第12話 体験の報酬
はっ!?
ヨハンは、王宮にある塔の一番上、涼しい風が吹く中、『異世界童話禁忌目次録』を手にしたまま、一瞬で冷や汗をびっしょりとかいていた。
それだけではない。
ヨハンの顔や体には、火傷跡が浮かび上がり、体内は病に蝕まれ、全身を激しい痛みが襲う。
その為、ヨハンはその場に跪き、苦悶に顔を曇らせる。
手にしていた二冊の本も地面に落としてしまう。
「だ、大丈夫ですか……!?」
火傷跡の女性は、ヨハンが急に苦しみだしたうえに、自分と同じように顔に火傷跡が浮かび出したことに驚き、混乱した。
数秒前に、
「それでは少しお待ちください」
と言って本を開いたばかりなのだ。
そして、驚いた拍子に気づいたのは、先程まで一冊だったはずの本が二冊に増えていることである。
火傷跡の女性は、その意味不明な現象に戸惑わないわけがない。
しかし、その本が原因であることは、女性もなんとなく理解できた。
本を開いたらその現象が起きたのだから当然だろう。
「もう……少しお待ちください……」
ヨハンは、童話の中で半年間過ごしていた為、久し振りに会った女性に再度そう告げると、二冊に増えた本を苦しみながら開く。
その本の題名は、『薬草を探す男』と書いてある。
ヨハンが全身の痛みに耐えながら苦悶の表情で本を開くと、脳内に前回経験した声が流れてきた。
「『薬草を探す男』の最後までのご体験、お疲れ様でした! 見事、達成されたヨハンさんには、この本の獲得者に与えられる『火傷跡に効く魔法』と同じ効果の薬『火傷跡に効く薬』。そして、ヨハン様専用『万能薬』が与えられます! それを獲得しますか? しませんか? はい/いいえでお答えください」
ヨハンの体の中は、前回得た『無尽蔵の体力』による健康な体と病魔による激しい戦いが行われおり、それがより一層ヨハンの体に激しい痛みを与えていた。
だが、ヨハンはブラックな職場で培われた異常に強い精神力でそれにギリギリ耐えている状態である。
声を発するのもかなり辛い状態であったが、脳内の声に対してはっきりと、
「はい……!」
と答えるのであった。
すると前回同様、目の前の『薬草を探す男と火竜』の童話が炎に包まれた。
それを見ていた火傷跡の女性は、思わず「きゃっ!」と声を上げる。
そして、その炎が消えるとそこには二本の形が異なる小瓶が置いてあった。
まるで、手品か魔法であったが、女性はそれがヨハンが行ったものではないことだけはすぐにわかる。
ヨハンの顔色は土色でいつ死んでもおかしくなさそうな状態に見えていたから、そんなことをやれる気力はないだろうと、どこか冷静に判断できたからだ。
ヨハンは、その異なる小瓶の一つを取ると震える手で蓋を開けようとするが、力が入らない。
女性はこの異常な展開が起きている中、ヨハンが何をしようとしているのかを悟ってすぐに駆け寄ると、
「この小瓶の蓋を開ければいいのですね?」
と、声をかけると小瓶をヨハンから取り合があげ、すぐに蓋を開けた。
ヨハンは、
「私の治療薬……」
とだけ口にすると、自力で飲むこともできず、そのまま意識を失う。
女性はその言葉ですぐに察したのか、ヨハンの口元に薬をやって飲ませようとした。
しかし、すでに死にかけているヨハンは飲み込む力が残っておらず、口の端から液体がこぼれ落ちる。
女性は、そこで意を決したのか顔を隠しているベールを捲り上げると、その薬を口に含み、ヨハンの口に重ね、強引に飲ませた。
口移しでヨハンはどうにかその薬を飲み干すことに成功するのであった。
「……私は一体……」
ヨハンは、火傷跡のある女性の腕の中で意識を取り戻した。
「大丈夫……、ですか?」
女性は見る見るうちに回復していくヨハンの顔色を見ていたので、文字通りの確認であった。
ヨハンはそこで目の前にいる火傷跡の女性の顔を初めて見る。
確かに、顔の半分が火傷を負っていたが、それでも美しい女性だと感じた。
ヨハンは思わず、見惚れるのであったが、
「……大丈夫ですか?」
と女性が改めて聞くので正気に戻る。
「す、すみません! もう大丈夫です! ──……あ、あれ? 私はどうやって薬を飲んだのでしょうか? あまりの激痛のせいか、全く記憶がありません……」
ヨハンは慌てて女性の膝枕から体を起こす。
そして、自分がどうやって助かったのか思い出せず、女性に聞いた。
「……じ、自分で飲んでいましたよ?」
女性はヨハンの質問にハッすると、赤面してから、しどろもどろにそう答える。
「? そう……でしたか……? まあ、でも、助かって良かったです……。本当に死にそうな状態でしたから。……あははっ。──あ、それとこちらの小瓶は、あなた用の薬です」
ヨハンはそう言うと、『異世界童話禁忌目次録』の横に置いてあった小瓶を女性に渡す。
「これが……、私の薬ですか? あなたが飲んだ薬のようなものでしょうか?」
女性は、目の前でヨハンの火傷跡や激痛を与える病魔から癒されていくのを目の当たりにしていたから、息を呑んで聞き返す。
「ちょっと違いますが、火傷跡を消してくれる薬です。──あ、ちょっと待ってください。 飲む前に質問が……」
ヨハンはそこで、童話内の体験としてカイルの身で死んだ時、そのあと、幼馴染のアリスが火竜王の怒りに触れて燃えて消失したことが脳裏を過ったので、飲む前に声をかける。
もし、火傷跡の彼女が、アリス同様に治った後にヨハンとの約束を守らず、代金の支払いを踏み倒すような事があったら、同じことが起きるのではないかと考えたのだ。
「質問ですか……?」
女性は、首を傾げて答える。
「……その火傷が治ったら、あなたはどうしますか?」
ヨハンがそうふわっとした質問をする。
女性はそこで、自分がヨハンにキスで薬を飲ませる為にベールを上げたままにしていたことに気づき、慌ててベールを下げた。
そして、深呼吸をすると、落ち着いた様子で答える。
「……このまま、いつも通りの生活に戻ると思います。幸いベールで顔を覆っていれば、火傷跡が治ったとしても、誰にも気づかれることはないでしょうから……」
「あなたは今でも十分綺麗ですし、治ったらもっと豊かな人生が待っていると思いますが?」
ヨハンは女性があまりにも控えめなことを言うので、思わずフォローしようと答えた。
「……ありがとうございます……」
女性は、火傷を負ってから始めて言われた誉め言葉に赤面すると、素直に感謝の言葉を告げた。
そして続ける。
「でも、火傷前の生活には戻れないと思います……。火傷を負ってからいろんなものを見てきたので、今はベールのある生活のままでいたいのが本音です……。あ、もちろん、治ったらの話ですが……。それに、そのお礼の為、あなたにはお代を支払い続けないといけないので私は真面目に働かないといけません。ふふふっ」
女性はまだ治ってもいない火傷跡が無くなった後のことを語るおかしさに笑みをこぼした。
「ほっ。(……大丈夫そうですね……)──それでは、薬をお飲みください」
ヨハンは女性の答えにアリスのようなことは起きないだろうと、安堵すると薬を飲むように勧めた。
女性はヨハンが治るのを目の当たりにした後だったが、緊張気味にその薬の入った小瓶に口をつける。
一瞬、間があったが、女性は一思いに薬を飲み干すのであった。
女性は童話のアリスの時のように苦しむことはなく、あっさりと火傷跡が綺麗に無くなっていた。
ヨハンは女性に治ったか確認するからという理由で、再度ベールを上げてもらう。
そこには、火傷どころか傷一つないとても綺麗な女性の顔があった。
その目はとても優しげだが、これまでの周囲の扱いに傷つき耐えてきたその寂し気な雰囲気は、男として守ってあげたい衝動に駆られるものであったが、それをぐっと抑える。
「跡は完全に無くなっています。──あ、このことは絶対口外しないという事も守ってくださいね。──それとお名前を聞いておいてもよろしいでしょうか?」
ヨハンは、そこで初めて、相手のことを何も知らないことに気づき、質問した。
「あ! 私としたことが、すみません! 私の名前はアリス・テレスです。王宮侍女の一人として裏方を務めています。これから毎月、お薬代はお支払いしますので安心して下さい」
アリスは火傷跡が消えた事にあまり実感が無いのか喜ぶ暇もなく、人の良さそうな笑顔でヨハンに応じた。
ヨハンは、童話での幼馴染と同じ名前であることに内心驚き、動揺するのであったが、同じ美女でも顔は似ていなかったので、偶然だろうと自分に言い聞かせる。
そして、自分も名乗った。
「私は王宮管理省総務部のヨハン・ブックスと申します。約束はいたしましたが、生活が厳しいようでしたら、相談にもお乗りしますのでご安心ください」
「いえ、約束は必ずお守りします」
アリスは、ヨハンの人の好さそうな雰囲気に心を許したのか笑顔で答え、二人は支払いの約束を交わすと、休憩時間の終わりも迫っていたので、塔をあとにするのであった。
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