第3話 本の内容
上司命令で仕事復帰して最初の休日のこと。
「あのう……、先月の建国祭での残業分が全く給料に加算されていないのですが……」
ヨハンは、月初に配られる給料の中身を見て、給料支給課の女性に確認を取った。
「ヨハン・ブックスさん……ですよね? 少々お待ちください……。──ブックスさんは建国祭の一か月間、全く残業していないことになっていますが?」
職員の女性は手元の資料を確認しながら、不審な面持ちでそうヨハンに問う。
「ええ? そんなはずはないですよ? ただでさえ私はこの数か月、建国祭の準備から先月の開催中もほとんど毎日残業続きで、睡眠もろくに取れていなかったのです。このクマを見てください。先月どれだけ頑張っていたと思うのですか……」
ヨハンは、建国祭の疲れが残っている顔で、ずっと大変だったことを女性職員に力説する。
「……上司の方と話し合ってみてはいかがでしょうか? こちらは、そちらの上司の方の申告書通りに計算し、支給しているので……」
女性職員も、目の前の疲れ果てた姿の職員ヨハンが嘘をついているようにも見えなかったから、そう答えるしかない。
「ブラン部長……? ──そうか、そういうことか……」
ヨハンは上司と聞いて、すぐに原因がわかった気がした。
そのブラン部長が、自分の残業分を「ゼロ」にしたのだと。
いつも淡々と仕事をこなす冷静なヨハンも、今回ばかりは我慢ならないとばかりに、職場に急ぐ。
「ブラン部長。これはどういうことですか? 私の先月の残業代が『ゼロ』になっているではないですか」
ヨハンは、普段、絶対に噛みつくことがない部長に対し、疲れた表情で自分を落ち着かせながら問うた。
「はぁ? ──お前がいつ、王宮管理省総務部の役に立つ仕事をしたんだ? やったことと言えば、『開かずの間』の事故現場で数時間寝ていたことくらいだろうが! こっちは後始末を色々と押し付けられて大変だったんだ。残業させられたこっちの身にもなれ!」
「ですが──」
「そんなに残業代が欲しいなら、これをやる。鑑定士からほとんど価値無しと査定された『開かずの間』にあった本だ。中身を確認したが、目次だけ記されたつまらない本だった。だが、お前の残業代には丁度いいだろう!?」
部長ブランはヨハンの反論を遮ってそうまくし立てると、上から処分を押し付けられていたダリル著『異世界童話禁忌目次録』を、ヨハンに押し付けるように渡す。
「これ『開かずの間』にあった本じゃないですか……。これで人が一人死んでいるのですよ?」
「安心しろ。儂が王都の大きな店に持ち込んで改めて一流の鑑定士に鑑定してもらったが、何の変哲もないうえに、内容も無い本だというお墨付きをもらっているからな! あとは、売るなり、燃やすなり好きにしろ。──今日は、数か月ぶりの休みだろ? 黙って家で寝ていたらどうだ? それともまだ働きたいなら、今から制服に着替えろ! お前は長い時間働くしか能がないんだからな!」
上司ブランはそう言うと、ヨハンを職場から追い立てる。
「くっ……」
ヨハンは、本を握りしめると、せっかくの休日を台無しにしたくなかったので、そのまま大人しく自宅へと帰るのであった。
ヨハンは、ぼさぼさの黒い髪に、頬は痩せこけ、睡眠不足を表すクマの残る黒い目、ろくな食事もせず働いてきたのであろう華奢な体、そして身長は百七十五㌢くらいである。
髭こそ毎日剃っているが、疲れが全身からにじみ出ているせいか、年齢よりも老けて見え、くたびれた様子が拭いきれなかった。
自宅は、職員用に借りてある長屋の一室で、そこも荷物置き場と化している。
ヨハンは前日に久し振りの我が家へ戻ると、まずは警備隊に没収されて戻ってきた荷物の整理をし、寝るところを確保、昼過ぎまで久し振りの長時間睡眠をむさぼってから、先月の給料を受け取りに行ったのであったが、残業代の代わりに、死人が出た原因であるかもしれない本を一冊受け取るだけになっていた。
「はぁ……。──先月の頑張りが、この本一冊なのはさすがに辛いですね……」
ヨハンは、盛大に大きなため息を吐くと、ひとり愚痴を漏らす。
そして、掃除したばかりの机の上に本を置くと、先月奮発して購入した最新の家庭用魔導コンロに、やかんを乗せて水を温める。
「ブラン部長は絶対、この本を売り、お金にしようとして失敗したから、私に押し付けたのでしょうね……」
と本に視線を向ける。
そして独り言を続けた。
「あのフォルンという魔法使いのおじいさんのお陰で、『開かずの間』が開いたのに、この本が一冊だけとは……。それにしても、心臓発作で死んでしまうとか、お願いした私の責任でしょうか……?」
ヨハンは、罪悪感から、そう自問自答する。
「かなりの高齢だった様子……。やはり、体力は大事ということですね。うちのブラックな職場で、極限の状態でも乗り越える精神力は養われましたが、体力はそれほどでもないので、気をつけないと次は私かもしれない……」
ヨハンは、滅多に言わない愚痴をこぼしながら、『ダリル童話の禁忌目次録』を手にして、パラパラとページをめくる。
やはりこの本は、目次がびっしりと最後までページを埋めており、内容という内容がない。
ヨハンは目次の題名を何となく一つ一つ見ていると、『体力自慢と老人』という題名が目に留まる。
「『体力自慢と老人』……ですか。──私も体力つけないといけませんね。今の状況が続くと、さすがに歳も歳だからいつ過労で倒れるかわかったものではありません……」
と心配した瞬間であった。
バン!
開いていた本が勢いよく音を立てて閉じる。
「え?」
閉じたつもりがないヨハンは、当然そのことに驚いた。
そしてさらに、その本がまた勝手に開き、ページがパラパラとめくれ始めた。
「『体力自慢と老人』って……、え? 先程までの目次じゃないですね……。どうなっているのでしょうか……? 目次だけの本のはずだったなのに、内容が書かれています……」
ヨハンは、題名のあとに、その物語の内容が綴られていることにすぐに気づく。
思わず、その内容をしっかり確認しようと、読み始めた。
「何々……、──『昔々、あるところに、体力に自信があるダンという若者がいました。そのダンは村一番の体力の持ち主で──』」
ヨハンは、その内容を読み始めると、体が何かに引っ張られるような錯覚に襲われた。
いや、錯覚ではない。
それに、体だけでだなく、精神も開いた本に引っ張られるような感覚になる。
「こ、これは……!?」
そう感じて動揺していると、ヨハンに対して強力な力が働き、本当に肉体と精神が本に吸い込まれるのであった。
「こ、ここは……?」
ヨハンは、先程まで自室にいたはずなのに、気づいたら外にいた。
それも、王都ではないどこかだ。
長いこと住んで見慣れた王都の風景は周囲になく、というか建物がまばらで、見る限りどこかの田舎の村という雰囲気である。
「おーい、ダン! 早く手を貸してくれ!」
その村の家の一つから人が出てくると、こちらに気づいて声をかけてきた。
「私ですか? 私はヨハン、ヨハン・ブックスという名前でダンという者では……」
ヨハンは混乱気味にそう答える。
「何を言っているんだ、ダン? 今日は、うちの庭にある大岩を移動してくれるって約束してくれていただろう?」
村人は、冗談と受け取ったようで、ヨハンの手首を掴むと、引っ張った。
ヨハンは、「人違いですよ」と答えるのだが、村人は笑って相手にせず、引っ張ってどこかに連れていく。
その途中である。
庭の横にある水瓶に自分の顔が映ったので思わず止まって確認した。
そこにはヨハンの姿はなく、見たことがない男の姿である。
いや、これは、見たことがあった。
これが、今の自分の顔なのだ。
ヨハンはなぜかそう悟った。
自分は、ダンという名前で、体力が自慢の男なのだ、と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます