音楽が静まるとき(2)

 その勇姿を見届けろ。そう言われているような気分だった。

 ジッと見つめる子供達、静かな怒りを表した彼女は陳腐な言葉で言えば……とても美しかった。そうやってメラニアたちがエル・スミスの演説に目を奪われている一方。仕方がなく礼服を着てホール・オデオンにやって来たルシムは、苛立ちげに古い柱を蹴り上げた。ぽろぽろと崩れて、慌てて双子が止めに入る。


「そんなに嫌なら来なきゃよかったじゃないですか~!」

 今回は断れるタイプの正体だったのに、とキャマスが言う。それに肩を竦めるのはベルトゥラ。彼女はこの恋する初心な男の心に感づいていた。

「……メラニアが出ると聞いたからだ」

「はい?」

「メラニアが聖歌隊の服を着るかと思ったんだ」


 この男、壊れたのだろうか? なんて、キャマスは頬を引き攣らせる。それから双子の姉に向かって耳打ちした。

「聖歌隊って古いローブ着てたよね?」

「しーっ! それ聞いたら帰っちゃうから」


 こそこそと話し込む二人に苛立ちを隠せないルシムだったが、ふと聞こえてきた楽し気な音楽に眉をぐっと寄せた。古い老人が口ずさんでいるその曲、聞いたことはあるのだ。『愛しきハルブルグの麓』という名のそれは、豊穣の踊りルフトクス。賑やかで、陽気で、まさに牛飼いたちが紡いできた曲というに相応しい代物。

 目の前にいた双子は、「何事か」と軍人らしく警戒をし始めたが、ルシムはそれどころではなかった。歌だ。楽し気な歌を聞くと、どうにも足が動いてしまう。


「……ちっ!」

 舌打ちをしたルシムは、ダン! とそのホール隅にある物陰で踊り出した。困惑気味の双子だったが、弟のキャマスの方が思い出す。


「あ! 室長は陽気な歌を聞くと足が勝手に動くと言っていました!」

「なによそれ!?」

「病気の一種らしいです!」


 そんなアンビリーバボーな病気あってたまるか!! と思いつつ、目の前の真面目ぶった癇癪持ちが踊り出している事実に頭を抱える。それから思い至ったように「一人で踊らせるの寂しそうじゃない?」と言った。完全に悪ふざけをするときの顔である。


「そうだね! じゃあメラニアちゃん呼んできます!」

「待ってキャマス、貴方は面識がないでしょう!?」

「大丈夫! ホールでカミセルと合流するので!」


 そう言って駆け出した弟にかぶりを振りながらも、一応ルシムに提案する。

「私を誘ってくれたりは……」

「っ! するわけないだろう! はは、バカが!!」

 ルシムは笑いながらキレるという器用な事をしながらも、踊り続けた。


   1


 くるくると規則正しくない踊りをしていたメラニア。楽しい楽しい楽しい! と心の底から思っていた。踊る相手は様々だ。殿方なんていらない、そんなエルの格言につられる様に、踊り明かそうと考えた。今やベルチェスター人が、総督府の人間が、沢山の目があるなんて誰もが忘れていた。ただ、この歴史を粉砕するような伝統的でめちゃくちゃな踊りを楽しんでいた。


 そんな中で、すとんと手を握られる。ふいに顔を上げると、そこにはバチッとウインクをしたベルトゥラ似の男性がいた。もちろんベルチェスター人である。驚いた拍子に転げそうになるメラニア。

 それを軽々と支えたのは、先ほどあったカミセルというヴァルト人の男だった。


「かか、カミセルさん!」

「……どうも」

「やあメラニアちゃん!」

「……っ!!」

 二人の手を取りながら、くるりとターンさせられる。そのまま眉をしかめてベルチェスター人の男を見上げると、彼はくくっと笑いながらメラニアを巧みな手でホールの輪から出した。


「ちょっと! どこに行くんですか!?」

 さすがのメラニアも、声を張り上げる程だった。その声に気づいた級友たちが踊りながらも心配そうに男を見上げる。

 そんな彼らを、カミセルが「……大丈夫」「お手洗いに行くだけ」とまるで誘拐犯のような口ぶりでなだめた。

 いや事実、誘拐犯では!? とメラニアは顔を真っ青にしたけれど、ある柱の裏に来たところで見た光景に「ぶふっ」と息を吹き飛ばした。


「笑うな……!」

「あ、すすすみません!」


 そこには滑稽な様子で踊り狂うあの男がいた。まるで恐ろしさの欠片もない姿にメラニアは目を奪われる。全くもって洗礼されていない踊りは、陳腐そのもの。でもだけど、ルフトクスだからこそ美しく見えた。


「メラニアちゃん、僕はキャマスって言います! どうぞ、室長と踊ってやってください!」

「……室長?」

「彼の事よ」


 ベルトゥラの言葉に、メラニアは頷いた。

「わ、わわわ分かりました!」

 彼女はちょっと覗き出てきた恐怖を振り払って、勢いよくルシムに飛び込んだ。それはまるで突進のようだ。

 だが、ルシムは上手いこと受け止めて、彼女の手を取る。

 そこからはちょっとしたパーティーだ。

 ベルトゥラは弟のキャマスと、ヴァルト人のカミセルの手を取って愉快に踊っている。格式なんて忘れた軍人は、意外と適応力が高そうだ。


 ホールの隅っこで行われているパーティーは、誰にも気づかれない。


「……オレは、お前の強さに惚れた」

 突然、男は至近距離で、メラニアにしか聞こえないような声で囁いてきた。惚れたと言われたことより、強いと言われたことに不快感を覚える。

「名前も知らない人に言われてもですね……」

 すねたような言葉に、男は気分を害することなく答えてくれた。

「ルシム・マスティフ。ディジーという研究室の室長を務めている」

「ルシムさん」

「……お前は王じゃないんだな」


 その言葉はきっと、今、ホールで踊り出している女の子を見て思った言葉なんだろう。そもそもどうしてそんな事を知っているのか、ルシムを見上げた少女は思わず足を止めた。

 疑問を聞いた彼は、肩を竦めながら言う。

「色々調べている過程で聞いた。偶々であり、恐らく殆どの者に伝わっていない事実だ」


 言いふらしたりしていないだろうな? なんてぎろりと睨まれて、ぶんぶんと首を振る。背後の音楽はいつの間にか鳴りやんでいて、静かになったその世界はまるで二人っきりのようだった。

 どうしてか、彼の顔から目が離せない。噂に聞く海というものは、彼の目のような色をしているのだろうか……そう考えるメラニアの顎筋を、ルシムはそっと撫でた。


「お前の無謀さに恋をしてしまったんだ」

 くしゃりと握りつぶされた紙。それを握らされて、メラニアは思わずそちらに目をやった。開けば、そこには完成された一枚の絵が描かれていた。

 光を浴びる鹿のような獣だった。それは荒々しいように見えて、実は神々しさをはらんでいる。そうか、そうかこの男の目に映る自分はこんなものかと顔を引き攣らせてから、彼の言葉に口を閉ざすのを忘れてしまう。


「ベルチェスターの時代は終わりだ。王が、お前たちを導いてくれるだろう」


 一歩、彼は足を下げた。いかないで、と思ってしまうのはなぜか。自分と彼は犯罪をそそのかしたものと、唆されたもので…………そうか、吊り橋効果というものか。メラニアは自分に問うて、答えを導き出した。


「また……会えますか?」

「どうだろうな」


 恐怖はもう無くなっていた。別の、幼女愛好家という恐怖が湧き出そうな気もするけれど、彼女はからからと笑い声をあげた。


「ありがとう、これ、大事にします」

「……没収でもされたら殺す」


 そう言ってから、背を向けた彼は言う。

「王が敗れたのなら、オレはお前を殺しに行く」


 それは愛なのか? と疑問に思いながらも、キャマスの「そろそろ行った方がよさそうですよ」という言葉に、メラニアは駆け出した。

 彼女が見えなくなった頃、ようやく振り返った男に、無神経なベルトゥラが口を開いた。


「失恋かしら?」

「ちょっとベルトゥラ!」

「……残念だった」


 茶化す三人に青筋を立てたルシムは、足音を立てながら会場を後にした。

 新年を前に、男と少女は互いの心を確かめ合った。王が世界を正した後に二人がまた出会うのは、必然の出来事である。


   (完)


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黄金の恋が実るまで 蛸屋 匿 @toku_44

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