第3話「閑話」

 *


 小旅行をすることにした。


 唐突であるが、実はこの行動は私にとっては習慣化しているものである。


 主に、小説に行き詰まった時などに。


 そう、私は小説に行き詰まっているのである。先日も、毎年応募している長編公募の新人賞の締め切りがあったけれど、結局間に合わずに応募することが叶わなかった。今月末にも多くの新人賞の締め切りが控えているが、どうも遅筆である。間に合う気配が微塵も感じられない。


 遅筆というか、集中力が続かないというか。


 先程習慣化している、と言った。この書けなくなる時期は、不定期に時折訪れる。


 書けなくなる時期、などというと、スランプのように聞こえるかもしれない。ただ、スランプとは少し違う、と思っている。スランプの語義を確認すると、「一時的に調子が出ない状態」のことを指すという。


 決定的な違いは、この時期が「一時的」ではない可能性があることである。


 否、「一時的」ではないと不安視している自分がいる、とでも言おうか。


 状態も、状況も。


 要はそれらは、心の在り方に起因する。


 身体と違って心は、形がない。

 

 だから、その状態が「正常」なものであるかの判断がつきにくい。


 こんなことを考えてしまうのだ。


「もし、一生この書けなくなる時期が続いたらどうしよう」


 その不安の種は芽となり茎となり葉となり、じんわりと私の心に根差してゆく。


 まあ、私は小説家を仕事としている訳ではないし、未だ新人賞を設置する編集部から受賞の連絡が来た試しもない。人より少しだけ作家を強く志望する人間が、小康状態になっているとでも思ってくれれば良い。


 そしてそれを解消するために、旅程を組むことが度々ある、という話である。


 行き先は、温泉地がほとんどである。


 あまり長く湯船に浸かっていることはない。熱がりなのである。しかし、普段の手狭な、監獄のようなユニットバスに浸かるよりはマシである。


 広いお風呂で、人と適当な距離感を保って、温まる。


 それが私にとって、かなりのストレス解消になることが分かったのは、社会人になってからの話である。


 学生時代は、疲弊など知らなかった。いや、感じてはいても、それを無視するほどに小説に取り憑かれていたとでも言うべきか。休む、落ち着く、何もしない時間の大切さを知ったのは、つい最近のことである。まあだからといって、一所懸命にのめり込んだあの時期を否定しようとは思わない。あの頃はあの頃で、頑張った。そう思えるように、なっただけでも、僥倖ではないだろうか。


 今回は比較的近場の温泉に、一泊二日で行くことにした。車で一時間半ほどのところにあり、行楽地としても有名なところである。スマホで宿を予約し、荷物の準備を始めた。


 せっかく新しい執筆機器を購入したのだ。休息によってまろび出たアイディアを漏らさぬよう、ポメラDM250を持って行こうと、私は思った。




(続)

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