第6章:イノチェンティ辺境伯領と獣人の迷い人

第93話 辺境伯ナザリオ・イノチェンティ

 まさかの猫型獣人、しかも迷い人の末裔と思わぬ邂逅を果たした翌日の午後、当初の目的の一つを果たすべく、勇たちはイノチェンティ辺境伯の館を訪ねていた。


「これは……。館と言うより要塞ですね」

 大河メーアトルに沿って建つ、見るからに頑丈そうな壁に囲まれた要塞を見上げて勇が感嘆の声をもらす。

 街の外壁も二重に張り巡らされた立派なものだったが、こちらはさらに立派かもしれない。

 しかしそれは、ここまでの防壁が必要なほどの歴史があったと言うことでもある。


「国境とメーアトル河に近いイノーティアは、ずっと戦乱が絶えませんでしたから……。ここ何十年かは大きな紛争は起きていませんが、停戦しているだけで依然油断はできないのです」

 少し厳しい表情でアンネマリーが言う。

 仲の良いかつての学友が住まう街なのだから、心配もひとしおだろう。


 防壁に負けず劣らず立派な門で用件を伝える。

「イサム・マツモト様、アンネマリー・クラウフェルト様、並びに御一行様ですね! 承っております!! 遠路はるばるお越しいただきありがとうございます。ご案内しますので、こちらへどうぞ!」

 キビキビとした門衛に快く迎え入れられ、案内に従いファサードを進んでいく。


 やがて見えてきた玄関前の馬車寄せには、何名かの男女が立っていた。

 まずは勇が下車し、アンネマリーに手を差し出す。この世界エーテルシアに来て四ヶ月、エスコートも自然に出来るようになっていた。


 全員が下車したところで、当主と思しき体格の良い壮年男性が一歩前へ出て両手を広げた。

「遠路はるばる、よく来てくれた。ナザリオ・イノチェンティだ。陛下より辺境伯を賜っている。貴公らの訪問を歓迎する」

 威風堂々とはこういう事を言うのだろう。常に最前線に晒されている辺境伯家の当主というのは伊達ではないようだ。


「イノチェンティ辺境伯閣下、初めまして。お出迎えいただき恐縮です。クラウフェルト子爵家に身を寄せております、イサム・マツモトと申します。以後、お見知りおきを」

 勇が一歩踏み出し返答をする。


「うむ。貴公がマツモト殿か。噂は色々聞いておるよ。よろしく頼む」

 そう言ってナザリオが右手を差し出してきたので握手を交わす。

 そして手を離した途端、パンと手を叩きニヤリと笑みを浮かべる。


「とまぁ、堅苦しい話はここまでだな! アンネマリー嬢はユリアの卒業式以来か? ますます綺麗になったな!」

 これまでの威厳ある態度はどこへやら、ガハハと豪快に笑うナザリオ。

「ご無沙汰しております、ナザリオ様。 相変わらずお口がお上手ですね」

 苦笑しながらアンネマリーが返答する。友達の父親だからだろうか、ファーストネームで呼べる程度には仲が良いらしい。


「まったく、お父様は……。よく来てくれたわね、アンネ」

「ごきげんよう、ユリア。前に来てくれた時には紹介できなかったからあらためて紹介するわね。クラウフェルト子爵家が後見している迷い人、イサム・マツモト様よ。魔法の腕前は一流よ。マジックバリアを張ったメイジオーガを倒せちゃうんだから」

「ちょっと、アンネマリーさん! 別にそういうことは言わなくても……!」

 目の前で魔法の腕前を褒められて慌てる勇。


「ふふふ、事実だからいいじゃないですか、イサムさん」

「へぇ、“イサムさん”ねぇ……。初めましてマツモト様。イノチェンティ辺境伯家が二女、ユリア・イノチェンティです。どうぞ、ユリアとお呼びください」

 アンネマリーの態度に一瞬目を細めた後、勇に挨拶をするユリア。


「初めましてユリアさん。イサム・マツモトです。私の事もイサムと呼んでください」

「よろしくお願いしますね、イサムさん! そうだ、後で是非魔法を教えていただけないですか? 私、イサムさんの魔法にすっごく興味があるんです!」

 ユリアが勇をさん付けで呼んだところで、アンネマリーの眉が跳ね上がる。


「ちょ、ちょっとユリア! いきなり何を言って……」

「あら、別にいいじゃない。 メイジオーガを倒せるような魔法なんて、そうそうお目にかかれないんだから。あ、ひょっとしてアンネのいい人だったりした? だったら遠慮するわよ?」

 後半はアンネマリーだけに聞こえるように耳打ちするユリア。


「ちょっ、いい人とかっ! そういうわけじゃあ……」

 耳まで真っ赤にしながら、反論にならない反論をするアンネマリー。

「はぁ、相変わらずねぇ、アンタは……。冗談よ、冗談」

 けらけらと笑いながらユリアが言う。


「……」

 何を言っているかは聞こえないが、大体言っていることが分かって勇がため息をつく。

「そんな事よりオリヒメちゃんはどこ? 私オリヒメちゃんに会えるのを何よりも楽しみにしてたんだから!」

「そんな事って!! もう……。流石に出したまま伺うわけにはいかないから、専用の鞄の中よ」

「はいはい、ユリアそこまでよ。いつまでもお客様を玄関先に立たせておくとは何事ですか」

 織姫の入ったカバンを覗き込みそうな勢いのユリアを、お淑やかな女性が窘める。


「はっ、す、すみませんお母様……。皆様も、こんなところでお引止めして大変失礼いたしました」

 我に返ったユリアが謝罪する。

「まったく、困った娘ねぇ……。マツモト様、初めまして。ユリアの母、フルーリエです。いつまでもこんな所で立ち話も何ですから、どうぞお入りください。お連れの方も、こちらへどうぞ」

「これはご丁寧にありがとうございます、フルーリエさん。それでは失礼します」

 こうしてドタバタしながらイノチェンティ辺境伯の屋敷へと入っていく一行だった。


「おーおー、やっぱりこの魔法コンロという奴は凄いな。コイツがあれば、高い薪をかなり削減できる。煙が出ないのも良いな。ザンブロッタ商会のシルヴィオだったか? コイツを独占するとは、なかなかやりおるな。他の商会はさぞ悔しがっとるだろうなぁ」

 嬉しそうに納品した魔法コンロで湯を沸かし、それで入れたお茶を飲みながらナザリオが言う。


「お褒めに与り光栄です、閣下」

 大物との対面に些か緊張気味のシルヴィオ。

「堅い、堅いぞシルヴィオ。それで、コイツを作る工房を建ててくれるという事だったが??」

 ナザリオが苦笑しながら問いかける。


「はい。今回の滞在で、出来れば用地の選定まで済ませたいと思っております」

「なるほど。話が早いのはありがたいな。ユリア、確か候補地の選定をしていなかったか?」

 勇の返答に、大きく頷いたナザリオが娘のユリアに水を向ける。

「ええ、お父様。いくつか候補地がありますが、今後の我が領の資源事情を変える大切な魔法具ですので、館に近いこちらが良いかと……」

 何枚かある地図のうちの一枚をナザリオに渡すユリア。


「ふむ。確かに狼藉を働く輩がいないとも限らんか……。イサムよ、工房の運営はどうするつもりなのだ? 人含めて全て子爵領かザンブロッタ商会から連れてくるつもりか?」

 資料から目を外し勇に運営体制についての質問をするナザリオ。


「工房長と職人のリーダーは子爵領から連れてくるつもりですが、それ以外はこちらで募集しようと思っています。実務は、やはり現地の方にやってもらったほうがスムーズだと思いますので」

「ほぅ、それはありがたいが……。良いのか? 貴重な魔法陣を他領の者に作らせて?」

「結局魔法具を買ってバラせば見られますからね……。それに今回はちょっと試してみたい作り方があるんです。それがうまく行けば盗作対策も兼ねられるかと思っています」

 そう言って鞄から一枚の基板を取り出す勇。


「こちらが試作品なんですが、これをこうして、と……」

 何やら基板をいじる勇。すると、基板が四つに分割された。

「これは、四枚の小さな基板を繋げて初めて動くようになる基板なんです。単体では動きません。で、制作者には、どれか一種類だけを担当してもらうようにします。そうすれば、簡単には盗用出来ないかと思いまして」


「なんと、そんな方法が……。起動陣と機能陣は分かれてはいたが、機能陣自体を分けるというのは初めて見るな……」

 ナザリオの言う通り、これまでは機能陣は一枚というのが常識だった。

 魔法陣の中身が理解できないので、上手く分割させることが難しい事と、一人の職人が一枚を仕上げるのが当たり前になっているためだ。


 勇はそれを分業制にすることで、生産効率を上げる事を考えていた。覚えなくてはならない範囲が狭い程、慣れるまでが早いはずなのだ。

 セキュリティ対策にもなる事は、その副産物である。


「分かった。では、こちらで信頼のおける商会に声を掛けよう」

「あなた、それだったらナシャーラ商会が良いのではなくて? 同じ迷い人がルーツですから、何かと通じる部分もあるでしょうし」

「えっ!? ナシャーラ商会ですか!?」

 フルーリエ夫人の口から出てきた思わぬ名前に驚く勇。そして、商会の名を聞いて勇が驚いたことに夫人も驚く。


「あら、ナシャーラ商会をご存じなのかしら?」

「ええ。たまたま昨日夕食を食べに行った食堂のウェイトレスさんが、ナシャーラさんの子孫の方でして。お話を色々聞いたんですが、詳しい事はナシャーラ商会に聞くのがいいとの事で、お店の場所を教えてもらったんです」

「あらあら、そうだったのね。でも、よくそのウェイトレスがワミ・ナシャーラの子孫だって分かったわね」

「あー、それはそれこそ偶々です……。織姫に似た耳と尻尾の獣人の方だったので声を掛けただけなんです」

 バツが悪そうに頭を掻く勇。


「なるほどねぇ。じゃあ丁度良いタイミングだったわね。ナシャーラ商会は、王国西部で一番大きな商会なの。ワミ・ナシャーラがイノチェンティ家に来たことが縁で、今でもお付き合いがあるわ」

 そうしてフルーリエは、ナシャーラ商会の成り立ちを勇たちに教えてくれるのだった。


 猫のような耳と尻尾を持つ獣人であったワミ・ナシャーラが授かった能力スキルは、架空倉庫ゼロ・ストレージというものだった。

 日本のライトノベル等によく出てくる、いわゆるアイテムボックスと呼ばれるものと同じように、異空間に物を収納できる便利な能力だ。

 ただし収納できる量は無制限ではなく、話を聞く限りコンテナ二つ分くらいだったようだ。


 その能力スキルを活かして、当時隣国との戦争真っただ中だったイノチェンティ騎士団の特殊輜重部隊として大活躍をする。

 戦況を一人でひっくり返すような力は無いが、武器だろうが食料だろうが資材だろうが、収納できる大きさであれば身一つで運べる恩恵は大きい。

 瞬く間に戦線を押し上げることに成功したイノチェンティ軍は、悲願だったイノーティアの要塞化を果たした。


 街から戦線を遠ざけることに成功したため、元々争いごとを好まなかったワミ・ナシャーラは、このタイミングで騎士団を抜け、商会を興した。


 商人としても、いや商人こそが架空倉庫ゼロ・ストレージを最も活かせる場所だろう。その恩恵を活かしてナシャーラ商会は、瞬く間に大きな発展を遂げることになる。

 そこからの話は、先日アンネマリーから聞いた通りで、隣国から亡命してきた獣人を商会で積極的に受け入れ、この街が獣人の一大拠点となるきっかけを作った。


 そんなワミ・ナシャーラはよく、「もう一度ケット・シーに会いたい」と言っていたのだという。

 元の世界のワミ・ナシャーラたちは、猫によく似た妖精であるケット・シーと共に生きる部族だったのだとか。

 妖精であるケット・シーから分化した名残が、その耳であり尻尾なのだと、いつも誇らしげに話していたらしい。


 勇と違い、身一つでこちらに召喚されてしまったワミ・ナシャーラは、晩年になるとこの世界にケット・シーがいないかを確かめるため、世界中を旅する。

 しかし念願かなわず、その人生に幕を下ろすこととなった。


「そうだったんですね……」

 もし自分が織姫と離れてこちらに召喚されていたら、と想像するだけで気が遠くなる。

 ワミ・ナシャーラの無念を思うと胸が張り裂けそうになる勇だった。


「オリヒメちゃんはケット・シーではないけれど、こちらにはいないケット・シーに近い見た目だもの。ワミ・ナシャーラの子孫に引き合わせたら、きっと喜ぶと思うわ」

 語り終えたフルーリエが、目を細めて織姫を撫でながらそう言う。


「そうですね。喜んでもらえると嬉しいですね」

「イサムさん、そのケット・シーさんのご神体も、作って差し上げたらどうでしょうか? こちらは流石に頒布はしませんが、子孫の方々に喜ばれるのでは?」

「おお! それは良い考えですね! 戻ったら早速神官長とミミリアさんに相談しましょう!」

「ご神体って何よ? その言い方だと、ひょっとして……」

「あなたが帰った後ひと騒動あってね。オリヒメちゃんが大活躍したから、ウチの領でお祀りする事にしたのよ。そのご神体がこれ」

 そう言って鞄の中から、マスコットサイズのご神体を取り出すアンネマリー。


「ちょっと、これは……」

「まぁまぁまぁ」

 案の定食いつく辺境伯家の母娘。全種類オーダーするのに、大した時間はかからなかった。

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