第8話 環境の変化

 体力が無尽蔵になったと思われるヨハンは、その日から頼もしい職員になっていた。


 というのも、今まではその体格が示す通り非力で、大きな梯子を運ぶ時は数人がかりだったのに、一人でひょいと持ち上げて目的の場所まで運んだり、備品搬入でも一人で大きな箱をどんどん運ぶことも厭わない。


 女性陣はこの変わりようには一様に驚いたし、男性陣も頼りない先輩平職員が初めて頼もしく見えた。


 ヨハンの所属する総務部の仕事は王宮管理省において、何でも屋というべき立場にあり、特に雑用などでは、他の部署からもよく駆り出される立場の弱さがある。


 だから、王宮では侍従達より扱いは下のさらに裏方であった。


 そんなヨハンは、よくその各部署に上司命令で送り込まれていたのだが、当然、以前の時は体力がなく、ヘロヘロ状態であったから、最早気力だけで仕事をこなしていたくらいだ。


 しかし、それが頼もしい助っ人として他部署からも見られるようになる。


「総務部のヨハン・ブックスさん、魔法整形して見た目が大きく変わったのだけど、急に頼れるようになったわね。──容姿が変わるだけで、ここまで働けるようになるのものなの?」


「自信がついたのではないかしら? それに、あの人、老け顔の見た目の割に、頭の回転は良かった気がするわよ?」


「見た目だけで仕事できるようになるかよ。今まで手を抜いていただけだろ?」


 一部、その見た目の良さに嫉妬する者もいたが、概ねヨハンの評判をよくなりつつあった。


 特に、ヨハンは高所の仕事も引き受けて、梯子を上っていき、魔導具照明の取り換えなども楽々と行ってくれる。


 これは、誰もが危険だから嫌がるもので、以前はヨハンの見た目からさすがに誰も強制でやらせるものはおらず、ハズレを引いた他の男性職員がやっていたから、ヨハンが進んでやってくれる事で、後輩男性職員から好意的に見られ始めた。


「見た目が変わることで自信に繋がるのか……。魔法整形とやらで俺も目を二重にしてみようかな?」


「俺は、顎周りを細くしたいかな」


「俺は、鼻をしゅっとしたい」


 ヨハンの活躍ぶりに、男性陣も魔法整形に興味を持つ者も現れ始めたが、もちろん、ヨハンは魔法整形をしていないから相談されても、


「これは、旅の魔法整形師の人にたまたましてもらったので、もう、王都にはいないと思います。私も名前さえ聞いていないので答えられませんね……」


 とその場の思い付きで応えて有耶無耶にするのであった。



 そんな注目を浴び始めたヨハンには王宮で、唯一寛ぐことが出来る場所がある。


 それが、王宮の端にある近衛騎士が守護する塔の一つであり、そこは、ヨハンの顔見知りが、警備を担当していたから、お昼休憩時にはそこで誰に邪魔されることもなく、しっかり休むことが出来るようになっていた。


 ヨハンにとってブラックな職場での唯一のオアシスである。


 その塔の頂上は、王都を一望できる見晴らしの良さで、いつも風が強めに吹いていた。


 夏場は特にその風のお陰で涼しく感じるのでヨハンは気に入っている。


 それに、顔見知りの近衛騎士は、そこに人を滅多に通さないので、とても静かであり、そこにたまに来る自分以外の者もその静けさを好んでいるから、騒がしくなることはない。


 特にこの日は、ヨハンの見た目が変わったことで、注目の的になっていたから、休憩時間は一人になりたくて、この塔に通してもらった。


 近衛騎士は、


「今日は大変だったみたいだな。──それにしても、ヨハン。本当に見た目が変わってしまったな。はははっ! まあ、こちらの方が健康的でいいがな」


 と温かい笑いで指摘すると、仕事に戻っていく。


 ヨハンは塔の上まで来るといつもの通り、王都を見下ろせる方角の、狭間と呼ばれる塔の上にあるギザギザ部分に座って食事を済ませた。


「……この本は、結局なんだったのでしょうか……? フォルンという魔法使いは、あの開かずの間を『禁忌の部屋』と呼んでいました。この本は厳重な部屋で千年もの間、保管されていたものでしょうし、やはり、危険な物には間違いないでしょう。実際、私も死にそうになったわけですから……」


 ヨハンは、布で覆った『異世界童話禁忌目次録』を鞄から取り出すと、開くことなく眺める。


 これだけなら、何も起きないようだということは、ようやく理解したつもりであった。


「あの千年もの間、開かなった部屋を開錠したフォルンという魔法使いも、どうやって死んだのかは、私もこの本で体験した事で理解できました……。やはり、この本は、どこかに封印した方が良いのかもしれないですね……」


 そんなことをヨハンが考えていると、そこへ、ふらっと他の者が塔に上がってきた。


 ヨハンは、狭間に座っているので、あちらからは死角になるのか気づいていないようだ。


 ヨハンは上がってきた人物にチラッと視線を向ける。


 その人物はその制服から侍女のようだ。


 ようだ、というのは、その女性? は、ベールで顔を隠しており、確認する事が出来ないからである。


 だから、その女性らしい体形とスカート姿から性別を判断したのであったが……。


 その女性は、フラフラと歩き、狭間の上にヨハンと同じように、座った。


 ヨハンは、その佇まいに、過去の自分が不意に思い出される。


 それは、本当に昔のことだ。


 ブラックな職場に疲れ果て、一人になりたいと思い、近衛騎士にこの塔に通してもらった時のことである。


 その時も数日徹夜での仕事のせいでまともな判断能力が失われており、気力も限界を超えていたこともあって、良からぬことを衝動的にふと考えたのだ。


 それは、自殺である。


 楽になりたいと思うと涙が出て悲しくなり、塔の上から下を覗くと、吸い込まれそうな感覚になって、それに身を委ねたいと思ったのだ。


 その時のことがなぜかヨハンには思い出され、その女性に自分を重ねた。


 そして、ヨハンは立ち上がると、すたすたとその女性に近づいていく。


 女性はヨハンに気づくことなく、王宮のある方を眺めていたが、狭間の上に立ちあがった。


 そして、何のためらいもなく、塔の上から飛び降りようとする。


 ヨハンは、いつの間にか走り出しており、その女性に駆け寄ると、落下する女性の手首を掴んでいたのであった。

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