第101話 風
イノチェンティ辺境伯へのデモンストレーションを終えた翌日は、帰還のための準備と長旅に備えた休養日に充てたチームオリヒメ一行は、その翌朝、帰途につくため宿前の馬車止めに集合していた。
10日以上滞在していたことになるが、半分は遺跡の中にいたためあまり実感がわかない。
皆で荷物の最終確認をしていると、朝早いにもかかわらずイノチェンティ家の紋章が描かれた馬車が一台、数騎の騎馬を伴い宿の前に停まった。
「ごきげんよう、アンネ」
馬車から降りてきたのは、イノチェンティ家の二女ユリアだった。
「おはようユリア。こんな朝早くから本当に来たのね……」
苦笑しながら挨拶を返すアンネマリー。
今日の朝出立する旨、昨日伝えていたのだが、その際ユリアが見送りに行くとの返信があったのだ。
「当たり前でしょ。そうそう会う事も出来ないんだし。それと帰りはレベッキオ商会の船でメーアトル河を下るんでしょ? 本部はヤンセン子爵領にある商会で代表に会った事が無かったから、ついでに挨拶出来て助かるわ」
レベッキオ商会は、行きにルサルサ河を下る時に乗せてもらった船が所属する商会だ。
その時の船長だったレベッキオが、まさかの商会長だった。生粋の船乗りという印象で、てっきり現場一筋だと思っていた勇は大いに驚いた。
帰りも送る、と下船時に言ってくれていたので、社交辞令と思いつつも一応この街にある船宿に帰還する旨の連絡を入れたのだが、すぐに商会長自らが宿にやって来て、帰りの乗船を懇願されてしまった。
どうやら勇たちを降ろしてからこっち、ルサルサ河の船便ではなくイノーティア・ルサルサ河合流点間の船便をしながら、勇たちが帰還するのを待ち構えていたらしい。
ありがたくその話を受けて、現在に至っているという訳だ。
最終確認を終えた一行が、ユリアの乗る馬車に先導され河へと下る道を走っていく。
旧交を温めたいと言って、ユリアがアンネマリーを自身の馬車へと誘っていた。
「で、イサムさんとは本当のところどうなのよ? あんたがさん付けで名前を呼ぶなんて中々無いんだから、嫌いなわけないんでしょ?」
「そそ、そりゃあ嫌いじゃないけど、そういうんじゃないのよ……」
直球で切り込むユリアに対して、顔を赤くして俯くアンネマリー。
「あらそう? じゃあ、私がイサムさんを貰っちゃってもいいのね?」
「えっっ!?」
嬉しそうに言い放ったユリアの言葉にアンネマリーが絶句する。
「だって、迷い人で気鋭の商会の会長。その上魔法の腕も一流。顔も悪くないし、何より優しそうだし。こんな優良物件そうそうないわよ? こちらに来てくれたら万々歳だけど、別に私は子爵領に嫁に行ったって問題無いしね!」
現状、一部の貴族を除いてあまり勇の実力や人となりは知られていないが、知られたら間違いなく婿候補の上位に名前が挙がることになるだろう。
しかもまだ隠している
「そ、それは駄目っ!!」
慌ててユリアの両肩を掴んで揺らすアンネマリー。
「ちょ、ちょっと急に何をっ、や、やめなさいって!!」
がくがくと揺すられながらアンネマリーの手をどうにか外すと、ユリアが大きくため息をつく。
「はぁぁ……、まったく……。もう答えが出てるようなもんじゃない。いい? 私だからこうやって事前に確認して冗談にも出来るけど、他の貴族、特に上位貴族はそんなに甘くはないからね? 気付いたら既成事実を作られて、逃げられなくなってるなんてザラよ?」
小さく首を振りながらアンネマリーに忠告するユリア。
「そ、それは分かってはいるけど……」
消え入りそうな声でそう言うのがやっとのアンネマリー。
「まぁ、アンタの人生なんだから好きにしたらいいけど。後悔だけはしないようにしなさいね!」
「……うん、分かった」
ユリアの激励に、小さく頷くアンネマリーだった。
最寄りの船着き場は、領都イノーティアから直通の道が整備されているため、30分程度で到着する。
そこには見慣れた船が泊まり、見慣れた男が立っていた。
「レベッキオ船長、すみませんね、帰りもお世話になっちゃって」
「いやいや何を言ってんだイサム様。世話になったのはこっちだからな。せめてこれくらいはさせてくれよ」
恐縮する勇に、笑いながら答えるレベッキオ。
「ああ、そうだ。今日はご紹介したい方がいるんですよ。イノチェンティ辺境伯令嬢のユリア・イノチェンティさん」
「初めましてレベッキオ商会長。ユリア・イノチェンティです。一度ご挨拶をと思っていたところ、マツモト様のお知り合いと伺いましてお邪魔させていただいた次第です」
勇に紹介され、綺麗なカーテシーと共に挨拶をするユリア。
「え、あ? こ、こりゃご丁寧にどうも。レベッキオ商会のレベッキオだ、です」
急に領主の娘を紹介され、口をパクパクさせながらしどろもどろで挨拶を返すレベッキオ。
聞いてないぞ、とばかりに勇に目で訴えかける。
「あはは、すみません。昨日の今日で急に決まったもので……。じゃあ私は積み込みを手伝ってきますね~」
笑いながら馬車の方へと駆け出す勇。
その後積み込みが終わるまでの間、レベッキオは怪しい敬語を操ってユリアと会話を交わすのだった。
「はぁぁ、まったくえらい目にあった……」
「あはは、すみません」
出港した船上で、がっくり肩を落とし憮然とした表情のレベッキオが勇と話をしていた。
乾季に入りここのところ晴天続きだったため、メーアトル河の流れは穏やかだ。
順調に大河の中央にある安定した流れに乗って、ルサルサ河との合流点を目指して船は下っていく。
「でもこれで、イノーティアでも商売がしやすくなるんじゃないですか?」
「まぁそうなんだが……、俺は船に乗ってる方が性に合ってるからな。正直、商会の運営は誰かに任せたいところだ。どうだいイサム様、うちの商会長もやってくれないか?」
「いやいやいや、それは流石に無理ですよ!」
「ははは、そうだよなぁ……。ま、気が変わったら考えてくれ」
まんざら冗談でもなさそうにそう言い残して、レベッキオはブリッジへと上がっていった。
流れに乗った船は順調に河を下り、その日の夕方、一日でルサルサ河との合流地点へと辿り着く。
そこで一泊し、翌日からはルサルサ河の遡上が始まった。
「おーー、立派な帆ですね!」
甲板で見上げる勇の視線の先には、行きには張られることの無かった大小二つの三角形をした帆が、川下から吹く風を目いっぱいにはらんでいた。
「ここからは河の流れに逆らって進むからな。今日はいい風が吹いてて順調だ。まぁそれでも下る時の1.5倍くらいは時間がかかるのは大目にみてくれ」
「いやいや、河を遡ってるってだけで凄いですよ。ちなみに、風が弱くなったらどうするんですか?」
自然が相手なので、いつも安定した風が吹いているとは限らないはずだ。気になった勇が聞いてみる。
「そんときゃ魔法具を使う。決まった方向から、決まった強さの風を吹かす事が出来る魔法具があるんだ。それほど強い風は吹かせられないから、風が弱い時にしか使わないけどな」
「えっ!? そんな魔法具があるんですか!? 見せてもらってもいいですか??」
まさか風を操る魔法具があったとは。勇が前のめりにレベッキオに迫る。
「お、おう……。船尾の方にあるからな、こっちだ」
勇の勢いに若干引きながら、レベッキオが船尾の方へ案内する。
「コイツだ。繰風球と呼ばれていて、この丸いのが付いてる方向に向かって風が吹くから、起動させたら少し高い位置に掲げるんだ」
そう言ってレベッキオが見せてくれたのは、直径10センチくらいの半球に8枚の羽根っぽいパーツが付いた、大きなバドミントンのシャトルのような魔法具だった。
半球の平らになっている面が起動陣になっており、起動用の魔石が嵌っているのが見える。
高い所へ掲げるためだろうか、ポールを差し込むためのパーツが取りつけられていた。
「この中に風の中魔石が入ってる」
そう言って、半球部分をコンコンと軽くノックするレベッキオ。
「へぇ、中魔石を使うんですね」
「ああ。だから風のある時にはもったいなくて使えないんだ」
中魔石はひとつ1,000ルイン、10万円は下らない高級品だ。いざと言う時にしか使わないというのは納得できる。
「しかし面白い形ですね。魔法陣は、っと……、ああ、羽根の裏に描いてあ、るぅ!?」
8枚の羽根それぞれの裏に魔法陣が描いてあるのを見つけた勇の声が裏返った。
「ん? 大丈夫か?」
怪訝な顔でレベッキオが尋ねる。
「あ、あぁ、大丈夫です。これ、どこで見つかった魔法具かご存じですか?」
「こいつは確か、隣のケンプバッハの岩砂漠にある遺跡からだったはずだ。停戦してから流れてきたらしい」
「な、なるほど……。実は風の魔法具ってあまり見たこと無くて……。こちら船に乗ってる間お借りしても良いですか? あ、もちろん使う時にはお返ししますので!」
「ああ、全然かまわんよ。この風の感じだったら、多分使うことは無いだろう」
「ありがとうございます! それではお借りして、ちょっと勉強させてもらいます!」
そう礼を言うと、勇は繰風球を抱えて出張工房と化している風呂馬車へと向かった。
風呂馬車へ向かう途中エトを見つけた勇は、エトも誘って風呂馬車へと入る。
馬車の中では、ヴィレムが起動陣の復習をしていた。
「ああ、よかった、ヴィレムさんもいましたね」
「おやイサムさん、それにエトさんも。どうしたんです?」
ヴィレムの問いかけに、勇とエトが顔を見合わせてニヤリと笑う。
「思わぬところで、読める風の魔法陣を発見しましたよ!?」
「えっ!? 本当かいっ!?」
「ああ、そうらしい。船に風を送る魔法具だそうじゃ」
「それはまた……。なんて運のいい」
あまりの偶然っぷりに苦笑するヴィレム。
そもそも船に乗らなければ、一生目にする事の無かった魔法具だろうから、確かに運が良かったと言える。
「読める風の魔法具は初めてですし、パッと見た感じ結構複雑そうなんで、解読には少々時間がかかりそうですけどね……」
頭を掻きながら勇が言う。
「ああ、そうだ。あとこれ、ケンプバッハ側ではあるものの、岩砂漠の遺跡で見つかったモノらしいんです」
「なに?」
「また岩砂漠か……」
「やっぱりそう思いますよね……?」
「そりゃ、こう立て続けに読めるモノが出てくればねぇ」
「何なんでしょうね、あそこは……。今回行ったところ以外にも、まだいくつかあるそうなので、また機会があったら行ってみたいですね」
「確かにのぅ。ただ、今回の所に限らず、地域によって特徴があるかもしれんから、まずは各地を回ってみたほうがいいんじゃないか?」
「あーー、それは言えてますね。いやぁ、でもそう考えるとワクワクしてきますね」
「くっくっく、そうじゃの。どんなのが出てくるか、ますます楽しみになってきたわい」
「ふふ、そうだね。次は東の方かな??」
風呂馬車の中に、男たち三人の不気味な笑い声がしばらくの間響くのだった。
それからも船旅は順調で、明日にもヤンセン子爵領に入ろうかという日の朝、ついに勇による繰風球の解読が終わった。
「あーー、コイツは中々に手強かったですね……。何が出来るのかは把握出来ましたけど、正直どういう理屈でそうなるのかまでは、半分くらいしか分かりませんでした」
首をこきこきと鳴らしながら、勇がそう口にする。
「この魔法具は、まず大きく二つのパーツに分かれてます。魔法具としては一つなんですけどね。こっちの羽根の裏に描いてあるものと、こっちの半球の中に収められているものの二つです」
起動用の無属性魔石が嵌めてある平らな部分が開き、その内側にも魔法陣が描かれている。
そして一番奥、お椀状になった底の部分に風の中魔石が嵌め込まれていた。
「で、どうやらこの羽根の外側にある空気を、羽根に沿って丸いほうへと勢い良く動かすことで風を起こしています。動かす量と速さが設定できる感じですね。羽根の数が多いのと、動かす量が多いので魔力を結構食ってるんだと思います。まぁ、船を動かせるくらいの風なんで、そう簡単に吹いてもらっても困りますけどね」
そう言って勇が苦笑した。
「なるほど……。魔力さえ考えなければ、もっと強い風も吹かせられるのか。色々と使い道がありそうな魔法陣じゃの」
エトが腕組みをして呟く。
「ええ。上手く行けば、馬がいなくても魔力だけで動く馬車も作れるかもしれません」
「なんじゃ、その矛盾した乗り物は? 馬がいないのに馬車とはどう言う事じゃ?」
「あはは、魔動車、とでも言うんですかね。元の世界には、馬車の10倍の速さで1日中走っても大丈夫な鉄で出来た乗り物があったんです。まぁ流石にそれと同じものを作れるとは思いませんけど、馬車より便利な乗り物は作れる可能性があります」
「10倍の速さで1日中……。本当にそんなものが作れたらとんでもないの」
「まぁ、戻ったらまた色々試してみましょう。まだ他にも解読出来ていない魔法具がありますし……。いやぁ、楽しみだなぁ」
そう言って笑う勇に、エトとヴィレムも笑顔で頷いた。
好きな強さで好きな方向から風を吹かせられる魔法具……。
もっとも単純なやり方で動かすのであれば、馬車に帆を張ってやればよい。効率は悪いかもしれないが、魔石をケチらなければそこそこの速度が出せるはずだ。
車軸を縦型の風車のようにして車輪を直接回す事も出来るかもしれないし、プロペラを回してその揚力で前進させる方法もある。
勇は工学は素人なので、どういうやり方が一番良いかなど分かるはずもないが、皆であーだこーだ言いながら試行錯誤するのも楽しいはずだ。
この魔法具、魔法陣には、そんな楽しさを予感させるだけの可能性があると、勇の直感が告げていた。
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