第13話 二人の後日談
火傷跡の美女ことアリス・テレスは、それから二人が出会った場所である塔に昼休憩時、やってくるようになった。
塔へはヨハンの知人である近衛騎士が通しているので問題はない。
それに、他の者は入れないのでヨハンも気兼ねなくアリスと会える。
アリスは、ヨハンと支払いの約束を交わした翌日には、自分の貯金の大半だというお金がびっしり入った革の袋を持ってきた。
「普段、こんな大金、持ち歩かないのでドキドキしました。ふふふっ」
アリスは笑いながらそう言うと、ヨハンに火傷跡の治療費として報酬を支払う。
さすがにヨハンもその額に驚き、その半額で手を打とうとしたが、
「ヨハンさん。私の火傷跡は王宮医師でも治療できないと匙を投げたものです。それをあなたは詳しい方法はわかりませんが、死にそうな思いをして私に薬を譲ってくれました。これはその対価です。あなたにはこれを受け取ってもらわないと私の気が収まりません」
とアリスが、ベール越しに真面目に答えた。
「しかし、テレスさんの今後の生活にも支障が──」
「それは大丈夫です。私の生活分はすでに確保してありますから。ふふふっ」
アリスはちゃっかりしていたが、それでも大金であることに変わりはない。
自分で吹っかけた話とはいえ、この大金はこのアリス・テレスが働いて稼いだお金のはず。
どれだけの苦労をしたのだろうかと三十七歳のヨハンは考えると受け取って良いものかと悩むのであった。
アリス・テレスはそれを察したのか、
「このお金のほとんどは、火傷を負った折、陛下よりお見舞金として受け取ったものです。ですから、お気を遣わずに。私が貯めたものももちろん含まれています。それは微々たるものですが、それも含めて私の気持ちなので受け取ってください」
アリスはそう言うと、革袋をヨハンに押し付けた。
「……わかりました。これは、報酬として受け取りますね。──それでは、薬の分はこの一回で完済したということにしましょう」
ヨハンはそう言うと、支払いの約束を果たしたことにしようとした。
「いえ。約束した通り、これからも毎月、お支払いします。もちろん、微々たる支払いになっていくとは思いますが、それでも支払わせてください」
アリスは、ベールを上げ、その綺麗な瞳で真っ直ぐヨハンを見つめると、頭を下げる。
「でも、これだけの額を貰って、さらに毎月の支払いまでしてもらったら、私はあくどいだけの男になってしまいます……」
ヨハンは普段冷静で落ち着いている中年であったが、どうにもこのアリス・テレスには感情を刺激されてしまう。
困った表情を浮かべるヨハンであったが、
「私の火傷跡に対する想いとそれを治してもらったという感謝の気持ちですから、どうか受け取ってください。あの後、家に戻ってから、枯れてしまいそうなくらい泣いて喜んだんですよ。ふふふっ」
というアリス・テレスの言葉に、押し切られ頷くしかないのであった。
それからも二人は、塔で休憩時によく会うようになったのである。
「──え? ヨハンさんって、三十七歳なんですか!? 凄く若く見えますよ?」
アリス・テレスは、ヨハンと対面で食事をしながら、年齢を聞いて驚く。
「あ、もちろん、もとは、老け顔で不健康な体の年齢に相応しいおっさんでしたよ? ですが、テレスさんが目の当たりにした通り、この『
ヨハンは何度目かの一緒の食事で、本についてもある程度説明をしていた。
と言っても、ヨハン自体この本がどういうものなのか正確に理解していなかったので、本を読むと死ぬような体験をして、普通はそのまま現実に戻っても死ぬらしい、くらいしか説明はできていなかったのだが。
「不思議な本であることはわかりましたが、その本で危険な体験をしながら生きているヨハンさんが一番驚きですよ?」
アリス・テレスは、ヨハンの生命力に感心する。
「僕はブラックな職場で、精神面は鍛えられていましたからね。そのお陰で一度目は気力で生き延びて報酬を貰い、二度目のあなたの時は、最初に得た『無尽蔵の体力』のお陰で助かったという感じでしょうか。さすがに、半年間あちらの世界に登場人物としていたので、精神もおかしくなりそうでしたが……」
ヨハンは苦笑してこの苦労話を唯一できる女性に話す。
「すみません、私の為に大変な思いを……。それにしても、聞けば聞く程不思議な話ですよね……。あちらでの体験で火傷や病魔もこちらで引き継ぐなんて怖いことでもあります……。──ヨハンさん、もしかして、その体験で強くなったとかはないのでしょうか? 普通に考えたら、悪い経験だけ引き継いでいるとは考えにくくないですか?」
アリス・テレスが鋭い指摘をした。
「……確かに……。──『薬草を探す男』では、主人公のカイルは、冒険の先で強い肉体を得て、毒の沼地や瘴気の谷、火竜の山に挑戦していましたから、その指摘は興味深いですね……」
ヨハンはアリス・テレスの言葉に、目からウロコとばかりに、驚かされる。
そして、少し試したい気持ちになった。
物語のカイルは、三か月の冒険の旅で、人や魔物を相手に戦っていたから、肉体的、精神的にもかなり強くなり、毒の沼地ではその多種多様な毒を受けてかなりの耐性を持つに至っていたのだ。
あの時の体験が有効なのであれば、自分は強くなっているはずである。
とはいえ、こちらの世界で、その体験による肉体を引き継いでいなかった場合、実験して大惨事になったらただの笑いものだ。
さすがに、やらない方が良いでしょうか?
大人としての冷静な部分が、自問自答する。
だがもし強くなっていたら、今まで出来なかった事も出来るようになるかもしれない。
その魅力にどうしても期待する自分がいた。
過去の、目にクマを作り痩せた老け顔の自分だったら、現実を見て「無理」と冷静な判断を下せたと思う。
しかし、健康な肉体を得て、元気に溢れる今、そんな自分にどこか期待していた。
「次の休日にでも、試してみます」
ヨハンはアリス・テレスの疑問に答えるように決断した。
「その時は、私もご一緒しますね」
アリス・テレスはベールあげた状態の美しい笑顔で答える。
「え? そんな、いいのですよ? あくまで私が試してみたいだけですから」
「でも、一人で危険なことをするつもりではないですか? もしもの時の為に事情を知っている私が傍にいた方が良いと思いますよ?」
この人の良さそうな笑顔で当然のように言われると断れないのですが……。
ヨハンはこのアリス・テレスの紫色の綺麗な瞳で真っ直ぐ見つめられると、言葉に詰まる。
それに、アリス・テレスは火傷を負ってからはずっと、好奇の目に晒されてきており、心も傷ついてきたことは、話していて察するところがあった。
だから、元気を取り戻しつつある彼女の力になってあげたいと思っていたので、その気持ちは尊重したいところだ。
それにこれまで、彼女は王宮であまり友人と呼べる人がいなかったのだという。
孤独な中、側室の専属メイドになり、顔に油をかけられる仕打ちを受け、その火傷跡からなおさら人は近づかなくなったり、同情の目で見られることになっていたから、心を開くということが出来る状況ではなかったようだ。
今は、それを治した自分に心を開いてくれているようだが、三十七歳のおっさんとしては、器の広さでもってその気持ちを大事にしてあげたい。
ヨハンはそういった思いでアリスの前向きな申し出に感謝すると、次の休日に会う約束をするのであった。
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