第9話 飛び降りる理由

 ヨハンは、女性の手首をとっさに掴んでいた。


 女性の体は塔の外に飛び出しており、当然重力に従い下に落下したが、手首を掴まれたので、ぶら下がる状態で落ちずに済む。


「ふぅ……。紙一重でした……」


 ヨハンは冷や汗をかきながら、その体力と腕力で女性を上に引き上げた。


 その女性は、ベール越しでもわかるくらい「無」の状態というか、助かったことについて何も感じないのか動じる気配がない。


「命は大事にしてください。死ぬことはいつでもできますよ。それなら、その原因について、怒りでも後悔でも私に話してみませんか?」


 ヨハンは過去の自分に言うように、その女性に告げた。


 その言葉を聞いた女性は、そこでようやく自分が愚かなことをしようとしたことに気づいたのか、小さく嗚咽を漏らして泣き始めるのであった。



 その女性は、やはり、侍女の一人であった。


 いろんなところに出入りしているヨハンがその女性を知らなかったのは、彼女が王宮の奥で裏方をしていたからである。


 とはいえ、全く知らなかったわけではない。


 というのも、彼女は、以前、国王の側室になった令嬢の専属侍女だったことがあったからだ。


 その時、侍女の一人が令嬢の不興を買い、煮えた油を顔にかけられたらしいという噂くらいはヨハンも聞いていた。


 その女性は、そのせいで顔に大火傷を負い、表に出られなくなった。


 国王は、それを不憫に思い、ベールを付けて働く事を許可し、表に出ないでもできる仕事を、任せたのだとか。


 ベール姿の女性はその人物以外に考えられないから、きっとこの女性の事だろうとヨハンはようやくピンときたのである。


「お手数をお掛けして申し訳ありませんでした……」


 女性はようやく泣くのを止め、ヨハンに迷惑をかけたことを謝った。


「いえ、それよりも、良かったらこうなった理由を聞かせてもらえますか? あなたをそこまで追い詰めることになった理由を私は知りたいです」


 ヨハンは優しくそう告げると、ベールの女性から、死を選ぼうとした理由を聞くのであった。



 女性は、やはり、自分の今後を絶望しての飛び降りだった。


 火傷は顔の半分を覆い、その火傷跡を見た者は一様に顔を歪める。


 その度に、女性は傷ついていたから、国王の計らいで裏方に回してもらえたことに感謝していた。


 しかし、度々、新参者が職場に入ってくる度に、興味本位で顔を見せてとせがまれ、周囲も面白半分にその後押しをするので、彼女は最早珍獣扱いなのだという。


 彼女は、ここを辞めたら、働く場所がないと思っていたので、国王の優しさにすがるしかなく、我慢していた。


 だが、周囲の者は、火傷を負った経緯を知っている者も知らない者も、彼女が特別扱い(ベールの着用、裏方仕事だけ)されていることに、特に新人を中心に不満を漏らしている者が増えているらしい。


 彼女はそう思うのも当然だと思い、否定も反論も出来ず、申し訳なさと情けなさで自分を責め、気が付いたら飛び降りていたのだという。


「……辛かったですね。私で良ければ、話くらいならいつでも聞きますよ。……それにもしかしたら、あなたの力になれるかもしれないですし」


 ヨハンは、この火傷跡の女性に同情すると、ふと本のことを思い出し、そう口にした。


 火傷跡の女性は、自分に出来る仕事を紹介してくれると思ったのか、少し絶望の暗闇の中に灯った一筋の光を感じ、ヨハンを思わず見つめる。


「いや、まだ、力になれるかはわかりませんが……。ちょっとお待ちください」


 ヨハンは、火傷跡の女性の期待した反応にちょっと躊躇いつつ、自分の鞄を狭間まで取りに行き戻ってきた。


 そして、布に包まれた本を取り出す。


「これは?」


 火傷跡の女性は、首を傾げる。


「えっと、あなたの火傷跡を治せるかもしれません。期待を持たせて失敗したら申し訳ありませんが、少しお時間を頂けますか?」


「え!? 私の火傷跡を……? ──失礼ですが、私の火傷跡は陛下御付きの王宮医にも治療は不可能と言われました。ですから、治す事は不可能だと思います……」


 火傷跡の女性は期待していた仕事ではなく、夢物語のような治療の話だったので、残酷な現実を寂しげに伝えた。


「ええ、ですから期待は無しで。もし、治療できた場合は、報酬を頂けますか?」


 ヨハンは同情からとはいえ、それだけで治療するような偽善的なことを行うつもりもなかった。


 というのも、治療された側が、それこそ困るだろうと思ったのだ。


 だから、こちらは正当な報酬さえ頂けるなら、という形で話を持ち掛ける。


 自分にはこの本での成功体験が自信にもなっていたので、彼女の役に立てるだろうという思いがどこかにあった。


「え……、ええ……。──もし、治して頂くことが出来たなら、その時は、一生をかけてでもお支払いいたします……」


 女性は、少し、投げやりに答えた。


 期待通りにはならないと、経験からわかっていたからだ。


「約束です。──それでは少しお待ちください」


 ヨハンは笑顔でそう答えると、深呼吸をして本を覆う布を取る。


 そして、『異世界童話禁忌目録』の開く。


 すると、ページがパラパラとめくれていく。


 火傷跡の女性にはそれが、塔に吹く風のせいだと思った。


 ヨハンは、その開いたページに目を通す。


『薬草を探す男』


 という題名が視界に入る。


 そして、本が勢いよく閉じ、また、ページが開く。


 前回と同じく、目次だけの本のはずが、今は、『薬草を探す男』という題名とその内容が記されていた。


 ヨハンは、また、深呼吸をすると、その文章に目を通し、本に吸い込まれていく感覚に襲われるのであった。

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