面と向かって話すのは久しぶりで、しかもほぼチャットだから会話の間が持つか少しだけ心配していたけれど、それは杞憂に終わった。


 何気ない世間話や趣味を共有するうちに、わたしはどうして和馬に難聴のことを打ち明けられたのかわかった。


 答えは単純、和馬だからだ。


 知り合い以上であり友達以上であり、でも他人の域を出ない。距離感をはかりなれている和馬だから、きっと話せたんだ。


『それで』


 和馬が切り出す。いよいよ本題に入るらしい。


『どのくらい聞こえないわけ』

『うーん、両耳が聞こえないわけじゃなくて、左耳が特に聞こえないってだけで右耳は正常値に近いの。あとは男子の低い声とか、人混みでの会話が聞き取れないだけ。そういう特性の難聴だから』


 ふんふん、と頷きながら文章を読む和馬。体格の良い男子がこういう仕草をすると外見と不釣り合いでなんだか面白い。


『そういえば、和馬の話したいことってなに? どうして学校行かなくなったの?』

『それなんだけど』


 深く息をはいてから、和馬はつぶやくようにさらりと文字を打った。


『俺も病気なんだ。つっても恵蓮みたいなとんでもない病気じゃないけど』

『けど?』

『地味に面倒くさい病気』


 それから和馬が画面上にゆっくり言葉を紡いでいくのを、静かに見ていた。和馬は今年の春頃から『起立性調節障害きりつせいちょうせつしょうがい』という病気に悩まされていたらしい。


 簡単に言うと自律神経の不調で朝起きられなくなったり、逆に夜眠れなくなったりするのに加え、立ち上がった時に起こるめまいと気持ち悪さが厄介なのだという。少し運動しただけで息切れしてしまって、体調不良を引き起こしやすくなってしまう――10代に多い病気だという。


『だから1学期はお昼過ぎに学校来てたんだ』

『そ。病院にも通っているし家でできる治療はやっているし、俺は病気が治るまで遅刻登校で良いと思ってた。家族もそう言ってくれてた。でも、俺の行動のせいで親が悪く言われ始めたんだ』

『なにそれ……』

『俺が毎日昼頃から登校してるって保護者の間で広まったんだよ。そうしたら、噂好きのババアが「槻さんのお宅はどんな教育をしているのかしら」とか言ってやがったって。しかも保護者会で、母親に聞こえるように言ってたらしい』

『……ひどい』

『俺もクラスの奴に聞くまで、そんなことが起きてるって知らなかったんだ』


 しばらく会っていないけれど、誰にでも分け隔てなく優しかった和馬の両親がそんな風に言われるのはわたしも納得いかない。


『だから俺、学校行かなくなったんだよ』

『まって、なんでそうなったの』

『喧嘩するため。親の悪口言ってたババアと』


 和馬の言葉で、思考があるひとつの要素に行き着いた。


『もしかして、あの噂って本当だった?』

『何、噂って』

『和馬がクラスの子の家に強襲したって話』

『それは本当』


 トラブルは嘘であってくれとは思っていたけれど、わりかし正当な理由があってのことだったから少しだけ安心した。家族のために強い手段に出られる和馬は人としてかっこいいと思う。


『和馬って重度のマザコン? それともファザコン?』

『ちげぇわ馬鹿。どう考えても俺自身に原因があるのに、なんで家族が悪く言われなきゃいけないんだって純粋に疑問だっただけ』

『そういうこと。で、喧嘩はどうなったの』

『俺の勝ち。1週間ババアの家行って言い合いして説得して、もうダサいことするなって約束させた。どうせああいうのは今後も有る事無い事言い続けるだろうけど、やばいのは親じゃなくて俺だって行動で示した、それだけで価値はあったと思うよ』

『そっか』


 病気という爆弾を抱えながらも、信念のために行動できる姿が勇ましい。ただただ、強いなぁと思った。


『俺、来週から学校戻るよ。目的は果たしたし、前に比べると体調もだいぶ安定してきたし』


 巻き込まれたら、もっと強い力で巻き込み返して。

 言われたら、さらに芯のある言葉で言い返す。

 自分の望む道を進むために。


 そうやって自分で前を向いていく和馬が眩しかった。

 ……わたしはこうなれるのかな。


『恵蓮はこれからどうするの』

『まだ、どうすればいいのかわかんないよ』


 家にいる間ずっと考えていたけれど、正直いまだにどう思われるのか、なにを言われるのか、どんな反応をされるのか……怖い。


 このままじゃダメだって思ってるのに。まだなにもされていないのに怯えている、最低な自分を変えたいのに……


『……わたしね、難聴になったって打ち明けた時になんて言われるんだろう、突き放されるかな、って友達の反応ばっかり考えちゃって。いまだに話せていないんだよね』

『その友達って、ひとり?』

『ううん、3人』


 ふーん、と横で唸る声がした。


『友達にどう思われるのか不安なら、一回全力でそいつらを信じてみればいい。恵蓮が全力で頼って悪く言うような相手なら、それは友達とは言えないだろ』

『う、確かに……正論です……』

『友達の感性を大切にしたいなら、すればいい。でも、自分のことを大切にしない奴を大切に扱う義理はないんじゃないか?』

『ソウデスヨネ』

『他人のせいで自分が壊れるくらいなら、自分のために生きて壊れた方が幸せだと思う』


 和馬の言葉で頭の中がクリアになっていく。思考のもやが晴れていくのを感じた。


 和馬はいつの間に、こんなに大人になったのだろう。小学生の和馬しか頭に浮かべられなかったけれど、確実にあの頃よりもずっとずっとしっかりした人間になっている。


 ひとりで悩み続けて停滞してわたしよりも、ずっと広い視野を持っている人間だ。


「恵蓮」


 和馬が急に、右耳に顔を近づけてくる。突然の行動にわたしはあわてる。この距離だから、元々はっきりとした和馬の声がちゃんと聞こえた。


「ななななに?」


 慌てて上ずる声で返事をすると、和馬は宵闇のように深く落ち着いた声で言葉をこぼした。


「やればできるとかじゃないから、無理してまでやらなくてもいい。なにもできなくても、病気と闘っていても、恵蓮は恵蓮だから」


 耳元に柔らかい吐息を感じて、なぜか涙が溢れそうになった。多分、わたしが一番欲しかった言葉を言ってくれた。それも聞き取りやすいように、少し高めの声で。


「絶対、他人の軸に振り回されるなよ」


 必死に涙を堪える。なんというか、してやられた気分だ。悔しい。


「和馬」


 負けず嫌いの心に火がついたわたしは、息を深く吸ってから和馬の目を見て宣言した。


「わたしも、勇気出してみる」

「そっか」


 和馬は柔らかく微笑んだ。粗暴な男子だけど、たまにこういう顔を見せる和馬のギャップに呻きそうになる。


 久しぶりに見た和馬は堂々として大人びた姿で、どこか遠い人のように感じた。


 ――でもわたし、絶対置いていかれないから。


 病気と環境を克服した和馬にも、大好きな友達にも、難聴にならなかった世界線のわたしにも。


 強く固く決意した。久しぶりに感じる自分の心の強さに、自然と口端が上がっていった。


 もう迷わない。これでこそ、わたしだ。

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