第117話 おじさんたちの馬車旅
領都クラウフェンダムを出発した一行は、長い車列を作りながら森を南下していった。
ヤンセン子爵領は北西、ビッセリンク伯爵領は北、先日行ったイノチェンティ辺境伯領は南だが河を下って向かった。
なので、勇からしてみると、この道を通るのは半年以上振りとなる。
あまり車窓からの風景は覚えていないが、季節が進んだこともあり全く別の場所のように見えた。
「どうしましたか、イサムさん?」
勇がそんな事を考えながらぼんやり外を眺めていると、隣に寄り添うように座るアンネマリーが声を掛けてきた。
「ああ、アンネ。いや、来た時と随分雰囲気が違うなぁ、と思ってね。季節が進んだこともあるだろうし、随分こちらの世界に慣れたのかな?」
軽く微笑みながら勇が答える。婚約したことで、アンネマリーの事をアンネと呼ぶようになり、敬語もやめた。
アンネマリーは「常にこの喋り方なので……」と、婚約前後で口調が変わることは無かった。
「もう半年以上経ったんですね……。ふふふっ」
コトリ、と勇の肩に頭を乗せたアンネマリーが、何かを思い出したのか小さく笑う。
「どうしたの?」
「いえ、まさか私がイサムさんと婚約するなんて、あの時は思ってもみなかったので。不思議なものだなぁ、と」
「あはは、確かにそうだね。俺もこんなことになるなんて思ってもみなかった。ああ、そうだ……」
「?」
「初めてアンネを見た時、とんでもない美人だったからビックリしたんだよ。しかもいきなり困らせちゃったからさ、こんな美人を困らせて大変だって大慌てしたんだよねぇ。でも、こんな美人がいるなら異世界も悪くないなぁと、ちょっと思ったんだよね」
当時の事を思い出しながら勇も笑う。
「……もう、いきなり何を言いだすんですか!?」
「あはは、ごめんごめん。でもあの時アンネに会えてよかったよ。そうだ、あの赤毛の人……フェルカーさんか。フェルカーさんに会ったらお礼を言わないとね」
「そうですね。イサムさんの
「にゃおん」
アンネマリーも首肯する。最後の一言は、誰にも聞こえない小さな呟きだったが、コタツの天板の上にのせられた、さらに小さなコタツに埋まった織姫だけが、同意するように小さく鳴いた。
初日は寒さからか専用コタツから出てこなかった織姫だが、翌日の午後からはコタツから出て色々な馬車を行ったり来たりするようになっていた。流石に動かないのにも飽きてきたのだろう。
そして色々な馬車へ顔を出すようになったという事は、例のおじさんたちがまた騒ぎ出すという事だ。
「オリヒメよ。ラフィアンピジョンの上物を持ってきておるのだが、私の馬車に来ぬか?」
「あ! 閣下、抜け駆けは良くないですよ! なぁオリヒメ、俺の馬車に来ればお前の好物のスパイクグース食べ放題だぞ?」
案の定、休憩時間になった途端、食べ物によって懐柔せんとする醜い争いが勃発した。
「抜け駆けも何もない。と言うか貴様、寄親に対して遠慮というものは無いのか?」
「それとこれとは話が別ですからね。閣下こそ、後進に譲ろうという広い心はお持ちでないので?」
「抜かせ。そもそも後進と言う程若くもなかろう。大体貴様は――」
もはやただの口喧嘩のようになってきたため、周りはただ苦笑するしかない。
当の織姫は、早々に醜い争いの場から撤退し、ティラミスら御前試合メンバーのもとで寛いでいた。
「オリヒメ先生、あれは悪い見本っすからね。真似しちゃダメっすからね?」
「な~~ふ~」
出来る女である織姫は、そんな事は百も承知とばかりにティラミスの膝の上で気の抜けた返事を返した。
「やれやれ、偉い方が無茶をし始めると困りますな……」
「左様でございますな。お止めする方がおりませぬ故……」
主から少し離れた場所では、ベテラン家令であるビッセリンク家のクラースとクラウフェルト家のルドルフが、お茶を飲みながらそんな話をしていた。
しかし蓋を開けてみれば、織姫はほとんど馬車の中には入らず、色々な馬車の御者席を訪れては御者の頬を緩ませていた。
それを見たマレインとダフィドが、自分が御者をやると言い出したが、流石にそれぞれの騎士団長と家令に諫められるのだった。
「何やってんだか……」
唯一この争いに参加していないおじさんであるセルファースが、それを見て深くため息をついた。
移動三日目。ちょうど王都との中間地点に差し掛かろうというところで、冷たい雨が降り出した。
雪ではないので最悪の事態にはなっていないが、歩みは遅くなるし何より底冷えする寒さが厄介である。
しかし今回の旅路は、少々事情が異なっていた。
「むぅ、このコタツという魔法具は素晴らしいな。なんという暖かさだ……」
「ずりぃぞ、セル。自分達だけこんないいもん装備しやがって。ってかホントお前んとこの婿さん、なんでもありだな」
「ずるいなら自分の馬車に戻ってくれダフィ。閣下も、首まで入らないでください……」
おじさん領主3人が、セルファースの馬車に集まりコタツに入っていた。
事の始まりは、御者の顔色の違いだった。
雨が降り出したことで、防水布を被りつつも寒さに唇を紫にしながら馬車を操っていた御者たちだったが、クラウフェルト家の御者だけがどういう訳か血色が良い。
気になった他家の御者が聞いてみたところ、なんとクラウフェルト家の馬車は、御者席の腰掛や床を温かくする事が出来るという。
そのおかげで、濡れることさえ防げばかなり温かいのだとか。
試しに実際に御者席に座らせてもらった他家の御者は驚いた。足元から腰の上あたりまでがじんわりと温かいのだ。
しかも驚いたことに、馬車の中はもっと暖かいというではないか。
その話はすぐにマレインとダフィドの耳に入り、それを確かめるべくセルファースの馬車に押しかけたという訳だ。
ちなみに他家の御者たちは、交代の時間になるとクラウフェルト家の御者席に代わる代わる座りに行っていた。
「セルファースよ、このコタツはシルヴィオに頼めば購入出来るのか?」
すっぽりこたつ布団に包まれながらマレインが尋ねる。
「いえ、コタツは出られなくなる呪いがかかった魔法具なので、当面販売しないとイサムが言っていましたね」
「なんだと? このように素晴らしいものを売らぬと言うのか? そうなるとイサムがおらねば手に入らぬという事か!?」
マレインの顔がこの世の終わりのような表情になる。
「いかんな、セルファース。イサムはみんなの物なのだぞ?」
「……勝手に人の家の婿殿を共有財産にしないでいただけますか? というか閣下、寝転がろうとしないでください」
「なんだよセル、ケチくせぇこと言うなよ。じゃあお前の使ってる奴をくれよ。お前は又頼んだら作ってもらえるんだからいいじゃねぇか」
「ケチとはなんだケチとは。それになにが“じゃあ”なのか全く意味不明だよ」
「もう良いわ。直接イサムに頼むとしよう。あ奴は人が良いからな。嫌とは言わんだろう」
「おぉ、流石閣下! よっしゃ、俺も直接頼むとするかな」
「…………お代はちゃんと支払ってくださいね」
その日の宿でマレインとダフィドが勇にコタツを作ってほしいと頼み込むと、マレインの予想通り、イサムは二つ返事で了承するのだった。
そしてその夜、宿に広めの裏庭があるという事で、この旅で初めて風呂馬車を使って入浴する事にする。
数日振り、しかも冷え込んだ日に入る風呂は格別で、アンネマリーも勇も生き返った気分だった。
さすがに見張りまで立てているので、他家の領主に黙っている訳にもいかず、マレインとダフィドにも試してもらう。
結果……
「イサムよ、このフロとシャワーも素晴らしいな! しかも旅先でも入れるようにしているとは……。コイツはザンブロッタ商会で買えるのか?」
「いえ、これもまだ試作品なので販売はしていないですね」
「なに? これでまだ試作だと!? 信じられんな……。いや、まぁ試作品でも一向にかまわんのだが、イサムよコレも一式作ってくれぬか? もちろん費用は支払う」
「あー、イサム、ウチにも一つ頼めるか?」
やはりと言うか当然というか、イサムに製作をお願いする流れとなった。
「ええ、別にかまいませんけど、これはちょっと作るのに手間がかかるので、しばらく待ってくださいね」
「無論だ。イサムのペースで作ってくれればよい」
いつも通り請け負う勇であったが、その後がいつもとは少々違っていた。
「ここ数日で、イサムのとんでもなさを痛感したな……。よくもまぁ次々と魔法具を開発するものよ」
「まったくですね。何が恐ろしいって、全方位作ってくるところですよ。魔法具に限らず、凄いものを作る人間というのは一つのジャンルに偏るもんですがね……」
「そうだな。武器に防具、馬車に大小の生活魔法具……。噂ではあ奴は料理も得意らしいな」
「ええ、そう聞いています。その上オリヒメを従えてますからね」
風呂から部屋へ帰る道すがら、マレインとダフィドが声を潜めて勇について語る。
「つくづく寄子が庇護してよかったわ」
「ええ。私も閣下の寄子で良かった、と心底思いましたよ。魔法具のオーダーも受けてくれますしね」
「フッ、そうだな。役得と言えば役得よの……」
話題が魔法具の個別オーダーの話になった時だった。
「む?」
「誰だっ!?」
首筋にぞわりと悪寒を感じた二人が立ち止まる。曲がり角の向こうに誰かがいるようだった。
「嫌ですわ、閣下、おじさま。私ですよ、アンネマリーです」
マレインを後ろにかばい、じわりじわりとダフィドが後ずさりを始めたところへ聞き慣れた声が飛んでくる。
「……なんだよ、アンネちゃんかよ」
廊下の角から現れたのは、微笑みを称えたアンネマリーだった。
「フフフ、すみません。お二人の話声が聞こえましたので、お声を掛けようかと思いまして」
いつものように柔らかい物腰だが、その目が笑っていない気がする。
「イサムさんに、また魔法具を特別注文されたとか?」
笑っていない目でニコリとしながらアンネマリーが質問する。
「あ、ああ、風呂の注文をな、させてもらった」
ジワリと嫌な汗をかきながら、どうにかダフィドが答える。
「そうですか。コタツに続きおフロまで……」
凍てつくような眼差しで、二人を見据えるアンネマリー。
「よもや、イサムさんが断らないのを良いことに、頼めばなんでも作ってもらえるとお思いではありませんよね?」
アンネマリーが問い質した瞬間、周りの温度が急激に下がった気がする二人。
「そ、そんなことは思っておらぬ」
「あ、ああ。ふ、フロもゆっくり作ってくれって言ってある」
「……そうですか。これは失礼いたしました」
ふわりと笑い、恭しく礼をするアンネマリー。
「旦那様は人が良いので、お忙しい身にもかかわらず頼まれると断れないことが多くて心配していたのです。お二方に限ってそんなことは無いと思っておりましたが、その通りで良かったですわ」
「も、もちろんだ」
「あ、ああ、無理に頼んだりはしねぇよ」
「ありがとうございます。ああ、そうだ。今後旦那様に何か頼まれるときは、私を通していただけますか? 今後はますます忙しくなると思いますので」
アンネマリーのお願いに、コクコクと頷く当主二人。
「で、では失礼する」
「夜遅いから、き、気を付けるんだぞ」
「ありがとうございます。おやすみなさいませ」
挨拶を交わすと、当主二人はそそくさとその場を後にした。
「あれ? アンネ? どうしたんだ? 湯冷めするから早く寝ないと駄目じゃないか」
そのすぐ後、風呂馬車の片付けを終えた勇が通りかかる。
「すみません、ちょっとマレイン様とダフィドおじさまに会ったのでお話ししていました」
「そっか。じゃあ一緒に戻ろうか。明日も早いしね」
「はい!」
アンネマリーは嬉しそうに頷くと、勇の腕をとって自分たちの部屋へと歩いていく。
「旦那様の事は、私がお守りしますからね……」
小さな小さなアンネマリーの呟きは、宿の廊下の暗がりに吸い込まれていった。
そしてそれから三日後、年の瀬の迫った12の月の28日。勇は、およそ七ヶ月ぶりに王都へと辿り着くのだった。
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