第113話 婚約の儀
翌日の午後、教会に子爵家一家の姿があった。勇とアンネマリーの婚約を行うためだ。
午前中にあらためて話し合いをし、勇が子爵家に婿に入る形とする事と、婚約発表は大事を取って子爵家内のみに留め、大評定後に大々的に発表する事が決められた。
なので今日は、身内のみで行う事務手続きのような物である。
「皆様、ようこそいらっしゃいました。そしてこの度は誠におめでとうございます」
教会へ入ると、式典時のみに着る神官服を身にまとった神官長のベネディクトが出迎えてくれた。
午前中に遣いを出して人払いがなされているため、教会内は静寂に包まれている。
「ありがとうベネディクト。知っての通り貴族長子の婚約なので、教会での誓いだけでは終わらぬが……。大評定まで間もないし、こういうことは早い方が良いからな」
社交辞令的な返答を返しつつも、落ち着かないのかセルファースの口調は少々早い気がする。
セルファースが言った通り、貴族家長子の婚約は王の承諾が必要だ。
とは言え、よほどそぐわない者と婚約するのでもなければ拒否されることは無いため、最終ラインでの防衛機能だろう。
ちなみにここ百年で拒否された事は僅か2回。1回は敵国の貴族家と婚約しようとした時、もう1回は身内を殺して爵位継承を狙った罪人と婚約しようとした時という事だ。
勇は罪人でもないし、迷い人は貴族扱いのため難癖を付けられる事も無い。そもそも子爵家は下級貴族なので、完全に形式だけのものと言って良いらしい。
「かしこまりました。しかし、子供の頃から存じ上げているアンネマリーお嬢様と、迷い人であるイサム様の婚約の儀を行えるとは……。このベネディクト望外の喜びでございます」
そう言ってベネディクトも嬉しそうにしているが、腹黒い神官長なので腹の中ではまたぞろ算盤を弾いている事だろう。
「では、お二方こちらへどうぞ」
しばしの歓談後、勇とアンネマリーがベネディクトに促され祭壇へ上る。
祭壇には3体の神像が祀られていた。中央のひときわ大きな像が創造の女神であるメートルィナ、その両脇に二回りほど小さな森の女神ディアレシスと、鍛冶の神ブリグライトだ。
そして……。
「にゃ~ふぅ……」
勇の肩から飛び降りた織姫が首を傾げながら突いているのは、創造神メートルィナの足元に鎮座した織姫のご神体だった。
メートルィナのスケールに合わせているのか、実物の2倍以上の大きさだ。また、ぬいぐるみではあるものの石像である女神像とのバランスを取るためか、白い毛のみで作るという手の込みようである。
「……すでにお祀りしているんですね」
それを見た勇が苦笑する。
「ええ、ええ、それはもう。領地を救われた英雄でありますれば当然の事かと。お祈りに来られる皆様にも大層評判がよろしゅうございます。おかげさまで家庭用のご神体の売れゆ……、頒布も大変順調でございます」
ニコニコ顔でベネディクトが答える。
教会での量産体制が整ったため、少し前からご神体もといぬいぐるみの頒布が始まっていた。
現在はまだ領都のみでの頒布だが、クラウフェルト家の寄親であるビッセリンク伯爵家での委託製造を先日開始したため、じきに周辺に広がっていくだろう。
また、同じ寄子であるヤンセン子爵領での家庭用神殿もといドールハウスの生産も始まっており、こちらもすぐに話題になるだろう。
「そうですか。それは重畳ですね……。ではすみませんが、婚約の儀をお願いします」
織姫の可愛さが広まるなら良いか、と深く考えるのは止めて、勇が話を元に戻した。
「ではお二人とも、こちらに手をお乗せ下さい」
女神像前に設えてある台の上には、以前勇や織姫が鑑定を行った時に使った水晶玉のような物が台座に嵌ったものと、厚手の羊皮紙のような物が二枚置かれていた。
ベネディクトに言われるまま、二人が手を重ねるようにして水晶玉の上に手を置く。
「それではこれより、婚約の儀を始めます」
ベネディクトはそう宣言すると、台の横に立ち女神像へ恭しく深く一礼をする。
「世界を見守られる創造神メートルィナ様、並びにこの地を見守られるディアレシス様、ブリグライト様に申し上げ奉る。大前に控えしイサム・マツモトおよびアンネマリー・クラウフェルトなる両名が此度婚約と相成っためでたき儀を、神の信徒たるベネディクトの名に於いて執り行わん」
ベネディクトがそう口上を述べると、勇たちの手の下にある水晶玉が淡く光を放ち始めた。息を飲んでいると、目の前の女神像も淡く光を放つ。
それを確認したベネディクトが、勇たちへと向き直る。
「イサム・マツモトに問う。アンネマリー・クラウフェルトとの婚約が嘘偽りないものであり、天に月日が並ぶように永遠に心を結ぶ事を神の御前で誓えるか?」
「はい、誓います」
「アンネマリー・クラウフェルトに問う。イサム・マツモトとの婚約が嘘偽りないものであり、地に山河が相対するように永遠に共に過ごす事を神の御前で誓えるか?」
「はい、誓います」
「両名の誓いに嘘偽りなく揺ぎなき事、信徒ベネディクトの名に於いてしかと確かめたり。しからば彼の者らの婚約を神の名においてお認めいただきたくお願い申し上げ奉る」
勇とアンネマリーの誓いを受けて、ベネディクトが口上の続きを紡ぐ。
すると今度は、台上の羊皮紙の表面が光を放ち始め、ベネディクトが勇にペンを差し出す。
「さぁ、マツモト様、アンネマリー様、こちらにご両名のサインをお願いいたします」
羊皮紙には二人分の署名欄が設けてあり、そこに二人がサインをする。
サインし終えると、一段と羊皮紙の輝きが増す。目を開けているのがつらい程の眩しさだ。
そして輝きが落ち着くと、三つの紋章が箔押しされていた。一つはこの教会の入り口にあるものと同じなので、創造神メートルィナの紋で、残る二つがディアレシスとブリグライトの紋なのだろう。
「おお、今ここに神の名に於いて両名の婚約が――
『使徒よ、そのように急くでないわ』
「な、さ??」
おそらく締めの言葉を言おうとしたベネディクトに被せるように、直接頭の中に声が響く。
突然の事にさしものベネディクトも事態についていけない。
「い、イサムさんこのお声の届き方は!?」
「……ルサルサ様の時と同じだから、多分間違いないね。女神様のうちのどなたかだと思う」
船上で女神ルサルサと思しき存在と遭遇した時と声の届き方が似ているため、二人はすぐに思い当たった。
『せっかく最も若き神の愛し子が婚約するのだ、名を連ねぬのは無粋というものよ。ほれ、疾く名を刻むがよい』
「んにゃにゃっ」
再び届いた声に、足元にいた織姫がひょいと台の上に飛び乗る。いつのまにか全身が金色に輝いていた。
「にゃっふ」
そして気の抜けた鳴き声と共に、たしったしっと二枚の羊皮紙に右前足で判を押すように触れた。それを受けてまたしても光る羊皮紙。
勇とアンネマリーが恐る恐る覗き込むと、先程まで三つだった箔押しの横に、金色に輝く肉球を模った箔押しが追加されていた。
『ふふ、良きかな良きかな。これからも思うがままに進むがよいぞ』
「にゃふぅ~~」
女神の声に、織姫が勇とアンネマリー交互に頬を擦り付ける。
もう一度女神の楽しそうな笑い声が聞こえた気がしたが、それ以降声が響くことは無く、羊皮紙や水晶の光も収まっていた。
「あはは、織姫も認めてくれたんだね。ありがとう!」
尚も頬を擦り付けている織姫の頭を撫でながら勇が言う。
「オリヒメちゃん、とても可愛らしい紋章をありがとう!!」
アンネマリーも織姫の喉を優しく撫でた。
「さて、これで婚約の儀は終わったって事で――」
「ままま、マツモト様っ!! い、今のはいったい!!??」
「あーー、やっぱそうなりますよねぇ」
肩をすくめた勇が、船上であった出来事も交えながら考えられる状況を説明していく。
「な、なんと!! あれは女神様のお声でしたか……。しかもオリヒメ様も神として婚約をお認めになられてその紋章を賜ったと!!? 素晴らしいっ!! まさに僥倖!!! 今日は神の奇跡が生まれた記念すべき日ですぞ!!!」
話を聞いたベネディクトは、完全に舞い上がってしまっていた。そこへニコレットが釘を刺しに行く。
「ベネディクト、分かってるとは思うけど今日の事は絶対に他言無用よ?」
「ええ、ええ、もちろんですとも! オリヒメ様にご迷惑がかかるような事は一切しないと、このベネディクト命を懸けて誓いましょう!」
「…………まぁああ見えて分別はあるから大丈夫だと思うわ。しかしまぁ、なんともあなた達らしい婚約の儀になったわねぇ。オリヒメちゃん、ありがとうね」
呆れたように言った後、織姫の頭を優しく撫でるニコレット。
「はっはっは、まさか目の前で神様が紋章を押してくれるとはねぇ。相変わらず何かやらかしてくれるよねぇ、ウチの婿殿は」
心底楽しそうにセルファースが笑っている。
「凄いです、イサム兄様!! 女神様のお声なんて初めて聞きました!! 流石兄様です!!」
ユリウスはそれこそ英雄を見るようなキラキラした目で勇を見上げていた。
かくして、思わぬ猫神様演出もありつつ、勇とアンネマリーの婚約の儀は終了するのだった。
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