第112話 織姫と勇
「ねぇニコ、これは私達が一緒に聞いていても良いものなのかい?」
「あら、今更ねぇ。でも多分これもイサムさんなりの気遣いよ? 可愛いがってる娘だから、隠し立てすることなく正々堂々両親の前でプロポーズしてくれたのよ? 男前よねぇ、ほんと」
勇のプロポーズが落ち着いたと見て、ギャラリーの2人がコソコソと話を始める。
「……」
ユリウスには刺激が強過ぎたのか、ポカンと口を開けたまま動かない。
「あー、すみません、全部聞こえてます……」
「もう、お父様、お母様……」
勇とアンネマリーが、これ以上無い渋い表情でギャラリーを見る。
「オホホ、ごめんあそばせ。 ほら、あなた、なんとか言ってあげなさいよ!」
「ああ、うん……。えー、その、なんだ。私が言うのもなんだが、娘は、アンネは本当に良い子なんだ。これまで不平一つ漏らさず、魔法の腕も磨き、領地経営についても学んで私達に協力してくれてきた。だから、私の願いはひとつだけだ。どうか、娘を悲しませないであげてくれ。物理的な幸せがいらないとは言えないけど、何より気持ちを大切にしてくれ。それだけ約束してくれないか?」
「お父様……」
最初は少しバツが悪そうだったが、娘の事を何より大切にしている事が伝わるセルファースらしいお願いだった。
「はい。もちろんです。アンネマリーさんを悲しませるような事は絶対にしないと誓います」
勇もきちんとセルファースの目を見て答える。
「そうか……。分かった、ありがとう。どうか娘の事をよろしく頼むよ、イサム」
噛みしめるように言ったセルファースが、ゆっくりと勇に頭を下げた。
「はい、必ずや。これからもよろしくお願いします、お義父さん」
対する勇も、背筋を伸ばしてからキッチリとお辞儀をする。
「うふふ、良かったわねぇアンネ。あなたはどうしようもなく奥手だから、このまま結婚できないんじゃないかと心配してたんだから……」
「あう……。ご心配をおかけしてすみません」
「イサムさんがしっかりした人で良かったわ。あなたもイサムさんを悲しませちゃ駄目よ?」
「はい。それはもちろんです! 絶対にそんな事はしません」
母の問いかけに、強い意志を秘めた目で答えるアンネマリーだった。
「あの……、姉様とご婚約されたという事は、ひょっとしてイサム様は私の兄様になられたということでしょうか?」
ようやく落ち着きを取り戻してきたユリウスが勇に質問する。
「うん、そういう事だねユリウス。これからもよろしく頼むよ!」
ニコリと笑った勇が、ユリウスの頭に手を載せながら答える。
「!! すごい……。イサム様が兄様だなんて! イサム兄様、これからも色々教えてくださいね!!」
それを聞いたユリウスが、勇を見上げながら嬉しそうにそう言った。
「じゃあ日を改めて、教会に婚約届を提出して、領内に正式に婚約を発表しようか。ただ、貴族家の長子が婚約、結婚する場合は、国王陛下に届けを出さないと正式決定しない決まりがあってね。大評定の時に届けを出すのが通例になっているんだが、それで問題無いかい?」
貴族家の長子が結婚するという事は、跡継ぎとするのかしないのか、その家の行く末を決める大事な事案なので、当事者だけで勝手に決める事は出来ない。
「ええ、もちろん大丈夫です。ただ、順番としては合同演習前に正式決定させたいですね」
「ああ、それは大丈夫だ。評定会議の最後に、まとめて各貴族家から届を出して受理する時間が設けられている。それを受けて騎士団の団長に任命される者も多いからね。婚約後最初の見せ場として使えるよう、御前試合や合同演習はその後の開催になってるんだよ」
「なるほど、それは合理的な仕組みですね。よかった、それを聞いて安心しました!」
合同演習で力を見せても大丈夫なように先に婚約しておきたかったので、前後が逆にならずに勇は胸を撫でおろした。
「さて、すみませんがちょっと席を外しても良いですか? ……織姫を見てきますので」
今後の手続きの話を一通り確認した後、勇がそう切り出した。
「あ……、そう言えばオリヒメちゃん途中で出ていっちゃいましたね……。大丈夫でしょうか?」
アンネマリーが心配そうに勇に尋ねる。
「ええ、ビックリしてるとは思いますけど、大丈夫だと思いますよ。それじゃあ、ちょっと行って来ますね」
勇は笑顔でそう答えると、談話室を後にした。
勇が寝室に戻ると、織姫が枕の上で丸くなっていた。目は瞑っているが、耳が動いているので眠ってはいないようだ。
勇はゆっくりと歩いていき、ベッドに腰を掛ける。窓から夜空を見上げると、大きな青っぽい三日月と小さな赤っぽい半月が浮かんでいた。
「ねぇ姫、初めて会った時の事を覚えているかい?」
優しく織姫の頭を撫でながら勇が問いかける。織姫は返事をする代わりに、ぱたり、ぱたりと二度しっぽを振った。
勇と織姫の出会いは、7年ほど時を遡る。
ホームセンターに買い物に行った際に、何気なく覗いた併設の大型のペットショップでたまたま見かけたのがきっかけだった。
たくさんの子猫が並んでいる中、一匹だけ随分と大きい猫がいたため、気になってつい展示の前で足を止めた。
展示の外に掲載してある札を見ると、ブリティッシュショートヘアーという種類の雌猫で、生後7ヶ月目に入っている事が分かった。
他の子猫が皆2~3ヶ月である事を考えると、見た目通りかなり大きいのだろう。
猫に詳しくない勇にとって聞き慣れない種類が気になり、こちらにお尻を向けたまま眠っている彼女がこちらを向かないかしばし見入っていると、店員に声を掛けられた。
店員の話によると、生後3ヶ月くらいの時に手付を支払ってもらい予約までいったそうなのだが、契約者が数日後に急遽海外赴任が決定、キャンセルとなり、その後買い手が付かず今に至ったらしい。
その後もしばらく見ていると、ようやく小さく伸びをしてから振り返ってくれた。
なんとも言えない丸くて可愛らしい顔と、淡い金と白の綺麗な毛並みに思わず見とれていると、勇に気付いたのか「にゃおん」と一鳴きしてショーケースのガラスを2回掻いた。
その後の事は、正直あまり覚えていない。確かすぐに店員を呼んで、この子はすぐに引き取れるのか聞いてみたはずだと思う。
半年を過ぎるとかなり売りづらくなるらしく、当初の半額以下になっている金額をさらに値引きしても良いとの事だったが、正直値段の事など全く気にしていなかった。
たいした確認もせず契約し、必要だと言われたものもすべてその場で購入した後に、自分が電車で来ていたことに気付く。
慌ててホームセンターで軽トラを借りる手続きをし、買ったばかりのキャリーケースに入れた彼女を助手席に乗せて家路についた。
道すがら軽トラのカーナビから流れるFMラジオで今日は七夕だと言っていたのを聞いて、名前は“織姫”に決まった。
ちなみに当初何を買いにホームセンターに行ったのか、未だに全く思い出せないままだ。
「あの時姫がなんて言ったのかは分からないけどさ、俺には“連れてって”って言っているように聞こえたんだよ。あの日、あの店で姫に会えたことは、今でも運命だったと思ってる。いや、その思いはこっちの世界に来て更に強くなったかもしれないな……。まさか自分が異世界に姫と一緒に来て、しかも姫なんて神様の遣いになっちゃってさ」
いつの間にか膝の上に移動してきた織姫を撫でながら、勇が話を続ける。
「あの日以来、姫は間違いなく俺の一番大切な家族なんだ。仕事で疲れて帰っても姫がいてくれたから元気になれた。こっちに来ても、姫が傍にいてくれたからやってこれた。それはこれからも変わらないよ。でも俺にはもう一人、とても大切な人が、家族だと思える人が出来たんだ。だからさ、家族の先輩、お姉さんとして、アンネを迎えてあげてくれないかな?」
膝の上で丸くなり耳をしきりに動かしている織姫に、勇が問いかける。
「にゃっふぅ~」
織姫は“仕方がないわね”とばかりにひと鳴きして立ち上がると、尻尾をぱしりぱしりと勇の顔にぶつける。
「にゃにゃん」
勇の鼻をペロリと優しく一度舐めてから、膝から飛び降りる。
「姫……」
「にゃにゃ~」
そしてピンと立てた尻尾の先をゆらりゆらりと揺らしながら、寝室を出て歩いていった。
数十秒後、隣のアンネマリーの寝室から
「オリヒメちゃんっ!!!」
と言うアンネマリーの嬉しそうな声が聞こえてきた。
「はぁ、ホントに姫は良い女すぎるよ……。ありがとう。そしてこれからもずっとずっとよろしくね」
勇の絞り出すような呟きが、薄い月明かりに照らされた部屋の空気の中に、静かに溶けていった。
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