第91話 織姫の弱点
「アンネマリーさん、さっきの大きな鯨、本当に女神様の化身だったんでしょうかね??」
死闘から女神様の化身と思しき大鯨の登場に沸きに沸いた船上もようやく落ち着きを取り戻し、勇ものんびりアンネマリーと話をしていた。
「ルサルサ様なのかどうかは分かりませんが、この世で一番若い神というのは、どう考えてもオリヒメちゃんの事ですよね……? そのことを知っているのは、極一部の人に限られます。そう考えると、神様かそれに近しい存在であると考えたほうが自然な気はしますね……」
「やっぱりそうですよねぇ……。オリヒメに加護があると領地の人達には言ってますけど、鑑定結果まで知っているのは身内以外だと神官長とミミリアさんくらいですもんね。どなたかの友達、ってわけでも流石に無いでしょうし……」
膝の上で丸まる織姫を撫でながら、勇が噛みしめるように言う。
アンネマリーの言った通り、あの鯨が神に近い存在であると認めたほうが話の辻褄が合ってしまう。
「まぁ、いいか。お墨付きがもらえたってだけで、別に何かが変わる訳でもないし」
「ええ。オリヒメちゃんの可愛さが損なわれることは、一つもありません」
結局考えたところでどうこうなる訳でもないし、もしあれが神様だったとしたら、気にかけて見守ってくれていたことになる。
あの言いっぷりでは、本当にまずい状況になったら介入してくれるつもりだったのだろう。
神様が実力行使も辞さないレベルで見守ってくれるなど、こんなありがたい話はそうそう無い。贅沢を言ったら文字通り神罰が下るに違いない。
あるがままを受け入れることにした勇だった。
「そういえばイサムさん、オリヒメちゃんがお水が苦手な原因は何なのでしょうか?」
アンネマリーが、聞きそびれていた事を思い出して勇に問いかける。
「ああ、大した話ではないんですが……。織姫がまだ私の家に来てすぐの頃、夕食後に食器を洗っていたんですよ。蛇口……、えーっと起動させると水やお湯が、管から好きなだけ出てくる魔法具みたいなのがあるんですが、織姫はそこから水が出てくるのを見るのが大好きだったんです」
織姫に限らず、キッチンや洗面所の蛇口から水が出るのが気になって仕方が無い猫は多数いる。
織姫も、洗い物が始まると流し台の脇のわずかなスペースに陣取って、眺めたり時々猫パンチで水をつついては遊んでいた。
「その日もいつも通り隣で見ていたんですが、たまたま少し大きめの地震が起きたんです。それに慌てた姫が、足を滑らせて洗い場の中に落ちてしまって……。大きな鍋を洗っていた時だったので、そこに溜まっていた水に思い切りハマった上、勢いよく流れ出る水もモロにかぶってしまったんです。
それ以来、沢山の水や突然掛けられる水が大の苦手になっちゃったんです。少量なら自分から触りに行くのは問題無いんですけどね。だから、船に乗ってからこっち、自分だけでは絶対船の端、水面が見える所には行かなかったんです」
「なるほど、そんな事があったんですね……」
「ええ。今回は甲板に大きな水溜まりが出来たのと、大きな水玉が突然降ってきて、怖くなっちゃったんだと思います。ご心配おかけしてすみませんでした」
勇がアンネマリーに謝罪する。
「なるほど。それでオリヒメ先生は絶対にシャワー室に入らなかったのですね……」
「え?」
思わぬところから思わぬ答えが返ってきて、勇が驚いて振り返ると、うんうん頷いているミゼロイがいた。
「ああ、すみません。たまたま近くを通ったら気になる話をされていたので、つい……。オリヒメ先生にも苦手なものがあったんですね」
申し訳なさそうに頭を掻きながら謝るミゼロイ。
「しかしこれで、先生に守られるだけではなく、先生を守る事が出来るかもしれないので、ちょっと嬉しくもあります。隊長たちにも共有してきますね。失礼します!」
最終的には少し嬉しそうな表情で、小走りに駆け出していった。
この日以降、雨の日には必ず傘を持った騎士が1名、常に織姫に随伴する事になり、
「領主の私より手厚いねぇ」
と、セルファースが苦笑いする事になるのだった。
また、倒した川鮫を何匹か回収することに成功していたのだが、これに目を付けたのがシルヴィオだった。
何でも川鮫の皮は、かなりの高値で取引されている一級品の素材らしい。
なめしたサメ革は軽い上に丈夫で、もともと水の中にいただけあって水にもめっぽう強い。
その上模様が美しく、追い払うか逃げる事が多いため非常に珍しいと言う。
なめさなくても、しなやかでざらついた独特のテクスチャをもつ皮は、武器の滑り止めや鎧の関節部分に珍重されるのだとか。
倒したのは勇たちなのだから、当然すべて持っていくべきというレベッキオ船長の申し出は有り難かったが、商人としてそれは出来ないと対価を支払って買い取ることにした。
それでも市価の半値以下で手に入れられたと、シルヴィオはほくほく顔だ。
半分を専属護衛部隊の装備品用にとっておいてもらい、残りはザンブロッタ商会が商品として仕入れることになった。
その後の船旅は順調で、予定通りヤンセン子爵領を出て四日目の午後に、河の合流地点へ到着した。
「レベッキオ船長、今回はありがとうございました。初めての船旅、楽しかったです」
「いやいや、ありがとうはこっちだよイサム様。あんた達がいなかったら、船は沈んでた……。その上あんなもんまで貰っちまって……」
勇と握手をしながら、レベッキオの表情は複雑だ。
「なんのお返しも出来ないが、帰りもまた船で帰るなら、是非声を掛けてくれ! イノチェンティの領都イノーティア近くの船着き場にもウチの商会の船宿がある。タダで船を出すし、連絡が間に合えばルサルサからはまた俺に運ばせてくれ」
「そんな大したことはしてないんですけどね……。じゃあ帰りもお言葉に甘えさせてもらいますね」
あまりに必死な船長に、断るのはかえって悪いと判断した勇は、ありがたく申し出を受けることにする。
「おうっ! 任せてくれっ!!」
勇の返事にパッと表情を明るくさせた船長が、嬉しそうにドンと胸を叩いた。
合流地点で下船したチームオリヒメの一行は、そこからは船は使わず陸路を行くことにした。
河を遡っても陸路でもかかる日数は同じなら、オリヒメ先生の為にも、地形や気候を確認するためにも陸路で行くべし、と騎士達が言い張ったのだ。
勇としても別に河に拘る必要は無いし、織姫も途中で狩りをしたりしながらストレス発散できるので、即了承した。
豊穣の女神であるメーアトルの名を冠した大河沿いを進んでいくと、この地域独特の地形に目がいく。
河沿いには木が茂っているのだが、500メートルも離れると途端に岩が転がる岩砂漠になるのだ。
河に豊穣の女神の名が付けられるのも頷けるし、薪代が馬鹿にならないと魔法コンロを求めるのにも大いに納得できた。
途中街道沿いの町で一泊、その翌日の夕方前、ついにイノチェンティ辺境伯領の領都、イノーティアへと到着した。
大河メーアトルのほとりに広がるこの街は、岩砂漠の中にありながら驚くほど緑が多い。
それ故に、イノーティアを巡って幾度となく隣国ケンプバッハとの争いが起きていた。
いや、現在もケンプバッハとは和平が結ばれているわけではなく、40年前の戦争以降大きな争いが起きていないだけである。
二重に張り巡らされた立派な城壁を抜けて街へ入った途端、勇は目を見張った。
「え? じゅ、獣人がこんなに沢山……? すごい……」
屋台で串焼きを売っていたり、そこで串焼きを買っていたり、革鎧を着た冒険者風だったり、友達を追いかけて走っている子供だったり……。
そこには普通に生活する獣人が大勢いた。ぱっと見、三割くらいは獣人ではないだろうか。
勇も獣人がいるという話だけは聞いていたが、見たのは初めてだったため、思わず目が釘付けになってしまう。
「何百年か前に、イノチェンティ辺境伯家が迷い人を迎えたのですが、その迷い人が獣人の方だったそうです。とても優秀な方で、イサムさんと同じように商会を興して成功を収められました。その商会では積極的に獣人の方を雇い入れていたそうです」
勇の表情に気付いたアンネマリーが説明をしてくれる。
「な、なるほど……。その方たちの子孫なのでしょうか??」
「いえ。こちらにいらっしゃる獣人の方のルーツのほとんどは、隣国ケンプバッハだと思います。我々シュターレン王国には、元々あまり獣人の方は住んでいないのですが、ケンプバッハ東部は元々獣人の国があって多くの獣人の方々がいました。そこをケンプバッハが併合したのですが……」
そこで一旦アンネマリーが言葉を止めて、悲しそうな表情をみせる。
「かなり酷い差別があったそうです。併合したため、奴隷になるようなことは無かったのですが、扱いは酷かったそうで……。そんな時、すぐ隣で獣人の、しかも迷い人が大成功を収めた……。それを聞いた獣人たちが、亡命を始めるのに時間はかかりませんでした。
幸い、すでに獣人が溶け込んでいたここイノーティアは、獣人に対する差別など全くなかったので、亡命してきた人たちもすぐに受け入れられました。また獣人の方々は、魔力が少ない代わりに力が強かったり足が速かったりと、非常に高い身体能力を備えている方が多くいらっしゃいます。
当時のイノチェンティ辺境伯は、そうした方々を兵士や騎士として重用したことで大きな戦果を上げられました。獣人の方々も、相手が自分たちを酷く扱ったケンプバッハという事で、士気も非常に高かったそうです。それがまた噂になり、さらに獣人の方が増えていき、今に至っているのです」
「そんな歴史があったんですね……。悲しい部分もありますけど、今の楽しそうな表情を見ていると、少なくともこの街にいる皆さんにとっては良かったんだと思います」
勇が目を細めながらアンネマリーに語りかけた。
「そうですね。そう思います」
伏せていた顔を上げて、アンネマリーも微笑んだ。
今日の宿に荷物を入れると、一行は石と土で出来た暮れ行く街へと繰り出した。
宿でも食事をすることは出来るのだが、貴族向けの宿なので上品でクセの無い料理となる。
それはそれで美味しい料理なのだが、折角はるばる王国の西端まで来たのだから、地のモノを食べようと地元の人々で賑わう食堂へとやって来ていた。
「いらっしゃい! 何名さん!?」
威勢の良いウェイトレスに迎えられる一行。犬っぽい耳と尻尾のある獣人のウェイトレスだ。
「12人だけど入れるかい?」
各地の遺跡を巡って慣れているのだろう、ヴィレムが慣れた感じで答える。
なお、流動枠の騎士5名は、2名が宿の警備、2名が深夜以降の夜警に備え早めの就寝、残りの1名は食堂の外で警護に付いている。
「はいよ! 一番奥の席へどうぞ! 12名様ご案内だよ~~っ!」
入って来た時と同様、元気に座席へと案内される。
「ふ~~、席が空いていて良かったですね」
何とか座れてホッとする勇。
「だね。人気のお店みたいだから、空いてて良かったよ」
この店をチョイスしたヴィレムも胸を撫でおろす。
程なくしてウェイトレスが注文を取りに来る。
「いらっしゃ~い。まずは飲み物の注文から聞くにゃん!」
「はいっ??」
突然飛び出した、あからさまな語尾に、勇が思わず声を上げる。
「イサムさん、どうかしましたか?」
何も違和感を感じていないのか、アンネマリーが勇に問いかける。
「い、いや、何でもないです。え~~っと、私は白エールで……!!」
気を取り直してドリンクの注文をしながらウェイトレスを見た勇が固まる。
そこに立っていたのは、三角の耳とぴんと立った細長い尻尾が印象的な、猫の獣人と思われるウェイトレスだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます