第4話「旅客」
*
湯船にゆっくりと浸かり、美味しい夕食を口にし、腹が膨れて眠くなってくる頃合いである。
飲酒はしない。付き合いで口に含むことはあるが、自ら積極的にお酒を飲もうとは思わない。下戸なのである。
旅館は、普段と変わらぬ一人部屋であったが、広く感じた。心の余裕がそう見せているのだろうか。心の余裕が重要だと知ったのも、社会人になった後の話である。何もかも知るのが遅かった。いつだって私は、他の皆よりも二、三歩遅れて歩いているのである。
景色は代わり映えのない緑である。秋口ではあるものの、紅葉の時期にはまだやや早い。しかし美しい自然に身を委ね、静謐な雰囲気を享受するというのは、私にとって安らぎを与えてくれた。
ふと、小説を書こう、と思い立った。
間違えてはいけないのが、この「ふと」というのは、決して「書けない時期からの脱却」を表している訳ではないということである。
よくあるのだ。十代の頃から勉強以外の時間をほとんど小説の執筆に費やしてきた私にとって、筆を執るというのは、もう呼吸のようなものなのである。小説を書きたいと思うことは当たり前のことである。ただ、それが「書けない」の反対である「書ける」に繋がるとは限らない。
鞄の奥からポメラDM250を取り出した。旧型機の頃はカバーは持っていなかったので、百均のジッパー付きの袋に入れて持ち運んでいた。今回は、純正のハードケースを一緒に購入したので、余計な傷がつく心配はない。
書こう、と思った時に、さて何を書こうか、と悩むことはない。というか小説を執筆することにおいて、ほとんど何かを悩んだ経験がない。勿論、プロットを練ったり、ストーリーラインを構築する時には頭を悩ませたりはするけれど、実際に執筆するとなったら、すらすらと言葉が出てくる。
まるで良いことのように書いてはいるが、「考えて書いていない」というのが、果たして良いことなのかどうかは、私には分からない。ひょっとするとその辺りが、未だ私が作家志望にしかなれず、作家にはなれない分水嶺なのかもしれないが、まあ、そういう話も、いずれ語ろう。
書くこと、というのは、思ったことをつらつらと私小説化して書く、というものである。はっきり言って、昨今の小説業界においては、まるで需要のないものだろうと思う。こればかりは、売れるために書いている訳ではなく、自分のために書いているのだから、その辺りはご勘弁いただきたいところである。
そんなことをつらつらと思っていたら、いつの間にか小説が出来上がった。「緑豊かな自然の景色」を「整備されていない汚い植物の集合」としか捉えることのできない、変わった感性を持った少年の物語である。外を見ていて何となく思いついたものである。
私が書く小説は、主に三つに分類される。まず一つは、公募に出す長短編小説。次に、ネット上に投稿する長短編小説。最後に、どこにも公開しない自分だけのための短編小説である。最後が短編に限るのは、自分のために割く時間が勿体ないからである。恐らくこの物語は、整合性もとれていないし、若干場に酩酊しながら書いたから、三つ目に分類されるだろう。
自分のため。
そういう小説があっても良いと思えるようになったのも。
つい最近のことである。
エンドマークを打ち、打鍵を終えた。
(続)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます