第102話 悪戦苦闘

「くそぅ、ここまで大変だとは思わなかった……」

 研究室の裏庭に、勇の怨嗟の声が響く。

 7日間の移動を経て子爵領の領都クラウフェンダムへと帰還した翌日、勇は早速未解読の魔法陣の解読に取り掛かって、はいなかった……。


 下船してからも旅路は順調そのものだった。

 ヤンセン子爵に船のお礼をしつつ家庭用神殿の進捗やらを確認後、途中一泊してクラウフェンダムへと帰還を果たす。

 当日の内に行われた大まかな報告も、大量に発見したアーティファクトや読める魔法陣を前に領主夫妻に呆れられるという予定調和のうちに終了した。

 そしてその翌日、冒頭の状況へと辿り着く。


 勇が魔法陣の解析そっちのけで何に悪戦苦闘しているのかと言えば、“精米”だった。

 正確には、その前工程である“籾摺り”である。

 イノーティアで米と思われる穀物の籾を買い占めた勇だったが、籾の状態から白米にするのに手間暇がかかる事は何となく知っていた。

 なので、領地に戻るまでは手を出さずにいたのだが、戻った途端米を食べたい欲求に火が着いた。


 まずは籾から籾殻を外さなければならないのだが、この工程でいきなり躓いたのだ。


「脱穀と精米に関しては、授業でもテレビでもやってたから何となく分かるけど、籾殻を外すところなんて、ほとんどやってないんじゃないか? だから簡単に行くかと思ってたけど、この作業が実は一番大変なんじゃないのか……?」


 何かでこすって取っていたような記憶が微かにあったため、まずは木の器に入れてすりこ木のような棒ですったのだが、ほとんど取る事が出来なかった。

 この時点で、すでに次のアイデアの無い勇は、料理長ギード達に助けを求める。

 この世界エーテルシアでも麦類は常食されているので、そこに活路を見出したのだ。


「麦の殻ですか? 小麦は穂から外すときに一緒に外れていた気がしますから、殻を外す作業というのは聞いた事がありませんね……」

 まず小麦だが、そもそも殻をわざわざ取らずとも、脱穀の際に籾殻も外れるのだと言う。


「大麦は、天気の良い日に皆で叩いとるの」

 小麦より穂から外しづらい大麦は、広げて棒で叩くそうだ。

 それだけだと硬い外皮が残ったままなのだが、大麦はほぼエールに加工される。それはイコール麦芽にして使うという事なので、そもそも精麦する必要が無いのだった。


 麦の方法には活路を見いだせなかった勇が次に目を付けたのは石臼だ。

 擦れば取り外せるのなら、石臼で擦れば良いのではないかと考えたのだ。

 小麦粉を作るのに石臼は日常的に使われているので、それを借りて試してみる。

 

 結果、籾殻粉という不純物をふんだんに含んだ米粉になってしまった。

 粗めに挽いてみると若干マシではあるが、とても炊いて食べられるレベルではない。

 硬すぎるし重すぎる上、粉にするための道具なので目が細かすぎるのだろうか。

 調整しながら専用のものを作ればいけそうではあるが、かなりの時間が必要になるので横に置いておく。


 結局、弥生時代には木臼と杵で突いていた、という中学生時代のおぼろげな記憶を思い出し、縦に長い木臼と細身の杵を作ってみることにした。

 少量を臼に入れてザクザクと杵で突いてみる。無心でしばらく突いてみると、多少の割れはあるものの籾殻はほとんどとれていた。

 また、嬉しい誤算として同時にある程度の精米も行われたようだった。


「う~ん、いわゆる糠の部分はピンクが濃いな。中も薄っすらピンクだから白米って感じはしないなぁ」

 籾摺りされた米を手に取ってしげしげと眺める勇。

 買う時にも見た通り、糠の部分は濃いピンク色をしており、その下のいわゆる胚乳の部分も真っ白ではなく淡いピンク色をしていた。

 しかしほのかに漂う香りは、間違いなく懐かしい米糠の匂いだった。


「よし。ひとまず数合ぶんくらい精米しよう。計量カップが無いから目分量だけど」

 そこからはひたすら忍耐力との戦いだった。

 黙々と、時には身体強化の魔法を薄くかけながらひたすらに突きまくる。朝から始めたこの作業は、昼食・夕食を挟んで夜まで行われた。

 いい加減眠くなってきた頃に作業が終了、勇の目分量で3合くらいの白米 (ピンク)が出来上がった。

 最初の試食なので、糠はなるべく綺麗に取り除こうとしたのが、恐ろしく時間がかかった主要因である。


 流石に夜中に米を炊くのもアレなので、今日の作業はここで切り上げて就寝、明日の昼食に試食する事にした。


 翌日のお昼前、子爵の館の厨房に勇の姿があった。

 料理長をはじめとした全料理人とアンネマリー、精米作業を手伝わされたエトとヴィレム、そしてなぜか子爵夫妻までが興味津々で見守る中、勇が米を研いでいた。


「その作業にはどういう意味があるのでしょうか? 洗うのとも少し違う気がしますが……?」

 ギードが、見慣れない作業をしている勇に質問する。

「ああ、この米という穀物は、一番おいしい部分の周りにちょっとクセのある香りがする部分が付いているんです。昨日ほとんど取り除きましたが、その残りや粉がまだ付いているので、こうしてよく研いでクセをとってる感じですね」

 そう言いながら手際よく何度か研いだ米を半分はザルに上げ、残りの半分はそのまま水に浸していく。


「なんで分けたんじゃ?」

 シンプルな質問がエトから飛んだ。

「ザルに上げたほうは、少し置いておくと水分が抜けて表面に薄っすらヒビが入るんです。そうすると、この後炊く、いや煮る時に水分を吸いやすくなるんですよ。前の世界では、お米は魔法具で綺麗な状態になったものを売っていたので、この作業は不要だったんですが、昔は硬いものも多かったのでこうやっていたそうです。こちらの米がどういう感じか分からないので、両方やって比べてみようと思いまして」

 小学生の頃、祖母が米をザルに上げているのを見て不思議に思ったことがあり、その時に教えてもらった事をエトに話す勇。


 少し置いた後、水に浸して更に少し待つ。

 キャンプ等で痛感した事だが、米は水にしっかり浸らせればたいがい大丈夫なのだ。逆に浸水時間が短いと、どうやっても美味しくならない。


 小さめの鍋にそれぞれの米と水を入れて、魔法コンロにかける。カレンベルク領の遺跡で発見した、魔力調整機構を組み込んだ新型試作機だ。


「まずは中火にかけて、蓋をして沸騰してくるまで待ちます」

 説明しながら米を炊き始める勇。

 やがてぐつぐつと音がし、蓋の隙間から泡が見えたところで弱火にして、そのまま10分ほど加熱を続ける。

 勇にとっては懐かしい、子爵家の面々にとっては嗅いだことの無い米が炊ける匂いが厨房に漂い始めた。


 時々少し蓋を開けて、水分が残っていないか確認をし、水分が無くなったら一瞬強火で過熱、火を止めて蓋をしたまま蒸らしに入った。


「よし。これで良いはずだ……」

 10分ほど蒸らしたところで、祈るような気持ちで蓋を開ける勇。ギャラリーも固唾を飲んで見守っている。


「…………」

 大きめの木のスプーンで、まずはザルに上げたほうの米を少しだけ掬って食べてみる。

 無言のまま、続いてザルに上げなかったほうも一口食べてみる。


 しばし目を瞑って咀嚼していた勇の頬に、一筋の涙が伝った。

「……ご飯だ」

 そしてぼそりと、そう一言呟いた。


「イ、イサムさん……、大丈夫ですか?」

 木のスプーンを持ったまま固まってしまった勇を心配して、アンネマリーが声を掛ける。


「あ、ああ、すみませんっ! あまりの懐かしさに飛んでました……」

 ぐい、と涙を拭った勇が笑顔で答える。

「そうですか……。お味の方は、どうだったのでしょうか?」

 これまでいくつも美味しい料理を作ってきた勇の故郷のソウルフードなのだ、気にならないはずが無い。


「バッチリですね。少々味が薄目ではありますが、間違いなく米、ご飯です!! ザルに上げたほうがより近いですが、どちらもちゃんと美味しく炊けていますね」

「「「「「おおおっ!」」」」」

 成功だという勇の言葉に盛り上がる一同。


「じゃあ皆さんで試食してみましょうか。少ししかありませんけど」

 苦笑しながら、勇とギードで手分けをして、深めの小皿に盛り付けていく。

「綺麗な色ね」

 盛り付けられていくご飯を見て、ニコレットが呟く。

 炊きたての米は、うっすらピンク色に輝いていて、小豆の入っていない赤飯のようだ。それを見て、勇はこの米を“桜米さくらまい”と名付けた。


「本来ご飯は主食なので、おかずと一緒に食べるんですが、今日は初の試食で量も少ないので、少し塩をかけて食べてみてください」

 そう説明しながら、勇も自身のごはんに塩を一つまみ振りかける。


「では、今日の糧を神に感謝して」

「「「「「感謝して」」」」」

 皆で食前の祈りを捧げて試食に入った。


「うん、初めての食感だけど、これはいけるね」

「そうね。もちもちとしてほのかに甘みもあって美味しいわね」

 子爵夫妻がそう言いながらパクパクと食べていく。


「おかずと一緒に食べるものだと仰っていた意味が分かりますね。これだけでも充分美味しいですが、スープを吸ってくれそうなので、味の濃いものと相性が良さそうです」

 ギードの感想は、流石の料理長らしく見立ても的確だ。


「僕はこっちのザルに上げていない方が好みかなぁ」

「ワシはザルに上げた柔らかめの方が好みじゃな」

 すでに硬め派と柔らかめ派が出来ている。


「これがイサムさんの故郷の味なんですね……」

 アンネマリーは感慨深そうに、しかし美味しそうに食べていた。


 そして試食後、満場一致で来年からは桜米を試験的に作付けしてみることが決定し、栽培に向いた場所か土が無いか早速捜索する事になった。

 湿地で作られているという事なので、おそらく水稲だと思われるが、ここには田んぼなどもちろん無い。

 川の近くに適した土があればそこに作り、川が近くに無ければクラウフェンダムに土を持ち帰って田んぼを作るしかない。

 何にせよ、まずはこのあたりの気候や土でも育つのかどうかを試してみることからのスタートになるだろう。

 

 そしてもう一つ。早急に改善せねばならない大きな課題があった。


「エトさん、ヴィレムさん、籾摺りと精米の道具を作りますよ? 買った状態の籾から今日食べた量を精米するのに、ほぼ丸一日使いましたからね……。このままだと、とんでもなく手間がかかり過ぎるんです。魔法具でもそうじゃなくてもなんでもいいですから、協力してくださいね?」

「かっかっか、イサムのそこまで真剣な表情は珍しいの。面白そうじゃからな、もちろん手伝うぞ」

「まだまだ沢山買ってきたからねぇ。精米作業とやらを手伝わされたらたまらないから、僕も喜んで手伝うよ」

 いつになく真剣な勇の表情に、苦笑しながらエトとヴィレムが答える。


 こうして、研究所で開発する魔法具に籾摺りと精米機が加わったのだった。それもかなり高いプライオリティで……。

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