかりに肩もみを申し出た。


「肩もみですか? それはありがたいですね! 歳のせいか肩が凝りやすくて」


 ヨハンはサラの申し出に肩が凝っているアピールをする。


 もちろん、無尽蔵の体力を得て健康を手にしているヨハンの肩は凝っていなかったが、サラの好意を無下にする選択肢などない。


 喜んでサラに肩を揉んでもらう事にした。


 サラはまだ、五歳だから力を強くない。


 しかし、それは本人も承知しているようで、顔を真っ赤にして一生懸命に肩を揉む。


 そして、握力が無くなって疲れると今度は肩たたきに移行する。


「上手ですね。お母さんにもしてあげるのですか?」


 ヨハンは慣れた様子のサラを褒めてから聞く。


「うん! 私に出来ることで褒められたのはこのくらいだから」


 サラは笑顔で応じた。


 きっと、大好きな母親の役に立てず迷惑ばかりかけていると思っている中で、褒められる事はほとんどないのかもしれない。


 だからこそ、褒められた肩もみに全力で取り組んでいるのだ。


 子供にとって出来ることは少ない。


 サラもそれがわかっているからこそ、母親の役に立てることを一所懸命やっているのだろうとヨハンは感じ、また、涙腺が緩むのであった。



 サラをお風呂に入れてから、食事の時の椅子ではなく今度はフワフワのベッドに座らせると、余程、居心地が良かったのか、うつらうつらし始めた。


 今日は、お腹いっぱい美味しいものを食べ、そのお礼に肩もみを一所懸命やり、疲れを取る為にいつものシャワーではなくお風呂でゆっくりできたのだから、五歳の子供ならそれだけで睡魔に襲われても仕方がないところだ。


 サラはまだ、寝たくないのか睡魔と戦うように、瞼を開けようと頑張っているが、もう限界だろう。


「もう寝ようか。サラちゃん、そのベッドで寝ていいよ」


 ヨハンがそう言うと、サラも我慢の限界だったのだろう、小さく頷くとそのまま寝てしまうのであった。



「さてと……。私は私で出来ることをやりましょうか……」


 サラを寝かしつけたヨハンはそうつぶやくと、食事をした席に移動する。


 そして、鞄から『異世界童話禁忌目次録』を取り出して机の上に置く。


「一人でまた読むのは危険ですが、それでも、サラちゃんの目を治せる可能性があるのなら、やらないわけにはいかないですね……」


 ヨハンはそう言うと深呼吸する。


 そして、本を開く。


 ヨハンの想いが本に伝わり、パラパラとページがめくれる。


 その開いたページの目次には、『盲目王子と婚約者』という題名が書かれていた。


「いかにもな題名……。これですね……」


 ヨハンが頷くと、本が承諾したかのように一度勝手に閉じて、また、開く。


 そして、ページがめくれると、『盲目王子と婚約者』題名あとに物語が綴られている。


「何々……、『あるところに、生まれてすぐ流行り病で目が見えなくなった王子がいました──』」


 ヨハンが読み進めると、本に、体と精神を引っ張られていく。


 そして、ヨハンは、一瞬で童話の中に吸い込まれるのであった。

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