第3話③

 アルガストは、突然視界を奪われ動揺する。


(何がどうなって……あいつは何処だ?!)


「——『気配探知』」


 周囲を忙しなく見回していた最中、リアムの詠唱が聞こえ、そちらを向いた瞬間、顔の横を何かが高速で通り過ぎた。


 背後から重い音が響き、アルガストがその正体を確かめようと振り向く。

 視線の先では壁に拳大の石がめり込んでいた。

 アルガストは、あれが当たっていたらと想像し、血の気が引く。


(今のを当てていれば勝ってたな……)


 土煙の中、リアムは自身が勝利する為に何が必要なのかを思考していた。


 術士としては平凡以下。既にその事実は呑み込んだ。

 アルガストがどうこうできるリアムは、もうそこにはいなかった。


 リアムは、強く地面を蹴り土煙の中を高速で移動し始める。

 その気配を感じ取ったアルガストは、恐怖に負けて『深紺霊球』に全包囲防御形態を命令した。いや、してしまった。


(……なるほど)


 その尋常ならざる聴覚でアルガストの命令内容を聞き取った時、リアムの口角が吊り上がる。


 リアムは、勝利に必要な要素の内一つを得たのだ。


 だが、勝利にはまだ届かない。

 凡人が秀才に勝つ為には、最大まで不明点を潰す必要がある。


「たぬさん!!」


 リアムが名を呼ぶだけでたぬさんは、意図を理解したらしく、その権能を発動させる。

 金色の眼が淡く光ったかと思えば、一人また一人とリアムが数を増やしていく。


 たぬさんこと、〈傾戦〉の異名を持つ霊獣カミマシモ。

 その権能は、『幻影』。ただの幻影ではない。カミマシモが生み出す幻影は、物理的干渉を可能とする。

 幻影よりも創造に近い力だ。


 土煙が晴れ、ようやく観客が実技場内の様子を見た時、リアムは十人になっていた。


 「どんな術だ?!」「さっきまで何が?!」と実技場内にどよめきが起こった。


 意趣返しとばかりにギルベルトが満面の笑みでアーロンを見る。

 気まずそうにアーロンは、視線を逸らした。しかし、彼はもう影で暗躍する実力者ごっこを再開しなかった。


 ここでようやく『気配探知』に思い至ったアルガストは、濃紺の半球の中から術を発動し絶句する。


「ナッ……ナッ……」


「何をしたってか?簡単に答えを知っちゃつまらないだろ?」


 ニヒルに笑ったリアムが再び獣ように構えると、遅れて九人が同じ構えをとった。


「さあ、アルガスト。多勢に無勢、この状況をどう切り抜ける?」


 土煙の中で知らぬ間に形成は逆転していた。訳は分からないが、とても面白い展開だと観客は声を上げる。


 あのアルガストが無名の新入生に負ける展開を観客のほとんどが望んでいた。


「さあ、始めようか」


 リアムのは、披露した人間離れした身体能力と組み合わさり、絶大な効力を発揮する。


(アレが同時に十?!……なら先に)


「やれ!!『深紺霊球』!!」


「まあ、そう来るわな」


 半球の形をとっていた『新紺霊球』の表面から十人分の攻撃が各々に飛び出す。


 動きは単調だが、当たれば致命的な攻撃。避ける以外の選択肢はない。

 しかし、一人を除き残り九人のリアムは、それを正面から受けた。


「手応えあり!!数を増やそうと案山子では意味がないな?!」


 不利な戦況を元に戻したと感情が高まったアルガストは、触手を引っ込めるように命令を下した。だが、戻ってきたのは一本だけ。残り九本は、攻撃した先で強い力により留まらされている。


(何が起こっている?!いや、待てあと一人は何処に……)


 ——背後にいた。


「最初より半球が小さくなってるみたいだな。いや、壁が薄くなったのか?」


 アルガストの心臓が大きく跳ねた。


 無敵に思われる『深紺霊球』の弱点は、主に四つ。

術士が操作しないといけないこと。

莫大なエネルギーが消費されること。

単純な命令しか下せないこと。

そして、その質量は消費エネルギーに比例し、有限であること。


(ま、ざっとこんなもんか)


 何故、ギルベルトの話に出た青の術を使ってこないのか。

 何故、一度攻撃を避けられただけで触手は、本体に戻っていくのか。何故、わざわざ戻すのか。


 これらは、戦いの中でリアムが至ったほぼ結論に近い仮説だ。

 術士として平凡以下だからと言って座学の成績が良い訳でもない。ただし、戦闘における彼の頭脳は計り知れない。


「ほら、引きこもってないで——」


 リアムは、左拳を強く握り力を溜めるように上半身を捻る。そして、楔を打つように踏み込むと同時にカウンターの隙も与えない速度でそれを放った。


「さっさと出てこい!!」


 アルガストを守る壁は、硝子のようにあっさりと砕け散った。


「ヒッ」


 アルガストの口からか細い悲鳴が漏れた。


 左拳は、壁を砕いただけで役目を終えていない。リアムは、透かさずアルガストの胸ぐらを掴んだ。


「約束通り、頬差し出せや!!」


 アルガストを自身に引き寄せると同時にリアムは、右拳を彼の左頬に叩き込んだ。

 その威力は、アルガストの眼鏡が砕けたことで容易に想像できる。


 アルガストは、状況が理解できていなかった。


(……勝たなければ)


 ただ、それだけが頭に浮かぶ。

 アルガストは、ローブの下に潜めておいた薬剤の瓶へと手を伸ばした。

 思考など伴わない。ほとんど反射だった。

 何がアルガストをそうまでさせるのか。


「させねえよ」


 リアムは、アルガストの腕を怪力で振り払い、間髪入れずに彼の顔面を掴みそのまま地面に叩きつけた。


 突然、リアムと青空だけになった視界。

 しかし、相手がそこにいる、とアルガストが右腕を動かそうとした時だ。


「あんたの負けだ」


 リアムが顔面を握る力が強くなると共に握った拳を振り上げた。

 だが、その拳が振り下ろされることはなかった。


「……審判、気絶してます」


 リアムの申告に遅れて審判の止めの声が実技場内に響く。


 観客の歓声を浴びているにも関わらず、リアムの心はどこか冷めていた。後半のアルガストの様子がどうにもチラつくのだ。

 何故、そうなったのか、本人さえも分からない。


 ただ——、


(疲れたー)


 リアムの視界はそこで暗転した。



 ◇◇◇


 目が覚めると、知らない天井というありがちな景色が広がっていた。


「目が覚めたようだね」


 ベッドサイドに置かれた椅子に座っているアルガストが安堵したように言った。


「……そこは普通エレノアだろ」


「?」


「なんでもねえよ」


 頭上に疑問符を浮かべるアルガストに悪態をつき、リアムは寝返りを打った。

 先輩だと言うのに敬意の欠片もない態度にアルガストは、クスリと笑う。


「何だよ、憑き物が落ちたみたいじゃん?」


 リアムに問われ、アルガストは困ったように笑う。


「君に殴られたからかな」


「ならもっとアーロンみたいに爽やかにわらえよ。いや、あれは胡散臭いな」


「フルメグルにアケイシャか……。彼らが君に対してああなのも理解できる気がするよ」


 「どうだよ?」とリアムは独白する。


「まあ、近くに誰もいないみたいだし、が話したければはなせば?」


 それは荒々しくもリアムなりの優しさだった。


「どうして誰もいないと?」


「勘」


「本当に獣みたいだ。……その勘とやらを何故決闘で使わなかったんだい?」


「あんな人が多い中でたった一人絞るなんて無理に決まってるだろ」


 やはり、聞くのを止めようかと思った所でアルガストが神妙な面持ちで口を開く。


「……僕が負けたことを父ロンレイン伯爵がなんと言うか、と思ってね」


 たかが、子どもの喧嘩にあれだけの装備を寄越してくるのだ。

 負けてアルガストに何を言ってくるか、リアムでも容易に想像がつく。

 そして、怯えを取り繕っているようにも感じられる度が過ぎる傲慢な態度も。


「そんなもん、勝手に言わせとけばいいだろ。ガキの喧嘩にズケズケ踏み込んでくる方がおかしい」


 確かにそうだ、アルガストは頷く。


「確かにそうだね」


 今度こそ、アルガストの顔から怯えの感情が抜け落ちていた。

 やけに訳ありげな語りをしたかと思えば、たったそれだけかとリアムは肩透かしを食らう。

 その時、リアムは数人の人が近寄ってくる気配を感じた。


「アルガスト・イナンダートそろそろ時間です」


 突然、開かれた仕切り。そこから現れた美人な女子生徒にリアムはドキリとする。


「ハンナ、この子貴女を見て鼻の下伸ばしてるわよ」


 アルガストに声を掛けたハンナの横からぬっとソフィアが顔を覗かせた。彼女の顔には意地悪そうな笑みが浮かんでいる。


 ハンナは、薄緑の髪を弄りながら「じゃあね、リアム君」と手を振りアルガストを連れていってしまった。


 ソフィアだけが残り、それを確認したリアムは、彼女に尋ねる。


「パイセ……イナンダート先輩がどうかされたのですか?」


「今までの問題行動への罰則をと自分から申し出たのよ」


 罰則という言葉に引っ掛かりリアムが首を傾げると、ソフィアは軽く説明する。


「謝罪行脚や清掃活動程度のものよ」


 「だから安心なさい」と言わんばかりの口調だ。

 弟のことなどお見通しらしい。


「リアム」


「なんですか?」


「よくやったわね、色々と」


 ソフィアの言う色々に何が含まれているのか、当然リアムには分からなかった。

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