第120話 氷の侯爵

 イノチェンティ辺境伯の協力を取り付けた替わりに、プロポーズに至る流れまで話す羽目になってしまった翌日、今度はもう一人の面会希望であるシャルトリューズ侯爵の別邸を訪ねていた。


 シャルトリューズ侯爵家は王都のある王家直轄領の南東側に接しており、そこにある半島を丸々領地として有しているのが大きな特徴だ。

 この世界エーテルシアでは、海にも魔物が出るため地球ほど盛んではないが、海洋貿易自体は行われている。

 その海洋貿易の王国の玄関口となっているのが、シャルトリューズ侯爵領の領都、シャルルーベルだ。


 王家直轄領も最南端は海に面しているのだが、河川の河口が多く遠浅の砂浜が広がっていて干満差も大きい。

 小型の船が中心だったころは波も穏やかなこのあたりに港が作られていたが、船が大型化するにつれて都合が悪くなっていった。そこで白羽の矢が立ったのが現在のシャルルーベルだ。

 シャルルーベルは、付近に大きな河口が無く足元から水深がある上ちょっとした湾の奥に位置しており、喫水の深い大型船が泊められる天然の良港だった。

 王都から近い事もあって徐々に王国の玄関口として発展していく。


 港町として発展させた功績が認められ、港が開かれた当初子爵であったシャルトリューズ家は伯爵への昇爵を果たす。

 さらに港町で得た財源を使って積極的に半島を開拓、ついには王国領初の氷の魔石鉱山を探し当てたことで、侯爵へと昇爵して現在に至っていた。


「凄いですね……。実力で地位を上げた立派な大貴族じゃないですか」

 別邸へと向かう馬車の中で、あらためてシャルトリューズ侯爵家の来歴を聞いていた勇が感嘆する。

「ああ。模範とすべき貴族だ。そして親王家派の重鎮でもあるね」

「親王家派という事は、反王家派もいるんですか?」

「反王家、まではいかないけど距離を置くべきと説いている遠王家とでも言うべき派閥はあるね。以前訪ねてきたヤーデルード公爵家が筆頭かな」

 ヤーデルード公爵家は、魔法コンロの魔法陣を登録した際に当主の長男が訪ねてきた事があったが、大金を積んで自分たちに権利を譲れ、と暗に言っているような提案だったため突っぱねている。


「え? 公爵家って王族の血が直接入っていますよね? それなのに親王家ではないんですか?」

 ようは親類なのに距離を置こうとすることを不思議に思った勇が尋ねる。

「正確な理由までは分からないけど、ヤーデルード公爵家に限らず羽振りが良い所や強い力を持っている所が多いから、あれこれ言われたくないという考えなのかもしれないね。良くも悪くも実力主義で、権威の象徴になりがちな王家に疑問を感じているのかな」

「そうなんですね。まぁ考え方はそれぞれなので、変に実力行使したりこじらせたりしなければ良い悪いで語る話ではないですもんね……」

「うん。彼らからしたら我々のようにこれといった主張がない者のほうが、よほど異質に見えるのだろうしね」


 セルファースからしてみたら、所属する派閥の意見に全て従う事の方が異質に思えるが、国の運営に悪影響が無い範囲なら考え方には多様性があったほうが良いので、派閥については参加するのではなく距離を置くというスタンスを一貫して取り続けているのだった。


 そんな話をしながら15分ほどかけて、シャルトリューズ侯爵の別邸へと辿り着いた。

 王城ほどではないが少し小高い坂の上に建つそれは、まさに成功者、持つものが住まうに相応しい白亜の豪邸であった。


 門衛に来訪理由を告げると、しばらく待たされた後馬車寄せまで案内されたのだが、先導する騎士らしきものの鎧はおろか乗っている馬までもが白に統一されているという徹底ぶりだった。


 エントランスでは、執事服を完璧に着こなした“ザ・執事”がお出迎えをしてくれた。

 ホストではあるものの階級差が大きいため、この出迎えは至って普通だ。むしろ自ら一家総出で出迎えてくれたイノチェンティ辺境伯家が異質なのだ。


「ようこそいらっしゃいました。クラウフェルト子爵様、イサム・マツモト商会長様。執事長を拝命しております、ラウルと申します。お寒うございますので、早速ご案内いたします」

 執事長に案内され豪華な両開きの扉から邸宅内へ入ると、使用人一同が一列に並び整然と礼をする。

「「「いらっしゃいませ」」」

 一分の乱れも無い挨拶に感動しながら応接室へと案内される。扉の両側にはそれぞれ騎士が立っていた。

「すぐに主人を呼んでまいりますので、今しばらくお寛ぎになってお待ちくださいませ」

 丁寧に礼をして執事長が部屋を後にする。


 ぐるりと見まわしてみると、値が張りそうだが決して派手過ぎない調度品や装飾に使われている美術品の数々にため息が漏れる。

 勇がこれまで見てきた中で、最も豪華な応接室だろう。日本にいた時に、たまたま外資の超大手IT企業の応接室へ行った時も豪華だったが、こちらはそれに輪をかけている。


 勇とセルファースが、それとなくそんな品々を見ていると、コンコンコンと扉がノックされた。

「どうぞ」

「失礼いたします」

 セルファースが答えると、先程の執事の返答が聞こえた後、扉が開いて3名の男性が入ってきた。


 一人は先程の執事長、もう一人は軽鎧を身に着けた護衛騎士と思しき男なので、最後に入ってきた老紳士がシャルトリューズ侯爵だろうか。


「待たせて申し訳なかったね。ご足労感謝する、クラウフェルト卿。迷い人イサム・マツモト殿とは初対面のようなものだね。オーギュスト・シャルトリューズだ。陛下より侯爵位を賜っているよ」

「私ごときに丁寧なご挨拶ありがとうございます、シャルトリューズ閣下。本日はお招きありがとうございます」

「初めまして、と言って良いのか分かりませんが……、イサム・マツモトです。以後お見知りおきいただけますと幸いです」

「ふふ、堅い挨拶はここまでにして掛けてくれたまえ」

 ゆったりと柔らかい物腰ながら、威厳が滲み出ている辺り流石に上位貴族の当主だろう。金の長髪がなんともよく似合っている。


「さて、早速本題に入ろうかね。書状にも軽く書かせてもらったが、マツモト殿の商会とカレンベルク卿の所で共同開発したという新型の冷蔵箱。あれのお陰で我が領の氷の魔石の売れ行きがここのところ好調でね。一言礼を言いたかったんだよ。良いものを作ってくれてありがとう」

「いえ、礼には及びません閣下。我々も商売でやっておりますし、そもそも閣下の領地で産出される氷の魔石あってこその冷蔵箱ですから」

 儲けるためにやっている上、遺跡へ入るための交換材料にまで使っているのだから、礼を言われてもピンと来ないのが正直なところなのだ。


「ほっほっほ、そうかね。ウチは何もしていないのに売上が上がってしまいなんだか申し訳ない気がしてね……。そう言ってもらえるとありがたいよ」

 オーギュスト・シャルトリューズ侯爵は目を細めながらそう言うと、ゆっくりとお茶を一口飲んだ。


「ときにクラウフェルト卿。今回、カレンベルク家に共同開発を持ち掛ける代わりに、限定領域への入場資格を希望したそうだね?」

 目を細めたままオーギュストがセルファースへ問いかける。

「しかも、取り逃がした魔物に対する賠償も蹴った上で、だ……。そこまで価値があるものなのかね?」

「……どちらでそのお話を?」


 オーギュストの口から出てきた思わぬ言葉に、セルファースも真剣な表情になる。

 特に口外を禁止している訳ではないのだが、誰かが言わない限りそうそう知られることは無い取引の話のはずなのだ。しかも賠償を蹴った事は、極一部の関係者にしか知られていない。


「ふふ。質問したのはこちらなのだがね……。まぁ冷蔵箱のお礼に答えてあげようか。カレンベルク卿はフェルカー侯爵と共に、ヤーデルード公爵閣下の派閥の中心人物だ。いわば、我々の敵対派閥の中心人物。情報収集は入念に行っているのだよ。しかも限定領域への入場資格は、王家を除くと蜜月のフェルカー侯爵くらいにしか近年発行されていない。何かあると見ても、おかしくないとは思わないかね?」

 事も無げにそう語るオーギュストだが、そう簡単に調べられるような情報ではないことは明白だ。

 セルファースも勇も、その情報収集能力の高さに舌をまく。


「……そういう事ですか。確かに限定領域への入場資格をカレンベルク閣下から当代限りと言う条件で頂戴しておりますが、ウチの専属遺物採掘者アーティファクトハンターたっての希望でしたので。また、目先のお金よりも未発見のアーティファクトを見つけられれば、一攫千金も夢ではないですからね。それに、幸運な事にイサムも能力スキルのおかげで優秀な魔法使いになっていますので、限定領域を探索する戦力は十分と踏んだ結果です。ああそれと……」

「それと……?」

「我々は、ヤーデルード公爵閣下の派閥に入ろうとしている訳ではございません」

「ほぅ?」


「むしろヤーデルード公爵閣下、正確にはそのご長男からですが、魔法コンロの権利を6,000万ルインで買ってやるから下につけと言われましたので、突っぱねておりますよ」

「……ふん、長男と言うとアレクセイか。あやつの言いそうな事よ。おそらく父親とは関係無く、独断で動いたのであろうよ」

 面白くなさそうに鼻を鳴らすオーギュスト。面会後初めて、笑顔以外の感情を表に出した瞬間かもしれない。


「分かった。クラウフェルト卿らが、ヤーデルード公爵閣下の派閥に入るつもりがない事は確かだろう。だったらどうだ? これを機に我らが派閥に入る気は無いか? 悪いようにはせんよ」

「申し訳ございません、閣下。クラウフェルト家は代々無派閥を是としておる故、ご希望に沿う事は出来ません」

 オーギュストの誘いを丁寧に、だが固辞するセルファース。


「……そうか。まぁ卿の家はそうだったな。しかし残念だね、優秀な人材が最低2人はいるのだから、是非抱えておきたいのだがね……?」

「過分なお言葉ありがとうございます。そのお言葉だけで十分でございますれば、今後とも変わらぬお付き合いをお願いいたします」

 本気かどうか分からないオーギュストの称賛に感謝を述べてセルファースが頭を下げた。


「ふふ、食えん男だ。まぁよい。また氷の魔石を使う新しい魔法具を是非作ってくれ。近々出来る事を確信しておる。違うか?」

「……善処いたします」


 その後は、イサムの婚約の話など取り留めも無い話をしばらくしてから別れを告げ、セルファースたちは馬車へと乗り込んだ。


「ふぅ。さすがはシャルトリューズ侯爵閣下だね。緊張したよ。ああ、出してくれ」

 馬車に乗り込むなり、珍しくセルファースから話しかけてくる。

「そうですね。なんと言うか滲み出る威圧感と言いますか、やはり上位貴族の方はどこか違い、ます……ねぇ」

 それに応える勇の語尾が少々おぼつかなくなる。その目の先には、くちびるに指を一本当てながら、手帳に素早く何かを書いているセルファースの姿があった。


「はは、そうだろうねぇ。それでもシャルトリューズ閣下はお優しい方じゃないかな? 強引に話を持っていきはしないからね」

 そう言いながら走り書きする手を止めてそれをスッと勇へ見せる。

「……いやぁ、あれでお優しいとなると、私には貴族の付き合いというのは難しい気がしますよ」

 内容を素早く読んだ勇が、小さく頷きながら答える。


 手帳には“しばらく自然に話を合わせて”と書いてあった。


 それに従って話を合わせていた勇だったが、5分ほど走った所でセルファースがどかりと背もたれにもたれ掛かった。

「ありがとう。もう大丈夫だよ……」

 大丈夫と言いながらもその表情は疲れ果てている。


「大丈夫、ですか? 何が??」

 訳が分からない勇がセルファースに訊ねる。

「ん~~~、多分この辺かなぁ……?」

 勇の質問にすぐには答えず、天井やコタツの天板の裏をゴソゴソとやるセルファース。


「……まさかっ!?」

 先程のメモとセルファースの今の行動から何かを察した勇も、足元やカーテンをあらためる。

「っ!! これですか!?」

 そして、ベンチと車両横側の壁の間にある僅かな隙間から、小さな箱状のモノを見つけた。


「うん、それだね。もしやと思ったけど、やっぱりあったか……」

 セルファースが厳しい表情で首肯する。

「……ひょっとしてこれ、盗聴の魔法具ですか?」

「ああ、その通り。やっぱりイサムのいた所にも似たようなものはあったのかい?」

 勇の問いに苦笑してセルファースが答える。


「ええ、色々なタイプの物があって、問題になってましたよ……」

「ふ、世界は違えど考える事は同じか……。笑えない冗談だねぇ、全く」

「これって、シャルトリューズ閣下が? と言うか、もう普通に話して大丈夫なんですか?」

「ああ。間違いなくそうだね。こんな高い魔法具を、一度きりのために使うなんて、あの人くらいのものだよ。これは元々屋敷の中の別室で話を盗み聞きする使い方をするものだからね。屋敷から出てしばらく離れたらもう聞こえないよ」


「……いったい何のために?」

「一つは我々が本当にヤーデルード公爵閣下の派閥に入らないかどうかの確認、もう一つはなんでも良いからイサムの秘密を探りたい、といったところだろうね」

「私の秘密ですか?」

「イサムが来てから、魔法コンロが出来たり新型冷蔵庫が出来たり、魔物の群れを難無く追い払ったり、限定領域へ入ってみたり。で、このタイミングで一人娘と婚約だもの。何かあると思う人間もいるさ。実行に移すかどうかは別としてだけどね」

「……」

「まぁ、これは通告みたいなものだろうね。敵対するなら容赦はしない、とね」


「喧嘩を売られてるようなもんですよねぇ、これ……」

「はっはっは、完全に売られてるねぇ」

「そうですよねぇ、はっはっは」

「はっはっは、どうする? 買っちゃうかい?」

「ええ、買っちゃいましょう! まぁ、どうやったら買った事になるかイマイチわかりませんが。少なくともこれから先は、必要以上に控えめになることは止めますよ」

「そうだね。どのみち隠すのは限界と言う話だったからね。あれ? 買うも何も、結果は同じか?」


 思わぬ所で思わぬ人から喧嘩を売られたものの、結局は自分たちの力で切り開くしかないという事を再認識した二人は、あらためて覚悟を決めるに至るのだった。

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