第2話

 一度、帰寮し身だしなみを整えたリアムが教室に戻った頃には、三限の授業は中盤に差し掛かっていた。


 リアムがエレノアの存在に気づいたのは、気だるそうな中年男性教師ベン・エドウィンに謝罪している最中だ。


 リアムと目が合うと、エレノアは微笑を浮かべ胸の辺りで小さく手を振る。

 エレノアのその行為を見て、リアムは心臓が鷲掴みにされているような、痛みとはまた違う感覚に襲われた。


 見知った顔だからかよく目に付く。それは、アーロンやギルベルトも同じだった。彼らは楽しそうにリアムを見ている。


 いつもと変わらぬ様子のアーロンとギルベルトを見てリアムは平静を取り戻し、着席してから普段通り落ち着いて授業を受けることができた。


「まさかリアムさん達が同じクラスだったなんて」


 授業が終わりベンが退室すると直ぐ、エレノアはトテトテとリアムの元に駆け寄り、開口一番そう言った。

 エレノアの続く形で側までやってきたのは、アーロンとギルベルト。


 「なんであの二人が……」や「仲良かったかしら?」という周囲の声など彼らの耳には届かない。


「まあ、リアムはエレノア嬢に比べれば地味ですからね」


 リアムは、昼休憩中に起こった様々なことによる疲労でアーロンに反論しなかった。

 目つきが良いとはとても言えない垂れ目がどこか優しい。


(たったあれだけでこんなに賑やかになるなんて)


 目の前で談笑するエレノア達をぼーっと眺めるリアムの口角は、少しだけ上がっていた。


 そんな平和な時間の最中だった。


「この教室にリアム・ベスフェラはいるかしら?」


 よく通る澄んだ声を皮切りとし、教室内に静寂が訪れた。


 誰も彼もが声の主の方、教室の入口を見るが、ただ一人リアムだけが俯いていた。

 そんなリアムを見つけた声の主は、彼の元へと歩み寄る。


 シャンと伸びた背筋。

 通った鼻筋、切れ長の目。

 そして、背中まであるリアムと同じ焦げ茶色のくせ毛をもお洒落にしてしまうヘアセット。


「ね、姉さん……何の用でしょうか……」


 この女生徒こそがリアムの姉にして、三年ソフィア・ベスフェラだ。


 リアムには似ても似つかないソフィアの登場に驚愕のあまりギルベルトは、目を見開いている。

 エレノアに至っては、首が取れそうな程の速さでリアムとソフィアを見比べていた。

 アーロンは何も変わらず王子様ような優しい微笑みを浮かべている。


「席を外しなさい。話があるわ」


「ヒャイッ!!」


 一瞬、冷たく細められたソフィアの目に気圧され、リアムは椅子を跳ね飛ばす勢いで立ち上がる。

 そして、ネジ巻き人形のような動きでソフィアの後に続いて退室した。


「ギル、後を追うよ」


「いや、盗み聞きはダメだろ」


「でも、楽しそうじゃないか」


 アーロンは、近頃王都で流行っている物語に熱中している。こうなった彼が止まらないことをギルベルトはよく理解しているので、後頭部を掻きつつ「確かに面白そうだ」と不敵に笑った。


 こうして、アーロンとギルベルト、何故か巻き込まれたエレノアの三人の隠密ごっこが始まった。



 ◇◇◇


 ソフィアが選んだのは、人通りが少ない二階から三階にかけての階段の踊り場だった。


「さあ、事情を説明してくれるかしら?」


「じ、事情と、言いますと?」


「あら、リアム。この私に隠し事をするの?」


 リアムは、大きく身震いした。

 それまで透明感のあったソフィアの声は、蠱惑的に変化し、それまで氷のようだった顔には、笑みが浮かんでいる。

 ただ、目が笑っていない。その上、先程よりも更に視線の温度が下がっている。


「……すみません。頭に血が上って決闘を受けてしまいました」


 ソフィアは、一頻りリアムに冷たい視線を浴びせた後、額に手を当て深くため息をついた。


「反省しているようなので、お父様とお兄様には上手く言っておきましょう」


(……報告はするのね)


 この先、避けられない説教のことを考え、リアムは天井を仰いだ。


「それに、アルガスト・イナンダートの行動は前から生徒会でも取り上げられていました」


「え、姉さん生徒会役員だったの?」


「この愚弟は……本当に話を聞いてないのね」


 ソフィアに睨めつけられ、リアムは口を噤んだ。

 相手の口を閉ざし、姿勢を正させる。そんな威厳をソフィアは備えている。


 ソフィアが「話を続けても?」と視線で問いかけると、リアムは何度も首を縦に振り肯定する。そして、彼女は再び口を開いた。


「今回の件もほとんどアルガスト・イナンダートに過失があると報告を受けています」


 そこまで言い終わると、ソフィアは一つ息を吐いた。

 次に口から出た声は、それまでとは打って変わって弱々しい。


「しかし、アルガスト・イナンダートは術士として学園内でも指折りの秀才です。既に実感していると思いますが、あなたでは足元にも及ばないでしょう」


「なら、止めてくれよ?!」


 リアムの全力のツッコミが飛び出した。

 リアムの術の成績は、落ちこぼれ寄りの平凡。それが指折りの秀才を相手にするなど、最悪死ぬ可能性がある。


「え、止めませんよ」


「弟が死んでもいいのかよ?!仕舞いには泣くぞ?!」


「死なないでしょ。それに本当に殺されそうになったなら、そこのお二人が止めてくれますよ」


 ソフィアがちらりと二階側の階段入口を見たので、リアムも釣られて振り向いた。

 少しして諦めたのか見知った三人が出てくる。


「いやぁ、バレましたか」


 気まずそうにするギルベルトとエレノアに比べ、何ともなさそうにアーロンは笑う。


「術士たる者、常に気配探知は絶やしてはなりませんね」


「これは一本取られました」


 ギルベルトが困ったように笑い、やれやれと首を振る。


 リアムは、そう言われて初めてソフィアの瞳が淡く光っていることに気づいた。術を発動させた際に起こる現象だ。


 一度、ソフィアが目を閉じ、次に開けた時には既に瞳の光は消えていた。敵意がないことの証明として術を解いたのだろう。


 次にソフィアは、制服のスカートの両端の裾をつまみ上げ、優雅な所作で一礼する。


「先程は挨拶もせず失礼いたしました。私、ノースベリー子爵家長女ソフィア・ベスフェラと申します。フルメグル様とアケイシャ様、そしてエレノア嬢の話はよく耳にしておりました」


 お返しと言わんばかりにアーロンとギルベルトも胸に手を当て貴族然と一礼した。

 どうしていいか分からず、エレノアはただブンブンと頭を下げ続ける。


「リアム、姉として最後に一つ。身分など関係ありません。不届きな輩にきっちりとした落とし前をつけてきなさい」


 顔を上げ、最後にそれだけ言うと、ソフィアは三階へと戻ってしまった。


「言いたいことだけ言って帰りやがった」


 ソフィアが居なくなった途端、リアムの仕草は再び荒くになる。

 しかし、エレノアはそれに安心感を覚えていた。


「それにしてもあの〈万能〉が姉だったとはなぁ」


「何だそれ?」


 ギルベルトが口にした〈万能〉という言葉にリアムは心当たりがないらしい。


「座学、実技共に優秀かつ全色の術を満遍なく扱える。君の姉君につけられた言わばあだ名さ」


 確かに、ソフィアは実家にいた頃から優秀だった。

 リアムが何かをやらかせば即お仕置され、その結果今ではあの人には敵わないと肉体と精神に擦り込まれている。


 そのソフィアに遠回しに勝てと言われてしまったのだ。


「……どうやって勝てと」


 明日のことを考えて、リアムの顔色がドンドン悪くなっていった。

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