第122話 ケット・シーの雛形
思わぬトラブルもあったが、巡年祭の雰囲気を堪能した翌日、昨日と同じように当主二人を見送った勇とアンネマリーは、王都の商業区へ来ていた。
今日は朝一から屋台も開くため、巡年祭はいよいよ本格的な盛り上がりを見せ始め、商業区も人でごった返していた。
「昨日よりさらに人が増えてるね……」
「今日からが本番みたいなものですからね。しばらくはこんな感じが続きますね」
車窓から人でごった返す商業区を見て勇が言うと、アンネマリーが隣で頷く。
中央広場と、そこへ向かう大通り以外は屋台が出ていないのだが、商業区は路面店が所狭しと並んでいるため人出は非常に多い。
馬車が通る車道と歩道が分けてあって本当に良かった、と今更のように勇が内心ほっとしていると、徐々に馬車が速度を落としやがて止まった。
「イサム様、ナシャーラ商会王都支店に到着しました」
御者席のリディルから声が掛かる。
今日は、リディルからの言葉のとおり、王都にあるナシャーラ商会の支店を訪ねていた。
巡年祭には商会長のギル・ナシャーラも王都の支店まで駆けつける予定だと聞いていたので、試作が出来上がったケット・シーのぬいぐるみを確認してもらう約束をしていたのだ。
勇が先に馬車を降りてアンネマリーに手を差し伸べていると、店内から2名の獣人がこちらに気付いて出てきた。
イノーティアにある本店ほどでは無いが、立ち並ぶ商店の中ではかなり大きな規模に見える。
「ようこそいらっしゃいましたマツモト様、アンネマリー様。ご無沙汰しております」
見知った顔の獣人が声を掛けてきた。商会長のギル・ナシャーラである。
「ギルさん、お出迎えありがとうございます」
「ギル商会長、ご無沙汰しております」
勇とアンネマリーも挨拶を返すと、ギルが隣に立つもう一人の猫風獣人の女性を紹介してくれた。
「こちらは王都支店で支店長を務めている、ユピ・ナシャーラです。ケット・シー様の研究の第一人者でもあります」
「ユピ・ナシャーラです。この度はケット・シー様の雛形を作っていただけるという事で、とても楽しみにしていますにゃ」
「……っ。初めましてユピさん。ご満足いただけるものが出来ていればよいのですが」
不意打ちで語尾に“にゃ”が付いた事で思い切り声が出そうになった勇だったが、どうにか堪えて挨拶を返す。
やはり誰も何も気にしていないので、自動翻訳によるものだと結論付ける。
男性の獣人の場合は何も語尾が変わらないので、女性だけに翻訳機能が反応するのかもしれない。
ギルとユピに案内され店内へ入ると、なかなかの盛況ぶりだった。
西方地域の商品が中心で、他国からの輸入品も扱っているらしい。本店ほどでは無いが、獣人の従業員もそこそこの人数がいるようだ。
そのまま店舗奥へと進み、警備員らしき体格の良い牛っぽい獣人が立っている階段を上がって、応接室へと通された。
「あらためてこの度はご足労頂き、ありがとうございます。大評定でお忙しいところでしたのに……」
「いえいえいえ、当主のセルファース閣下はお忙しいですが、我々はそうでもありませんから。昨日も午後からは巡年祭を回ってましたし」
開口一番頭を下げられたので、慌てて顔を上げてもらう。
「なるほど。そう言えば……。昨日屋台で火事騒動があって、それを消し止めたのがクラウフェルト家の騎士だった、という噂を従業員が聞いたと言っておりましたが、ひょっとして……?」
「えっ? そんな噂になってるんですか!? 確かに消しはしましたけど……」
「いやいやいや、僅か数人で鮮やかに火事を消し止めたそうではないですか? 屋台はほとんどが木と布で出来ているため、火事になると大変なんです。被害が広がる前にあっという間に消してしまった凄腕の魔法騎士が、クラウフェルト子爵家には揃っているらしい、と飲み屋では噂になっているそうですよ?」
短い時間だったし、広い王都の極めて狭いエリアで行った事なので特に話題になる事も無いと思っていたのだが、どうやらそうでは無いらしい。
「そうだったんですね……。まぁ悪い噂じゃないですし、子爵家の評判が良くなるのなら良い事か」
悪い噂が立つのは困るが、そうではないので一先ず良しとする勇だった。
「では、早速ですが試作品を見ていただいてもよいですか? 今回は織姫のご神体とは違って一点ものなので、ちょっと気合を入れています」
勇がそう言って隣のアンネマリーに視線を送る。
アンネマリーは軽く頷き、持って来ていた大きなカバンから体高60センチほどの白黒の物体を取り出した。
「こ、これはっ!!?」
「…………す、すごいにゃ」
一目見て絶句するギルとユピ。
「どうですか? 流石に等身大だと大きすぎたので、半分くらいのサイズで作ってみましたが」
それはまさに、ワミ・ナシャーラの回顧録や別冊資料に描かれていたケット・シーそのものだっだ。
艶やかな黒毛、目が覚めるような白毛は、どちらも極上の手触りだ。
何とかと言う魔物の毛皮なのだと、制作者である神官のミミリアが興奮気味に教えてくれたのだが、早口過ぎて聞き取れなかった。
目や鼻も、織姫のご神体と同じパーツを使っており、今にもニコリと笑いかけてきそうだ。
ちなみに地球の猫にも表情筋はあるものの、人と比べると少ないため、あまり表情が顔に出ることは無い。
しかしワミ・ナシャーラの別冊資料には、人と同じように笑ったり怒ったり泣いたりしているケット・シーの表情が、沢山収められていた。
きっとワミとケット・シーは、一緒に笑いあったり、喧嘩もしたりしながら楽しく暮らしていたに違いない。
「にゃおん」
織姫もその出来栄えを気に入っているのか、すりすりと頬を摺り寄せている。
自身のご神体を見た時のように、威嚇するような事も無い。
「なんという素晴らしい出来栄えでしょう!! まさに資料にあるケット・シー様が、そのまま飛び出したかのようです!」
「この手触り……。フワフワとした中に、少しだけしっとりした手触りがあると書かれていたケット・シー様の手触りそのままにゃ!!」
ギルもユピも、夢中になって撫でている。
「今回は、ここからが凄いところなんですよ」
ひとしきり撫でまわして二人が落ち着いたところで、勇がニヤリと笑ってケット・シーのぬいぐるみを手に取る。
そして、前足や首を動かし始めた。
「「なっ!!?」」
またしても絶句する獣人二人。その間にもテキパキと作業を進める勇。
ものの1分もしないうちに、先程まで立っていたケット・シーが、胡坐(胡坐風。脚が短いので組めていない)をかいて座っていた。
「今回は、中に骨格と関節を入れてあります。首、手足、腰、それと尻尾が可動するようになっていますので、このように色々なポーズをとらせることが出来るんですよ」
そう言いながらケット・シーの右手を軽く上げさせる。
ちなみに関節部分は、ボールジョイントを模して魔物の角を削った後研磨し、ヘクトアイズをすり潰したものを薄く塗布した特別製だ。
「「…………」」
もはや驚き過ぎて言葉を発せなくなってしまったギルとユピ。
「にゃう」
織姫が、座っているケット・シーの脚の間に収まって満足そうに座り、自分とケット・シーを交互に毛づくろいし始める。
「……尊いにゃ」
呆けた顔で、ぼそりとユピが呟いた。
「そうそう、おまけとしてこんなものも用意してきたんですよ」
勇が、もう一つの袋からさらに何かを取り出しては、机の上に並べていく。
「これはっ!??」
「……服にゃ!? オシャレ好きのケット・シー様の服にゃっ!!!」
「ええ、そうです。あの資料を拝見すると、ケット・シーというのは随分オシャレが好きだったようなので、いくつか服を用意しました」
勇が取り出したのは、ケット・シーの着せ替え用の服や帽子などの服飾品の数々だった。
「……なんという事だ。もはやこれはケット・シー様そのものではないのか??」
「凄い……。文献に書いてあることが、そのまま再現されてるにゃ……」
「いかがでしょうか? これならワミ・ナシャーラさんも喜んでくれますかね?」
「ええ、ええ……。間違いなく、大喜びしていただけるでしょう。……惜しむらくは、ワミ様のご存命中にこれをお見せできなかったこと」
勇の問いかけに、笑い泣きしながらギルが答える。
「そうですね。生きていらっしゃるときにお渡しできれば、どれほど良かったことか……」
勇も、自分が織姫と一生離れ離れになってしまう事態を想像してしまう。
「ああ、スミマセン。折角素晴らしいものを作っていただいたというのに……。こちらはイノーティアへ戻ったら、墓前に飾らさせていただきます!」
「ええ、是非そうしてください」
「それで、こちらの費用は如何ほどご用意したらよいでしょうか? これ程の出来栄えなので、ある程度までなら言い値で構いません」
「いえ、こちらは以前申し上げたように我々、いや正確には私からのプレゼントですから、お代は一切必要ありません。織姫に似たケット・シーを愛していたのに、二度と会う事がかなわなかったワミ・ナシャーラさんの事を思うと、どうしても他人事とは思えないんです。私の自己満足なので、どうかご笑納ください」
そう言い切った勇の目を、ギルはしばしじっと見つめると、ふっと表情を軟化させた。
「ふぅ、分かりました。イサム様の厚意、ありがたく頂戴します。しかし、我々もここまでして頂いて何もしないというのは、ワミ様の子孫としてもナシャーラ商会としても立つ瀬がありません。ですので、今回の件は借りとさせてください。イサム様が何か御入り用の際やお困りの際は、いつでもお声がけください。我々ナシャーラ商会は、全力でイサム様のお力になりましょう」
「あはは、ありがとうございます。困る事なんて無い方が良いですけどねぇ。……これから、お世話になる可能性は高いかもしれませんね」
苦笑いしながら勇が言う。小さく呟いた最後の言葉は、誰の耳にも届かなかった。
「ああ、そうだ。このケット・シー様の雛形は、追加発注する事は出来ますか? これはぜひ、我が一族に広めたいと思いまして」
「そういう事でしたら承りますよ。作るのに手間がかかるので、お時間は少々いただきたいですが……」
「おお、受けていただけますか!? もちろんお時間がかかるのは問題ございません。では、後日数量を取りまとめて、正式に依頼させていただきますね。あ、追加分についてはキッチリ見積もりをお願いしますよ? 無料だと仰るなら、注文しませんから」
ギルが楽しそうに笑いながらそう言う。
「ふふ、分かりました。追加発注分は、ちゃんと費用請求させていただきます」
勇もそう言って、笑顔でギルと握手を交わした。
この日を境に、クラウフェルト領では関節が可動するタイプのケット・シーのぬいぐるみを量産する事になる。
そしてそのノウハウによって、ハイクオリティなぬいぐるみがクラウフェルト子爵領の特産品となるのは、間もなくの話であった。
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