第119話 イノチェンティ家との面会
王都シュタインベルンに着いた翌日の午後、息つく間もなくセルファースと勇、アンネマリーはイノチェンティ辺境伯の別邸へと向かった。
まさか王都到着から一日経たずに他貴族との面会があるとは思ってもみなかった勇は、未だに現実感が無い。
「貴族の社交って、いつもこんな感じなんですかね?」
王都を行く馬車に揺られながら勇がセルファースに尋ねる。
「まさか。日に数件の面会がある事は別に珍しくないけど、最上位の方や派閥争いに忙しい一部の方を除けば、少なくとも到着当日に面会依頼が届いているなんてことはまず無いよ」
はっはっは、と笑うセルファース。
「……我々はいつから派閥闘争に参加したんですか?」
渋い顔で勇が答える。
「いやー、そんな覚えはないんだけどねぇ……」
勇の言葉にセルファースが頭をポリポリと掻くが、不意に表情を引き締めるとボソリと呟いた。
「まぁ、派閥に入っていない、というのもある意味派閥なんだけどね」
宿泊する銀龍の鱗が貴族街の入り口に建っているため、10分足らずで辺境伯の別邸へと辿り着く。別邸とは言えそこは辺境伯、立派な邸宅だ。
さすがに王都内に本邸のような要塞を築くわけにはいかないが、武骨な作りがなんとなくそれを彷彿とさせた。
これまた本邸に負けないキビキビとした門衛に誰何されてから馬車寄せまで進んでいくと、ホストファミリーが総出で出迎えてくれるところまで本邸と同じだった。
「よく来てくれたセルファース、それにイサム、アンネマリー嬢も。王都到着早々すまんな」
馬車から降りると、早速当主のナザリオ・イノチェンティ辺境伯が声を掛けてきた。
「いえ。お声がけいただきありがとうございます、イノチェンティ閣下。ご無沙汰しております」
「先日はありがとうございました、ナザリオ閣下。本日はお招きありがとうございます」
「またお目にかかれた事嬉しく思います、ナザリオ様」
三者三様に挨拶を返すと、ナザリオが豪快に笑う。
「がっはっは、相変わらず固いな、お前たちは。まぁいい、ひとまずコイツだけ紹介させてくれ。寒いからあとの話は中に入ってからだ。セルファースとアンネマリー嬢は知っていると思うが、ワシの長男ツァイルだ。ここで当主代行をやらせている」
「クラウフェルト子爵閣下、アンネマリー嬢、ご無沙汰しております。本日はお忙しい中、父の無理を聞いていただきありがとうございます。マツモト様、お初にお目にかかります。ナザリオ・イノチェンティが長男、ツァイル・イノチェンティと申します。どうかツァイルとお呼びください」
紹介されたのは、ナザリオ譲りの海老茶色の短髪に、短い顎鬚を蓄えた男性だった。ナザリオほどでは無いが、良く鍛えられた身体が武の名門を感じさせる。
「やあツァイル殿。息災そうで何よりだよ」
「お久しぶりです、ツァイル様」
「ツァイルさん、初めまして。オリヒメ商会で会長を務めています、迷い人のイサム・マツモトです。どうか私の事もイサムとお呼びください」
三人が挨拶を返し、勇はツァイルと握手を交わす。
「よし。挨拶はそこまでだ。さぁ、入ってくれ」
それを見届けたナザリオに誘われ、一同は別邸の中へと入っていった。
応接ではなく談話室と思われる部屋へと案内された一同。これは決して低く見られている訳ではなく、“家族同様に親密に思い信頼していますよ”ということをアピールする、貴族流のもてなしだ。
事実、談話室に通された時にセルファースが少し驚いた表情をしていた。
「あらためて無理を言ってすまんかったな、セルファース。礼を含めて話したいことが色々あるのも事実なんだが、出来れば王都に着いて最初の客に招きたかったというのが大きくてな」
「……なるほど、そういう事でしたか。お気遣い感謝いたします」
「なに、かまわんよ。先日みせてもらった魔法具の礼だ」
「??」
何やら領主二人が納得しあう状況についていけない勇。
周りを見ても、勇以外の周りにいる人たちは皆、特にその会話に疑問を抱いていない。
「ああ、イサムはあまりこういう話には慣れていないか……。貴族が本邸以外へ行ったときに最初に招く客というのは少々意味があってね。その滞在時に一番気にかけている相手や興味のある相手だという事を、暗に周りへ知らせているんだよ。今回閣下は、我々を最初の客に選んでくださった。もしこの滞在中我々に何か言うという事は、イノチェンティ閣下にも言っているに等しい、という事になるんだ」
「なるほど……。ナザリオ様、ありがとうございます」
「なぁに、ワシの手足の長さなどしれておるからな。気休めみたいなものよ」
説明を聞いてようやく理解した勇が礼を言うと、気にするなとばかりに笑うナザリオ。
ナザリオがクラウフェルト子爵家、ひいては勇を気にかけていることは本当だし、最初に招待したのもそのためではあるのだが、かと言ってそれで全てではない。
勇とアンネマリーが婚約したことは娘経由で聞いており、娘の親友の婚約を心から祝福しているものの、大評定直前のタイミングに婚約したことが少々気になり、親しさをアピールしたほうが良さそうだ、という打算もあった。
「まずは魔法コンロの件で礼を言わせてくれ。少し前から、ザンブロッタ商会とナシャーラ商会で立ち上げたイノーティアの工房で生産が始まってな。作ったら作った分だけ売れる状況が続いておる。来年早々、増産体制を作ることが早くも決まったくらいだ。これで、富裕層が使う料理用の薪の量をかなり抑える事が出来るから、その分を他に回す事が出来る。毎年冬は、薪の遣り繰りが大変でな。かなり助かっておるよ」
「今回の王都訪問に合わせて別邸にも持ってきてもらいましたが、なるほどあれは便利ですな。煙も出ませんし、使いたい時にすぐに使える。料理人も喜んでいましたよ」
領地から一式持ってきたようで、ツァイルが感心しきりだ。
「あはは、ありがとうございます。お役に立てているのなら本望ですね。それにウチも商売でやっていますので、広まって嬉しいのはコチラの方ですよ」
便利に思ってもらい売れるという事は、それだけ勇や子爵領が潤う。決してボランティアではないのだ。
「そうかもしれんが、惜しまずイノーティアに工房を建ててくれたおかげで、この冬に間に合ったからな。ありがたい話だ」
「確かにタイミング的にはギリギリでしたからね。そのあたりはザンブロッタ商会のシルヴィオと、ナシャーラ商会に感謝ですね」
実際シルヴィオを始めとしたザンブロッタ商会の仕事は早かったし、手を組んだナシャーラ商会の現地での動きも見事の一言だったと、シルヴィオも報告してきていた。
現地の有力商会に任せたのはやはり正解だったようだ。
「ああ、そうだ。もう少ししたら売り出そうと思っている新型を、今日はお持ちしているんですよ。アンネ、新型のコンロをお願い」
「はい、イサムさん」
勇から声を掛けられたアンネマリーが、鞄から魔法コンロを取り出す。火力調整機能のついた最新型のバステトシリーズ第二号だ。
「……アンネ?」
皆が新型コンロに興味津々の中、同席していたユリアだけが勇のアンネマリーに対する呼び方が変わった事にピクリと反応する。
さすがに話の腰を折って突っ込むような真似はしなかったので、話は引き続きコンロについてのままだ。
「なに? コイツ1台で火力調整が出来るのか?」
「はい。ウチの料理長とも話をして、5段階の火力調整が出来るようにしています」
「5段階……。現行品が3種類の火力だから、それより調整が利くのか」
「そうなりますね。その分お値段も跳ね上がりますから、ひとまず上流貴族や大店の商会長なんかの富裕層向け、もしくはお祝い品や贈答品用を考えています」
勇の言う通り、調整機能が付いた新型コンロは、値段は現行品の8倍の80,000ルイン。日本円でざっと800万円相当と、中々のものだ。
現行品が抑えめの価格だった事もあって、こちらは相場価格となっているのだが、それでもかなり売れるとニコレットが太鼓判を押していた。
ちなみに製造原価は無属性の魔石がいくつか追加になった程度でほとんど変わらないので、値上げ分はほぼ丸々利益である。
「これを二台お土産に差し上げます。本邸はもちろん、こちらの別邸でもお使いいただければ」
「おいおいおい、八万もするもんをそう簡単に貰うわけにはいかんだろ。しかも二台とか……。セルファース、お前んとこの婿さんは大丈夫か?」
1,600万円相当の手土産である。辺境伯と言えど、さすがにそのレベルの土産はおいそれと受け取れぬらしい。
「ええ、大丈夫ですよ。私も承知済みですので」
「本当かよ……」
自分の問いかけにセルファースが笑顔で答えたことで絶句するナザリオ。
「もちろん我々にも打算があります。特にこちらの別邸で使っていただき、積極的に他の貴族家や大店の商会に広めていただきたいんです。王都に展示できる店舗を構えようと思ってはいるんですが、すぐには難しそうなので……」
これまでは、勇の
そもそも本来、効果的に販売するために宣伝は必須なのだ。
今回のような高額で高位貴族がメインターゲットとなる商品の場合、一番手っ取り早いのが貴族同士の口コミと商人からの提案営業だ。
特定の貴族が良いものを使っていると、訪問した貴族が直接知るだけでなく御用商人の間で噂が広がることになる。
その両面から攻めていくのは、普段街の店で買い物をする事がない高位貴族へ売るのに一番手っ取り早いのだ。
「その程度は別に問題は無いが、明らかにそれだけでは貰いすぎだ。まだ何かあるな?」
貴族、それも高位の貴族程、タダより高い物はないことをよく知っている。ナザリオに至っては国境を預かっているのだから、より一層そうであろう。
「先日、イサムとアンネマリーが婚約したことはご存じですよね?」
「うむ。娘から聞いたよ。この前訪ねてきた時も、良い雰囲気ではあったが……。この時期に合わせたな?」
「合わせたのは私ではなくイサム本人ではありますが……」
「なに?」
当然セルファースかニコレットの指示だと思っていたナザリオにとって意外な事実だった。
「はい。私からこのタイミングに婚約させていただきたいと思いプロポーズしました。と言うのも、近々私は自分の
キッパリと皆の前で意中の人がアンネマリーだったと公言する勇。
「イサムさん……」
それを聞いたアンネマリーが頬を染める。
「ふ。物語に出てくる騎士のような物言いだな。しかしそう言うということは、
軽く笑いながらナザリオが勇に問いかける。
「はい。そう思っていただいて構いません。また、
「ほう……」
勇の優勝宣言にナザリオが目を細める。ナザリオはじめ辺境伯家は国の最前線を張っているというプライドがある。
御前試合においても、この国に三つある辺境伯家は、毎年優勝候補に挙げられる強者たちだ。
その騎士団を率いる当主の目の前で優勝宣言をしたのだから、ナザリオが訝しむのも当然だろう。
「つきましては、私が
そう言って勇が頭を下げた。
「
「……そう取っていただいて構いません」
「…………」
「……」
「フッ、良かろう。どのような
腕を組んでしばし瞑目していたナザリオが、きっぱりと言い切った。
「そのお言葉、万の兵を味方に付けるより頼もしく思います。ありがとうございます」
勇が再び深く頭を下げる。
「なに、こちらも打算含みだ。礼にはおよばぬ」
そう言ってナザリオはからからと笑った。
「ときにイサムよ。そのプロポーズのあたりを、もう少し詳しく話せ。娘もその辺を大層気にしておってな?」
ニヤリ、とナザリオが笑みを浮かべる。
「そうよ!! さっきもさらっと“アンネ”って呼んでいましたよね!? なんかアンネも可愛くなっちゃってるし!! そのあたり、じっくりたっぷりしっかり聞かせてくださいっ!!! なんだったら私を側室にでも!!」
「ちょっとユリアっ!」
我慢の限界だったのか、父親に水を向けられた途端前のめりにユリアが畳みかけてきた。しかもどさくさに紛れてとんでもない事を口走り、アンネマリーが慌てる。
「あはは。別に面白い話ではないですよ?」
苦笑しながら勇が言うが、ユリアのテンションは下がらない。
「そんな事あるわけないじゃないですか! これまで浮いた話の無かったアンネが、いきなりこんな良い男と婚約したんですよ!? こんな悔しい、もとい面白そうな話はそうそうありません!!」
結局この後、一時間に渡って根掘り葉掘り聞かれる事になるのだが、その間アンネマリーは、赤くなりながらも幸せそうな表情をずっと浮かべているのだった。
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